人間は地球のガン細胞なのか? | Weblog

Weblog

学びと気付きの・・・

「人間は地球のガン細胞なのか?」

 

しばらく前にそんな言葉を聞いた。

 

すぐにイメージしたのは地球資源を大量に消費するこの社会。

同じ種族で殺し合う「人間」という種族。

 

ガン細胞はヒトの体の中でどんどん増殖していき

ヒトを死なせるが同時に自分(ガン細胞)も死んでいく。

 

 

最近ある映画を見て

 

「戦争は独占的で排他的な憎しみと報復で

終わりのない自滅の連鎖である」

 

ことを改めて見せつけられた。

 

 

この憎しみと報復を考えた時点ですでに

自然界の掟から逸脱していると捉えることも出来る。

 

 

自然界に住む動物たちはどうであろうか?

 

自分の家族、伴侶や子供が襲われ命を奪われたとき、

憎しみや報復に生きるだろうか。

 

 

私たちヒトは自然災害で命を失った(奪われた)ら

自然界に報復を考えるのだろうか。

 

 

自然災害は不条理で無差別だ。

ある日、突然、老若男女問わず、何の理由もなく襲ってくる。

 

いま、私は「不条理」と言ったが

実はこれが自然の“条理”である。

地球の自然活動はそういうものなのです。

 

さっき私は「襲ってくる」と言ったが

実は”ただ起きている”だけである。

ヒトがそう表現しているに過ぎない。

そう、ただ地球の自然活動だから。

 

 

人類の文明の発展(自然災害からの防衛開発を含む)はある意味、

自然界への不条理な行為なのであろうか。

そしてその結果がどうなっているかはご存知の通りである。

 

人類が生きるために自然の形を変え環境を乱し、

人類の存続を危ぶめている。

 

 

あるいはその発達した文明によって多くの争いや報復に利用され、

共食い、同種族同士の殺し合いにも繋がっている。

 

 

いったいこれは何なのか。

ヒトとはいったい何なのだろうか。

 

 

「ヒトと動物の違い」

 

ある学者はこう言っている。

 

ヒトは「もっと」という欲求をもっていること。

 

アダムとイブが手にしてしまった罪・・・

それは、「善」と「悪」を知ってしまったと言われるが

そこにはヘビにそそのかされた「もっと」という意識があった。

 

 

もっと食べたい。

 

もっと気持ちよく。

 

もっと簡単に。

 

もっと安全に・・・。

 

 

なぜ「もっと」が手に入らないのか。

どうすれば「もっと」が手に入るだろうか。

ヒトはこれを誕生して以来ずっと

何世紀にも渡って考え続けてきた。

そうして今がある。

 

 

動物たちは

『ただ自然と共に生き、

ただ自然と共に死ぬ』

 

自然の美しさに喜び、

自然の条理を受け入れている。

 

 

「どんなに文明が発達しても地球から離れては生きていけない」

 

有名な詩にこんなのがありますね。

 

『土に根を下ろし風と共に生きよう

種と共に冬を越え鳥と共に春を歌おう』

 

メッセージは届いているでしょうか。

 

何が起きてもどうなろうとも

ヒトは地球の手のひらの上。

 

ヒトは地球の一部。

そして宇宙の一部。

それが自然の一部。

 

 

間違っても独占的で排他的な

憎しみや報復の連鎖に

巻き込まれたくないものです。

 

 

相田みつをさんの詩にありますね。

「奪い合えば足りぬ。分け合えば余る。」

 

 

その連鎖を自分で断ち切る勇気を持ち、

子供たちへ平和な自然を残していきたいものです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

なぁ~んてエラそうに難しそうなことを

ズラズラと書き並べましたが、そんな自分も

仮想通貨が高騰中♪(´∀`*)ウフフ

 

なんてやっているわけで

今の時代を生きていくしかないわけで。

 

知識だけで言えば

人は幸せになるために生きているんだって。

 

でもそういうふうに考えて生きてる人は

少ないんだって。

 

考えてもうまく生きれないことも

あるけれどね。

 

これを読んでくれた人はどんな人かなぁって

考えるのも楽しかったりするんですよ♪

( *´艸`)