第35章 平成13年 アクアラインの高速バスで房総半島を横断して外房へ | ごんたのつれづれ旅日記

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バスや鉄道を主体にした紀行を『のりもの風土記』として地域別、年代別にまとめ始めています。
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【主な乗り物:高速バス「アクシー」号、高速バス「カピーナ」号】

 

 

JR浜松町駅のホームは、いつも混雑している。

 

山手線、京浜東北線の2つの通勤路線が停車し、昭和63年に京浜東北線が田町と田端の間で日中の快速運転を開始した際には通過駅にされてしまったけれども、周辺のオフィス街、商店街や住宅地ばかりではなく、羽田空港へ向かう東京モノレールや、隣接する都営地下鉄浅草線大門駅との乗換駅であることも、乗降客数が多い理由であろう。

平成14年にJR東日本が東京モノレールの筆頭株主となり、浜松町駅が京浜東北線快速の停車駅に昇格した時には、現金なものだ、と苦笑したものだった。


浜松町の地名は、江戸時代に遠州浜松出身の名主が治めたことに由来し、それまでは、17世紀に江戸で初めての銭貨鋳造所が設けられて寛永通宝が鋳造されていたことから、芝新銭座町と呼ばれていた。

 

人混みを掻き分けるように、ホームから橋上の改札を抜けて世界貿易センタービルへの連絡通路を進むにつれて、行き交う人々の姿は目に見えて減少し、別館1階にある浜松町バスターミナルへの階段を降りる頃には僕らだけ、という状態になる。

 

「本当に、ここからバスが出るんですか」

 

と何度も僕に問い掛けてくるのは、連れのT子である。

 

「大丈夫。ほら、『浜松町バスターミナル入口』って書いてあるよ」

 

T子とは職場が同じであった。

僕が大学を卒業して最初に入職した病院に勤めていた看護師で、1つ年上であったけれども、仕事が手際よく、周囲への気配りも行き届いていた彼女は、何かと気になる存在だった。

僕は、看護師ができぱきと仕事をこなしている姿を美しいと感じる。

処置中の医師を補助したり、点滴や栄養剤の準備をする立ち居振る舞いがきびきびしていると、医師とは比べものにならないくらいに格好良く、敵わないな、と思う。

T子は、まさにそのような存在だった。

 

間もなく、彼女は品川区の系列病院に異動になったが、数年後に僕がその病院で1年間勤務することになり、再会したのである。

彼女が仕事で困っている時に助け舟を出した日には、職場の駐輪場に置いてある僕のバイクのハンドルに、「感謝しています」と手紙が貼られていたことがあった。

好意を抱いてくれているのかもしれない、と胸が熱くなったけれど、付き合いが始まるまでには、暫くの時間が必要だった。

 

平成13年に、大阪と神辺を結ぶ高速バスに乗りに出掛け、帰路に乗った上りの寝台特急「サンライズ出雲」の車中で、携帯に彼女から電話が掛かって来た。

個室だったので、大声でなければ、寝台に横になりながら通話が出来る。

短くよもやま話を交わした後に、これから会いたい、と彼女が言い出した。

 

「それは無理だよ。今、出先だから」

「何処にいらっしゃるんですか」

「さっき、倉敷から夜行に乗ったところ」

「え?そんなあ。ひどいです」

 

いきなり、電話の向こうで彼女が泣き出した時の驚きは、今でもはっきりと覚えている。

会う約束でもしていたっけ、と仰天したが、記憶の底をまさぐっても、彼女とは仕事の話しかしていない。

何の言葉も返せないでいるうちに、トンネルに入ったのか、風切り音が増して、通話が切れてしまった。

「サンライズ出雲」の一室で、呆然と宙を見つめている僕の頭の中から、ひどいよ、と泣き続けていた彼女の声が、いつまでも消えることはなかった。

 

そこまで想ってくれていたのか──

 

その後、僕らは、大井町のマンションで一緒に暮らし始めた。

彼女は宮崎県延岡市の出身で、彼女の母親が1人で暮らしている実家に、年に何回か訪れるようになった。

僕の乗り物趣味も理解を示し、延岡への行き帰りに高速バスを挟むような旅程でも、嫌な顔1つせずに同行してくれた。

当時僕が乗っていたバイクにタンデムして、ツーリングに出掛けたこともある。

 

 

僕は、浜松町バスターミナルを幾度か利用したことがあるものの、浜松町駅との雰囲気のあまりの落差に、足を踏み入れてはいけない場末に来てしまったかのような心細さを感じるのが常だった。

後に、ニューヨークを訪れて、周辺の治安が危険と噂されているポートオーソリティ・バスターミナルに足を踏み入れた時には、幾許かの緊張感とともに、外観も内部の雰囲気も浜松町バスターミナルとそっくりではないかと思った。

 

無論、浜松町の治安は遥かに良好であるが、貿易センタービルの南側一帯はかつて芝新網町と呼ばれ、江戸における三大貧民街の1つであり、被差別部落であったという歴史すら思い浮かべたものだった。

 

 

巨大な世界貿易センタービルの懐に設けられているためか、浜松町バスターミナルには窓がいっさいなく、バス営業所の窓口だけが煌々と明かりを灯している待合室では、長椅子に座っている人影も疎らである。

 

夜ともなれば、北は弘前、宮古、仙台から南は四国の徳島、今治、山陰の鳥取、米子、防長二州の徳山、萩まで路線網を伸ばす京浜急行バスや、仙台、山形、新庄方面へ向かう東北急行バス、田沢湖行きの相模鉄道バスなどの夜行路線が出入りして、地方色豊かな賑わいを見せる。

しかし、日中に浜松町を出入りする路線は少なく、今回の旅に出掛けてきた平成11年2月の当時は、東北急行バスの仙台、山形方面への昼行便が1往復ずつと、銚子へ向かう「犬吠」号と「利根ライナー」号が発着する程度であり、発車間隔が長く、閑散としている時間帯も少なくなかったのである。


後に東関東自動車道を経由する東金行き「シーサイドライナー」や、東京湾アクアラインを使って安房鴨川、君津、勝浦・御宿・安房小湊を結ぶ高速バス路線が浜松町を起終点とするようになったが、その先陣を切ったのが、平成10年3月に開業した安房鴨川行き「アクシー」号であった。

 

 

「人がいませんね。お客さんが少ないんでしょうか」

「そうだね。アクアラインが出来て車でも便利に行けるようになったけれども、東京と房総の間には特急が何本も走っているから、バスを選ぶ人は少ないのかも」

 

僕は知らなかったが、「アクシー」号の登場は房総地区で大々的に報じられ、開業直前には『高速バス14日発車 東京-鴨川間を2時間 アクアライン経由で1日6便 上京、行楽の足便利に(房州日日新聞 平成10年3月10日)』『都心-鴨川間の高速バス運行 あすから(毎日新聞朝刊房総版 同年3月13日)』という記事が紙面を飾ったのである。

運行開始後、運行事業者や、広報に関わった鴨川市に電話での問い合わせが殺到したことも、房総日日新聞が『高速バス 予約や問い合わせ殺到、低料金などが人気。電話つながらない、こまめにかけて』との記事を掲載している。

 

運行開始から1ヶ月間の利用者数は7769人、1日あたり約250人、当時は1日6往復だったので1便平均20人を超える人気路線に成長、同紙も『「アクシー」発車1ヶ月 利用者7千人超す 出足好調、臨時便の増発も』との見出しで、同年4月22日付けで報じている。

「アクシー」号は瞬く間に増便を重ね、平成16年には1日20往復を運行するに至る。

 

 

地方で、首都に直通する高速バスの開業をお祭り騒ぎのように祝うことは珍しくないが、JR外房線の特急「わかしお」が頻回に運転されている外房地区での歓迎ぶりは、どのように解釈すれば良いのだろう。

所要時間は特急「わかしお」も高速バス「アクシー」号も殆ど変わらず、異なるのは、鉄道が運賃と特急料金を合わせて3900円であるのに対し、高速バスが2500円と廉価なことくらいである。

 

それ以上に、この旅の4年前に完成した東京湾アクアラインの恩恵が、ようやく、おらが町にも及んできたという高揚感が大きいのではないか、と推察する。

東京湾アクアラインの開通によって、川崎・羽田空港・横浜から袖ケ浦・木更津に高速バス路線が開設され、東京駅と館山・安房白浜の間に会員制であるものの「房総なのはな」号が走り始めたが、東京と外房を直結する路線は「アクシー」号が初めてだった。

僕ら余所者は、東京湾アクアラインの建設費が1兆円を超えたことや、高速料金が高額であることばかりに眼が向いてしまうけれども、房総半島が新しい時代を迎えたのだ、という思いは、地元の人間でないと実感できないのかもしれない、と思う。

 

 

僕らが浜松町バスターミナルに着いたのは、「アクシー」号の発車時刻である10時の20分ほど前だったが、僕は早々とガラス扉の乗車口に立つことにした。

 

「もう並ぶんですか?」

 

閑散とした待合室を見回しながら、並ばなくても座れるんじゃないですか、と言いたげな表情で、T子が首を傾げている。

 

T子は、僕のようなバスファンではない。

鴨川シーワールドに行ってみようよ、と誘い出した男としては、本来ならば多少高額であっても居住性の良い特急列車を選ぶべきなのだろうが、T子は僕のバス趣味をよく理解しているので、嫌な顔1つせずに同行してくれる。

加えて、「アクシー」号は車窓も変化に富んで楽しめるはずだから、彼女に最前列の席を確保してあげたかった。

 

「せっかくだから、1番前の席に座りたくてね。あっちのベンチに座ってて。並ぶのは僕だけでいいよ」

「大丈夫です。一緒にいます」

「ありがとう。でも、もう付き合って1年以上になるんだから、ですます調は勘弁してほしいなあ」

「だって、先生ですもの」

「なんか、不倫関係の上司と部下、みたいなんだけど」

「あはは」

 

真面目で丁寧な仕事ぶりが職場で定評があるT子は、僕も仕事でとても頼りにしている存在なのだが、親しくなってからも、言葉遣いが馴れ馴れしくなることはなかった。

 

 

僕らの姿に釣られたのか、ぽつりぽつりと利用客らしい人々が後ろに列を作り、間もなく、見上げるようなハイデッカーのバスが乗降口に横着けされた。

 

「お待たせしました。鴨川行きです」

 

にこやかにバスから降りてきた若い運転手さんが、乗り場のガラス扉を開けてからくるりと踵を返して運転席に戻り、

 

「どうぞ」

 

と、僕らを手招きした。

運賃は後払いと告げられ、僕らは目出度く最前列左側の2席をせしめることが出来た。

 

浜松町から「アクシー」号に乗り込んだのは数名に過ぎず、T子が車室を振り返りながら、

 

「やっぱりすいてるんですね」

 

と心配そうな表情を浮かべたが、僕は、

 

「このあと東京駅に停まるから、たぶん、そこで大勢乗ってくるよ」

 

と答えた。

浜松町から発車する昼行高速バスとして、当時の僕は、仙台行き東北急行バスや銚子行き「犬吠」号を利用した経験があり、どちらも、次に乗車扱いを行う東京駅八重洲口前停留所で乗ってくる乗客の方が多かった。

 

「東京駅の方が便利なんですか?」

「うーん、駅のホームからの距離は浜松町の方が近いような気がするんだけどね。それに、浜松町と違って東京駅は道端のバス停だから、この季節は吹きっ晒しで寒いよ。でも、浜松町駅よりも東京駅に来る方が便利って人も多いんじゃないかな」

 

 

東京駅八重洲口前停留所で20人以上に膨れ上がった乗客を乗せた「アクシー」号は、昭和通りに右折し、更に狭隘な銀座桜通りに左折して、京橋ランプから首都高速都心環状線外回りに入って速度を上げる。

このルートを通るのは「房総なのはな」号に続いて2度目で、道路や料金所の狭さ、本線への合流の難しさ、橋脚が車線中央に林立する構造などが気になってしょうがないのだが、T子はバスが選んだ経路なのだから走れて当然、といった風で泰然としている。

 

 

汐留トンネルをくぐり抜け、浜離宮を見下ろしながら左カーブを曲がり終えた先の浜崎橋JCTで東京湾が一望のもとに広がり、流麗なレインボーブリッジが姿を現すと、T子は小さく歓声を上げた。

上方に湾曲している巨大な吊り橋を進むにつれて、月島の高層マンション群やお台場の商業ビル群が、迫り舞台のように姿を現す。

この都市景観をT子に見せたくて、僕は最前列席を確保したのである。

当時の僕は、バイクは持っていても4輪の車は所持しておらず、時にレンタカーを借りてドライブすることはあったが、首都高速やレインボーブリッジをT子と一緒に走る機会はなかった。

 

13号地に渡る東京港トンネルを走り抜け、平和島、昭和島、京浜島を隔てる運河の橋梁を次々と渡っていく車窓は、倉庫や流通センターばかりで殺風景であるけれども、なかなか爽快である。

羽田空港では両側に建ち並ぶ立体駐車場しか見えないけれども、その先の多摩川トンネルに潜り込んで浮島に渡り、東京湾アクアラインへの流出路に進路を変えれば、間もなく、ピラミッド型の換気口を備えた東京湾アクアトンネルの入口である。

 

 

トンネルに入ってバスが一段と加速し、窓外が闇に覆われると、T子はホッと溜息をついて窓から視線を離した。

 

「素敵なコースですね。貴方がこのバスを選んだ理由がよく分かりました。これがアクアラインですか?」

「うん、最初は10kmくらいのトンネルで、その先が4kmくらいの橋になってるよ」

「飛行機から見たことがあります。いつかは通ってみたいと思ってたんです」

 

羽田空港に着陸する航空機は、どの方面から飛行してきても房総半島上空に集められ、「ARLON ARRIVAL」「CREAM ARRIVAL」「CACAO ARRIVAL」などと呼ばれる木更津上空から東京湾アクアラインに沿う航路に乗り、A滑走路(34L)またはC滑走路(34R)に着陸する。

航空機は速度を落とす時の浮力を確保するため、向かい風で着陸を試みるため、これらは北風の場合の着陸方法で、南風の場合は、東京湾の北端から南下する「BACON ARRIVAL」「DATUM ARRIVAL」「NYLON ARRIVAL」「STEAM ARRIVAL」「BALAN ARRIVAL」「DARKS ARRIVAL」などの航路を使用し、B滑走路(22)もしくはA滑走路とC滑走路の反対側(16L、16R)から着陸するのだが、僕の経験では、その頻度は少ないように感じている。

東京湾の風向きは、北風が多いのだろうか。

 

T子の実家は宮崎県の延岡だから、建設中の時代も含めて、帰省の帰りに何度も東京湾アクアラインを目にしたのだろう。

少しずつ高度を下げていく航空機の窓から見下ろせば、目立つのは木更津側のアクアブリッジと、ヨットの帆のような換気口が立つ川崎人工島、そして何よりも「海ほたる」が置かれた木更津人工島であろう。

 

 

数ヶ月前に乗車した「房総なのはな」号は、所要3時間という長さのためか、海ほたるPAで休憩したのだが、乗車時間が2時間あまりの「アクシー」号は、途中休憩を設けていない。

 

前方に眩しく陽光が溢れている出口が見え、「海ほたる 2km」「海ほたる 1km」「海ほたる 500m」と次々に現れる標識に眼を遣りながら、T子が「海ほたる」を見たい、などと言い出すと困るな、と多少心配になる。

そうなったら「房総なのはな」号に乗り直すか、レンタカーを借りて出直すしかないかな、と思う。

白浜を再訪して「房総フラワーパーク」を見物に行くのも楽しいかもしれない、などと空想が膨らんだが、幸か不幸か、アクアトンネルの出口は「海ほたる」の建物の下をくぐり抜けた先に開口していた。

これならば、身体を捻って後ろを振り返らない限り、「海ほたる」を眼にすることはない。

 

何よりも、彼方に霞む房総の陸地に向かって一直線に伸びているアクアブリッジと、左右に広がる東京湾の開放的な眺望が、T子の関心を惹いたようである。

再びT子が歓声を上げ、僕は密かに胸を撫で下ろした。

 

 

木更津の岸辺が近づき、総延長15.1kmの東京湾アクアラインによる東京湾横断が終わると、「アクシー」号は、高速金田バスストップに停車してからアクア連絡自動車道に足を踏み入れ、袖ケ浦ICで高速を降り、木更津市街の東に位置する木更津総合高校停留所に立ち寄った。

「房総なのはな」号と同様に、「アクシー」号も東京湾アクアラインを降りてからの一般道の区間が長く、終点まで1時間を優に超える時間が残されているのだが、内房地区から停留所を設けているのか、と少しばかり驚いた。

東京湾アクアラインの開通に伴い、木更津市や君津市域も首都圏への通勤圏内に含まれるようになったと言われている。

 

内房の木更津から外房の鴨川まで、バイクで房総半島を横断したことが何度もあるけれど、目立った高山がなく房総丘陵と呼ばれている割には、鬱蒼と木々が生い繁る山中を行く山道が印象的だった。

房総を横断する道路は幾つもあり、バイクに跨がっている時の僕は幹線道路を避ける傾向があるので、バスはもっと整備された道を走るのだろうな、と思う。

 

 

「アクシー」号は木更津総合高校の南で県道23号線に左折し、房総丘陵の懐へ入り込んでいく。

東京湾に面した平野部と丘陵の境目に位置しているのが、かずさアーク停留所である。

 

かずさアークは、正式には「かずさアカデミアパーク」と呼ばれる研究開発拠点である。

バイオテクノロジーを中心とする先端技術産業に特化し、DNA研究所、生物遺伝資源保存施設(NBRC)、生物遺伝資源開発施設(NBDC)や複数の製薬会社と電子機器メーカー、大学の研究所や製造工場が進出し、ホテルやコンベンションセンター機能を持つホテルも置かれている。

つくばのような研究都市を目指したのかも知れないが、開発時期がバブルの崩壊と重なって企業進出が伸び悩み、第3セクターの運営法人は巨額の負債を抱えて、平成22年に民事再生法の適用を申請することになる。

 

そのような未来のことは知りようがないけれども、木立ちの合間に小綺麗な建築物が目立つ場所でありながら、休日ということもあるのだろうか、人の姿は全く見えず、ひっそりと眠っているかのような研究開発地区であった。

 

 

ところで、僕らが乗っている高速バスの「アクシー」という愛称の由来が判然としない。

この路線の主要停留所であるかずさアークと、終点の観光地である鴨川シーワールドを合わせた造語ではないか、とする解釈を見たことがあるけれど、今1つしっくり来ない。

 

「本命ではないけど、車だけ出させられる都合のいい男って感じかな」

「アッシーくんですか。確かに発音は似てますね。もしかして、そういう目に遭ったことあるんですか?」

「ないよ!……ないと思う」

 

この稿を書くにあたって、「アクシー 由来」と検索すると、真っ先に表示されたのは、新潟県の同名のスイミングスクールのHPだった。

 

『アクシーは「水」のAQUAと「妖精」のPIXIEを掛けあわせてつくった造語で「水の妖精」を意味します』

 

こちらの方が、レインボーブリッジとアクアラインで東京湾を渡り、太平洋の荒波が寄せる外房海岸に向かう高速バスに相応しくはないだろうか。

 

「アクシー」号は県道23号線を東に進み、なだらかな丘に囲まれた田園風景の中を進む。

陰鬱に垂れ込めた曇り空の下で、田圃も畑も黒々とした土を剥き出しにしているが、所々に、空き地なのか休耕地なのか、枯れて色褪せた雑草が生い繁っている土地も少なくない。

なだらかな丘を覆っているのは殆どが背の低い雑木で、葉を落としている木ばかりであるけれど、点在する杉林だけが季節の変化など知らぬげに緑色に染まっている。

常夏のような印象を抱いていた房総半島も、冬ともなれば、このように寒々とした表情を見せるのか、と思う。

 

小櫃川が刻む平地に出ると、「アクシー」号は国道410号線を南に向けて右折し、家々の合間にJR久留里線の路床が見え隠れするようになる。

 

小櫃川は鴨川市の清澄山系に水源を持ち、半島の中央部を大きく蛇行しながら木更津で東京湾に注ぐ川で、流路延長88kmは、千葉県内で利根川に次ぐ2番目らしい。

倭建命の東征で、嵐を鎮めるために海に身を投げた弟橘姫の亡骸が浜に打ち揚げられ、不憫に思った住民が小さな櫃をこしらえるための木を山で切り、川に流したという言い伝えから、小櫃川と呼ぶようになったという伝説がある。

 

久留里もまた気になる地名で、平安時代の文書に見られる古い土地である。

その由来には諸説あり、福徳山正源寺を開いた他阿心教上人がこの地で念仏を広めた故事に伴い「生き仏様が久しく留まった里」を起源とする説や、「久留」が山間を切り開いた小平地を意味し、かつては「来里」と記されていたとする説、はたまた小櫃川がくるくる蛇行しているから、という愉快な説などが唱えられている。

 

 

久留里線は小櫃川に沿って敷設された盲腸線で、終点の上総亀山駅も、小櫃川をダムで堰き止めた亀山湖畔にある。

その前身は、大正元年に木更津-久留里間が開通した千葉県営鉄道で、帝国陸軍の鉄道連隊が建設したという。

鉄道敷設法に「千葉県木更津ヨリ久留里、大多喜ヲ経テ大原ニ至ル鉄道」と指定され、大正12年に国鉄へ譲渡されたが、昭和10年に上総亀山まで延伸されたまま、先へ伸びることはなかった。

 

内房から大多喜を経て外房の大原方面への半島横断鉄道は、五井-上総中野間の小湊鉄道と、上総中野-大原間の国鉄木原線(現在の第三セクターいすみ鉄道)に引き継がれているが、木原線とは木更津と大原を結ぶ計画を反映して命名されたもので、本来は上総亀山-上総中野間も建設して久留里線と繋ぐ予定であったらしい。

 

その意思を引き継ぐように、上総亀山と上総中野の間には国道465号線が走っている

僕はバイクで国道465号線を走ったことがあるが、小櫃川が削る渓谷に沿って見通しの悪いカーブばかりが繰り返され、生い繁る木々が道路に枝を垂らしているような寂しい山道であった。

このような山岳地帯での鉄道建設が難事業になるのは間違いなく、途中で挫折したのも無理はない、と頷いたものだった。

 

久留里線の末端部分が過疎地帯であるのは昔も今も変わりなく、太平洋戦争中の昭和19年に不要不急線として久留里-上総亀山間が休止となり、運転が再開されたのは昭和22年のことであった。

 

 

「アクシー」号が停車する久留里線の駅は小櫃駅前と久留里駅前だけであるが、その前後の俵田、平山、松丘の各停留所も、それぞれ鉄道駅が設けられている集落に置かれていて、降りていく客もそこそこ見受けられた。

「アクシー」号は、鴨川地区ばかりでなく、内房線への直通列車がない久留里線沿線地域と東京を結ぶ役割を果たしているようである。

それでも、久留里地区の利用客数は路線全体に比べれば少ないのか、それとも険しい地形に囲まれていることの証であるのか、平成25年に国道410号線大戸見トンネルにおけるモルタルの剥離が発生し、また平成27年に同じ道路の松丘トンネルでモルタル崩落事故が起きて通行止めになった時には、前者では2ヶ月、後者は3ヶ月に渡って「アクシー」号は久留里地区を通ることなく迂回したのである。

 

久留里線の終点である上総亀山駅に相当する停留所はない。

「アクシー」号は名殿の集落で県道24号線に入り、亀山湖北岸の上総亀山駅方向に向かう国道465号線の分岐を目もくれずに通過して、湖西にある「笹(亀山湖入口)」に停車してから、そのまま南下する。

 

このあたりの小櫃川は、峻険な地形を反映して紆余曲折、蛇行の極みと言った態をなしており、県道24号線にも、重畳たる山並みを映し出す湖面を見下ろしながら、真っ赤に塗られた橋を渡る箇所がある。

房総半島で紅葉の名所と言えば養老渓谷であろうが、亀山湖も、秋になれば色鮮やかな景観を見せてくれるのだろうな、と思う。

 

 

県道と言いながらも、国道465号線より遥かに立派な道路で、別名を房総スカイラインと名づけられ、笹から鴨川市域に入った打墨地区までの5.1kmは、昭和42年に鴨川有料道路として整備された。
 

それでも、随所できついカーブに身体を揺さぶられる山岳道路であることに変わりはなく、誰が房総丘陵と名づけたのだ、これでは房総山地ではないか、と思う。

「アクシー」号で、これほど房総半島の懐の深さを目の当たりにするとは予想もしていなかった。

 

 

若い運転手は事もなげにハンドルを回し続け、バスの速度が衰えることはないけれども、これではT子が酔うのではないか、と心配になる。

 

「房総半島って、こんなに山が多かったんですね」

「うん、南房総にはこういう山道が多いけど、このバスがこれほど山の中を走るとは思わなかったよ」

 

固唾を飲んで車窓に見入っているT子に車酔いするような素振りは見受けられず、ひとまず安心した。

小櫃川の支流の笹川を遡り、亀山湖と同じく羊腸の如く蛇行する笹川湖を渡る橋梁が繰り返されてから、しばらく山中を走り続けると、不意に、舞台の幕が開くように、幾重にも折り重なっていた山裾が左右に遠ざかった。

いきなり視界が広がったので、眼がぱちぱちする。

 

外房の海岸が近づいたのだな、と自然に納得できる演出だった。

 

 

「アクシー」号が安房鴨川駅西口に到着したのは、定刻12時14分より多少遅れた頃合いだった。

もっと長く乗車したような心持ちだったので、そんなものか、と時計を見て驚いたくらいである。

疲れを感じさせない足取りで乗降口を降りてきたT子も、大きく背伸びをしながら身体をほぐしている。

 

冷たい霧雨がぱらつく生憎の空模様だったが、僕らは海岸沿いを歩いて鴨川シーワールドに向かった。

 

 

昭和45年に開園した鴨川シーワールドは、イルカやアシカなどの海獣の飼育に力を入れ、イルカショーも人気であるけれど、特筆すべきは、シャチを飼育調教しパフォーマンスショーを開催していることだろう。

水族館パノリウムを見学してから、僕らは、巨大なプールがあるオーシャンスタジアムの観客席に並んで腰を降ろした。

 

シャチは、我が国では鯱という漢字が当てられて、城郭の天守閣の屋根の置物を想起してしまうけれど、どうして空想の魚と同じ文字にしたのだろうか。

学名はOrcinus orcaで、海外ではオルカと呼ぶ地域が多い。

高い知能を持ち、魚類全般や鮫、クジラなどを食べるばかりで無駄な狩りを行わず、人間が足を噛まれたり、水族館の飼育員や客を水中に引きずり込んで溺死させた事件が報告されているものの、じゃれたり、好奇心による行為と言われている。

 

ただし、仲間に危害を加えた人間に報復したシャチの例もあり、思い出されるのは、昭和52年に公開された米映画「オルカ」である。

 

 

冒頭で、リチャード・ハリス演じる主人公の猟師がオスのシャチに撃ち込んだ銛が、誤って隣りのメスに当たり、お腹にいる子供もろとも死なせてしまう。

オスのシャチが漁船の乗組員に復讐を重ねていく過程で、交通事故で妻子を亡くしていた猟師と、妻子を失ったシャチの苦悩と哀しみが、対比的に描かれている。

 

シャチの子供に対する愛情はよく知られており、母親が餌を取っている間に他のメスが子供の面倒を見るベビーシッティング的な行動や、狩りの練習をさせるためにわざと獲物を放ったり、また生後間もなく死亡した子供を3日間に渡って浮き上がらせようとする母シャチの行動が確認されていると聞いたことがある。

2年前に公開された映画「ジョーズ」にあやかって濫造された動物パニック映画の1つでありながら、鮫のように本能で行動する動物ではなく、家族の仇をうつシャチの描写は、他の映画と大きく一線を画していた。

 

「オルカ」は、我が国では配給会社である東宝東和の創立50周年記念作品として「カプリコン・1」と併映され、当時小学生だった僕は、映画の2本立てを続けて見る初めての経験になった。

シャチが体当たりで漁船を沈めたり、岸辺に建つ家を壊したり、しまいには海岸の油送パイプを破壊し、倒したランプの炎を引火させて石油備蓄タンクを爆発炎上させるなど、まるで怪獣のような暴れ方には呆気にとられたけれども、「ジョーズ」のように人間を直接襲うシーンもあって、見終わった時に言い知れぬ疲労感を感じた覚えがある。

エンニオ・モリコーネの劇伴曲も、重厚でありながら、切ないほどに陰鬱だった。

 

 
『この映画はScientific・Panic・Adventure・Cinemaの頭文字を取った“スパック(SPAC)ロマン”です』とパンフレットに謳われた宣伝文句は、この物語をロマンと表現できるのか、と子供心に疑問だったけれども、当時の映画会社はこのように大仰かつ空虚な宣伝をするものだ、と知ったのは大人になってからのことである。

後に「カサンドラ・クロス」や「許されざる者」でも名演を見せてくれるリチャード・ハリスの演技は渋かったが、女性海洋学者を演じたシャーロット・ランプリングの美しさが心に強く刻まれた。

 

ただし、スピード感のあるアクション場面が連続する「カプリコン・1」を先に観たため、「オルカ」が冗長に感じられた僕は、まだまだ幼かったということだろう。

鴨川シーワールドでも同様で、たまたまイルカショーが先行する時間帯であったために、シャチのパフォーマンスは、軽快なイルカに比べれば鈍重に感じられた。

ただし、6mを超える巨体が水面に躍り上がる迫力は比類がなく、僕たちは借りた合羽を羽織っていたものの、水飛沫をかぶってずぶ濡れになった。

 

 

鴨川シーワールドを出ると、薄暮が街並みを覆い始めていた。

 

僕は、この旅の直前に開業したばかりの千葉行きの高速バスで帰ろうと決めていた。

安房鴨川駅西口に姿を現した、16時20分発のバスのフロントガラスに掲げられた表示を見上げて、T子がくすりと笑った。

 

「『カピーナ』って言うんですね。来る時もそうでしたけど、面白い名前のバスが多いですね。どういう意味なのかしら」

「鴨川の『カ』と、千葉名産の『ピーナッツ』を合わせただけらしいよ」

「単純なんですね」

 

我が国におけるピーナッツの栽培は、全国の80%にあたる9000トン以上を生産する千葉県が、2位の1500トンを産する茨城県を大きく引き離している。

 

 

「ピーナッツを買うなんて、柿ピーと、節分の豆まきくらいかなあ」

「え?節分でピーナッツを撒くんですか?」

「うん、殻付きの落花生だけどね。長野の実家ではそうしてた。宮崎は違うの?」

「大豆でした。でも、落花生の方が、後で食べるのに清潔かもしれませんね」

 

節分で撒く豆は、お祓いを行った炒り豆、つまり大豆であることが多いが、北海道、東北、北陸、鹿児島では落花生を撒くと言われている。

信州の実家で落花生を使っていたのは、一家で金沢に住んでいた名残りだろうか。

室町時代の「壒嚢鈔」に、鞍馬山の僧が三石三升の炒り豆で鬼の眼を打ち潰したと記されているから、どうやら世間では大豆が正統派であるらしい。

落花生を使うのは、T子が推察したように、大豆より拾いやすく、落ちても実が汚れないという合理性からであると言われている。

 

東京行きの高速バスが存在するのに、東京への帰路で千葉行きの高速バスを選ぶのは合理的ではないけれども、未経験の路線に乗ってみたい、ならば後日出直すより遥かに合理的ではないか、というマニアの理屈に他ならない。

そのような我儘に付き合ってくれるT子には感謝の一語に尽きるけれど、内心、面倒くさい男と呆れていたかもしれない。

 

 

千葉行き「カピーナ」号は、僕らが「アクシー」号でたどってきた県道24号線・房総スカイラインを逆戻りする。

あの山道をもう1度走らなければならないのか、とうんざりするが、隣りのT子の様子をそっと窺うと、いつの間にか、すやすやと寝息を立てていた。

彼女を思いやって東京行きの高速バスか特急列車に乗るべきだったのではないかと悩んでいた僕は、ホッと愁眉を開いた。

 

小櫃駅前から先の「カピーナ」号の経路は、木更津から県道23号線で山越えして来た「アクシー」号と異なっている。

馬来田駅前、高谷、平岡、滝ヶ沢、天羽田杉浦と、国道410号線を小櫃川と久留里線に沿って北上してから姉崎袖ケ浦ICで館山道に入り、一路、18時ちょうどに到着予定の千葉駅を目指す。

 

「カピーナ」号は、平成12年に安房鴨川駅から亀田総合病院まで延伸され、開業当初の1日6往復から9往復に増便された後に、天羽田杉浦以南の久留里線沿線地域と安房鴨川駅、亀田総合病院の間の区間利用が可能になった。

この区間を運行していた路線バスが減便を重ねた上、平成19年に廃止されたことを受けての救済措置である。

 

「アクシー」号と「房総なのはな」号は、ともに東京湾アクアラインを経由して東京と南房総を直結するという共通点はあっても、その車窓は全く対照的だった。

それぞれ個性的なバスで、鉄道では味わえない南房総の車窓を満喫することが出来たのは面白かったけれども、「房総なのはな」号の旅で館山・白浜地区の路線バスの衰退に思いを馳せたように、「アクシー」号が走る久留里・鴨川地区でも、過疎に悩む地域の問題は共通していたのである。

 

冬の日は短い。

まだ午後5時を過ぎたばかりというのに、窓外はすっかり暗くなっていた。

視界に映るのは、ヘッドライトが照らし出す山肌や雑木林、そしてあちこちが凹んだガードレールばかりである。

 

このバスは本当に僕らを千葉駅へ連れて行ってくれるのだろうか、と心細さが込み上げてくる、「カピーナ」号の道中だった。

 

 

 
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