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鎌倉殿の13人 (31)「諦めの悪い男」

(2022日)


建仁3年(1203)8月、頼家が倒れ危篤となる。


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頼朝の挙兵から参陣してくれた佐々木秀義の孫が医者となって診察してくれた。
汗は生きようとする証で希望があると言ってくれた。


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とはいうものの、意識不明の危篤状態でもあり、
比企能員は孫でもある一幡を跡継ぎにしようと進める。


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阿野全成の三男頼全が京で修行中だったが、殺害された。


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在京御家人となった源仲章による比企の意を受けての仕業だった。


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知らせを受け、政子も含め北条の者が集う。
さすがに実衣はキレ比企を滅ぼしてくれと頼む。
義時により、まずは頼家の弟千幡を鎌倉殿とすることを比企に承諾させ、
無理なら滅ぼすこととなる。


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りくは義時に千幡は幼いので時政に政治を任せるよう釘を刺してきた。
義時は比企に一幡と千幡で東西2分割して治めようと提案。
同意しないとは分かっていたが、武力の前に大義名分を得るためだった。


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義時は泰時に、戦になったら一幡とその母を先に殺害するよう指示。
禍を未然に防ぐためであり、頼朝ならそうしてたと説得。


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時政は全成を死に追いやったのが自分だと認めた。
呪詛を依頼したこと、実衣に申し訳ないと悔いており、
非情となり北条の世にしてみせると覚悟を示した。


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9月2日、時政から和議を申し出たことにより、比企能員は単身、北条邸へ向かった。


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NHKオンデマンド 鎌倉殿の13人



比企能員の殺害後、比企邸へ向かう。
一幡を出家させると約束していたので、
政子には、行方不明ということにした。





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