いろいろ調べていると、会津には、東大寺に関わる優秀なお坊さんが沢山来ていた事が分かる。
若松の東山温泉にある羽黒山湯上神社を作ったとされる行基は、日本で最初に大僧正になったひとで、奈良の東大寺などの大仏建立の実質上の最高責任者だったらしい。
そんな人が、会津にいるわけがないだろうというのが、正しい日本の歴史の見解になるのではないだろうか。
美里町に法用寺と開いた徳道上人という人を調べると、西国三十三所巡礼は会津三十三観音巡りがルーツなのではという想像に行き着く。
そんなことは、これもまた、正しい日本の歴史から見れば、馬鹿じゃないのということだろう。
会津の古いお寺のルーツは、否定されそうな物が多いが、807年に徳一によって開かれた恵日寺は、開基が明らかな寺院としては東北最古のものになるらしい。
実際、会津には、近畿地方以外ではないような仏像が多く残っているようだ。
アメリカでは、今も、ダーウィンの進化論を否定する人がいるらしいが、歴史の認識とはそういうものなのかもしれない。
会津出身の人間としては、実際の所、会津藩以前の会津というものがどうだったのか、正しく研究され、世に出る日がきてくれたら嬉しいと思う。
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