斎藤信也先生の怪 | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 私は四十歳を機にエッセイを書き始め、二年後初めて公募に出したエッセイで賞をもらった。第八回随筆春秋賞(二〇〇三年)である。これを機に私はこの同人となり、以来、文章指導をしてもらっている。斎藤信也氏はこの同人誌の主宰者(二〇一四年六月まで)であり、私にとっては大恩の師である。

 受賞の通知をもらってすぐに、この同人誌の主だった先生方の略歴くらいは知っておかないと失礼だろうと考えた。さっそく、インターネットでの検索にとりかかった。「ネット検索」が、まだ新鮮な行為といっていい時代であった。

 「佐藤愛子」、「金田一春彦」、「早坂暁」、「堀川とんこう」と頗(すこぶ)る順調に進んだ。だが、肝心の「斎藤信也」がわからない。

 「斎藤信也」で検索すると、様々な斎藤信也氏が顔を出す。映画俳優、大学病院の外科医、日本乳癌学会認定医もいれば、バレーダンサーや日本下水道協会役員とバラエティーに富んでいる。明らかに違う人物を片っ端から消去していく。するとそれらしき人物が浮上してきた。

「太宰治の弟子小野某さんと旧制弘前高校で同期(太宰の弟も同期で在籍)。東大を経、朝日新聞社記者となる」と。これは有力な情報である。さらに検索を進めていくと、別のサイトから「朝日新聞のコラム『素粒子』を十九年間執筆。主な著書に『人物天気図』、『記者四十年』……昭和を名文で綴った男」と出てきた。これに違いないと確信した。だが、年齢が少し高すぎはしないか、という疑念がよぎった。しかし、金田一先生にしても佐藤愛子先生にしてもご高齢である。年齢への疑問は、それ以上の深追いもせずにサラリと流した。

 さらに辿(たど)っていくと、「日本エッセイストクラブ会員」、「朝日カルチャーセンター通信講座作文講師」。『GO! 競馬スター四十年』、『文章の書き方』なる著書も出てきた。「××四十年」というフレーズが好きなのだな、とインプットする。さすがはインターネットだと感心しているうちに、不可解な文章に遭遇した。群馬の古本屋のホームページから、『斎藤信也遺稿追悼集』という言葉が出てきた。「追悼集」とはどういうことだ。思いあぐねた末、著名人の遺稿を集めた著書だろうと強引に納得し、予備知識の収集を終えた。自宅にいながらにして何でもわかる時代、ネットの威力に溜飲が下がる思いであった。

 こういう賞をもらった場合、真っ先にお礼の電話をするのが礼儀ではないか、という思いが頭を掠(かす)めた。神妙な面持ちで受話器を取る。緊張で何度か受話器を持ち替えた。電話口に出た女性は、作品の選考にかかわっていた方だった。石田多絵子さんである。話の流れの中で、斎藤先生の紹介が始まった。

「主催者の斎藤信也は、東京大学法学部を卒業し、朝日新聞社に入り○○部を経……」

 東大、朝日新聞、そんなことはとっくに知っています、と説明は半ば上の空である。それでも緊張のあまり、ぎこちない会話で終始した。

 さて、いよいよ表彰式当日である。会場に着くと、すぐに斎藤先生らしき人物が目に留まった。だが、予想に反して、若い。七十代くらいの血色のいい方である。どういうことだ、という疑念が湧き起こった。私は斎藤先生に対して、勝手なイメージを作り上げていた。ベレー帽を被って杖をつき、小さなアンモナイトの化石のついた紐(ひも)のネクタイをし、シシャモのように痩せ細った九十歳代の人物、というものだった。

 同姓同名? まさか……。ならば、「東大」と「朝日新聞」はどうなる。同じ名前で学校も会社も同じというのは、あり得ないだろう。予備知識万端で会場に赴いた私は、思いもかけぬ混乱を起こしていた。斎藤先生は、そんな私の困惑を見透かしていた。それまでに同じようなことを経験した節があるようだった。表彰式後の挨拶で嬉しそうに種明かしをしてくれた。

「どうも近藤さんは、私と大先輩の斎藤信也さんを混同しているようです」

 近藤さんが混同しているという先生の切り口に、参加者の中から笑いが巻き起こった。つまり、「東大」、「朝日新聞」、「××四十年」の斎藤信也氏がもうひとり実在したのだ。

 先生の話によると、大先輩の斉藤信也さんが同行記者として、昭和天皇とともに渡英したことがあった。その帰路、船中で天皇陛下と斎藤記者との将棋の大局が、連日の新聞を賑わせたという。そのために斎藤先生と勘違いした大勢の友人知己から、大変な名誉だとういうことで、大騒ぎが巻き起こった。岡山の実家には、お頭つきの鯛まで届いた。先生の父君は、それをありがたく頂戴したという。大先輩が亡くなったときにも、岡山の実家ではいくつか騒動があったようである。

 冷静に考えると、太宰治の弟と同期なら明治生まれ。同人誌を主宰しながら複数の教室で文章指導を行なうのはムリだ。東京大学から朝日新聞社へ進む人は多いはずだ。「斎藤」という苗字もポピュラーなら、「信也」という名前も一般的である。では、「××四十年」は……。かくして、もうひとりの斎藤信也氏の登場の余地が成立したのである。ただ、確率論からいうと……いや、もうやめておこう。

 先生からの種明かしの後も、私の困惑は収まらなかった。キツネにつままれたような気分だった。常日頃パソコンに親しみ、インターネットを過信していた私が、最後にはキツネを持ち出して渋々納得したのである。

 

  2004年4月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

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