シュッツガルトの近くに住んでいたころ、地下鉄の駅にアメリカンフットボールのステッカーが貼ってあった。2チームがお互い睨み合っている絵なのだが、一緒にやろうぜ!とか言う事ではなく、電車が来たら、まず降りる人を先に降ろしましょうとか言う呼びかけである。そしてこれが誇張でも何でもない。
電車が来て乗降口が開くと降りようとする人、乗ろうとする人が真正面からがっぷり4つに組んで譲ろうとしない。ちょっと考えれば(と言うか大方の日本人には常識だが)乗る方が降りる方に譲れば効率が良いのが分かりそうなものだが誰もそうしない。
外国人が日本、特に東京とか来て整列乗車の様を見て驚く、と言うけど、そりゃあ驚くわ。と言うか、お前らバカだろ、絶対。
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今住んでる町にはバスと市電しかないけれど、まぁ同じような感じである。町の中心街の停留所に近づくと毎回、大概大方の人が降りるにもかかわらず、降りる人は停留所が近付くといち早く乗降口に殺到し、その辺りに立っていると物凄いプレッシャーがかかる。詰め寄られるのが嫌なのであらかじめ空間を保っていると、大体「あんた、次で降りるの?」とか聞かれる。
そんな僕は自分の田舎で停留所で人が全然降りなくて、降り過ごした事が2,3度ある。一度は冬のさなか、次の停留所が飛び地で原野の中を開発した住宅街で30分死ぬ思いをして目的地に戻った事もある。未だ純朴な若者だったので(笑)「すみませーん、降ろして下さい」とか言えなかったのだ。(´∀`*)

だが、ドイツで乗降口に殺到する人々はそういう目にあうのが恥ずかしいから、と言うわけではない。
それを実存主義と呼ぶのかは知らないが、「我降車する、ゆえに我ありと」か、「我乗車する、ゆえに我あり」とかそんなノリである。(この辺ちょっと原田宗典ぽい?)

乗り物の乗降については多分、「あいつらバカだろ」で良いと思うのだが、別の場面、例えばサッカーなどではどうだろう。敵のゴール前で何人か味方選手がいる場合。Jリーグが始まったばかりの頃実際お見合いがあったと思ったが、そんなでチャンスでふいにするなら未だ複数選手が殺到して結果的にゴールを外す方がまだフラストレーションが溜らないのではないか?もしかしたらスカイラヴハリケーンになるかもしれないし。

ところで日本の教会では牧師が時々説教で「アガペー」について語る。倫社の授業があった人は覚えているだろうが、キリスト教の、あるいはギリシア語では愛と言う言葉が三つあって、その一つの、見返りを求めない愛、太陽が地球に日光を注ぐような、母親の子供に対する無私の愛とか言われ、大体テストに出て正解すると10点ぐらいもらえるアレだ。
そして、大体牧師はこれをなにか水戸黄門の印籠か何かの様に持ち出してくる。
ある牧師は妙に胸を張って、「この愛(だか概念だか)は日本にはありません」とか言い放った。
大バカである。それは一つ、中国語に過去形が無いから、中国に過去は無いと言う様な馬鹿、いやそれよりももっと呆れた馬鹿である。その事についてはまたいつか日を改めて書くかもしれない。

(写真はフリー素材から拾ってきました)

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