ツルゲーネフ「はつ恋」より フォトストーリー | アダルトマダム、かく語りき。

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文化系アダルト女子の雑食的エッセイ
     




実家の本箱の片隅にあった文庫本。

ツルゲーネフの「はつ恋」

 

こんな雨の日には

窓辺でゆったり紅茶を頂きながら

ペラペラと頁を繰ってみたくなる。





 

本日はそれをもとにしたフォトストーリーを。

(過去記事に手を入れての再掲)








ツルゲーネフ

「はつ恋」より

神西清・訳 


 

 


わたしからほんの五、六歩離れた所――青々したエゾ苺の茂みに囲まれた空地に、すらりと背の高い少女が、縞の入ったバラ色の服を着て、白いプラトークを頭にかぶって立っていた。そのまわりには四人の青年がぎっしり寄り合って、そして少女は順ぐりに青年たちのおでこを、小さな灰色の花の束で叩いているのだった。その花の名をわたしは知らないけれど子供たちには馴染の深い花である。それは小さな袋の形をした花で、それで何か堅いものを叩くと、ぽんぽんはじけ返るのであった。



※プラトーク:ロシアの民族的な女性用被り物。

ふつうは四角い布切れ,またはニット地で,

頭に被るほか,肩にかけたり,首に巻いたりする。




ツルゲーネフの「はつ恋」は、ドボルジャークの

スラブ舞曲第2集(作品72)の2番ホ短調のメロディを聴きながら、

読んでみたい・・・・
 

 "Slavonic Dance, 

Op. 72, No. 2 in E minor"
 by Antonin Dvořák


Duo Lechner Tiempo :

 

 

 

 





 

 


青年たちはさも嬉しそうに、てんでにおでこを差出す。一方少女の身振りには(わたしは横合いから見ていたのだが)、実になんとも言えず魅惑的な、高飛車な、愛撫するような、あざ笑うような、しかも可愛らしい様子があったので、わたしは驚きと嬉しさのあまり、あやうく声を立てんばかりになって、自分もあの天女のような指で、おでこをはじいてもらえさえしたら、その場で世界じゅうのものを投げ出してもかまわないと、そんな気がした。









16歳の夏。ウラジミールは両親とともに
モスクワ郊外の別荘で過ごしていた。

そこで、隣に越してきた零落した伯爵夫人と
その令嬢・ジナイーダに出会う。

上にあげたシーンは、

その伯爵令嬢・ジナイーダを
ウラジミール少年が初めてみかけたときのもの。

この瞬間ウラジミールは強烈な恋におちたのだった。



 

 

「あたし、コケットなのよ」



21歳のジナイーダは常に4,5人の男に囲まれ
彼らを手玉に取ってはもてあそぶ気まぐれな、
けれども飛び切り魅力的な女。


心配する母の小言をかわしながら、ウラジミール少年は
足しげく隣家に通うのだった。
そこではジナイーダが考え出したたわいもないゲームが
日夜繰り返され、男たちは我こそは”女王様”の歓心を得ようと
互いに競い合っているのだった。




 

 



微妙な均衡を保っていたこの

伯爵令嬢のサロンの空気が
突然変わり始める。

どうやら令嬢が誰かに真剣に恋をしているようなのだ。
誰に・・・?



ある夜更け、庭に出ていたウラジミールは
隣家のジナイーダの部屋にそっと忍び込む父の姿を目撃する。

そして物語は思いがけない方向へ―。

ツルゲーネフの半自伝的小説。



 

 

 

 


青春の途上で遭遇した少年の不思議な“はつ恋”のいきさつは、作者自身の一生を支配した血統上の呪いに裏付けられて、不気味な美しさを奏でている。恋愛小説の古典に数えられる珠玉の名作。

  ―新潮文庫版の裏表紙より





 

 

 

 



狭い村での父と伯爵令嬢のスキャンダルは母の知るところとなり
ウラジミール一家は早々にモスクワへとひきあげ、落ち着いた生活が
戻ってきたかのように見えた。


しかしモスクワにまで、伯爵令嬢が父を追ってやってくる。
かつてのコケティッシュな面影はなく、そこにいるのは
叶わぬ不倫の恋に身をやつした哀れな女。



そしてウラジミールは父が彼女の腕を乗馬用の鞭で打つところを
物陰から垣間見てしまう・・・。





 

 

 

「あなたは思い切らなくちゃだめです、そんな無理な……」という父の声がした。ジナイーダは、きっと身を起して、片手をさし伸べた。……その途端に、わたしの見ている前で、あり得べからざることが起った。父がいきなり、今まで長上着の裾の埃をはらっていた鞭を、さっと振上げたかと思うと――肘までむきだしになっていたあの白い腕を、ぴしりと打ちすえる音がしたのである。わたしは思わず叫び声を立てようとして、あやうく自分を押えた。ジナイーダは、ぴくりと体を震わしたが、無言のままちらと父を見ると、その腕をゆっくり唇へ当てがって、一筋真っ赤になった鞭のあとに接吻した。



 
『あのひとが、ぶたれるのだ』と、わたしは思った。『……ぶたれるのだ……ぴしり……ぴしり……』





 

 


父はウラジミールを連れて馬でモスクワの町中にやってきて
彼を待たせて露地の奥へと消えていったのだった。
その跡をひそかに追いかけたウラジミールが
物陰から目撃したシーンがこれ。



この場面、これだけでもインパクトがあるけれど
ジナイーダが青年たちのおでこを花束で打っている
最初に紹介したシーンを思い浮かべると、
みごとな対になっているのに気付く。



 

 



その後、息子を待たせたまま
ジナイーダとしばしの時を過ごしたらしい父が
しばらくして再び息子の前に戻ってくる。
その手には、彼女を打った鞭がない・・・。





「わたしのいない間、退屈だったろうな、お前?」と父は、へんにもぐもぐした声で言った。
「ええ、少しね。でも、一体どこへ鞭を落したんです?」と、わたしはまた訊いた。


「落したのじゃない」と、父は言い放った。――「捨てたのさ」





 

 


その翌年、父は脳溢血により他界。


それから4年の歳月がたち、大学を卒業したウラジミールはペテルブルグの街でばったり、あの“夏の日のサロン”のメンバーの1人に出会い、ジナイーダが結婚したことを知る。

しかも彼女がまさにその時、ペテルブルグのホテルに滞在していることも聞かされた。

2週間後、その宿舎を訪ねるウラジミール。しかし・・・・
時すでに遅し。彼女は4日前にすでにこの世を去ったのだった。

お産によるあっけない死であったという―。








 


読みだしたら、独特のリズムと言葉の間からどんどんあふれてくる
イメージにひっぱられて、くいくいっと読んでしまった・・・。

いささか的外れな感想であるだろうけれど

“まるで映画のためにある小説みたい”

本末転倒な感想ではある。
けれどもそれほど豊かに映像のシーンが鮮やかに浮かぶ。

何度か映画化されているようですが
そのどれも観ていないアタクシ。
頭の中で、いろんなシーンが出来上がってしまった。

ことに冒頭に挙げた、令嬢が青年たちのおでこを
花束でたたく場面、それをかたずをのんで覗き見している少年。
画面はいつしかスローモーションとなり・・・

ああ、次から次に妄想のようにシーンが湧き上がってきますが
それはいつかまた、別の記事で・・・。

 

というわけで

本記事はツルゲーネフの「はつ恋」で

遊んでみました。

最後までお読みくださりありがとうございました。

 

 

 

 

 

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photo by Aran-Mira

©Aran-Mira/Keiko Kamma

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MAY YOUR DAYS 

BE BRIGHT!

 

バラ2

 

 

***

みなさまの上に

素敵なことがたくさん

舞い降りてきますように!

 

あらんみらより

~愛をこめて~

***

 

 

 

おまけ


 

顔 忘れ得ぬ女

 

ロシア人のお名前にかかわる

おはなしは

下差し

サノヴァ〇ッチ! から、飛んでロシア!

 

 

 

◆◆

 

 

 

 

 

 

お知らせ

その1

 

 

渋谷のヒカリエでの展覧会に

参加します!

 

 

 

「ダハ!」exhibition

10月30日(金)~11月8日(日)

 渋谷ヒカリエ 8階 8/CUBE

11:00~20:00 
 

https://www.hikarie8.com/cube/2020/10/post-86.shtml

 

 

 

 

 

その2

 

 

期間限定公開(らしい)。

私の作品

’BEYOND COVID-19’が

東京都の「アートにエールを」

専用サイトにアップされてます。

 

 

※閲覧注意

ノイズサウンドが苦手な方にはキツイかも、です。

 

 

 

BEYOND COVID-19

2020年8月30日、秋葉原のアートラボ・トーキョーで、Keiko KAMMAと森下泰輔の2名のアーティストが無観客ライブを決行。本作はその記録をベースにした詩的コラージュ作品。
コロナ禍の閉ざされた世界を現に生きている私たちの生のリアリティを表現したKAMMAの無音の映像作品「PANDEMIC 2020」のプロジェクションに、森下のノイズサウンドが展開(KAMMAも一部セッションに参加)。第2部では、森下のサウンドの中でKAMMAがビニールボートにペインティング。ボートは漂流を思い起こさせもするが、同時に脱出のイメージもあることから、ポストコロナ時代への展望も意識しながらのライブペインティングとなった。

 

 

 

 

 


As-salamu alaykum 
السلام عليكم 
Shalomשָׁלוֹם

 

Aran-Mira 

  

 


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