現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

「天皇」とは何ぞ?

2022-11-28 20:56:09 | 虚無僧日記

11月25日、東山勝也氏が主宰する「古代史遊学会」に誘われて行ってきた。

「所詮、素人の地方史家の集まりか」と思っていたが、とんでもない。

東山氏は史学専門の大学を出たわけでもないが、その博識には驚かされた。

あらゆる文献史料、学説に精通し、その上で自説を展開されている。

諸学者先生の学説に多くの疑問を提示している。

私の関心事は「天皇」「天皇制」はいつ成立したのかという事。

そもそも「〇〇天皇(てんのう)」と、在位中でも「天皇」と呼びならわすようになったのは明治時代以降の事。

それ以前は「命(みこと)、帝(みかど)、主上(しゅじょう、おかみ)、大君(おおきみ、たいくん)」などさまざまだった。

古代では、文武天皇の701年、「大宝律令」で「天皇」の号が法制化され、それ以前

「尊、命、大王」と書いて「ミコト、スメラミコト、オオキミ」などと呼ばれていたのが

すべて「天皇」と書き改められた。

それで「日本書紀」では 神武以来すべて「〇〇天皇」と書かれている。

しかし「天皇」と書いても読みは「ミコト、スメラミコト」であった。

であるから、奈良時代以前は「天皇」ではなかったのである。

 

私は慶応大学文学部史学科の二年の時、このテーマで論文を書いた。

当時の見解は「推古天皇(女帝)を支えるために聖徳太子が「天皇」という位置づけを確立したのでは」

というものだった。

東山氏の講演は、あらゆる資料を網羅している。

そのひとつ。『万葉歌』の中で

「大王(おほきみ)」が45首。「天皇」は15首。「おおきみ」20首、「すめろぎ」20首。

また、公式令では

「天子」と書いて、読みは「スメミマのミコト」

「天子」は祭祀を司る時の呼称。「天子」は天照大神の子孫。つまり神の子孫という意味づけ。

「天皇」の読みは「スメラミコト」

「スメラミコト」とは「詔(みことのり)を発する人」詔書を発する時の呼称。

「大王」は「オオキミ」。額田大王は「ぬかだのおおきみ」。天皇ではないのに「大王」と記す。

辛亥(471年か?)の年号を記す「さきたま稲荷山古墳出土の剣」には「大王」。

法隆寺薬師如来像の碑文には「敏達天皇」を「大王天皇」と。

『上宮聖徳法王帝説』では「崇峻」「推古」「用明」「敏達」「欽明」を「天皇」と。

 

どうやら「天皇」は、第30代「敏達帝」の時に「天皇は天照大神以来、神の血を引く子孫によってのみ

継承されるもの。他の群臣とは違う存在」として法制化された。よって、「天皇以外の

臣下の者が天皇に就く事はありえない」という位置づけが確定されたと考えられる。

30「敏達」、31「用明」、32「崇峻」、33「推古」、34「舒明」、35「皇極」、36「孝徳」

37「斉明」、38「天智」、(39「弘文」)、40「天武」

 

 

 

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。