807年、つまり9世紀の初めには、会津中に沢山のお寺が建てられていたようだということがわかった。現存しているお寺も多い。
では、100年後、会津はどうなったのだろうかと、検索してみた。
仏像が造られたりしていたようだが、あんまり情報がない。いずれ図書館に足を運ばねばと思いつつ、ひとまずネットで下準備。
興味深いサイトを見つけた。
http://www2.ocn.ne.jp/~you/CCP031.html
「10世紀頃より会津を支配した勢力は、磐梯町の恵日寺でした。」という記述があった。恵日寺が出来たのは807年、それから100年のときを経て、やはり、会津は、東大寺の高僧達によって、支配されていたようだ。
会津を恵日寺が完全支配したのは1087年のようで、その後約100年間、会津は、恵日寺衆徒支配によって、対外不干渉のモンロー主義のもとにあったのですが、頼朝挙兵に際し、その去就を問われることとなり、結果として、越後の城氏に組みし、会津4郡の兵を率いて、会津の将、乗丹房が出陣、1181年、横田河原の合戦に於いて木曾義仲に破れ、その殆どを失うこととなる。
http://www2.ocn.ne.jp/~you/CCP031.html
11世紀になると、最盛期には300余の末社や寺院・霊道が立ち並び、100人以上の神職がいたという、新宮熊野神社が喜多方市に出現する。こちらは始まりが、1055年、現在の地に遷座・造営されたのが1089年、11世紀だ。
会津の仏教の時代が終わり、神道の時代となるのだろうか。神仏分離令が発令されたのは、1868年、明治政府が「王政復古」「祭政一致」の理想実現のため、神道国教化の方針を採用したことによる。ということで、神仏分離とは関係がなさそうだ。
今まで調べた所によると、飯豊山神社は中国渡来の僧である知道と修験道の開祖である小角が創建したとされる。お坊さんが神社を建てる事もあるようで、今とはまた、仏教、神道の区別の感覚が違っていたのではないかと思う。
しかし、恵日寺がある磐梯町と新宮熊野神社がある喜多方市、そう遠くない距離にあるが、こちらは、神仏がどうというより、政治的ななにかがありそうだ。11世紀の一時期は、この2つが栄えている時代がかぶっているような感じだけど、どういう状況だったのだろうか。
参考
http://www2.ocn.ne.jp/~you/CCP031.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E4%BB%8F%E5%88%86%E9%9B%A2
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B0%E5%AE%AE%E7%86%8A%E9%87%8E%E7%A5%9E%E7%A4%BE
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