大相撲

元大関の存在感

現代は元大関が花盛りである。高安・朝乃山・御嶽
海・正代と顔をそろえている。その中で大関復帰を
思わせる力士はいない。大関復帰は簡単な話ではな
い。

<朝乃山>

大関から落ちた直後10勝以上で大関に復帰した力士
はいる。三重ノ海は、復帰後時間はかかったが横綱
に昇進している。栃東は2回復帰している。

そうみるとゼロから復帰した魁傑は大変な偉業とい
える。魁傑はクリーンで知られていた。復帰後は短
命大関でおわり、再び大関から落ちている。

<魁傑>

花籠(元大ノ海)親方は輪島に続いて魁傑を横綱に
したかった。しかし、魁傑は相撲が窮屈で結局大成
しなかった。地方場所の輪島にも注文をつけている。
「ホテル住まいは顔じゃない。わしの横で寝ろ」と
語っている。

朝乃山は実力低下で大関から落ちたわけではない。
コロナ外出禁止期間に外出し、出場停止になった。
コロナウイルスがなければ歴史は変わっていたかも
しれない。高安はある時期まで優勝待望論があった。
今そういう声は聞こえなくなった。

朝乃山は先場所田優勝尊富士勝ったが、元大関はな
かなか存在勘をしめせないでいる。これが元大関の
現実となっている。

 

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  • この記事を書いた人

denkouriki

無類の相撲好き。きっかけは昭和42年、九重(元千代の山)が分家独立を許さない不文律の出羽海部屋から破門独立したことです。そのさい、千代の山を慕ってついていった大関北の富士がその直後の場所で初優勝した。こんな劇的なドラマを見せられたことが、大相撲から離れなくなりました。視点は監察委員を八百長Gメン、燃える要素があると強い北の富士を循環気質と呼んだ杉山桂四郎氏に。土俵の心は玉の海梅吉氏に、問題点を探るのは三宅充氏に、そして相撲の本質、真髄は小坂秀二氏に学んできました。本場所は地方場所を含めて年間半分くらい観戦しています。大相撲に農閑期はなく、随時執筆していきます。興味深く読んでいただければ幸いです。

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