本日は新年会のパンフの確定版の印刷。やっと最終確定稿が昼前に仕上げられるはず。昼までには印刷が終了するはずである。
作業のお伴は、モーツアルトのピアノ協奏曲第26番「戴冠式」。いつものようにピアノは内田光子、ジェフリー・テイト指揮のイギリス室内管弦楽団(ENGLISH CHAMBER ORCHESTRA)。
この戴冠式、有名で聴く機会も多い。私は第1楽章の主題提示部分、第2楽章、第3楽章はとても気に入っている。特にこの曲は第2楽章が出色であるとおもっている。反面、どうしても第1楽章の展開部以降がしっくりとこない。
どこがと言われると専門家でもないので具体的に答えられないのだが、「この協奏曲の特異な点は、作品全体を通して、多くの部分でピアノ独奏部の左手が書かれていないことである。冒頭の独奏(第1楽章、第81–99小節)でも書かれていないし、第2楽章は全体にわたって書かれていない。モーツァルトのピアノ協奏曲の中で、これほどまでに作曲家自身によって独奏部が書き込まれていない作品はない。」(Wikipedia)となっていることと関係があるのだろうか。
響きに厚みがないような印象は、私だけなのだろうか。第2楽章はそのように感じないので、ネットの指摘だけで私の疑問の回答にはなっていない。
好き嫌いの範疇ということでそれ以上の詮索はしたことがないし、その能力もない。