G(ジー) | こんけんどうのエッセイ

こんけんどうのエッセイ

  Coffee Break Essay ~ essence of essay ~

 痔(じ)は、厄介な病である。

 人によっては人生最大の危機、と感じる場合もあるようだ。

 私などが痔と聞くと、

「お前の〈持病〉は〈痔病〉だから、〈主治医〉も〈主痔医〉というところだな」

 などとつい茶化してみたくなる。だが、実はそのへんに痔を患う者の辛さがある。

 痔は、疾患の場所が場所だけに、他人からは格好の揶揄(やゆ)、嘲笑(ちょうしょう)の餌食(えじき)となる。たとえ信頼できそうな人に打ち明けたとしても、

「ああ、大変ですね。お気の毒に」

 ひどく真顔で同情してくれるのだが、よく見るとその唇の端が笑いを堪えて震えている。つまり痔の患者は、痔の痛みと同時に、この種の屈辱に耐えねばならないのである。

 その痔の痛みだが、患った者にしかわからない、とわが友人は断言する。彼は痔瘻(じろう)で、三か月の入院生活を経験した、いわば痔のスペシャリストである。

「そりやぁおまえ、焼け火箸をやな、肛門にグイッと押しつけられたような痛みや。それが肛門から脳天にかけて一直線に突き抜けるんや。もう〝痛い〟なんていうレベルの問題やない」と。

 彼によれば、痔の悲劇はその診察にあるという。患部を診てもらうためには、医者や看護師を前に、屈辱的な姿勢をとらざるを得ない。分かりやすくいえば、日当たりのいい縁側で、ネコが伸びをするようなポーズだという。つまり、パンツを脱いで、四つん這いの姿勢で肛門を高らかに突き出すのだ。うら若き女性の場合、そんなことをするくらいなら死んだ方がまし、と考えるのも頷(うなず)ける。

 だから彼女らは、限界まで我慢に我慢を重ね、恥ずかしいなどといっていられない重篤(じゅうとく)な状況に陥って、初めて病院を訪ねる。しかもみな、例外なく腹にたっぷりと便を溜め込んでいる。肛門が痛くて排便ができないのだ。便は、すでに肛門付近でガチガチに固まり糞石と化し、乱暴な例えだが、シャンパンのコルクのごとく、不用意に人に向かって抜くと、暴発しかねない様相を呈している。痔とは、悲劇と喜劇が交差する、誠に気の毒な病なのである。

 かつて私の上司に、鬼軍曹という異名を持つ佐々木氏がいた。佐々木氏の背中には、「常務取締役東京支店長」という重々しい肩書きが貼り付いていた。その役職に違(たが)わず、誰もが認める辣腕(らつわん)家で、その厳しさも並大抵ではなかった。

 社員が風邪で会社を休もうものなら、

「なにィーッ、風邪? 精神がたるんでる証拠だッ! 死んでしまえッ!」

 と吼(ほ)え、また、それが二日酔いだと、

「バカヤローッ! 這(は)ってでも出て来いッ!」

 電話を取り次いで報告した者が返り討ちにあい、萎縮(いしゅく)している姿を幾度となく目にしてきた。

 ただ、彼が周囲から一目置かれている点は、他人に対する厳しさもさることながら、自分自身をより厳しく律しているところにあった。つまり佐々木氏は、旧帝国陸軍歩兵隊長のような気概の持ち主で、堅牢無比(けんろうむひ)な精神力で人生を処してきた、いわば〝サラリーマンの鑑(かがみ)〟であった。

 その佐々木氏が痔を患った。

 彼は持ち前の根性で痛みに立ち向かい、ついには努力、忍耐、気迫と、ありとあらゆるものを総動員し、耐えに耐えた。

「女房のヤツ、陣痛の方が痛いとぬかしやがった……」

 にわかに反撃に出た奥さんに、気焔(きえん)を上げていたあたりまではよかったが、気力で持ち堪えていた佐々木氏にも限界がきた。

「クソがノド元まで逆流してきた」

 ついに病院へ行く決意をした。だが彼は、会社を休んで自宅近くの病院へいくことはしなかった。這うようにして会社にきて、会社の近くの病院で手術を受けたのだ。病院までは、歩いて十分足らずの距離だったが、一時間近くもかかって戻ってきたという。

 やっとの思いで会社に辿(たど)り着いた佐々木氏は、関ヶ原の合戦に敗走し、ただ今帰陣した、といった形相で事務所の入り口に立った。顔面蒼白で、脂汗を流している。

「大丈夫ですか、支店長!」

 駆け寄った社員の声は深刻だったが、彼らの口元は完全に緩んでいた。佐々木氏は弁慶の立ち往生さながらの形相で、

「寄るなッ! 俺に触るな。いいか、触るな!」

 遠巻きにする社員を制しながら、ソファーに崩れた。正しくは、しがみつくような格好で取り縋(すが)った。痛みのあまり腰掛けられなかったのだ。いつもの怒髪天(どはつてん)を衝(つ)く勢いは、完全に失せていた。さすがの軍曹も、その日は電車での帰宅かなわず、社員が運転する車で送り届けられた。後日、送っていった社員によると、佐々木氏は座席に座ることができず、運転席に背を向け立ち膝で後部座席にしがみついて呻吟(しんぎん)していたという。

 かのフランスの英雄ナポレオンも痔を患っていた。一説によると、ワーテルローの戦いの敗因は、この痔の悪化にあったといわれる。ナポレオンの陣頭指揮にさえ支障をきたすこの難物、佐々木氏が屈するのもいたし方ない。

 だが佐々木氏、毎朝、命がけの排便を強行し、奥さんの生理用品を股間に挟みながら、とうとう会社を休むことなく出勤を続けた。部下に〝範〟を示したのである。以降、私たちは佐々木氏のことを「水戸黄門」ならぬ「痔と肛門」、「コーモン様」と陰ながら崇(あが)めたのはいうまでもない。

 手術から数日後、佐々木氏の役員用の椅子に、真新しい座布団が載った。役員の椅子は、多少ふんぞり返っても、ひっくり返らないような重厚な構造になっている。座布団のことを尋ねると、「娘からだ」と照れくさそうにしている。よく見ると、その座布団の真ん中には、赤い糸で刺繍(ししゅう)が施されていた。小さな文字で「G」とあった。何かのイニシャルか、と思った途端にひらめいた。それは「ジー」でありつまり、「痔」を意味していた。しかも刺繍糸の色が黄でも青でもなく、色鮮やかな赤であった。

 娘は、父親の滑稽とも思える苦悩を間近に見ていた。初めは笑っていただろう。だが、苦痛に歪(ゆが)む父親の顔を見ているうちに、ただならぬものを感じ取った。

 私は、そのふかふかの座布団に家族の温もりを認め、ふいに胸が熱くなった。同時に、当時高校生だったお嬢さんの、卓越したユーモアに脱帽したのである。

 

 過日のこと。

 私があまりにも痔、痔、痔とキーボードを叩いたものだから、さすがのパソコンも嫌気が差したか、〈地酒〉を出そうと変換したら、〈痔裂け〉と出てきた。

「何だッ!」

 衝撃的な字面だった。

 ディスプレイに現れたその痛々しい文字に、私なりに多少とも痔の痛みを理解し、佐々木氏の痛恨を実感した気がしたのである。

 

 

 追記

 この作品は、平成二十二年一月に第五回文芸思潮エッセイ賞で奨励賞を賞受した。私は小品が収録された雑誌を、恐る恐る佐々木氏に贈呈した。佐々木氏の了解を得ることなく、この作品を世に出していた。佐々木氏はすでに会社を引退していたのだが、たまたま雑誌を送った直後に会う機会があった。顔色を窺いつつ、

「応募総数七〇〇点を超える中で、三等賞でした」

 多少胸を張って申し上げたところ、

「バカヤローッ!」

 と大一喝。

「……なんで一等をとらなかったんだッ!」

 鬼軍曹は、健在だった。だが、佐々木氏の口元が緩んでいたことを私は見逃さなかった。

 

  2004年7月 初出  近藤 健(こんけんどう)

 

 

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