GとかZのストーリー | リサイクル・ウーマン

リサイクル・ウーマン

私達の中に眠る大人のオンナが、自らを再生させ、甦れたら。
しなやかに、艶やかに生きる、リサイクル・ウーマンに。

ついに、恐れていたことが起きてしまった。とうとうこの部屋に、アレを見ることとなってしまったのだ。G。私達はソレをこう呼んでいる。この地に越してきてから一度も目にした事が無かったGの存在を、ついに認めざるをえない日が来てしまったということだ。

 

 

 

Gというコードネームは、恐ろしいまでに潔癖性の友人・K乃がつけたものだ。部屋の隅々まで、清潔の極地を極める彼女は言う。「名前を口にするのもイヤ。だから、Gって呼んでいるの」

 

心の底から同感する。写真どころか、その絵を見るのも名前を呼ぶことすら耐えられない。ゴキ・・・ああ、ダメ!それ以上は!私達は、せめてGと呼ぶことが精一杯なのだ。

 

イヤなものは、その名称の最初の一文字を認めるのすら苦痛だけれど、反して好きなものは、その名称に関わるほんの微かな欠片に触れるだけでも、甘く幸せな気持ちに包まれるから不思議だ。もし、ときめく相手の名前が「後藤さん」や「豪くん」「五郎丸」だったりしたら、Gはおぞましさからはかけ離れ、甘く切ない響きに変わる。

 

だから恋する人は、アルファベットを配したネックレスを手にしがちなのだろう。愛する彼・彼女の名前を司る最初の一文字を肌につけたなら、その一文字だけでニヤニヤし、充分にハッピーになれてしまう。手首に首筋に、その文字が触れ肌の上を滑るだけで、口元は緩み、くすぐったくて仕方がない。

 

カレが巣鴨に住んでいれば、「す」を見ただけでキュンとする。カレの住所が、5−3−17ならば、5を見ただけでウキウキする。カレの名が翔太なら、「し」と耳にしただけでドキドキが止まらない。白雪姫を眠らせた食べてはいけない毒リンゴでも、ときめくお相手のカレに「ほら、あーん、だ」なんて言われて口にしたなら、毒は全身を巡りながら、灼けるような痛みと共にとろけるほど甘美な快感さえもたらしてくれるだろう。

 

口にすれば酷似する「G」に「Z」。そこから始まる物語は、幸にもなり不幸にもなり、吉にも凶にも、どちらにも向って行く。対極の二者を印すその一文字を愛すか愛さないか、愛せるのか愛せないのか、は、私自身。A to Zも「あかさたな」も、そこから「始まる」

のではなく、他でもないこの自分自身が「始めていける」に違いない。

 

愛すべきG? それとも忌まわしきG?

よく似たZ? いえ、私だけのZ?

この世はきっと、自分次第。