『空白の五マイル』を借りて読んでいる。
世界最大の峡谷、チベットのツァンポー峡谷に、
1924年来、探検家たちを寄せ付けない最後の秘境があった。
そこに何のあてもなく単身で飛び込んでった、日本人がひとり。
2002年のことですが、
体験を本にして、賞を受賞したときの講演で、
「中国政府の立入り禁止区域じゃないか」と、
退職した新聞記者にめちゃくちゃ叩かれていたので、
そのあたり、どういう状況だったか、本で確認したかった。
1998年までは誰でも入れていた地域で、
学生のとき下見に出かけ、あちこちの村を訪れている。
それがとつぜん「立入り禁止」で、立入り許可も出ない。
その状況で、どうやって奥地の探検できたんだろうか。
それが不思議で本を借りてきました。
一度目の探検の後、7年後にもう一度出かけてる。
最初のときは、チベットのラサに着いた日に、
声をかけてきたひとがたまたま行く先の村出身で、
車で連れて行ってもらう。
村では役人に請求された金額を渡したら、
すんなり先にも入れたし、地元の案内人も雇うことができた。
空白の五マイルを探査するという目標を、ほぼ達成。
とんとん拍子に進んだわけです。
しかし二度目は、空白の五マイルを含む60キロの踏破。
目標も大きければチベットの社会状況もまるで違う。
地元の協力も、ほぼ得られず、目標達成どころかという状況。
死線を越えて、近辺の集落に転がり込んで、
地元の警察に取り調べを受ける。
それからは移送に次ぐ移送ですが、
どこに行っても歓迎されている。
取り調べの内容も、非常におもしろい。
疲弊した彼にしたら、
冒険のさいごがこんなにラクな流れになるとは、
想定外だったらしい。
罰金500元(当時の換算で七千円)。
探検で使用した地図を没収されそうになるが、
自分の思い出なんだ、大切なものなんだと懇願した結果、
う~んしょうがないなって感じで、そっと返してもらえた。
国境近くの辺境の村だから、
警察につかまって行方不明になった日本人や、
殺されたひともあったらしいが、今回はラッキーだった。
奥地の辺境の、古くから住みついた地元民警察は、
中国政府との関係も心情もいろいろ。
あらかじめ、たくさんのひとから情報を集めて、
下見にも行って、それでも最終的には出たとこ勝負。
ダメもと覚悟で出かけてみたら行けました。
なぜか生きて帰れました、みたいな内容でした。
運も実力というが、冒険探検の決め手は運もおっきいな。
この本の著者が十二年も思い詰めていた探検、
その思いが引き寄せたとしか説明のしようがない。
探検の歴史をひもとけば、著名な探検家たちも、
本国政府の許可が得られないまま、
探検を続行したり、それを支援するひとびとが出てきたり、
そこは人間なんだな。
少しナットクしましたけれど、
探検の入口と出口は政治的でも、そこから先は文字通り、
「死ぬかもしれない」って覚悟の体当たりの冒険。
こんなことを、そんなにしたかったの?って、
ページをめくりながら、つい思ってしまいました。
探検の旅で、このひとと接触したひとは、
みんなあきれてたと思います。
でも願いはひとそれぞれだから。
きょうは七夕。
星に何を願いましょうか(^o^)
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