外国人と英語で会話してこいというのが大学で最初の課題だった。

街頭で外国人をインタビューし、録音したテープを提出せよと。

クラスは大騒ぎになった。

英語は教室でやるもの、外で使う実用ではないという意識が大半で。

課題を出した英国人講師の説明では、

あらかじめ質問を用意しておき、インタビューを3件以上集めること。

相手に録音の許可をとること。

そこまでは大学生でも理解できたが、

インタビュー内容は「宗教ダメ、政治ダメ、歴史ダメ」と。

強く繰り返し念を押され、それが日本の大学生にはわけがわからず。

「あ~とにかくだな~この世界はきびしく対立してるんだ。

宗教でも政治でも歴史でもイデオロギー的に対立してる。

君らにはわからんだろうがそれらの話題は危険だ。

インタビューといえど何が起こっても私は責任とらんから」と。

 

日本人学生の宗教的無知・歴史的無知は世界の知るところ。

子供のころから受けてきた教育の成果じゃないかと個人的には感じる。

最近の動画で「霧社事件」というのを知った。

ほんとにあった事件かどうか、わからない印象があった。

ほんとのことは学者にも広報できないかもしれない。

確かなことは、現地の教科書に記載されてて日本の教科書に記載がない。

そういう歴史上の事件はあまたあるという指摘があるのは自分も知ってる。

この事件についての社会評価は現地で変遷してきた。

その評価がどこでどうつくられて誰がどのように広報して、

誰にとっての利害が発生するか、

それらは自分には知るよしもなく何もわからない。

けれど次に台湾に関わりを持つ日本人に会ったら一番に聞いてみたい。

台湾は住みたくなるくらい好きっていう日本人の知人もいる。

日韓問題の本も出したひとだから何げにうのみにしてたけど。

外交官の家庭で育った中津燎子先生に聞いた話をいろいろ思い出す。

「日本人ほどアッサリした国民はほかにありません。

よその国はお金に頭を下げても恨みはぜったい忘れない。

何百年前のことでも忘れてません。

それが歴史感覚のグローバルスタンダード。

現地のひとが殺されてるところなら決定的です。

口で何を言われてもアッサリ信じるのは日本人だけです」

 

霧社事件というのは台湾の先住民の一部が日本人を襲撃した事件とされる。

襲撃されたひとびとはただの巻き添え、

解決をはかる過程でも死傷者が出たんだそう

この事件を機に先住民の数は減り、先住民政策の方針も転換を迎える。

先住民の襲撃を「よくやった」みたいな評価も現地にはあるという。

裏で糸を引いた人間がいくらかいて、

加害者被害者ともに利用されただけみたいな話も。

現地では200分を越える映画も制作されたらしい。

ウィキに目を通しながら、どの筋書きもあり得ると感じる。

こんな事件もとからなかったという説だって。

青写真を描いたいくつかの立場の人間がいるという説だって。

単純に現地教科書の記述の説だって。

どの話も成立しかねない利害関係があるんじゃないかと思う。

それは過去で終わった話じゃなくて現代の利害にまで大きくつながっている。

自分は学者じゃないし学者的な追求作業はとくにしない

どの話もあり得る、しかしほかの仮説もあり得る。

いずれにせよ暴力行使は交渉の失敗。

敵味方に分かれて死傷者を出すという事態そのものが失策。

勝者も敗者もないと個人的には考える。

人間は社会を形成し、その中で一生を過ごすから、

誰もがわけのわからないままどこかで巻き込まれている。

不条理な巻き添えになっても気づかないままってことはあるかもしれない。