僕がマクロビオティックをやめない理由⑥ | noahnoahの21世紀カラダ島ブログ

noahnoahの21世紀カラダ島ブログ

カラダは不思議。カラダはロマン。私たちの知らないことがまだまだいっぱいのタカラ島。カラダの未知なる可能性をめぐって、あなたも宝探しの旅に出かけよう!

 

「ゲシュタルト」という言葉があります。 これは、有名パテシエの新作スウィーツの名前でもなければ、新進気鋭の漫才コンビの名前でもありません。 人間がモノゴトを認識する上で必要なベースとなる概念のことです。

 

例えば、私たちが路上で一匹の動物に出会ったとしましょう。その動物は4本足で尻尾を持っています。ほとんどの人は見ただけでそれが「イヌ」であるのか「ネコ」であるのかわかるはずです。きっとそれを見て「サカナ」と思ったり、「トリ」と思う人はまずいません。

 

この判断のベースになっているモノは一体何でしょう? それは、曖昧ではあるけれど「イヌ」とはこういう動物だとか、「ネコ」とはこういう動物だとかいう全体的なイメージが意識にのぼり、目の前の動物が何であるかを判別する材料となっているのです。そのイメージは過去の記憶や経験、知識といったものがベースになってつくられます。それをゲシュタルトというのです。

 

ゲシュタルトは、「全体性、まとまりのある構造」を意味するドイツ語でもあります。人間は、この世界をバラバラなパーツの寄せ集めとして見るのではなく、意味のあるひとつのまとまったものとして捉えようとします。この働きがあるため、目の前の動物を「イヌ」であるとか「ネコ」であるとか認識できるわけです。 

 

「なぜ、マクロビオティックを語るのにこんな講釈が必要なの?」 あなたがそう思われるのも無理はありません。しかし、私がこうして回を重ねつつ、「今どき長文は流行んないよ!皆、忙しい時代なんだからツイッターくらいの短文でアピールするべきだよ」と制止しようとする周囲の声を遮り、しつこくもマクロビオティックについて書き続けてきたその結論に至るには、ゲシュタルトの概念が多いに関係してくるとです!(なぜか熊本弁)

 

■ゲシュタルトとは全体的枠組みである■

例えば、もしもあなたが海辺を歩いていたとして、目の前に現れた4本足の動物が「ボストンテリア」という種の「イヌ」だった場合、ここには、「ボストンテリア」と「イヌ」という概念の関係性が存在します。

 

 

●海辺で出会ったボストンテリア 

 

 

そして、このケースでは「ボストンテリア」が「イヌ」という概念の集合に含まれます。なぜなら「イヌ」という概念は「ボストンテリア」よりも曖昧ではあるけれども、他に「柴犬」や「ミニチュアダックス」、「トイプードル」、「セントバーナード」さえ含んでしまうくらいの大きな広がりを持つ集合だからです。

 

「ボストンテリア」は「イヌ」に比べ、より具体的ではありますが、より限定的な集合なので、そこに「柴犬」や「トイプードル」、ましてや「セントバーナード」なんて含める余地はありません。 

 

 ●「イヌ」と「ボストンテリア」の関係性

 

 

この場合、「イヌ」という概念は、「ボストンテリア」という概念よりも上位に位置するため「上位概念」と呼ばれます。では、「イヌ」よりも上位に位置する概念があるのかといえば、あります。 ・・・それは「哺乳類」。 そこには、「ネコ」や「ヤギ」、「ヒツジ」や「クマ」、我々「ヒト」も含まれます。

 

さらに、その上に位置する上位概念が何かといえば、それは「動物」。 そこには、「トリ」などの「鳥類」、「カエル」などの「両生類」、「フナ」などの「魚類」も含まれます。 

 

さらに「動物」よりも上位にある概念は「生物」。そこには、「ヒマワリ」や「屋久杉」などの「植物」が含まれ、およそこの地球上に存在するすべての生命あるものがひとくくりにできるわけです。 

 

 ●上位概念と「ボストンテリア」との関係性(noahnoah・作)

 

 

人間の認識というものは、単に対象となるモノゴトに由来する個別の情報によって形成されるのではなく、それら個別的な情報には還元出来ない「全体的な枠組み」によって大きく規定されるのです。ここで言う全体的な枠組みにあたるものがゲシュタルトなのです。 例えば果物が書かれた絵を見て、それが線や点の集合ではなく「りんご」であるように見えたり、映画を見て複数のコマが映写されているのではなく動いているように見えるのもこのゲシュタルトの働きによります。

 

■必要なのはモノゴトを俯瞰して見られること■

村には村長、町には町長、市には市長、そしてそれぞれの国には国家元首が存在します。彼らは人々をとりまとめ導いてゆく「リーダー」と呼ばれます。リーダーにとって必要な条件とは「モノゴトの全体を高い視点から俯瞰して見られる」ことです。

 

私たちが生活するこの世界は、物理的空間、時間的空間、加えて物理的なもの以外にも人間のこころや考え方、制度や法律と言った抽象的な空間すなわち情報空間によって成り立っています。真の優秀なリーダーとは、この情報空間をいかに高い視点から俯瞰できるかにかかっています。これは、組織のリーダーのみならず、現在、少なからず他者に影響力を持つ知識や技術を持ち、人々を指導する立場にある人すべてに言えることです。 

 

情報空間を高い視点で俯瞰できるということは、それだけモノゴトを広く見渡せるということであり、それだけアクセスできる情報空間が広いということなのです。逆に言えば、アクセスできる情報空間が広いほど視点が高いということです。 

 

アクセスできる情報空間の広さと決定権とは表裏の関係にあります。決定権のない人が広い情報空間にアクセスできても、その情報を生かすことができません。逆に、決定権があるのに十分な情報空間にアクセスできなければ、下される決定は誤ってしまいます。

 

大事なのは、決定権の範囲に応じた広い情報空間を持つことなのです。 これは、組織で考えてみると分かりやすいです。組織では高い地位にいる人ほど多くの情報を持っており、また決定権も大きいのです。 

 

 

■抽象度を上げる■

先の例でいえば、「イヌ」という概念は「ボストンテリア」を含み、「哺乳類」という概念は「イヌ」を含み、「動物」という概念は「哺乳類」を含み、「生物」という概念は「動物」を含みます。こうしてどんどん概念の幅を広げていって、含んでいるものの量や情報を増やし、高い位置から俯瞰してモノゴトを把握し、その関係性を捉えることを「抽象度を上げる」と言います。

 

また、それによって人はより大きなゲシュタルトを形成することができるのです。 マクロビオティックと50年近く関わってきた私が感じるのは、マクロは抽象度の高い、大きなゲシュタルトを有する生活法だということです。それが単なる食事法ではないということはすでに述べました。 

 

そもそも、2500年以上も昔にギリシアの医聖ヒポクラテスが用いた言葉「マクロビオス」が語源で、「自然の秩序と調和のとれた生活によって健康で平和な心が確立するための生き方」を意味します。それを日本の食養家・桜沢如一先生が中国の陰陽論を取り入れ日本人向けにアレンジし、弟子たちによって海外へ広められました。

 

そこには、個人の健康を維持増進する健康論のみならず、人間が環境と調和するための方法や平和論までが含まれています。 もちろん、従来のマクロの教えすべてが正しくて過去の指導者の捉え方や指導の仕方に問題がなかったとは言えません。

 

その時代によって、人の食べ物も生活習慣も変わります。昔は通用していたものが、現代では使えなくなるなんていうこともあります。また、科学の進歩により栄養学についても多くの新事実が解明されています。 モノゴトは絶えず変化し、修正と改良を重ねながら進化します。

 

桜沢先生も亡くなられる間際、「私が世界各地に広めた”和”の正食道の欠点を改正され、完璧なものとすることを切望する」とご自身の指導に改良の余地があったことを認められた上で、マクロをより良いものにしていくよう後進に託されています。 

 

私はマクロビオティックを「大いなる生命を生き生きと輝かせる生き方」であると定義しています。今まで好奇心から様々な健康法や食事法を自分なりに試してきましたが、マクロほど抽象度の高い、大きなゲシュタルトを持った健康法はないと感じています。

■抽象度を上げるということ■

例えば、「ローフード」や「糖質制限食」の概念に「マクロビオティック」を含むことはできませんが、「マクロビオティック」はそれらを方法論として内側に取り込むことができます。 

 

こう言うと、現在それぞれの食事法を実践されている関係者の中には気分を悪くされる方もあるかもしれません。ゴメンなさい。しかし、私は桜沢先生の遺言の意味を自分なりにそう解釈し、マクロをそう捉えさせて頂いています。 

 

ローフードは加熱調理してない食物を食べる食事法ですし、糖質制限食はご飯、パン、麺を含む炭水化物を制限する食事法というのがその定義ゆえ、そうじゃないものを食べるのは定義に反してしまうわけです。 

 

ですが、マクロは「陰陽」をその物差しとして、自分の中でその時の健康状態によってバランスを取り、調和した状態へと持って行くことがその目的ゆえ、人によっては加熱調理していないものを食べるのが調和へ向かわせる方法となる時もあるでしょうし、穀物も取らずにしばらく断食しながら梅醤番茶を飲み干すのがその人にとって健康を回復させる方法となる場合もあるのです。

 

要はバランスを取って健康で生き生きした自分を創生するのがマクロの目的なので、そのためには様々な方面からの技術の活用が可能になるのです。 

 

玄米菜食が第一義の食事法であれば「玄米菜食法」と名付ければ良いわけですし、動物性食品を一切食べない食事法であるのなら「ベジタリアン食」と呼べば良いのに、桜沢先生があえてそういう名称を使わず「マクロビオティック」と名付けた背景には、単に個人的な健康のみならず、家庭、地域、社会、人類全体の健康と調和、平和と言うものを考えに入れた高い抽象度と大きなゲシュタルトが存在すると私は直感したのです。

 

それはあの医聖ヒポクラテスが活躍していた時代からの人類の悲願でもあります。 なので、私はこのマクロビオティックという言葉が好きですし、これからもこの言葉を使って活動していきたいと考えています。そして、もっともっとその本当の意味を知る人が世界に増えていってほしいと願っています。

 

■久司道夫先生の「死」の原因■

マクロを批判される方から多く受ける質問に「なぜ、マクロを世界中に広めていたリーダーの久司道夫がガンで亡くなったんだ?本当に有効な健康法であれば指導者がガンで亡くなるなんておかしいじゃないか?」というのがあります。

 

久司先生は2014年12月28日にボストン市内の病院にて亡くなられました。享年89歳。死因は膵臓ガンと発表されました。 最後にそのことについて、私の答えを述べさせて頂いてこのテーマを終えたいと思います。 

 

 

 

 ●久司道夫先生(1926-2014) 

 

 

これからお話しすることは、あくまでも私が久司先生と近しかった方からお聞きした内容をもとに解釈した私自身の見解です。なのでそんな話信じられないという方は信じられなくて結構ですし、読みたくないという方は読まれなくても結構です。

 

また、たぶんにスピリチュアルな内容を含むため、そういった方面に否定的な意見を持たれる方も読まれない方が良いかもしれません。ちなみに私自身はスピリチュアルを肯定も否定もしません。スピリチュアルと言ってもその方面の記述には、本当と嘘とが混在しているからです。

 

ですが、私自身は過去に随分と不思議な体験をしていますし、自分の体験したことに関してはそういう世界もあるのだなと認識してはいます。 今回が最終章と思って臨んだブログですが、もう少し長くなりそうなので、この続きはまた次回。いよいよ結論へと迫ります。 つづく・・・

 

 

 

 

★ランキングに参加してます!もし役立つことがあったなら、ポチッとお願いします。ありがとう!