TDY、Temporary Duty。アメリカの軍隊用語で出張を意味する。世界の僻地の出張記録!TDYの次は日常の雑感

現役時代の出張記録。人との出会いと感動。TDY編を終え、写真を交えた日常の雑感を綴る。

折々の写真&雑感 384

2022年06月19日 | エッセイ
 近所の飲み仲間と云うか、ソフトボールの同窓会と云うか、何れにしても気の合った同士で近くの小料理屋に通っていた時期があった。その中にやたらと校歌を合唱したがる人がいた。日大の応援団の副団長だったそうである。

 その仲間たちは、地域の小学校のソフトボール大会で優勝したチームメイトだ。仲間たちの子供の学年は同じ5年生であったが、父親の年と職業、それに出身地はバラバラであった。我々のチームには甲子園の出場経験のあった人や大学まで硬式野球を続けて人が多くいた。私は中学までしか野球をやっていなかったが、優勝決定戦では4打数4安打だった。小学校ではピッチャーで4番だったが、中学に入ってからはとてもその地位を守れるものではなかった。

 近くの小料理屋での優勝祝賀会を機にチームメイトは以前にもまして親密になった。祝賀会の時に、4打数4安打の私を祝って、皆で校歌を歌ってくれることになったが、私は校歌を知らなかった。そのことを云うと、元日大の応援団の副団長は「そんな奴が世の中に居るのか」と云う目で私を呆れるように見た。学校の行事にはよく賛美歌かそれに似たものを歌わされた。従って、どれが賛美歌でどれが校歌なのか自信がなく、覚えてもいなかった。我々の学校では校歌が歌われることは非常に少なかった事は確かだ。

 その場をとりなしてくれたのは、内科と小児科の開業医だった。非常に温厚な人だが、私のマラリアを「風邪」だと診断した酒好きの迷医でもあった。

 日大の元副団長にとっては私みたいな校歌も知らない、いい加減な奴が世の中に居るのかと呆れられるのは仕方ない事だった。だが、彼の長女と私の長男が同じクラスであり、彼の奥さんがソフトボール大会を主催した私の小学校の後輩であったことも影響して、私とは非常に親しくなった。

 公園の少年野球の試合を見た。最初に目についたのが背番号11の女の子だった。フライが来ても、ゴロが来ても捕球するための最初の一歩が非常に早かった。












 硬球を使うリトル・リーグと違って少年野球は軟球なので、仮に当たってもそれほど痛くないが、打席に立つとデッドボールは怖いのであろう。





最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。