大相撲

新大関負け越しの翌場所

関脇で優勝して、華々しく大関に昇進した
正代。だが、新大関の場所では5日目から
休場し、一転カド番に追い込まれた。まさに
明から暗となった十一月場所の大関デビュー
戦であった。ケガの原因は高安ともつれた
相撲で土俵に飛び出したときに左足で着地
したときにおきたものである。正代のケガは
靭帯損傷で全治3週間だという。正代は来場
所大丈夫なのか。そこで先輩大関で新大関の
場所を休場した大関、負け越した大関の翌場
所を検証してみた。

<高安戦で負傷した正代(後ろ)>

対象は2場所連続負け越しで大関降格規定が
できた昭和以降に誕生した大関とした。
・戦前
小野川 全休→6勝5敗
男女ノ川5勝6敗→9勝2敗
五ッ嶋 5勝5敗5休→7勝8敗
佐賀ノ花3敗7休→4勝3敗
小野川はのちの豊國である。大関で2回優勝
している。男女ノ川はのちに横綱に昇進して
いるが、大関でも横綱でも優勝はなかった。
五ッ嶋は大関2場所を負け越し、関脇に降格
した。関脇で全休し、相撲界を去っている。

<五ッ嶋のブロマイド>

・戦後
松登 5勝10敗→9勝6敗
松登はついに大関で10勝以上あげることは
できなく、大関の地位を明け渡している。

昭和33年、年6場所制とともに大関の降格は
3場所連続負け越しに変更された。
豊山 7勝8敗→13勝2敗

昭和44年七月場所から大関の降格は2場所
連続負け越しに戻され、実施された。
前乃山全休→9勝6敗
大受 2勝6敗7休→9勝6敗
増位山3勝5敗7休→8勝7敗
前の山は横綱を狙える素材だった。大関では
10勝以上をあげられず、10場所で大関の座を
明け渡した。大受は関脇で押し相撲旋風を
おこしたが、大関になったとたん勢いが止ま
った。

<前乃山>

千代大海3勝8敗4休→公傷→10勝5敗
武双山全休→4勝11敗
雅山 6勝9敗休→8勝7敗
栃ノ心5勝2敗8休→9勝6敗
貴景勝3勝4敗8休→全休
千代大海は大関で最も公傷制度を利用した
大関であった。武双山は2場所で大関を降格
したが、直後の関脇で10勝して復帰した。
栃ノ心は大関で好成績をあげられないまま
2度その座を明け渡している。貴景勝は新大
関の場所途中休場して、再出場して再休場
した。翌場所全休して、関脇に降格した。
直後の関脇で12勝して復帰している。

<千代大海>

14人の新大関負け越しの翌場所の成績は
105勝74敗15休である。千代大海は10勝5敗
を採用した。勝率5割9分である。15日制
では8.8勝である。新大関での負け越しは
翌場所も尾を引いている。正代の翌場所も
楽観できないが、ジンクスをはね返すくらい
の意気込み、闘志をみせていただきたい。

厚い靴下を購入しました。
興味深いテーマをこれからもお届けします。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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