ごんたのつれづれ旅日記

ごんたのつれづれ旅日記

このブログへようこそお出で下さいました。
バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
話の脱線も多いのですが、乗り物の脱線・脱輪ではないので御容赦いただきまして、御一緒に紙上旅行に出かけませんか。

【主な乗り物:高速バス東京-ユーカリが丘線「マイタウン・ダイレクトバス」、京成本線・東葉高速鉄道・JR京葉線】

 


東京駅八重洲口前停留所を定刻17時35分に発車したユーカリが丘行き高速バスは、ほぼ満席だった。

鬱陶しい梅雨が続いているうちに、いつの間にか、このような時刻とは思えないほど日が長くなっていた平成30年6月の週末である。


これほど窮屈な思いをするはずではなかった、という若干の落胆と、これだけの人気路線であるのは目出度いことではないか、と相反した感情が心中せめぎ合って、何となく落ち着かない。

 

僕はしがない高速バスファンに過ぎないけれども、開業したからには、どの路線であっても末永く活躍してほしいと心から願っている。

これまで様々な高速バスに乗って来たけれども、路線によって人気の差は歴然としていて、果たして利用客が定着するのか、と首を傾げたくなるような路線もあった。

バス事業者は検討に検討を重ね、満を持して開設したのだろうが、バスファンという人種は、第一印象や思い込みだけで評論する傾向がある。

 

一方で、乗り物は空いている方が、のびのびと車中を過ごせるから好ましいと思うのは、誰にも共通している感情であるだろう。

車内に運転手と僕だけ、などという極端な空き具合は畏れ入るけれども、列車や航空機よりも居住空間が狭いバスで、ぎっしりと満席になっていると、自分がぎゅうぎゅうに詰め込まれた1個の荷物と化しているような心持ちにさせられる。

 

 

自宅を出た時は、東京-ユーカリが丘間高速バスに乗るつもりはなかった。

 

この日は別の旅に出掛けるために自宅を発ち、東京駅に予定より何時間も早く着いたので、駅ビルの喫茶店で一服しながら暇を持て余していた。

困っているのかと問われれば、そのようなことはない。

旅立ちの直前とは、旅程の中で最も楽しい時間ではないかと思っている。

 

ところが、何気なくスマホを眺めながら、近距離を走る高速バスならば1本くらい乗って帰ってくることが可能なのではないかと思いついて、真剣に時刻表を検索し始めた。

それほど早い時刻だったのだ。

 

遅れるよりマシだと思うけれど、作家の内田百閒が、発車時刻よりも大幅に早く駅に着いてしまい、構内で靴磨きに寄ったり、食堂で同行者と一杯傾けたり、

 

『どうも汽車に乗るのに飛んでもなく早くから来るのは、利口ではなさそうで、はきはきした人は、こんな事はしない(「長崎の鴉~長崎阿房列車~」)』

 

と記した一文が思い浮かび、その通りかも知れない、と苦笑いが込み上げてくる。

 

百閒先生が著した鉄道文学の嚆矢とも言うべき「阿房列車」に収められている旅行では、発車時刻ぎりぎりに列車に駆け込む、といった行為が殆ど見られない。

 

『家を出掛けるにはまだ早過ぎると云うので、支度をした儘家にいて見たところで、なんにも出来やしない。

支度をするのを延ばしてぼんやりしていれば、その場になってあわてた挙句に発車の時間に遅れるという心配もある。

どうせ要領が悪く、列車の発着などと云う自分以外の都合で決められている制限に調子を合わせるのがうまく行かない性分だから、速く来過ぎたぐらいはやむを得ない(「列車寝台の猿~不知火阿房列車~」)』

 

と、必ず余裕のある頃合いに駅に到着し、構内で暇をかこちながら過ごすひとときの描写が、独特の味わいを醸し出している。

 

早起きが大の苦手で、「そんな時刻は私の時計にはない」などとうそぶいても、出発がやむなく早朝になった場合は、何時間も前に目を覚まして、寝不足の不満をあれこれ並べ立てている描写も少なくない。

遠足の前夜になかなか寝つけなかったり、当日の朝に親がびっくりするほど早起きする子供のようであり、旅立ちの高揚感を百閒流に表現しているのではないか、と微笑ましくなる。

 

僕も似たような傾向があるので、その通り、と膝を叩きながら読み進めるのだが、それにしても今回の東京駅着は、我ながら笑ってしまうほどに早過ぎた。

 

 

百閒先生は、せかせかと急ぐことが何よりも嫌いであったようにお見受けする。

 

『何も用事がないけれども、汽車に乗って大阪へ行って来ようと思ふ』

 

という一文で幕を開ける「阿房列車」の著者であるから、あくせくと急ぐような羽目に自分を追い込むことは全くの筋違いで、用事のために出掛けるのと変わらないではないか、とお考えなのかも知れない。

2編目の「区間阿房列車」では、東海道本線の下り列車が遅れて、国府津駅で乗り換える御殿場線の列車の発車が間際になり、走らないと間に合わない状況に追い込まれても、ホームと階段を息せき切って走って行く他の客を横目に決して急がず慌てず、結局は乗り遅れてしまい、次の列車まで2時間の足止めを食らったりしている。

 

用事がないからこそ「阿房列車」なのであって、目的地に着いても、名所旧跡を観光したりはしない。

宿で同行者や客を招いて一献するばかりで、それだって東京でも出来るではないか、とツッコミたくなるけれども、そのうちに、百閒先生の旅の目的は、汽車に乗ることそのものであって、残りの時間は余禄なのだな、と分かってくる。

実に徹底している。

 

用が無くても乗り物に乗るという行為は、例えば映画や音楽観賞だったり、プラモデルを組み立てたり、読書をしたり、盆栽をいじったりする他の趣味と比べても、時間の費やし方として劣っているとは決して思わない。

そもそも暇潰しとは、次の行動開始までに限定されているので、その時間に別の行為を挿入することは、束縛を新たに生じさせることになる。

余裕があるから暇潰しが必要になるのだけれど、暇潰しを実行した途端に、余裕は跡形もなく消え失せる。

ましてや、他人が運行時刻を規定している公共交通機関に乗るなどという行為は、時間の束縛を避け得ない。

 

百閒先生は、駅に早く到着しても、ならば山手線を1周して来よう、などとは絶対にお考えにならない。

暇だ暇だと愚痴をこぼしながら、構内にじっと佇んでいる。

断じて、自ら用事を創ったりはしない。

 

百閒先生のファンでありながら、別の旅を企画してしまった僕は、実に中途半端で、徹底していない。

そこが、文学に昇華する高尚な行為と、児戯にも等しい行為との違いなのだろう。

 

 

東京駅八重洲口を外に出ると、ムッとするような湿気の多い熱気が身体を包み込んだ。

 

昭和44年の「東名ハイウェイバス」開業以来、長く使われて来た八重洲南口バスターミナルは面目を一新していて、鹿島神宮や静岡、名古屋、小名浜、成田空港、新浦安といった各方面への高速バスが続々と発車していく。

1番乗り場で乗客を乗せている東京-鹿島神宮線「かしま」号は、平成元年に開業した東関東自動車経由する最初の高速バス路線で、その当時は4ヶ所しか乗り場が設けられていなかった。

あの頃、場末のように陰気だったターミナルは、平成23年の改築により見違えるように明るくなっていて、9ヶ所に増設された乗り場で、バスを待つ人々が行列を作っている。

眺めているだけで、心が躍るような光景である。

 

 

しかし、ここを発つ高速バスで、僕が意図している制限時間内に戻って来られるような土地に向かう路線はない。

僕が選んだのは、平成22年に開業した東京-ユーカリが丘間高速バスである。

僕は内堀通りを渡って、八重洲通りに面した東京駅八重洲口前停留所に向かった。

 

ここを初めて利用したのは、平成3年に開業した東京-銚子線「犬吠」号に乗車した時であった。

当初は、歩道の並木に隠れてしまうように、停留所を示すポールがぽつんと立っているだけの簡素な場所であったが、平成26年に3ヶ所に乗り場が増え、発券窓口や待合室を備えたラウンジが近くのビルに開設されている。

 

今では、旭経由銚子線「犬吠」号、佐原・小見川経由銚子線「利根ライナー」3系統、東金経由成東線「シーサイドライナー」、金田経由木更津線、木更津経由君津線、君津経由青堀・富津線、三井アウトレットパーク木更津線、木更津・袖ケ浦経由安房鴨川線「アクシー」号、勝浦経由御宿線、勝浦経由安房小湊線、大網経由白子線、幕張・花見川経由草野線「ちばきたライナー」、佐倉経由国立歴史民俗博物館線、千城台・八街経由成東線、千代田団地・臼井駅南口経由ユーカリが丘線などといった、東関道もしくは東京湾アクアラインを使う高速バス路線がひしめく一大ターミナルに発展した。

 

東関道を走る高速バスの歩みは、そのまま、東京駅八重洲口周辺のバスターミナルが拡充される歴史と重なっているのだな、と思う。

 

 

ちょうど「千城台・御成台」と行先表示を掲げた高速バスが発車するところだったが、乗車扱いが終わったばかりであるにも関わらず、停留所には、まだ長蛇の列が残っている。

僕が乗ろうとしているユーカリが丘行きの高速バスが混雑するとは夢にも思っていなかったから、その前に別の高速バスの発車があるのか、と早とちりした。

 

ところが、千城台系統と入れ替わりに滑り込んで来た「千代田団地・染井野経由ユーカリが丘」と行先を掲げたバスの乗降口に向かって、人々の列が一斉に動き始めたのである。

この路線に、これだけの人間が乗るのか、と仰天した。

 

 

ユーカリが丘は、佐倉市の京成電鉄本線に沿う新興住宅地である。

 

不動産会社山万による完全な民間主導で、昭和40年代後半に開発が始まり、通常行われているような完売後に不動産会社が撤退する方式ではなく、少子高齢化も見据えた成長管理型、つまり分譲件数を毎年一定数に抑えて長期間継続し、若い世代を入居させて居住世代を分散化させ、居住者の高齢化と急速な過疎化に対応している。

高度経済成長期に少子高齢化を予想していた慧眼には敬服するが、特に東日本大震災を境に、コミュニティづくりの先端事例として、内外の企業や自治体からの視察が相次いでいると聞く。

 

 

僕のような鉄道ファンの興味をそそるのは、ニュータウン内に、山万が運営する延長4.1kmの新交通システム「山万ユーカリが丘線」が建設され、京成ユーカリが丘駅に接続している点である。

 

子供の頃、全国の私鉄が紹介されている鉄道書籍を読みながら、「山万」と耳慣れない文字が目に入り、何だこれは、と首を傾げたものである。

当時の運輸省からも不動産業者が電車を走らせるとは何事だ、と言われたらしいが、開業以来無事故を誇っており、平成25年には、多年にわたり国土交通業務に貢献した功績により国土交通大臣からの表彰も受けている。

 

僕も、東京に出て来たばかりの昭和60年代に、試しに乗りに行ったことがある。

当時は、京成ユーカリが丘駅周辺も鄙びた印象であった。

団地内で反時計回りに輪を描いている軌道の右手には、高層住宅がずらりと建ち並んでいるものの、左の窓には延々と緑の公園が続き、乗っている乗客も僅かで、地方のローカル線と似た雰囲気だった記憶がある。


レールウェイライター種村直樹氏の「駅を旅する」に収められた「山万ユーカリが丘線」も、同様の長閑な雰囲気が描かれている。

ユーカリが丘駅の駅員が階段を登る老人の荷物を持ってあげたり、途中の無人駅では、おそらく切符を購入していない子供たちが列車に乗り降りして遊び、高層住宅のベランダから母親が「いい加減にして帰って来なさい」と怒られている一節が印象的だった。

 

東京近郊のニュータウンでありながら、何処か垢抜けない味わいを残している土地を、もう1度訪れてみたい、と思った。

 

 

東京-ユーカリが丘間高速バスは、京成バスが主導する通勤高速バス「マイタウン・ダイレクトバス」の一路線である。

 

東京都心と千葉県内間を結ぶ通勤高速バスは、昭和50年代に運輸省が構想を打ち出したものの、道路整備が不充分であったために先送りされたという経緯がある。

その後の高速道路網の整備により、混雑する鉄道を利用せずに、鉄道駅と距離のある地域と都心部を直結し、最寄り駅までの路線バス運賃と都心までの鉄道運賃の合計と同等の運賃を売り物とした「マイタウン・ダイレクトバス」が企画され、その第1弾として、東京駅とTDL・TDS・明海・日の出地区を結ぶ新浦安系統が、平成21年3月に開業したのである。

 
 

その後、

 

平成21年5月:花見川・長沼・草野・萩台・稲毛・長沼原方面千葉北系統「ちばきたライナー」

平成22年9月:千代田団地・八木原・吉見・臼井駅・下志津・ユーカリが丘方面四街道IC系統

同年9月:み春野団地・上志津原・志津駅・ユーカリが丘方面千葉北IC系統

同年9月:小倉台駅・千城台北駅・千城台駅・御成台・八街駅・成東方面千城台系統

平成24年4月:幕張メッセ・磯部中央・真砂・高浜方面千葉ベイエリア系統

 

と言った千葉市近郊に向かう路線が、続々と登場することになった。

 

平成25年には千葉北IC系統が、平成31年には千葉ベイエリア系統が運行を取り止め、令和元年に千城台系統の末端区間である御成台-八街-成東間が廃止されるといった試行錯誤もあったものの、一方で、平成29年10月には新浦安系統にJRバス関東が新たに参入し、乗り場が東京駅八重洲口のJR高速バスターミナルに変更されるなど、概ね成功例となっているのは御同慶に堪えない。

 

 

今回の暇潰しで東京-ユーカリが丘間高速バスを選んだのは、懐かしい「山万ユーカリが丘線」に再び乗れるかもしれない、と思ったことと、京成本線に乗り継げばスムーズに東京駅へ戻ってくることが可能であったためである。

「マイタウン・ダイレクトバス」の他の系統で、長沼原や御成台、高浜などと言った土地に連れて行かれても、何処にあるのか見当もつかないし、復路の便が図れるのかどうかすら定かではない。

 

それにしても、山万と京成電車が接続して都心との行き来が便利な地域へ向かう高速バスが、これほど盛況を呈しているのは意外だった。

東京駅から鉄道利用での所要時間は50分たらず、高速バスは1時間30分である。

誰もが、所要時間は多少短くても、なかなか座れない通勤電車の利用を、煩わしく感じていることの表れなのだろうか。

人々が猛烈に働いていた高度経済成長期ならば、たとえ座れなくても、40分も長く掛かる交通機関を選ぶ人は少なかっただろう。


「マイタウン・ダイレクトバス」の登場は、人の考え方、生き方を含めた時代の変貌を、端的に象徴しているのかもしれない。

 

 

バス待ちの列が長いと不安になる。

これほどの人数がバスに収まり切るのだろうか、との懸念が湧き上がってくる。

「マイタウン・ダイレクトバス」の広告には、座席は定員制で必ずお座りになれます、と書かれているが、裏を返せば、定員から外れた乗客は乗れないということであろう。

立ってまで乗りたいとは思わないし、高速道路を通るバスで立つのは法令違反であるけれども、ユーカリが丘に何の用事もないのに、好きこのんで混雑するバスに押し込まれて、何が楽しいのか、とも思う。


一瞬躊躇しながらも、僕は列から離れず、ユーカリが丘行きのバスの乗降口を昇った。

多少混雑していようとも、未乗の高速バス路線を初体験する魅力には勝てない。

内田百閒の「阿房列車」の最初の章も、東京発大阪行きの特別急行列車が満席と言われて窓口で乗車券を売って貰えず、駅長に席の手配を依頼している。

行かなくても何の支障もないバス旅であるけれど、せっかく思い立って乗り場まで足を運んだのだから、では止めよう、と気分が転換できるほど人間が出来ていない。

高揚した気分の治まりがつかない。

 

幸い窓際の席が残っていたので、車窓を楽しむことは出来た。

高速バスファンになったばかりの頃は、窓際どころか、最前列の席に座らなければバス旅の魅力は半減するとまで思い詰めて、何時間も前から停留所に並んだものだったが、最近では、最前列に座れれば良し、座れなくても窓際で充分、それどころか通路側の席でも案外に外の景色は見えるではないか、と達観するようになっていた。

好みの席を取得するためにあくせくするのが、面倒になったのである。

僕も歳をとったということであろうか。

 

 

『山系君と並んで、私は通路側にいる。

窓際と通路側と、どっちがいいかと云う事を、同行の山系相手に利害関係で判断して、いい方を私が取り、悪い方を彼に坐らせると云うような根性はない。

しかし2つ並んだ席では、大概の人は窓際がいい様に考えているらしいけれど、特に窓外が見たいとか、停車の度に何か買おうとするとか、そう云う事がなかったら窓際よりは通路側の方が萬事に都合がよく、落ちつきもいい。

山系君は普通の判断に従い、窓際の方がいいと思っているから、私にそっちに坐れと云う。

僕はこっちの方がいいと云って、通路側に席を取る。

その結果私は私の判断でいいと思う方に坐り、山系君は山系の判断でこっちがいいと思っている方を私が譲った格好になって、甚だ納まりがよろしい』

 

と、百閒先生も書いている。

 

 

鉄道文学において百閒先生と双璧を成す宮脇俊三は、国鉄全線を完乗した処女作「時刻表2万キロ」などの著作で、車窓を眺められる日中の列車に拘り抜き、紀行文の中にも「(景色を)よく見ねばならぬ」といった表現が頻繁に出てくることから、百閒先生とは対照的に窓際派なのだろうと思う。

時に居眠りすることもあるけれども、眠い時には席を離れ、運転席の後ろで立ちんぼうで過ごすことすらある。

 

伯備線の下り普通列車に乗車し、混んでいる車内で案に相違して通路側の席に座ることを余儀なくされた宮脇先生は、

 

『その最上の席を占めている客はと見れば、向かいの席の連れと身辺の雑談に熱中するおじさん、マンガ雑誌に没頭する青年であって、もとより最上の席を活用するはずもない。

だから、その席を私に譲ってくれ、と頼んで、一向に差し支えないと思うのだが、これが言いにくい。

度胸を要する。

その度胸を私は持ち合わせていない(「中国山地の光と影」)』

 

と、どこか恨めしそうである。

 

 

掛け値なしに満員となったユーカリが丘行き高速バスは、首都高速都心環状線、向島線、深川線、湾岸線から東関道へと、順調に走り込んでいく。

混雑していようがいまいが、快調に走る高速バスの爽快な乗り心地や、次々と移り変わっていく車窓の楽しさに変わりはない。

僕は、久方ぶりの湾岸ドライブを大いに満喫した。

 

隣席には小柄な若い女性が座り、座る際に一礼を交わした時には、少しどぎまぎした。

けれども、発車後、その女性はスマホをいじるのに余念がなく、取りつくしまもない。

最近はこのような客が増えたな、と思う。

僕は、車内でスマホを見ると目が疲れるのであまり好きではないが、それでも通勤電車の中でゲームに熱中したことはある。

 

 

湾岸千葉ICを過ぎて東京湾から離れ、宮城野JCT、千葉北ICと進んで来たバスが、四街道ICで高速道路を降りる頃には、夏の陽も西に傾き始めていた。

道端の木立ちの緑鮮やかな葉の向こうから、眩しい日差しが、真横から車内に射し込んで来る。

 

中央分離帯が設けられ、こんもりとした並木が沿道に連なる県道64号千葉臼井印西線を北上したバスは、千代田団地入口、八木原小学校、内黒田入口、染井野南、吉見台公園、地区センター、消防署前とこまめに停車しながら、瀟洒な駅舎の京成本線臼井駅南口に停車した。

そこまでの停留所で、三々五々と乗客が降りて行き、隣りの女性も席を立ったが、臼井駅で降車する人はなく、駅を目的地とする客はやっぱり鉄道を利用するのかもしれないと独り頷いた。

 

 

臼井駅構内を出ると、京成本線の線路に沿って西へ引き返し、王子台三丁目、東邦大佐倉病院、下志津と停車する。

 

それまでも集落の合間に時々田畑が見られたが、東邦大佐倉病院を過ぎると、雑木林がぎっしりと道路の両側に生い繁り、東京駅から僅か1時間あまりでこれほど鄙びた土地に来ることが出来るのか、と嬉しくなる。

首都圏はすっかり開発され尽くした印象を抱いていたけれども、鉄道や幹線道路を少しでも外れれば、まだまだ温もりのある風景が残されているのだな、と思う。

 

ならば、鉄道駅から離れた地域を結ぶ「マイタウン・ダイレクトバス」は、都会の日常を離れて気分転換するには、最も手頃な交通機関ではないだろうか。

単なる暇潰しであっても、東京-ユーカリが丘間高速バスに乗って良かったと思う。

 

 

林が尽きると、魔法のように忽然と住宅街が現れた。

無数にひしめく戸建て住宅の屋根の彼方に、高層マンションが聳えている。

原生林を切り拓いて新たに街を造ったのだな、と合点がいくような車窓の変化だった。

これがユーカリが丘か、と思う。

30年前に京成本線の電車に乗って訪れた時には、気づくことのなかった視点である。

 

程なく、バスはぎっしりと建て込んだ市街地に入り込み、

 

『次はユーカリが丘駅入口に停まります。お降りのお客様は、お手近の降車ボタンを押して下さい』

 

との案内放送を車内に流しながら、狭い路地に右折していく。

 

東京駅へとんぼ返りするには、京成本線のユーカリが丘駅で降りるのが最も便利なのだが、幾ら周りを見回しても、駅らしき建物やロータリーは見当たらない。

30年前に初めて訪れた時は、ユーカリが丘駅で京成本線と「山万ユーカリが丘線」を乗り継いだだけで、駅から1歩も外へ出なかったので、街の地理は全く分からない。

 

まごまごしている間に、バスは京成本線を跨ぐ跨線橋を渡り始めた。

先程遠望した高層住宅が、前方からぐんぐん近づいて来る。

どうやら、ユーカリが丘駅は、南口にある「スカイプラザ・ユーカリが丘」や、北口の「ウィシュトンホテル・ユーカリ」、「シネマサンシャインユーカリが丘」を擁するショッピングセンター「YOU!PLA」といった商業ビル群に埋もれてしまっているようである。

 

 

誰も降車ボタンを押さないままに、

 

『次はユーカリが丘二丁目です』

 

という案内が流れたので、驚いた。

臼井駅と同じく、ユーカリが丘駅で降りる乗客も皆無だったようである。

いつユーカリが丘駅を過ぎたのか、といささか慌てて降車ボタンに手を伸ばした。

バスが走れば走るほど、ユーカリが丘駅から離れてしまうのだから、ボタンを押してから停車するまでの長かったこと。

 

運転手がバスを停めて扉を開けたのは、ドラッグストアや食料品店が並ぶ道沿いであった。

車の往来は激しいけれども、歩道を歩く人の姿は殆ど見受けられない。

ひとめで、駅からかなり離れてしまったものと察せられる街並みである。

 

 

ここで降りたのは僕1人で、バスは、あっと言う間に終点に向けて走り去った。

 

腕時計の針は、ちょうど午後7時を指している。

定時運行である。

ここはいったい何処なのか、と心細くなったが、道路に沿って「山万ユーカリが丘線」の高架軌道が並走しているから、これを伝って南に戻れば、いつかは起点のユーカリが丘駅に着く。

 

後で地図を見直すと、ユーカリが丘二丁目停留所は、ユーカリが丘駅の北隣りにある地区センター駅から200mほど先にあるから、1駅だけでも懐かしい新交通システムに乗れたはずである。

そのような詳しい地理は知らなかったけれども、そろそろ駅があっても良いはずだが、と期待しながら軌道に沿って歩を進めるうちに、だんだんくたびれて来た。

街並みが賑やかになってきたな、と顔を上げると、そこは、暮れなずむユーカリが丘駅前であった。


後に写真を見ると、地区センター駅は立体駐車場か何かと見紛うような素っ気ない造りだったので、気づかずに通り過ぎ、ユーカリが丘二丁目停留所からユーカリが丘駅までの900m近くを歩き切ってしまったようである。

狐に騙されたような、新興住宅団地の黄昏時だった。

 

 

「山万ユーカリが丘線」に乗り直すことは出来なかったけれども、未乗の高速バス路線を体感できたではないか、と自らを慰めるしかない。

本来の所用に間に合うよう、東京駅に戻る時間も充分に残されている。

 

気持ちを切り替えた僕は、京成本線の上り電車で2駅先の勝田台駅に進み、地下鉄東西線に乗り入れる東葉高速鉄道の初乗りを兼ねて西船橋駅まで乗車してから、JR京葉線に乗り換えた。

夕方の上りであるから、どの電車も車内はすいている。

東京駅の京葉線地下ホームに到着したのは、午後8時を回っていた。

 

往復2時間半、さすがに慌ただし過ぎたかな、と思うけれども、目論見通りではないか、といささか得意でもある。

 

 

この日の僕の本来の目的とは、城崎温泉行き夜行高速バスに乗ることだった。

その発車時刻は21時20分、乗り場となっている鍜治橋駐車場は東京駅京葉線ホームの真上であるから、まさにお誂え向きではないか。

 

東京駅から鍛冶橋駐車場へはおよそ500m、多少の距離がある。

都心からユーカリが丘まで、片道50kmを越える距離を高速バスと電車で往復したのは、真っ暗なオフィス街や地下道を延々と歩く代わりであった、と考えれば、単なる暇潰しと考えていた行為には、大いに意味がある。


ただ、ユーカリが丘で1km近くも歩かされたことを思い起こすと、何だか無性に可笑しさが込み上げてきた。

 

 

 

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