旅の最中 | ダイヤモンドのブログ

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GAYでHIVだけど、今じゃそんなに珍しくもないと思う。そんな風に考えて気楽に生きたいと思う、おとこのこのブログ

昨年、父親が亡くなり、その葬儀の前、通夜の準備でバタバタしてた時です。


前日に、いったん、父を見舞いに、帰省してましたが、容態は、悪いながらも変化なく、いったん、決意して、東京に戻りました。だが、帰った翌朝、母からの電話で、実家にとんぼ返り。訃報を聞いたのは、まだ、飛行機に乗る前でした。


24時間ぶりに帰ると、狭い居間に、棺が置かれ、変わり果てた父の姿と、気ぜわしく動きまわる母です。親戚の叔母やら、母の友人やらもかけつけ、バタバタと通夜の準備です。遺影はどれにしようかやら、まあ、気忙しく時間はすぎていきます。動いてないともたない母は、緊張感マックスです。それを心配する、まわり。いろんな書物やら、ドラマでは見知ってましたが

お通夜行進曲が、鳴り響きます。

そんな時です、母が棺横に座る僕に、手紙の束を差し出したのです。


「この、手紙、棺に入れるから。」

「なに、これ?」

「お父さんが私にくれた手紙」


そして、手紙を棺の近くにそっとおき、また、気忙しく動きまわり始めました。


家での通夜、葬儀場での通夜を終え、我が地域は、先に火葬にしてから、本葬になります。

手紙は父の棺に母の手で、すべりこまされ、荼毘にふされました。

手紙のことを知っているのは、僕だけで、弟たちは、しりません。

何が書いてあったのか、読んでみたい気持ちはありましたが、なぜか、それができず、手紙だけ、大事に僕が保管して、火葬場まで持っていき、母に渡したのです。


本葬は、すこし、揉めました。市井の人にしか、すぎない父ですが、誰にお話を頼むか、頂いた弔電は、どの順番で読むかとかです。


お話は、父のバスケット仲間の方にお願いをし、弔電の順番は、僕の一存で決めました。関係ない、市長さんやら、県会議員さんを先に読んで箔をつけても意味ない、そう、叔母に相談したら、したいようにしなさい。と、言われましたし。


お話は、その場で頼んだにも関わらず、素晴らしいものでした。

若いころの父の話が織り込まれ、僕の知らない話ばかりです。

「今度、松浦のほうから、嫁さんもらうことになった」

話の中で、でた、ひとことです。

僕の父母は、どれくらいかよく知らないんですが、遠い親戚になるらしく、見合いで結婚したと聞いてました。その程度しか、興味ないわけで、よくある話だろうくらいの感覚です。

結婚指輪があるのか、ないのかも知らず、新婚旅行はどこへ行ったのか?いや、その前にいつ式あげたの?それどこで?知らないことだらけ。ドラマみたいに、そうそうしんみり、いろんな話をする時間なりが、あるわけありません。


なので、ドラマチックなことなど、想像すらなかったのに、そこへこのような展開。正直、びっくりしました。よく考えてみると、人が人と出会い、暮らし、子供もでき、それなりのできごとはあってしかりです。50年は優にふたりの時間を過ごしてきたわけではありますから。

僕が、いま、いちばん不安に感じるのは、この過ぎ去った時間をそれも長きに渡る時間を共有する人がいない、ということです。時間は、僕の前にはあります。これから、共に過ごす人が、まあ、いまのとこは、彼氏か子供かわからない関係ではありますが、います。ただ

彼氏と50年間もこれから過ごすのは、物理的に不可能だとは思います。長さでは、僕は父母にかないません。過ぎ去った時間、僕は、なにしてたんだろうか?それを考えると僕はやはり頭をかかえるしかできないような気がする。



過去に時間を戻せるなら、いつがいいだろうか?