国際連合(UN) 特殊諮問機関:世界連邦(WFM)本部執行理事/国際委員長, 国会委員会事務局次長, 青年会議(Youth-Forum)議長:谷本真邦

私は関西で生まれ育ちましたが、学生時代に起業して、プロフィールにも書いてありますが、上京後、東京(麻布/青山/台場など)のマンションと、神奈川県(鎌倉山など)の古民家系別荘などだったが、現在は、世界を股にかけるポジティブな住所不定(PT、超ノマドなど)を目指して飛び回りながら暮らしている。

 

でも、細かくいうと、20世紀型のコレクション生活、21世紀型のノマド生活(ミニマリスト生活)に、一気に変化したわけではありません。上京直後は当時住んでいた神戸の部屋に物はおいたまま、東京では最初ホテル暮らしでした。

仕事で奔走するうちに、海外もふくめて、旅暮らしになりました。そして、そのなかで物を集める生活・捨てる生活を繰り返しています。

 

一時は、会社を経営して金銭に余裕があり、ヒルズやお台場などの都心の高級タワマン、鎌倉などの別荘数件や、自社ビル、蔵をはじめとする土地建物。さらには船や車・バイク等の乗物。もちろん家の中には、こだわりもあって集めた大量の本やCD・DVD・かつての写真・レコード・テープの類、服や靴などもほんとに大量にありました。もちろん(これは私はこだわりはないですが、お値段ははった)美術品や家具なども。

でも、こういうのをやめてミニマルな生活をするようにもなったのですが、また溜まっていったりもして、その繰り返しの人生です。

 

仕事も音楽家、会社経営、大学生&大学教員、政治運動家など、世界を転々としています。生活も色々です。

 

会社の退任とともに、家や乗物らを処分し、一気に整理したこともあります。

最近は、親族の家は別にして(両親は鎌倉の別荘に呼びましたが、私がいないので、現在は元々住んでいた京都に戻りました)、ホテルか小さなマンション+トランクルーム生活をしたりもしていました。

 

整理した物のなかには、昔趣味で集めた高級腕時計や骨董美術品、珍しいレコードや楽器、ブランド物の製品なども含まれていましたので、正直買取業者に引き取ってもらえたとは思いますが、選別しだすと、全てが惜しくなるので、もうもったいないという気持ちを忘れて一気に回収業者さんに持って行ってもらいました。コレクション欲求もあるのですが、捨てるとなれば執着心も一緒に捨てます。良いものだったり思い出があったりするので、選り好みをすると執着が生まれるので「どうせいつかは死んであの世にはもっていけないんだから、、、」と何も考えず処分します。なにをすてたかもわからいくらい、、、。

 

でも一部すてなかった本や服(これも選んだわけではなく、たまたまある部屋にあって捨て損なったもの)を、トランクルームやワンルームオフィスにぶちこんで、旅暮らしをしたりもしました。でも、また物を買いこんでいくのでたまっていくのですがね、、、。こういう繰り返しです。

 

今現在はというと、ちょうど「ミニマリストモードより」の生活です。でも世の中のミニマリストほど物がないわけではなく、部屋には、一部の「本の山」と、少々の服だけは持って、オフィス兼書斎兼寝室という感じの部屋を、転々としています。親族の家は別に暮らしています。

だいたい部屋も、部屋またトランクルーム+ホテル転々やめ、

一時的に定住部屋を用意して、一部の物はこういうところにほおりこんでます。部屋元自分の会社の社宅だったところや、出資した会社の関係の部屋ので沢山あるのですが、小さいので、エリアを分けて、仕事用の本や書類に囲まれたエリアと、物が全く無いくつろいだり寝たりするエリアにわけています。これは生活のメリハリにはちょうどいいです。

 

しばらくコロナ禍で、旅暮らしが制限されたので、事務所のある国会や用事のある省庁、大学のサテライトキャンパス、そしてこういう自分の部屋だけを行き来するような生活もしてきました。でも、これからは、再び旅暮らしをやりはじめています。

 

また物をため込むかもしれませんが、今は、ほとんど物はありません。家も車もバイクも好きな船も持っていません。住むところだって、旅暮らしならば、泊めてもらうか、ホテルや短期レンタルです。車はカーシェア、バイクはレンタル、船もマリンクラブのレンタル。旅暮らしならば、嫌でもそうなります。でもこれが楽しい。

 

私は、それに食べ物も、基本は大食い人間なのですが、たまにダイエットと浄化も兼ねて断食(ファスティング)をたまにします。

 

また私は、睡眠も、基本的にショートスリーパーです。大食いだとどうしても消化にエネルギーを使うので長眠になりがちですが、ファスティングをすると消化エネルギーを使わない分、短眠でも平気になります。

 

結局、こういう生活態度だと狭い部屋で十分なので少ない住居費などの家賃、車もないので維持費の類もかかりません。ちょいちょい断食すれば食費もほとんどかかりません。最近は、なんと(昔は絶対いやだった)水道水を飲むようになりました。昔はコーヒー、ジュースやお酒を中心に、飲み物には、かなりこだわりがありましたが、今は水道水です。慣れると平気です。

 

(元々強くなかったが社交のために飲んでいた)お酒は完全にやめました(以外にも、国際的になれば、日本人ほどお酒をのまなくても平気です。実はアジア人の飲酒は異常です。アジア人は強い人と弱い人がいるので、余計に飲め飲めという文化ができたのでしょう。欧米ではみんな強いのでそういう文化が少ないです。しかも日本のように、アルコール度数の高いお酒を24時間安くコンビニなどで変えて、公衆でもお酒を飲めるという国はそうありません)。

煙草ずっと前にやめました。

 

ファスティングをしてないときでも、今は一日一食です、夕方に生協で頼んだフルーツや野菜などを食べていれば十分です。

防災備蓄用のものを除けば、スーパーが私の冷蔵庫です。十年ほどヴィーガンの時代もあったくらいです。社交のときばかりは結構たべますが(大人になってから親のいうことは聞いておくもんだと悟り、栄養学を専門にしていた母親に、バランスよく食べろときつく言われて、ヴィーガンはさすがにやめました)。

 

だから社交の際は、お肉も魚も食べます。むしろガツ食いをしてしまうので、太ってきて(ゴリ)マッチョになりますが、またファスティングをすれば、すぐ痩せて細マッチョ(ガリガリ)になります。

 

ジムなどにいかなくても職場間を重い荷物を担いで歩いていれば十分運動になりますしちょっと腕立てや腹筋懸垂などをやっていれば筋トレができます。しかも、やせるなら運動より食の効果が圧倒的に高いです。

 

しかもファスティングは最初の2,3日はおなかが減ったり、立くらみ、人によっては好転反応で逆に頭痛や皮膚に弊害がでますが、それを過ぎると平気ですし、むしろ快感をともない、さらに頭脳は鋭敏になり、あらゆる超能力も開花します。だからファスティングハイは、またやりたいなぁと癖になるんです。

 

ところで、私は「ハイ」が好きです。ヨガや仏教(禅)では「三昧=サマーディー」、スポーツでは「ゾーン」といわれるものです。つまり過集中+恍惚感です。

 

もちろん大人はNGですが、かつては喧嘩をした際にも(ケンカーズハイですね)この状態になりました。

脳内ホルモン分泌され、意味合法ドラッグの作用です。薬などなくても多幸感や全能感を味わえるのです。

 

他にもいろいろなハイ状態があります。特に私は昔ヨガをやっていたことがありますが、この世界ではハイになるためのあらゆる行法があります。もともとサマーディーはもちろん、チャクラを開いて甘露を落とすクンダリーニ覚醒は快感そのものですし、初心者でも、ニヤマ(勧戒)などでの苦行も快感につなげるものです。そしてアーサナ(元来は座法の意味ですが、ハタヨーガではストレッチを伴うポーズによる姿勢作りの意味もあります)によってもハイになります。筋を引っ張るのは変性意識を作るのです。その他にも面白いのは、吐きハイなんていうのもあります。大量の塩水をのんで大量に吐く。あるいは長い布のひもを飲んで引っ張り抜く。最初は気持ちわるいですが、だんだん、あらゆるものが浄化されたような気になって、とても気持ちよくなります。

 

話はもどって、ずっと働いていると、社交に行く機会も減ります。パーティーなどでも少し顔を出して、久々の人に挨拶して、すぐ帰ります。多忙なためでもありますが、それで十分です。いつもの社内のメンバーでずっと意味のないことを語りあっている人は多いですが、これはもったいない。

 

あと、私は冷水シャワー派(気分は水垢離です)なので、ガス代もかかりません。

 

小食なので冷凍冷蔵庫はそれほど本来必要ないのですが、(冷水といってもシャワーでもには温度が高いので、)朝被るための、冷水に使う氷をつくっています。要するに自宅でアイスバスを作るのです。これは骨まで痛くなるほどキーンとしますが、その後の体温上昇と快感といったらないですね。

 

しかも冷水をあびてからは、暑い・寒いというのに平気な体質になります。

 

すると服も、仕事の際は、クリーニングに出して着まわせるように2、3着のスーツにワイシャツがあれば十分、カジュアルも着まわせるようにTシャツ数枚とカジュアルなパンツがあれば十分。

もちろん夏はそのまま、冬は上着をはおるだけ。寝るときはアンダーウェアだけです。

靴もスーツ用とスニーカーが2つづつ、あとサンダルがあればいい

 

もっと言えば、街も利用すると暮らすともっと楽です。

 

ある程度都会である必要はありますが、私は早朝(というか夜の間くらいの3時とか4時とか)に起きて、公園や神社で参拝したり瞑想をしたりしてすごし、夜があけたら、モバイルオフィスとよんでいるバッグ(PCやスマホなどを入れているためです)を持って職場(私の場合は掛持ちなのであっちへ行ったりこっちへ行ったりする必要はありますが、、、)や個人事務所兼寝部屋で仕事をします。個人事務所がなくても、図書館ならタダで本も調べられて事務作業もできます。

 

そして夜に最後にフルーツを食べて、私はネットのゲームをしないので、スマホなどを使って読書動画などを見て、深夜床につきます。

 

こういう生活はお金がかかりませんし、楽しいです。

苦行僧や、仙人のような暮らしですが、むしろそうなりたい。

 

これは、楽しい。

人にはストイックといわれたりしますが、快楽を追求すればこうなりますね。

 

世界連邦

谷本真邦


 

メンタルを鍛えることに関しては、非常に関心がありました。なんでも基本はメンタルです。小さい頃から、自我意識と向上心(良く言えば向上心ですが、事実上闘争心)の塊であった私は、苦悩ばかりしていました。またすごい短気で、スピッツ犬の様なキャンキャン吠える子犬だったのかも知れません。

最近は「ありのままで」とかいう、「甘い生き方」、つまり自分を変えていく「苦修錬行」、簡単にいうと、いわゆる「体育会系」とは真逆の生き方が、大流行りです。

 

それはそれで、多様性に寛容な時代は良いことだし、心が弱っている人が多い今の時代には、仕方ないのかも知れません。

ただあんまり甘く生きていると、厳しい世界社会で生き残れなくなるのでは?と、ちょっと心配はしています。

かくいう私は、子供時代はそういう「体育会系」のノリが大好きではあったのですが、色々な事に興味をもって、様々なことをやることにしまったので、時間的空間的な拘束は都合が悪いので、やむなく勝手気ままに見える生き方をしてしまいましたが、、、。


ただ、もともと私は「幸福とは苦の逆」だとは思っていたので、甘い生活は一応拒否して生きてきました

物理的には、睡眠を削り、全身全霊で仕事も遊びにも打ち込みました。つまりハードワークをしたのです。

それに加え、真冬に寒水で水垢離をしたり、逆に真夏にガンガン日焼けをしたり、断食をしたり、筋トレをしたり(あと、あくまでも子供の頃のですが、喧嘩をしたり、バイクなどを極限までぶっ飛ばしたりして峠をせめたり、、、)、そのたびにムキムキになったりガリガリになったりしていました。こうして肉体や精神に負荷をかけることをして生きてきました(ある意味ナチュラルハイになっていたのかもしれません)。

 

ベジタリアンやヴィーガンにもなろうと、一時は肉食などをやめていましたが、栄養学の専門の母親に、強烈に反対されたので、やめました(昔こどものころに、反抗せずに母親の言う事を聞いていれば、もっとマシだっただろう、、、ということが、山ほどあるので、大人になってからは言う事を聞く様にしています)。

ハードワークをしていたので、今考えると、ある程度はやりたいことをなんでもさせてもらっていたと思います。スポーツ選手になったり、ミュージシャンとしてプロになったり、大きなイベントをプロデュースしたり。また一流と言われている学者のもとで学問をしたり、はやくから起業家や上場企業の経営者になったり、(世界連邦など)政治運動家になったり、大学教授になったりもしました。私生活でも、お金が儲かったときもありますし、良い人間関係にも恵まれ、とても素敵な女性とも沢山知り合えました。

でも、目標が極端に高く、いつも満足せず、逆にトップになれなければ、自分の名前を出すのを恥ずかしがって、「は前に出さないでおこう」「もっと成功したら出よう」などと考えたりしているうちに、、、挙句やめてしまう。

なんてことを繰り返し、前半生は、本当に中途半端な人生でした。馬鹿でしたね。

 

でも、私は生まれ変わりました。

これが、真逆になって「感謝と幸福」の人生を送れるようになったのには理由があります。
 

私が思いついたことは、向上心を「逆」にしてみたら良いのではないか?、という思考法のレーニングをしてみることにしたのです。
(※ただ、これらの心のトレーニングは、最初はあんまり共感してもらえない思考法ですし、心身があまりに弱っていれば逆効果になりかねないちょっと人を選ぶトレーニングかも知れませんが、普通なら抜群の効果があると思っています。実際、苦悩ばかりして、希死念慮を持ちながら、鬱鬱としていた私も、これで脱却できたのですから。)

 

なお「希死念慮」といっても、私の場合は自殺願望とはちょっと違っていて、「切腹する武士」などに憧れまていました。

 

特に、尊敬していたのはベトナムのティッククワンドック(Thích Quảng Đức) 師です。

余談ですが、この人は1960年代の方で、よく南ベトナムの独裁者ゴディンジェム政権の弾圧に対して、政治的プロテストとして「火界定」で抵抗するために焼身自殺をした狂信的僧侶と思われがちですが、こういう見方は、まさにマダムヌー(ゴディンジェムの義妹として華やかなプロパガンディストでしたが、のちに大変な嫌われ者になっちゃった人です)の意見と同じです。

師の周辺の証言を読んでいると、とても穏やかな優しい常識的な僧侶だったと言います。また師の行為はLotus Sutraが元であったのでは?、という英文記事をみたことがあります。

・・・そうであれば私は、「法華経」の「薬王菩薩本事品」ですね。衆生を救うための宗教的行為だったのでは?と推測しています(このお経の内容はお坊さんでも理解していない人がいるようですが、ざっくりと我流で無理やり日本語に翻訳すると、高貴な身分の出身であった宿王華菩薩が、釈尊に『なぜ薬王菩薩はそれほど凄いのか』を問うた時、釈尊は『薬王菩薩の前生は、一切衆生喜見菩薩という方で、全智の日月浄明徳如来に、長い間の修行のまとめに自分の体に香油を被って、その身に点火をして供養し、天へのぼり如来の足にすがった。これは、長きにわたる衆生救済において、あらゆる供養のなかで、最も尊い行為である』と答えた、、、というような内容です)。きっとこれを体現されたのでしょう。そして「心頭滅却」といえばこの師です。一切衆生喜見菩薩と同じように香油のかわりにガソリンを被り、その身に火を放って、体が燃え尽きてその肉が崩れ落ちるまで、しばらく蓮華座のまま、表情も崩さなかったのです。これは映像にも残っています。普通なら皮膚に火がついたら熱くて転げまわるか、もし気道に炎が入って即死したのならすぐにゴロンとなるかのどちらかです。まさに衆生救済への強い信念がもたらす「心頭滅却すれば、、、云々」とはこういうことでしょう。もちろん私は、こういう大菩薩聖人には、足元にも及びませんが、私も少しは苦痛に耐えて、世界のためには自己犠牲を持つべきだとは思って生きてきました。

そこで、まずは「平等心」を持つようにしました。これは他人を差別しない、なんていうケチな話ではなく、それは「自己」と「他者」を同一視することです。

これは、意味がちょっとわかりにくいので、次の段階まで、説明します。

それは、「自」と「他」を交換して「視る」という瞑想方法です。極端に例えると、現実では「他人」が活躍しているのを見ると「私(一人称を使用)は凄い!」と思い、現実の「自分」が活躍したら、「あいつ(三人称を使用)!なかなかやるじゃないか」と、「自」と「他」を、逆に置いて観ることをします。

私は、あらゆる宗教や思想を学んでいたので、知識としてチベット仏教のヒーリング法である「トンレン瞑想」というものがあることも知っていました。苦痛を感じている人を見れば、「その苦痛は全部自分に来てください、そして自分の幸福な状況を相手に渡してください」という念じて瞑想をすることです。
 

しかもその人が、愛する人ではなく、全ての人、特に嫌いな人、その人に自分の幸福を差し上げたい、そして私がその人の苦しみを自分が引き受けます、と念じたりします。これは慈悲の瞑想として知られていますね。


例えば普段から、「盲目の人を見れば私の目を渡してください、足の無い人がいれば私の足を渡してください」と祈る、などの瞑想です。バクティ―(信仰)・ヨガにも、カルマ(業)・ヨガにもつながる瞑想法です。

これは、普通では考えにくい祈りです。

 

極端にエゴが嫌がります。「本当にそうなったらこわい」という感情が自然に芽生えます。でもこの強烈な刺激が、エゴを粉々に壊して、純粋な魂が残るのです。でもこれによって「怒り」「嫉妬」「執着」などの感情が、大幅に減ります。

 

仏教では「一切皆空、所行無常、諸法無我」といい、釈尊が無色界の修行に入り「非想非非想」の段階を経て、「無上覚の悟り」「涅槃寂静」へ至る境地に往くための、菩提心(ボーディーチッタ)を持ち、一切衆生を救済する菩薩(ボーディーサットヴァ)になることが大切、と言います。

 

もちろん、私は「まだ」如来(タターガタ)=仏の悟りや、キリスト意識などには、ほど遠いですが、菩薩の足元を見た位までは来たような気がします。

これは「引き寄せの法則」で、「私は豪邸に住んでいる」「私は高級車に乗っている。。。」などと、アファメーションすると、想念は物質的に実現する、ニューエイジの考えとは全く反対の方法です(ただ、これはこれで現世利益としては良いのですが、仏教的に言えば、煩悩の「餓鬼」のカルマを積む修行じゃないかしらとは思います?)。


でも、ちょっと自分を内観すると、エゴの存在が、あらゆる苦をもたらしていると気付きます。エゴを破壊して、純粋な「真我」を見出すと、「梵我一如」の境地に達する、ということが理解できます。

 

逆境が来ても、自分が望んだことではないか、無理やり思えます。

だから昔、事業がうまくいかず、資金ショートしたり、借金苦になったり、怖い人からとり立てられたりしても、(嬉しくはないですが)基本的には乗り越えられました。人の三倍働けば返せると信じれました。

そうすると、神様や、周りの人のお陰か、どう考えても入ってきそうもない大金がドーンと入ってきて、なんとかなった、ということがちょいちょいありました。

 

そうすると、苦難の裏には、幸福があると信じられるようになっていきます。

そして、本当に「当たり前のことなんて何もない」、「有難いこと」だと、何にでも感謝できるようになりました。


だからこのトンレンの瞑想をガンガンしました。

「人間五十年、下天のうちに比ぶれば夢幻のごとくなり、、、」と考えると、大宇宙の芥子粒のような地球でさらにそのウィルス的な存在にすぎない「人間」の社会的な成功・失敗、まして嫉妬・怒りなどはくだらないことです。

 

でも、この考えによって、「なんでもありの怠け心」というのは、おこりません。私は元来怠け心も起こしがちで、それと戦うのには苦労しましたが、怠惰な心というのは、常に何らかの行為を実践することが「嫌だ」という「積極的な嫌悪」の潜在意識があるということもわかりました。

 

だからエゴを破壊する心のトレーニングが必要なのです。エゴを破壊すれば仕事がバリバリできますよー。

 

多くの生物を観察していると、本能のまま生きていて生態系の弱肉強食の生き残りの恐怖心のなかで生きていることが良くわかります。そのため、本当に人間に生まれて良かったぁと思います。これは本当に稀な嬉しいことです。地球上では神(宇宙エネルギー)の真理を探究できる、唯一の生物です。

 

でも、せっかく人間に生まれた今生も、いつまで、生きていられるか、などはわかりません。

生まれてきた以上、人間は全て死刑囚みたいなものです。いつお迎えが来て、死の執行がなされるかが、わかりません。

50年後に生きているかどうかわかりません。

ということは、10年後に生きているかどうかわかりません。

ということは、1年後に生きているかどうかわかりません。

ということは一週間後に生きているかどうかわかりません。

ということは今夜生きているかどうかすらわからないのです。

 

人は生きている前提で予定を組みます。死んでるかもしれないよ!とは考えません。もちろん「この根拠のない楽観」が社会信用という基盤を築いているのはわかりますが、個として考えれば即時死んでいるかもしれないと思うべきです。

 

また明日、事故などで、体の一部が欠損するかもしれません。そんなことは誰にもわからないのです。

 

そうすれば一時の無駄にできないはずです。まぁ私は出家僧ではないので、山の修行より、里の修行、、、つまり一般社会で働くという実践に励みたいと思っています。

 

私は海外旅行が大好きで、ネパールやインドにも行きます。インドは悪習慣がまだまだありますが、その分のびしろは沢山あります。でも、こんなところだったら「山の修行」は「やり放題」です。

正直「ここでなら悟りを開くのはたやすいかも・・・」というくらいに思えます。

具体的には、かの地では、大自然や近代的な街が美しいところもあれば、牛や犬の糞と雨水でやたら汚れているところを裸足であるかないといけないところがあったり、ときおり「聖者風」の詐欺師が出没したり、「コブラか!?」と思ったらおもちゃだったり。さらには、めちゃくちゃ熱い所と寒い所が点在していたり、批判すべきカースト制度の上位の人が、それをいいことに、人に働かせてゴミだらけの町の道路でぼろぼろで寝てたりする横で、カースト下位の人が、政財界の大物や、IT長者だったりとか、、、(もちろん人権問題として是正が必要なところはあるものの、そのカオス感が興味深いところでもあるのですが)。

でも、私がよく生息している東京・NY・ハワイなどでは、欲望を刺激する宣伝と誘惑にあふれています。

例えていうなら「食べられる物がないところではなく、高級レストランの中でご馳走に囲まれながら、断食する」というようなもので、これはかなり辛いです。これを頑張らないと、解脱の道は遠いんですよねー。

 

凶悪犯罪者になってしまった麻原某も、ヒマラヤで修行だけしていれば、もしかしたら、本物の聖者になれたかもしれません。かの教団の教義は、一般的には「色界」と訳される世界を「形状界」と訳すなどちょっと名前を変えたり、本来はサマディ―や解脱の妨げとなるといわれている六神通(超能力ですね)など凡夫の興味をそそるものに焦点をあてたりしてはいますが、実践的な後期チベット密教の流れを組む、まともなものだったんです。だからはじめは、ダライラマ法王も、宗教学者が評価したのも、そのためです。しかし東京にいたために、凡夫どころか鬼神と同一の他化自在天の魔王になって、「神政一致の新日本国の法王になる」などと妄想して、とち狂ったのでしょう。

 

かの教団では、極限を目指し、アンダーグラウンドサマディ―という地中で瞑想するヨガ修行などもしていたそうですが、修行中に死者が出て、これを隠蔽したというのがテロ組織になる第一歩で、あとは転げ落ちるように、保身と政治権力、陰謀論や終末論の妄想に狂っていったそうなのです。

いっしょにするなと叱られそうですが、日蓮宗・寒壱百日大荒行も、わが谷本家の父方の菩提寺・天台宗比叡山延暦寺での千日回峰行も、死者が出る厳しい修行です(世界連邦日本宗教委員会の現会長は田中神社本庁総長ですが、初代会長は京都帝大出にして千日回峰行を満行した高僧・葉上照澄大阿闍梨です)。出家僧侶の修行というものは、伝統的な宗教でも生死の境のなかですることもあるのですから、かの教団も修行は命をかけるものなのだから、亡くなったら亡くなったで、ちゃんと届けておけばよかったのに、、、と思います。そうすれば何の関係もない人たちが犠牲になることもなかった。。。

 

私は、権力妄想などは、全くありません。「愛と平和」で暮らしたいと思います。私は、親族からは「ラヴ&ピース馬鹿」とか「愛と平和を愛するおじさん」とか言われております。

 

でも、真面目な話に戻すと、こういう「安処」な人生の裏には「苦悩」があります。幸福な人生を会得するには、「尋・伺」の三昧を越えて、「不苦楽」の境地まで行くことが必要です。

 

しかも、こうすることによって普通の社会生活、つまり仕事がはかどるのです。
 

もともと、苦悩でもがき続けていたのに、私が魂の歓喜へ覚醒した方法の一旦をご紹介しました

 

(谷本真邦)
 

※ここでは主に仏教について書きましたが、私は基本的に「超宗派」です。なんでも学ぶのが好きな私は、この春学期に日本宗教界(日宗連)のトップの尊敬する先生のすすめで、國學院大學の神道講座を受講し修了させていただきました。ご皇室のご台臨の光栄にも浴し、記紀だけでなく延喜式・中臣祓等の資料等も勉強させていただきました。古文・漢文等も得意でしたし、古文書を読むのも好きなので、大変貴重な学びになりました(私はもともと理系から文系に専攻を変えた者ですが、子供の頃から、古文・漢文をやっておいて良かったと思いました。よく学校の勉強なんて社会で役に立たないよーとか言いますが、どこで役に立つかわからないので、豊かな人生を送るには、やっぱり学校の勉強は大事ですよ!)

 



 

前回、宗教的なことを、肯定的に書きました。

 

もちろん今話題になっている旧統一教会を肯定しているわけではありません。ただ国会議員事務所などに送ってこられる新聞や本には、人権・平和など、めちゃくちゃ良いことが書いてあります。もし、先代の笹川良一先生が、私が学生時代におっしゃっていたように「言っていることと、やっていることとが違う」ということであれば、やはり道義上の問題はあります。

幹部の方がどういうお考えなのかわかりませんが、被害者が今でもいるならば、末端まで教育してもらわねばいけませんね。

ただ、団体の名前を変更したのは、文化庁が反対したのに、政治の圧力があって通ったかのごとき報道がありますが、これはないと思います。というか、民間宗教団体が、書類上の不備もなく「名称変更させません」という文化庁の方が違法です。

政府が、信教の自由が保証されている宗教のみではなく、あらゆる民間の団体や法人に、政府が恣意的に「おたくは信用がないから、何かをするのはNG」「昔、悪いことをしたことがあるから、何かをするのは、永遠にNG」というのは、そっちのほうが問題です。そういう意味では、(被害者には申し訳ないですが)会長の外国人特派員協会の記者会見は、法治国家の運用に対する話としては、まともなことを言っています。強いていうなら「昔も今も霊感商法はしていません」というのはいいすぎ!ということはあります(当人は信教のなかでの行為なので本人の意識がたりないのかもしれませんが、一般の感覚では、昔はかなり多額・多数の霊感商法をしてましたよね?、今は減ったらしいけど、、。知らんけど)。

だから、もし政治で行政を左右するなら、暴力団のように、むしろ反社会団体として、認定するしかないのです。

それが難しいならば、個人が、冷静に、霊感商法などに騙されないように、自己防衛するしかないです。

 

だいたいは組織的包括連携契約などを結んでいるわけではなく、「問題があったかもしれない団体」の「友好団体」とか、「問題があったかもしれない団体」に関与している「個人」から頼まれ、祝電を送った、イベントに出た、などの理由で、国家の人事に少しでも影響したならば、そちらの方が国家の一大事です。政治と国民の距離もどんどん遠くなります。以前も言ったように、宗教はもちろん、業界団体、文化界など、支持団体は数多くあり、関連団体も含めると、何の団体か、あるいは何処がバックなのか、わからないです。良い理念のイベントなら祝電くらい送ります。いちいち支持者に「俺の応援をしたかったら変な宗教に入っていないことを証明せよ」なんて、身体検査が出来るわけもないです。就職でも思想・信教で差別をしてはいけないんです。共産主義を目指す国や、革命を経ているためか「カルト認定」をすぐにやるフランスでは統制が厳しいんですが、アメリカや日本では自由が重んじられるんです。あと例えば、ある弁護士グループが国会の事務所にチラシをまいたとしても、陳情・提言・議連の誘い等が山ほど来ています。そもそも、そのグループが政府に反対ばかりしているグループだと、与党は流してしまうこともないとは言えません。それとこれは良いことではないかもしれませんが、政治は、実業の世界と違い、公平性が求められて、AとBという考えがあって、片方のグループが「これが正義だ」と言われても、そちらの提言だけをきくことはできないのです。強いて言えば、契約がない分、人情の貸し借りの世界はあるので、普段から親しい人(つまり選挙で力になってくれる人=当選など自分の利益のため、というより、選挙=世論という理屈です)なら、力にならねばと思っても、普段選挙の邪魔をする人が、なんか言ってきても、流してしまうことは、正直あるでしょう。内部の者から言わせると、官報に乗った裁判で刑事犯罪で有罪になったことがある者(つまり前科者かどうか)とか、公安から調査対象にされている団体も含め指定暴力団など反社会団体と認められた者、、、以外はわかりません。逆に信教で、政治に参加することから、排除するほうがヤバい。

 

でも、こういうことを書くと女性の友人などから「貴方は共感力がないわ、、、」とか言われるのですが、私は共感力はある方だと思います、、、。どちらかというと、マスコミ偏向報道に対して、共感していないだけ、と自負しています。ネットの世界では、政財界・文化界についての噂は、一部を除いて、嘘も多いんですが、マスコミはきちんとした人脈や取材力があるので、ぜひちゃんと公平な記事・番組作りをしてくれればうれしいです。

 

 

まぁ個人的な話ですが、わが「世界連邦」は、当然、統一教会とは全く関係がないのですが、名前に「世界」とあるので、間違えられることがあって、困っております。これは迷惑です。


ただ、この世は、宗教も、科学も、正しいかそうでないか、

あるいは、事物が、善なのか、悪なのかは、

本来、ないのです。

ニーチェも「この世には真実は存在しない、存在するのは解釈だ」と述べています。要するに善と悪とを断ち分ける必要が生じます。これが政治(立法)です。

私は実は物理で将来を嘱望されたことがありましたが、どんどん新たな発見で変わっていくので、正直自分はあれもこれも関心があるので、自分には向いていないな、ライフワークではないな、とやめました。

それで、「解釈」問題を、時代背景をベースに好き勝手に語っている、思想史などを、大学を転々として、学んだり、教えたりしつつ、世界連邦運動をすることにしました。子供のころから、今生は、世界を平和にしたい、という目標をもっていたからです。
自然科学をやりたかったのは、その世界の真理を求めてみたかったからです。「人には、宇宙の真理は理解できない」というのは、科学者ならだれでもしっている原理ですが、あらためて学ぶと、それが実感として、よくわかってしまいました。


また、どうせわからないというのなら(不可知)、「カント以前の学問」と言っても良い、宗教も、関心を持ちました。

しかも宗教は、人を幸福にするためなら、存在しても、信じても、良いのでは?と思うようになりました。


少なくとも、大世界(大宇宙)の中で、地球も人間も、ケシ粒のような存在ですが、それでも「自我」は絶対に存在します。

これを書いているのも、私には自我があるからです。これは理論ではなく体験上自身のなかで証明できています。

 

梵我一如が「真理」という考えもありますが、少なくとも、肉体・脳・神経伝達物質がある以上、他人が苦しんでいても、自分は幸福っていうことがあります。

それが観念上、真実かどうかとか、良いか悪いかとかは別にして、自と他が、現実に表れている「実相」として存在していることは、間違いありません。だから、自と他を区別したり、救済したりすることは、必要なんですね。

有機物でも無機物でも、ある刺激を認識(Recognized)すれば活動はします。

ウィルスだって生き残るために環境適合します。下等生物であっても、光合成をしたり、脳が発達していない小型の生物でも、潰そうと思えば、必死で逃げます。

ただ人間など生物が進化していくと、単なる認識にとどまらず意識(Consciousness)を持ち、協働作業をするようになります。

さらに人間は、環境に適合しながら移動しつつ、行き当たりばったりの狩猟採取生活から、農耕や定住建設など計画的生活をするようになり、まだ見ぬ未来を予測したり、脅威でもあった自然を鎮めるために、なんらかの自然を崇拝するというストーリーを作りました。これが宗教の始まりです。人が霊長類といわれる所以です。

また近しい人との別れを悲しむことも理解し、この中で宗教は発展しました。

しかし、この自然の中の崇拝対象というものが、単に人間の妄想なのか、本当に創造主が存在するのか、あるいは本当に3次元物質は創造主が作った仮想現実なのかは、しりません。

いずれにせよ、プリグラムの論文などを読めばわかりますが、その可能性はあり、まだ、わからないのです。

だから、わからない以上、「この世は創造主が作った物だ」、「目に見えるものが全てではない」、そして「神仏がいて守ってくれ天国や極楽浄土もあって救済される」という教えがあった方が、

 

「死んだら無になる」というより、生きている人の苦しみや悲しみは減ることだけは事実です。

天国に行く、極楽浄土に行く、輪廻転生をするなど、死後どうなるのかは、誰にもわかりません。

少なくとも、死んだら全て「無」、とか、地獄へ落ちる、などは、考えるだけでもしんどいので、信じないようにしています。

わからないなら、悪くなるより、良くなると考えておいた方が良いからですね。

 

私は、魂は永遠だと信じています。

さて、国家なども宗教なども、歴史をたどれば、ホモサピエンスは先述したように、元々一つですが、定住をするようになり、民族や文明が生まれ、そこから国家や宗教が生まれました。宗教はそのなかのフィクションかもしれませんが、私は素粒子の波動への感度の高い人が霊力が高い人だと思っていて、アセンデッドマスター・教祖として、誕生したと思っています。

そして、このなかの人類史のなか、ある一定期間に営まれたものの結晶が、伝統文化なのです。

日本もそうです。記紀をもとにして、2700年弱前からの歴史を大事にしているという解釈です。5万年前からの伝統を大事にしようとすると、日本の概念が崩れます。でもそれでも良いです。

例えば私の谷本家だって、昔のことは知りません。「数世代前までの」ご先祖を敬っているだけです。5万年前の先祖のことなどわかりません。だから愛国心は、郷土愛として、今の人間の自我に訴えかけるものなので、大切にしたいわけです。

極論を言えば、大世界(大宇宙)にとって、地球が持続可能かどうかとか、平和になるかどうかなど、大きな意味はないかもしれません。

地球に世界連邦を作ろうがどうしようが本来無意味です。

また「歴史に名を残しても」隕石でも当たって、人類がいなくなれば、アレキサンダー大王も、カエサル皇帝も、秦の始皇帝も、チンギスハンも、ナポレオンも、家康も、ワシントンも、ガンジーも、ぜーんぶ消えてなくなります。

 

ただ、今生きている自我がある人間、そしてその人間が大切に思う国や郷土文化を、簡単に殺し、破壊し、苦しみ・悲しみを生む、戦争・紛争をやめさせるために、「善悪の無い世界」に、世界法を作り「善と悪とを建て分ける」ことは、やはり欲しいのです。これを命題に生ようと思ったのです。だから世界連邦建設を目指しています。

 


そういう考えから、私は、大学を転々として、会社を作ったり売ったりしながら、(あるいは一旦引退して)仕事を非常勤のみにし、世界連邦運動なんかをしています。

もちろん世界連邦建設という「直球」が、本当の目標ですが、国家主権社会が当然となっている現代では、なかなか理解されないため、国会・政府などの国家機関、国連などの国際機関などに関わって強化改革することが、とりあえずの目的です。
 

だから脱藩浪士の心意気です。

 

学問でも、原則私は独学者を自負しています。自分で稼いだお金と、仕事の時間を削ってでも、大学を転々としたのは、たまたま、大学に行くと、専門家や資料も多く、勉強しやすいので、東大や慶應や神戸大や外大に行ったり、芸大で教えたりしているだけです。(さすがに留学はまだ短期しかしていませんが、これは仕事が多忙であったためで、これからは、ちょっと長く留学もしたいと思っています。)

当然、年も関係ないです。いつでも学び、教え、働き、遊ぶというのが、私のモットーであり、実践しています。

看護が必要な子供と、介護が必要な老人までは、全て個人差だと思っています。

〇歳という単なる「数字」の概念も、あきらかな年齢差別であり、反対です。脳の一部がきちんと機能している限り、何歳からでも社会に貢献できる仕事はあるはずです。
だから社会を固定化するのは新卒採用・終身雇用・年功序列という18歳人生決定論が大嫌いです。これは、いつもここで書いていることです。

だから、私は肩書などは、元来全く求めていません。所詮ケシ粒以下の人間が作った社会制度のランクなど魅力はありませんし、興味もありません。


ただ、この現代社会の中で、生きていき、人と交わるためには、嫌でも社会に飛び込まねばなりません。

だから起業をして「お金」を稼いだり、政治の周辺や大学教授などの「肩書」をいただいたりして、何者なのかを名乗れるほうが、勉強したり、仕事をしたりして、権限を持っているほうが、社会に貢献するには便利です。

こうして、社会組織の一員として、混ぜてもらっている所以です。

だから、組織の専任の仕事はこばんできました。自主・独立か、組織に所属するなら非常勤・兼任が可能な契約のみです。

ただ、そんな人生を送っている私でも、実は良く働きました。
 

一時は、睡眠2時間しかとれなかった事もあります。

 

起業し、学校へ行き、遊び、社会活動をし、、、などです。

趣味(一部プロもしましたが)も、音楽、パーティー企画、スポーツ、乗物、女性とデートすること(昔の事です・・・)など、いっぱいやりました。

 

もちろん、これらが出来たのは、様々なまわりの助けと、ラッキーだったことが、もっとも大きな要因です。

これには、本当に感謝しています。

 

ただ、こんなによく働くことができたのは、私のなかにも理由があります。

 

一つは、この世は仮想現実であれば、全ては神から遣わされて、地上に遊びに来たと思うようにしています。

仕事はもちろん真剣でしたから、ただその分、めちゃくちゃ疲れるし、失敗したらどうしようと不安に陥ったり、色々ありました。でも、そのなかで、人生は、遊び、ゲーム、だと気付きました。「これは遊びだ。これは仮想現実だ。クレームを入れて来るお客さんもゲームのキャラクターだ。」と思うようになりました。

ふざけているわけではありません。ゲームでも、適当にやらないですよね。オリンピック等のアマチュアスポーツの選手も、わざわざ、やらなくても良い苦しいことでも、限界に挑戦して真剣ですよね。それと同じです。

次には、目標を細かく分けたことです。これは経営学の講義でいうような、計画を逆算で立てろ、というようなことではありません。

ケシ粒以下の人間なんて、そんな大層な意味を求めると、しんどいです。どうせ遊びなのだから、今現世の目的を、世界平和を目指すゲームにしようと設定をしました。もちろん世界平和の達成や、世界連邦の建設は、今の社会の常識とは違うので、簡単ではありません。でもロールプレイイングゲームは、難しい方が面白いし、ゴールまで攻略できなくても、ある程度進めば、それはそれでよし、とすることにしました。


それと将来目標だけでなく「今、すること」です。

「只、即今当処自己」「Be Here Now」です。
 

ゴールに向かう方法は、わかりません。でもなんでもやってみて、だめなら軌道修正します。

 

以前にも書きましたが、東京から大阪へ向かうのに、歩けばいいのか、自転車にのれば良いのか、車に乗ればいいのか、電車にのればいいのか、飛行機にのれば良いのか、わかりません。歩いていたら全然進まないなら自転車にのれば良いのです。また仮に飛行機のチケットをとれて一気に行けると思っても天候が悪く欠航になったら全くすすみません。では新幹線に乗るかと、変えれば良いんです。
ただ目標地点がなければ、どうすればよいかわからなくなって道に迷います。目標地点があれば、早かろうが、遅かろうが、近づきます。

到着しなくても、名古屋まで来れた!「これが私の人生だった」とある程度「納得」できるのです。この納得が、善の解釈につながり、結果、幸福な人生となるわけです。

 

あと、私は基本的に怠け者です。しかも、ほおっておけば、すぐ、よいっぱりになって、夜更かしします。これは保育園児時代からそうでしたから体質です。

仕事が多忙な時は「朝は早く起きて働くべき」と、無理して睡眠時間を削って働きました。夜、遊んでも帰宅せず、オフィスにもどりました。仮眠して早朝からはたらきました。しんどかったですが、それはそれで、体力があったので、耐えました。

私の秘書は体調を崩して、本人は「なんとか谷本社長について行かせてください」と言ってくれましたが、親御さんからの反対で辞職しました。

かくいう私も、2か月に一度くらいは、39度の熱が出てぶっ倒れてました。でも、それでも「気合じゃー」とか言って、休まず働きました。「寝込んでいたらますます熱は上がる、働いていたら熱も下がる」とかうそぶいていました。まぁそんなことをしていたら悪寒で本当にぶっ倒れて病院送りになってしまったりもしましたが。
(しかし不思議なのは、コロナ禍になって以降、この二年半、ワクチンの副反応以外では、一度も熱をだしていません。出したら働けないからです。でも、ちょいちょい検査を受けていますがいつも陰性です。やっぱり病は気から、ってあるのだなぁと思います)。

でも「朝は早く起きて働くべき」と考えてた私は、アポイントが無い時など、ときおり寝坊をしてしまいました(と言っても、夜中の三時くらいまで仕事をして、九時くらいまで、寝てしまう、というような感じです)。
その時、昔は「こんな寝坊をしてはいけない、俺はなんて怠け者なんだぁぁぁ、、、」と、ずっと自己嫌悪に陥っていましたが、そんなことで悩むのは、やめました。

三島由紀夫先生だって、夜中執筆して、昼はずっと寝ているということを知っていたので、「人をすっぽかしたわけではいんだから、なんでもいいや」と自己肯定することにしました。

また、疲れてやる気が出ない時には、なんでも「少しづつ」を心がけていました。

 

精神的に参っている時に、何か別の仕事をやらねばならない、ってことが入ってきても、当たり前ですが、やる気が起きません。
私は携帯電話やSNS、メールなどが苦手です。

発売当初自分だけが持っていた時は、得意になっていたり、携帯にメールが乗ったときビジネスに使うために、コードを書いたりしたくらい大好きでしたが、、、。


それは、会社経営時、電話が鳴ったり、メールを開くと、ほぼ間違いなくトラブルでした。出ないと仕方ないので対応していましたが、、、。これがいまだにトラウマになっています。

たしかに社員では対応できない難題もありました。
「○○で損失が出たから、〇日までに資金を用意してください」とか、世に言う「怖い人への対応」など、大きな問題もあり、それはそれでヘビーでしたが、意味不明なクレーマーが「社長を出せ」と怒鳴っている、など総務部マターの問題まで、ひたすらトラブルでしか電話がかかってきませんでした。


もちろん会社では、良い話も一杯ありましたが、これはせいぜい支店長、課長、部長、本部長止まりで、社長にあがってくることは、ほとんどありません。後日書類で上がってくるだけです。


だから携帯とかメールなどは、一種の恐怖症になったんです。

でも社会で活動する以上、今でも、どうしても対応しなければなりません。
でも、それに対応するには、やはりやり方があります。これは、他の怠け心にも使えるテクニックです。
 

それは、やはり細かく分けることです。


まずは

①デスクに座ってみよう、、、。と思います。
座ったら

②スマホやパソコンを開いてみよう、、、。とやってみます。
そして

③メールを見てみよう、、、。と開くのです。

こうして、一つ一つやっていくと、だんだん心理的に興奮作用が働いてくるので、、、

気が付けばメールに返信し、さらに書類を作成し、アポイントを入れて人に会って、、、

 

と、気がつけば問題は解決したり、人生の扉が開いたりしていきます。

 

「メールを見てみる」など、一見日常の小さな話ですが、この中から、やりたいことが見いだされ、勉強をして、いわゆる偉い人に厚かましくつきまとってでも協力を依頼し、ひとつひとつ実現していきました。

また同時に「こいつ使えるかな?」と思われれば、政財界文化界の方からも、あらゆるお誘いが来るようになります。

 

ただ、この中で人脈を築く際、ギブ&テイクとか、お互いのメリット、云々は考えませんでした。もちろん、はじめは、単に名刺交換しても仕方ない、、、相手はどう思うか?とか、相手にメリットがなければ相手にされない?、、、とかは考えましたよ。

でも、そんなこと考えても、相手が政財界の大物の場合、若造が、かなうわけがありません。だから考えるのはやめました。

 

そのため、基本ギブ&ギブだったりします。

だけどそうこうしているうちに、テイク&テイクだったりするようになったりもしました。

もちろん仕事である以上リスクは考えますが、やらねばならぬ、と思うとそれも関係ありません。そのため、世界連邦運動に専念するために、会社から引退するのに、資産や権利関係を整理するのに何年もかかったり、大変だったこともあります。

だから、また会社を起業して、活動資金を稼ごうとも思っています。

ただ、一つだけ言えることは、リスクとか、メリットとか、つまり自分が得するように考えるとか、相手が得するために無理に相手の要望に合わせる、ということは考慮することがなく、「世界社会文化に貢献することだから実現したい」という想いだけで、行動しました。

得をしても損をしても一喜一憂はしません。7転び8起きしながら、生長すればいいと思っています。

 

結果、私は、10代から、音楽家になったり、プロデューサーになったり、大学を転々としたり、起業家になったり、会社売買をしたり、世界政治運動家になったり、大学教授になったり、、、と色々な事が出来ました。会社といってもサークルの延長のようなものから、天下りを受け入れ、ほとんどの部下は年上、全国展開・海外進出もし、登録アルバイトも含めて2万人の会社になりました。

 

現代は(私が起業家をしていた20世紀~21世紀でさえ、ドッグイヤー=犬の一生のように早く進むこと、とか言われ)時代のスピードが速いです。オーバーナイトセンセーションだって可能です。

 

その早い時代のなかで、私はあらゆる仕事を掛け持ちしてきたので、例えて言えば、人込みの中を、最新の注意を払って、高速で車を運転しているような感覚で生きてきました。

 

だから一日が長い長い。一年も長い。「もう今年も夏だ、、、早いねー」とか言う人がいますが、私は「まだ夏??お正月なんて前世のように昔のこと」に思います。



でも、はじめから、頭の中で、あれもやらねば、これもやらねば、、、と考えるだだと、頭がパンクしてしまいます。

暇にしていると、悩みが反芻されるだけです。

行動力の無い人を見るとこのタイプがとても多い。

それもあって、私は、スマホでも手帳でも、なんでも良いから「書くこと」で、一旦頭から抜きます。

反芻を繰り返して悩まないということに加え、無駄なことをすっかり忘れて新しい知識を入れることができ、便利です。

まぁ、語学の単語を忘れるのだけは、ちょっと痛いですけどね。第二外語のフランス語や、モンテネグロ政府の外交アドバイザーの仕事をしていた時に覚えたモンテネグロ語なんて、全く忘れてしまいました(基本、元々東側だったモンテネグロでは、外交官を除いて、英語を話す人も、少数だったので、通訳官がいたのですが)。

日本語(たとえば固有名詞)や、英語だって、使わねば忘れます。英語で会話が弾んでいるときは英語で話せますが、同時通訳の訓練をうけていないので、パッと「これってどういう意味?」、なんてと言われると、「うっっ!?」となります。

前記の理由で、私は基本的に携帯電話には出ませんし、メールの返信も遅いです。これは先ほど書いたように、一旦手帳などに予定を移してしまっているので、相手がかけてくる用事も、あえて頭から外しているため、(相手からすれば、自分の専業なので、わかってて同然という用事なんでしょうが)こちらは、いくつもパラレルで仕事をしているので、相手が何かを話しだしても、こちらは何の話なのかよくわからず、即答できないことが多い、というのも理由の一つです。



それと、私は仕事もふくめ、いつでも瞑想状態で生きるようにしています。三昧(サマディ)の世界です。

だから、一個の仕事をしている時や、他人と会合をしている時など、その時間を切り裂いてくる携帯電話には出ないことにしています。


問題を、なんとか解決しようと集中している時に、まったく関係のない用事が割り込んでくると、解決するものもできないようになってしまいますので、あえて出ないようにしています。


もちろん、緊急時なら、何度もかかってきたり、ショートメールなどをいれてくれるので、わかります。
でも会社社長でなくなった今、だいたいは、後で確認しても大丈夫な用か、(ちょくちょくコミュニケーションを取らないタイプでギリギリまで成果物をださない私のせいなのですが)心配症の人が確認をしてくることが、ほとんどです(だいたいは確認されずともやってはいますが、まれに本当に失念していることもあるのでそれはそれでありがたいです)。

昔は、秘書たちが、対応してくれていたのですが、今はずっと私に付いている人がいないので仕方ありません。
これらは、決していい加減な気持ちで、後回しにしたり、優先順位をさげているわけではありません。
これは、これもあれもやってしまう、私の性分のなかで、精神衛生を保つためなのです。


書き物を頼まれることもありますが、どんな記事でも、本でも、校正が入ります。

私の会社は、以前編集プロダクション部門もあり、私も有名人のライターをしていたことがあったので、知っていますが、締め切りが遠ければ遠いほど、何度もやり直しをします。でも間に合わなければ、校正の数は減ります。

そのため私は原稿は〆切ギリギリに出します。なんでも早い方が、他人がチェックがじっくりできるので、クォリティーの高い物が出来るということは、わかっていますが、私は、とりあえず仕事量が多いので、やむを得ず、ひとつひとつ仕事をこなさせていただくので、何度も修正をするということは、二度手間、三度手間になるので、申し訳ないのですが、〆切ギリギリに納品しています。

 

あと、自分が出来なければ、優秀な人が手伝ってくれるということも知りました。起業家時代、プログラミングなどは、学生風情の自分などよりも、優秀な人がいくらでもいます。

 

起業をしたとき、ある程度は、理念はもちろん、経営計画策定・財務・人事・営業・技術・現場運営など、基本的には、なんでも出来たのですが、例えば、まったくコンピューターに無知なふりをすれば、自分より優秀な人が、自分の考えたビジョンに向けて、どんどん仕事をしてくれます。社長の自分が下手に、しゃしゃり出るより、よほど良かったです。しかも技術は、どんどん発展します。その時々の最先端の人にやっていただく方が、その方のやりがいにもなります。

逆に、ビジョンをきめることに加えて、運と直感の良い利点を活かして入札見積もりの策定、人脈の活用など私の個人的信用でしか出来ないこと、などを中心に、仕事をしました。あとは制作などは任せました。

こうやって、仕事を分担すれば、逆に、自分も、振った人の仕事の承認・確認などをしなければいけなくなります。

もちろん他の人がそうであるのと同じく、仕事を振った自分も、確認をしたくなるものです。

また人脈を活用するならば、相手がいることなので、外的要因によって強制的に、怠けていられなくなるわけです。

 

怠け者でもそうしていると、仕事も嫌でもやらないといけない。

また嫌でも、、、という考えはやめて、どうせ遊びなので、「楽しい」「面白い」と嘘でも考えるようにしています。すると本当に楽しくなるものです。

「仕事が好き」というのは、本当に幸福なことです。

遊んでいて批判されることはあっても、仕事をしていることを批判する人は少ないです。

特に社長や政治運動などのリーダーは労働基準法にひっかからないので便利です。

 

私のかつての会社の理念の一つに「まず行動、、、」という文言がありました。

結果的に、当初「仕事が遅い」と言われることもある私は、結果「人の何倍もの仕事量」をこなせていますし、世界に多くの人脈も増え続けています。

 

つまり、人の何倍も多くの人生経験をさせてもらってます。いやぁ幸福です。

これは、使えるビジネスにも有効なテクニックです。

世界連邦
谷本真邦

 

 

 

 

先述したように、私は魂は永遠だと信じています。尊敬する安倍(元)総理の御霊にたいし哀悼のまことを捧げます。

とても重い持病を抱えながら、国家のため、世界のため、常に頑張っておられた総理におかれましては、これからは辛い肉体的制約から解放され、ゆっくり日本や世界の平和を見守っていただければと思います。本当にお疲れ様でした。RIP.

 

 

 

※追記。

ちなみに安倍総理の国葬について一部弁護士先生も含め市民団体などが反対し法的な措置をしています。戦後、法律からはずされたためだ、ということです。もちろん、反対することは自由です、、、。

ただ私個人は市民団体とは親和性があるのですが、ことこのことについて私個人の意見はどうかというと、、、。

 

①まず法律について、弁護士先生だからわかってやっているのかどうか、、、。内閣府設置法に内閣がつかさどる事務として儀式があり、国葬はこれに含まれると解釈できるので、閣議決定をしているならば、合法です。吉田茂総理の前例もあります。国家神道による葬儀であれば、憲法に抵触する可能性がありますが、葬儀はすでに増上寺で仏式で安倍家がおこなっており、この国葬儀は、宗教的葬儀ではなく、外交儀礼も含めた「儀式」です。

 

②税金が(警備も入れると)莫大にかかるといいますが、国葬であれば、世界中に首脳・国家元首クラスを招待しやすくなる(逆に各国首脳側も行きやすくなる)ので、国際社会の中において、これほど他国からも追悼されている総理のために、世界中から要人が集まってくれるということは、日本の国益に大いに貢献することであります。

不謹慎ですが、もっと率直に言えば、外交で成り立っている我が国において、これほど大きな外交的行事はあまりなく、経済的効果は、とてつもなく大きいのです。支出に対する、経済効果ははかり知れないくらい大きいです。また警備の費用が莫大という報道も見ましたが、これは警察ですから、元々給料を払っているので、こちらで使わなくても、各県警で訓練をしているなど何かで動いている組織なので、特にあらためて国民の財産を余分に使ってしまうというわけではありません。

 

③政策的には、安倍総理に反対だった人もいるでしょう。超党派の世界連邦の活動をしている私には、それはよーくわかります。ただ反対の人にまで「喪に服せ」などと、国家は強制していません。共産主義の多くの国家では、思想統制があって、こういう場合「喪に服せ」と強制されるかもしれません。反対派がこれに影響されているのかどうかは知りませんが、我が国は、信教も、思想も、政治的信条も、心の中は自由です。喪に服したくない人は、国葬儀という儀式を無視すれば良いんです。

 

④憲政史上最長の総理です。総理の重責はものすごいものです。これだけでも国葬をする意味があります。大勲位の時のように、岸田総理もこの一点に絞っても良かったと思います。もちろん安倍総理の考えに近い人には、総理の業績は偉業で、それを称えたいという気持ちもあるのでしょうが、反対派もいるので、これを言うと、議論になってしまいます。最長というだけでその間にあらゆる業績があったことは後付けでわかります。

 

⑤選挙中の殺害というのは特殊です。これは皆言ってるのですが、現実的に響いていない人が多いと思います。民主主義は、いかに国民との距離を近づけるかどうかが重要です。はっきり言って警備には「結果責任」はあると思います(特にあの映像だけをみれば)。ただ選挙というのは、国民の中に入って行って、自説を訴えて選んでもらうものです。だから「隙」は、いくらでも出来ます。選挙中は、いつでも大物政治家に近づけるんです。その中で凶弾に倒れたというのは、通常の執務中に襲われた以上に、「民主主義への脅威」として、大きな意味があるのです。安倍総理殺害は、国葬をしても良いくらいの、民主主義国家の根底を揺るがす出来事でした。

 

以上にあげたことだけでも、国葬に反対するべきではないと思っております。

 

 

 

 

参議院選挙があり少々多忙な日を送る中、世界連邦日本国会委員会会長・衛藤征士郎・自民党外交調査会長が最高顧問を務める自民党清和研(いわゆる安部派)会長の、安倍(元)総理が暗殺される、という衝撃的な悲劇があって、かなりメンタルが落ち込んでいました。

 

もちろん安倍総理は、本気の愛国者の保守政治家ですから、革新系の人は、政策や、長期政権から来る歪などに、反対派だった人も多いと思います。

 

私の世界連邦は、国家を超えた地球規模課題を解決するのが目的ですから、国内では超党派・超宗派・超学派ですから、そこは色々な考えがあるのはわかっています。

 

しかし、私個人としては尊敬しておりましたので、

安倍総理のご冥福を祈るとともに、御霊に対し、つつしんで哀悼のまことを捧げさせていただきたいと思います。

しかし、私は「魂は永遠」であると信じて、これを乗り越え、世界平和へ向かっていかなければならないと思います。

 

しかし、超党派の世界連邦、、、というより、個人的な思いとして、安部総理には、世界連邦の中東和平プロジェクトなどでお世話になりました。

夫人にもお世話になりました。しかも「世界連邦に入会をするのは総理を退任してからね、、、」と仰っていたので、先日の世界連邦国会委員会総会で、細田衆院議長・菅(前)総理とともに顧問の就任依頼をしたばかりの惨劇でした。

安部総理は、憲法や経済(アベノミクス)など内政が注目されてますが、私としては、欧米はもとより、未来の重要なパートナーであるインドにも太いパイプを作って「自由で開かれたインド太平洋戦略」構想を実現し、さらにはアフリカや南米にも力を入れて、日本や世界の未来に大きなくさびを打ち込まれました。また日本ともめがちな中国・ロシアの首脳も友人、という余人をもって代えがたい世界的な政治家で、(天才外交官と言っても良いほどの)首脳外交のエースだったと思います。

これからは世界連邦運動に、ぜひご参加いただきたかったです。そして本当は、国連でも、政府でも良いので、「特使」など公的な肩書で、世界平和に関与していただきたかったです。実際に総理に「国際的な、ある大仕事」を、総理の友人で大支援者を通じて依頼したこともありました。まだ「日本の政治家」として使命がある、ということで実現はしませんでしたが。。。

また、官邸主導=つまり議院内閣制・民主主義を、きちんと進められた、という功績もあると思ってます。官僚の方々も「権力が減った」というより、はっきりビジョンを打ち出され、仕事がしやすくなったと考えていただければ、いいなあと思っています。良い意味でも、悪い意味でも、総理の責任として国民は映っていたのですから。

 

銃撃されて亡くなったのですから、少々不謹慎かも知れませんが、最期には自らが遭難された際、かなり遠くまで飛んで行った流れ弾が、誰にも当たりませんでした。私は、これが単なる偶然ではなく、災難を自ら一人で受け止められた安倍総理のご人徳としか思えません。

 

それに安倍総理が、亡くなった奈良県橿原市は、皇祖天照大神肇国「天壌無窮」神勅を得て瓊瓊杵尊が天孫降臨されたのち、初代神武天皇が東征をし、「建国大業(都経営・宝位即位)」をされ、「八紘為宇」のご詔勅を出しされた、日本国発祥の地です。

 

なお、ご詔勅は「上則答乾霊授国之徳、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、掩八紘而為宇、不亦可乎」(上は則ち乾霊の国を授けたまいし徳に答え、下は則ち皇孫の正を養うの心を弘め、然る後、六合を兼ねて以て都を開き、八紘を掩いて宇と為さん事、亦可からずや)というものです。  — 日本書紀巻第三・神武天皇即位前紀己未年三月丁卯条ノ「令」・漢字については諸説あります。


この意味は、どの民族も、すべて世界は一家であるという意味です(一帯一路=華夷思想でも、パックス=帝国主義など、世界を征服しようというのとは全く違う世界政府思想です)。これは私個人にとっては、世界連邦の思想そのもの。(史実の真偽はともかく)元々日本の精神ですから、我が国が世界連邦を率先垂範すべきだと思っています。

 

また奈良は安倍総理を尊敬されていた高市先生の地元「やまとのくに」でもあります。

 

この地で、亡くなられたということは、愛国者の安倍総理としては、何かの大きな因縁を感じます。

 

そういう意味も含め、いろいろな意味で、ほんとうに残念で仕方ありません。

 

警備については、結果責任ですから、甘さを言われるのは仕方ないですが、実はあの日、奈良県警が銃の実弾を紛失した不祥事がかつてあり、でも結果的には配布していなかったという記者会見の予定の準備があって、そのなかで急遽決まった総理の来訪で、対応が遅れてしまったということがありました。非常に残念です。

また自民党の予測は本当に正確です(大手メディアより正確です、余裕のAとか、B+(プラ)、B-(マイナ)=このあたりがギリギリです、その後落選ラインとしてC+ ・・・とかで出るんです、スキャンダルが出て、突如ダメになったと判断された候補のところ(今回は長野)に総理においでいただくわけにいかない、という県連の直前のご判断もあったようです)。

茂木さんも同じ場所で応援演説をされています。だから普通は大丈夫なのです。そのあたりも少し油断があったのかもしれません。もっと言うと選挙活動中などは、主権者の国民と接触するのですから、隙などは常に出来てしまいます。

後ろに選挙カーがあれば壁になるとか、簡単に言いますが、道路使用許可は、そんな急にとれません。主権者たる国民の仕事や生活の交通をさまたげるのですから、それなりの手続きと日数が必要なのです。まぁ、バス会社に協力してもらい、パトカーをとめるだけでも制服警官を配備しておけばよかったとか、後になれば何とでも言えます。それにどう聞いても、あの音は、銃や爆弾の音には聞こえません。発射音とは全く別ですし、爆弾はもっともっと大きな音だし、、、。しかも日本で銃撃などは久しぶりで慣れていないから、一歩遅れてしまったというのは、いなめないですが、特に急に駆り出された県警の人が大きな音がしたからと言って「あの超VIPの安倍総理を、怪我をするかもしれないが、突き飛ばして伏せさせて」守る、という米国型のシークレットサービスのような反応が出来るわけがないですし、それでも、銃を持つ相手にとびかかる人がいたり、カバン型の盾をもって総理の前にたちはだかったりされた方もおられました。それが仕事とはいえ、そんな命を捨てる行動ができますでしょうか?だから、総理の死はあまりにも悲しいですが、あまり特定の警察官たちの落ち度は、せめたくはないです。

 

私の直系の曽祖父は内務省時代の警察官僚で北海道の函館で警察を整えた人物でしたから、現在も警察関係の知人は多いです。でも警察の肩を持つわけではありません。

余談ですが、そんな関係で、私は関西出身ですが出生時の本籍は北海道です(現在は東京都に移しました)。

 

むしろ、これから、警察の警備があまりにもうるさくなり、しょっちゅう職務質問されたり、米国みたいに政治家には特定の支援者しか近づけないというのは、民主政治家と国民の距離を遠ざけていくので、避けて欲しいです。

 

テロ後、国連NYビルの警備も、やたらとうるさくなりました。コロナ前ですが、グラウンドパスという入館証の期限が切れると、申請が難しくなりました。NGOだと一団体の人数もほんのわずかですし。

ちなみに、犯罪が減って治安が良くなるのは独裁国家です。ナチスドイツやムッソリーニ政権下では、ギャングもマフィアもいなくなり、街の治安がよくなりました。あたりまえです。政府・警察権力が増大し、ゴロツキは突撃隊や黒シャツ隊に編入されて使い、政権に批判的であろうがなかろうが、なんでもかんでも保護拘禁と称してバンバン逮捕した自由のない恐怖統治があったからです。わずか一人のおかしな人の犯罪がきっかけとなって、そういう恐怖政治的な「治安の良さ」になるのは怖い。

本来は、警備をうるさくしなくても、自由に安心に暮らせる社会であってほしいですね。

だから、昔は特定の極右・極左・暴力団など公安が見張れるような団体が特定できたのでまだマシでした。でも一見ごく普通の個人がテロをするのは勘弁してほしい。国民全部が治安の脅威になると本末転倒です。

 


なお(旧)統一教会(敬称略 家庭なんとかさん、というとややこしいので、文字通り、統一教会で統一させていただきます)については、笹川良一先生らが主導して、日本に関連団体の国際勝共連合を招き入れたので、岸総理などとのご縁もできたのは事実ですが、笹川先生からは「創設者と方針が合わないから縁をきった」ということを、私は学生時代にお伺いしました。

勝共連合については、米韓などの情報機関なども関与していたのが、公表されていますが、これは米ソ冷戦期の話です。もちろん昔のトップアイドル歌手の合同結婚式などが話題になる1980年代より前の話です。

 

 

もちろん「世界」とか「連合」とか「U(ユー)○○」とか、世界連邦や、国際連合と、名前が似てますが全く別ですので、お間違えなく、、、(※国連に関しては友好団体が、国連NGOとのことですが、国連NGOは数千ありますので、その一つです)。

 


この友好団体と称するUPFからは、私自身も、私の上司筋でもあった国連元高官にも講演依頼が来たことがあります。両方、多忙で受けられませんでしたが。

 

また別の機会には、一度、現役NYにいる中南米系の外国人の国連高官から頼まれて、国連NGOからの依頼があるから、聞いてあげて、と言われそのオフィスに向かうと、渋谷の日本の統一教会の本部でした。この時も、案外予算も、あわなかったので、幸か不幸か、関与はしませんでした。なんか報道を見ると、ものすごい金満団体のように思いますが、それは韓国の本部だけのことでしょうし、80年代の霊感商法ブーム時代に比べて、あきらかに現在の収入は減っているのでしょう。

 

統一教会について、霊感商法のお金のことで、批判する方もおられ、被害者がいるなら、何とかしないといけませんが、私は当事者ではないので、現段階では詳しく知りません。本気で信じて献金して幸福になっておられる方もおられるかもしれないので、外野の私が、とやかく全面的に批判をするのは、やめておきます。

 

統一教会ではないですが、事例として、うちの話をすると、母方の祖父は裁判官(のちには経済人や学者になりましたが、、、)から、予備応召された将校だった関係で、高野山(真言宗)に、私財をなげうって莫大な寄付をして、戦没者慰霊法塔を建立しています。

本来、私は相続人の一人でありますし、このお金の一部でも相続出来たら、大金なのでそれはそれでいいのかもしれませんが、こういうことをした祖父を尊敬しておりますし、全く良いことだと思っているので何の不満もありません。

父方の祖父も、伝統的な仏教の宗派で葬儀をしたとき、お布施と戒名があまりにも高いので驚きましたが、そのおかげで良い戒名をいただいたと、皆喜んでいました。

 

二世・三世が、苦しんでいるのか、幸福になっているのかは、人それぞれなので、軽々に批判できないです。

 

もちろん苦しんでいるひとがいるなら救わないといけないです。

でも安部政権では、霊感商法にも取り組んでたんですよ、、、、。クラスアクション=集団訴訟の概念で信者ではなく家族など第三者も訴訟できるようにしました。それに、消費契約法を改正させ霊感商法契約は取り消せるようにしています。これらの法は、霊感商法というものが「元来、商品価値は契約当事者同士が決めるものであり、信者が神聖だと思えば高額になっても合法取引」とも考えられます。そこで、この契約は霊感商法で勧誘された!だまされた!と「嫌になったら取り消せる」ことを可能にしたのです。この改正が、単に「消費者なんでも保護法」ではなく、「霊感商法に対応する物」を追加したものであるということは、役所でも解釈が公表されており、立法に向き合っている国会議員なら、わかっています(契約を取り消しうる勧誘行為に、元々あった不安を煽る・恋愛感情に訴える、不利益事実不告知などに加え、霊感と加齢による認知症につけこんものが、追加されています)。その総理を被害者家族が殺害するとは、、、。返す返すも残念です。

なんでこういうことを、誰も言わず、報道もしないのかなぁ。少なくとも私は報道で聞いたことはありません。もしも「霊感商法は合法だから対抗しようがない」とか「今まで霊感商法を、行政が放置してきたのが悪い」という政治家・弁護士・コメンテーターがいれば、勉強不足と言わざるを得ないです。この改正法を活用すれば、被害は取り消せるのです。

 

まぁ、われわれ日本人は、なんか一つのことを取り上げて、盛り上がることが好きなんですよね。

 

信仰は親に強制されるものでもないです。何を信仰するかどうかという自由は必要です。私は、宗教は心の平安や幸福を求めるためには本当に重要なので(大切な人を失ったときなどは本当に救われるのではないでしょうか、、、)、好きです。

 

ただ統一教会の、ちょっと違うかなぁ?という部分は三つあって(末端信者がしているだけとか、昔はそうだったが今は違うということなのかもしれませんが、、、)、

 

第一に、「原理研」「国際問題の学生サークル」、「国連NGO」、「不動産業者・水産業者・報道機関」などと名乗ったりして、「統一教会です」と堂々と言ってくれないこと

(このお陰で、誰が、統一教会の人なのか、わかりません。私だって学生起業家時代、若いのに大それた事業をしている、ということで、私も宗教がバックだと誤解されかけたこともありました。

まぁその他にも、少し目立てば、ヤクザがバックにいるだの、秘密結社の人間だの、根も葉もないことを、なんだかんだ言われていたので、慣れていましたし、仕方ないことかもしれません。

 

統一教会側も、かつて問題があっても、今良い事をしているというのなら、他宗教と同じように堂々と名乗れば良いのに、、、と思います)。

 

第二に、地獄に落ちるから献金をしなさい、そうしたら天国に行ける、という脅しを言われること

(自分だけではなく、家族も、、、先祖解怨ですね。幸福追求なら良いですが不幸を持ち込む宗教はいかがなものでしょう。実際私自身、東京大学でも京都大学でも神戸大学でも、聞いたことがあります)。

 

第三に、著名人が関与しているというアピールをして信用を勝ち得ようとすること

(やたらと政財界人や外交官などに近づかれます。これで総理は襲われました)。

 

ちょっと同会の会長さんの記者会見風になってしまったかしら、、、。


かくいう私、信仰心は、強いんです。朝起きれば、東西南北・天地の六方に向かって拝みます。生まれ故郷の方角や皇居に向かって礼拝もします。でも、そんな私自身、特定の宗教団体の信者でも檀家でもありません。

 

親類もいろいろで、祖父母までいれると、父方は仏教天台宗や神道系もいるし、母方には仏教真言宗(だから高野山に慰霊法塔を建てています)も神道系もいます。

 

自分の家の神棚の中央には、天照大御神(皇大神宮)さんのオオヌサをおいていますし、産土神は元春日(天児屋根命さん)で、崇敬神社・氏神さんは(天之御中主神/造化三神さん・龍神さん・お稲荷さんです)、尊敬する知人の神社からいただいたお札などもおいてありますし、もうバラバラです。実家には当然仏壇もあります。

宗派は、私は気にしません。むしろ、世界中の全ての神様仏様を信仰しています。「万教同根」「万教帰一」という言葉がありますが、宗教はもとは同じ一つのものだと個人的には思っています。

人類史によれば、ホモサピエンスも、一つの集団から始まっていると考えられているからです。グレートジャーニーと言われる気候変動によるアフリカから地球全体への人の移動・拡散、そして農耕・定住、文明の発展などの過程で、魂が「認識」の世界観から「意識」という世界観によって「想像」が出来るようになり、自然崇拝とともに宗教は発展したと言われています。

そのなかで、やはり神というのは、宇宙の真理だと思っています(つまり神仏や霊魂は素粒子の波動だと思っています)。一神教でも、天使や精霊がいるので、これを八百万の神や眷属と解釈するかどうかの違いだけです。

 

つまり(電磁派、素粒子の波動に対する)感度の高いシャーマン的な預言者(教祖)がいて、その人が得た直感を、これに学んだ信者が、その教えを整えていく過程で、変化していっただけと思っています。

だから今でもユダヤ教でもキリスト教でもイスラム教でも神道でも仏教でも、分派や、新宗教が出来ているのです。

 

しかも自然の理として、自分たちの影響力や勢力を大きくしたいと考えます。宗教団体も一つの「社会」ですから、これは国家も、政治団体や思想集団も、経済団体も、構造は同じです。

 

世界には、科学(健常者と呼ばれている人が、五感で感じられ、再現性があるものに限る実験結果をもとにしたもの)では、わからない物事が多く、一部で考えられているような「自分は、主神・創造主や、ハイヤーセルフ・守護霊が作った、仮想現実のアバターにすぎない」のだとすると、(意地悪な神様は少ないでしょうから)希望が持てますし、仮に(不慮の死も含め)寿命が来て肉体は滅びても、魂は永遠にのこる、天国や、成仏して極楽浄土にいけるかもしれない。鎮魂帰神や、梵我一如になれるかもしれない。

これらを信じると、死が楽しみなくらいです。

そういう意味でも、神仏を信じることで、生きてて辛いことがあっても乗り越えられます。

もし、これが妄想だったとしてら、死んだら、脳とともに意識もなくなり、無に帰すだけなので、本人にとっては「何も苦しくない」ということです。要するに「消えてなくなる」か、「あの世で生きつづける」しかないので、死はありません。

だから「信じる」ことは「救われる」のです。幸福追求には大切です。

 

いずれにせよ、政治に話を戻すと、「いろは」の「い」として「政教分離」とは、国民全体の代表たる政府が特定の宗教に肩入れするのが問題なだけであって、宗教が政治活動をしたり政党を支持したりするのは何の問題もありません。むしろそれを制限するならば信教の自由も参政権も制限されてしまいます。自由•平等•博愛で知られるフランスは革命を経ているせいか「新興宗教」にはとてもうるさいです。新興ならば、やたらと「カルト認定」をして、入国を拒否したりします。要するに「伝統宗教」の力や、「無宗教勢力」が、強く自由がないということです、これも、どうかなぁ?と思います、、、。

 

それに、世界で宗教戦争が起こるというのは、宗教が先ではなく政治経済が先です。宗教が政治に利用されすぎなのです。洗脳のプロの宗教が、政治に洗脳されてどうするの?と言いたいですね。

 

自民党と、統一教会が、なにやら深い関係にあるように言われてますが、幾人かの議員が支持されていたとしても、何百もある支持団体の一つに過ぎません。

有名なのは、かつてわかれた郵便局系、医師会/看護師会系、農協系、財界/業界系、士業系、神道/仏教/新興系など宗教系・・です。関連団体として、○○政治連盟などという名前をつけて政治活動をされています。

「メッセージを寄せた」なんて言いますが、政治家は多くの団体から依頼がきます。くればメッセージや祝電を送ります。だって主権者である国民の団体からの依頼なんだもの、、、。

実態は、そんなはっきりわからないです。かつては色々ありましたが「今は良い事をしています」という理念を言われれば、そうなんだな、と基本的に性善説に立ちます。

いちいち主権者の国民を疑ってられないです。政治家は、私たちを支持したいならば「身の潔白を証明しろ」なんて言えないです。

例えば暴対法は、法の下での平等という、憲法の大理念をゆがめてでも、わざわざ暴力団として特定の団体を指定したのは、これをはっきりさせるためです。

これ以外では、結社も、信教も、自由なのだから、選択などできません。

しかも私の知る範囲では、統一教会系は支持団体の中では、非常に小さく、それ自体は話題にも出ないくらいだと思います。おそらく、どの支持団体が少なくとも数十万票になるなかで、統一教会系はがんばって十万くらいかと思います。だから、そんなに影響は大きくないと思います。

 

いずれにせよ、儀礼的な祝電やメッセージを(多くの支援団体と同じようなものを受けただけのことを)ことさら取り上げて、統一教会が自民党や権力に大きな力を持っているとするのは、逆に誤解をうみますね。

繰り返しますが、宗教であろうが、組合であろうが、業界団体だろうが、自治会であろうが、主権者の団体である以上、政治家は、ある程度対応するのが常識です。むしろこっちの団体だけ祝電を送って、こっちの団体には送らないとなると、不公平になりますから。しかも「統一教会」と名のらなくて「国連NGOの平和活動です」なんて言われたら、知らないか、知ってても最近は悪いと聞かないようだな、と断りにくいです。

 

政治家の事務所には、あらゆる議連や団体からの依頼や資料がポストに入ってきます。

そのなかで、統一教会が話題になるのは(友好団体などの)国連NGOからの平和行事の出席依頼(これって統一教会系だっけ??という質問をたまにされます)、あるいは世界日報などの雑誌を勝手に置いていく、というくらいです。

 

むしろ、うちの世界連邦が、統一教会の関連組織と名前が似ているので、世界連邦の資料を、人に渡さないくらい慎重にならざるを得ません。

 

 

ここでマスコミが、統一教会の問題だけを騒ぐだけなら、今回の安倍総理暗殺犯の思うつぼです。

まず第一義的には悪いのは、犯人です。自分の関係する社会問題を、世の中が問題にしないときに、大きな事件を起こしたら関心が集まる、ということを証明してしまったら、治安は悪くなるだけです。

統一教会がひどいからといって犯人の減刑運動も発生しているようですが、これは政治的なものなのかもしれませんが、いずれにせよ冗談じゃないですわ。

 

少なくとも現代文明社会では、どんなに言論が頼りにならなくても、それでもしつこく言論運動や法の支配でやるべき時代です。

 

確かに時代を変えるには暴力が必要だった時代が長く続いています。

でも、これは良くないことだし、少なくとも日本では70年の三島由紀夫先生と、あさま山荘という、右左の両陣営の終結で、幕を引いたはずです。

 

統一教会に母親が信仰して家が傾いても、それは親の問題であり、自分が信仰しないならば、独立して生きれば良い。悔しかったら勉強して、安倍総理の作った改正法でも使って取り返せば良いじゃない。逆恨み?「甘ったれるな」と言いたい。

私だって、父の会社が傾き、ティーンの間から働きながら学校にもいったし、資産も自力で作りました。親の家計とは関係なく生きて来ました。

まぁ私は色々な面で幸運だったので感謝していますが。

 

あと陰謀論的な話というのは、「全くない」わけではないですが、曲解、大げさ、ということなんです。

 

こういうように、宗教に限ったことではなく、どこの政党でも、あらゆるジャンルの「支持団体」があります。利益団体・圧力団体などとも呼ばれて、政治学的にも、当たり前の存在です。

野党でも、基本的に、自民支持の農協を除いた組合系・障害者団体・環境保護団体などですね。

世界連邦では初代副会長の賀川豊彦先生(組合の父と呼ばれ農協・生協・労組・保険・信組など多くの組合設立に参加しておられます)の賀川豊彦関係団体連絡協議会に、小生は世界連邦を代表して参加させていただいており、ここでの人脈も強力です。これらの団体ももちろん票田になりえます。

 

ただ、選挙(公職選挙法)については、いろいろややこしいので、私は本当に気をつけています。

かつて「人材」関係の仕事もしていたので、「選挙応援の依頼、運動員手配の依頼」には注意を払いました。

合法ギリギリを求められたりするので、途中からは直接やるのはやめました。選挙の事前運動と政治活動の違いは、よくわからんですよ。

候補者と党首のポスターには、候補者とは書かずに弁士と書いて貼ったりとかは、有名ですね。


利益団体のボランティアとかも注意が必要です。自社の役員が選挙にでるからということで関係者をボランティアで駆り出す場合に、候補の政治団体側から見ると寄付行為になるとか、選挙運動員からすると、元々従業員なら給与が発生しているので運動員買収になるとか、本当にグレーというか、なんというか、、、。

 

選挙は金がかかる。だから献金による腐敗が起きる。~だったらお金をかけないように規制をしないといけない、、、という話になると支持団体のボランティアに頼らざるを得ない構造になります。

 

今は私は自分がオーナーの会社役員や、業界団体の役員からは引退し、政治運動家側なので、利益団体には所属していないので良いんですけど。しかも私はいろんな活動をしているので、ボランティアで期間中にずっと選挙運動をするのには時間がなさすぎますし、お金や親族が株を持つ組織を動かしたりすると法に触れかねません。だから慎重に応援しないといけません。なかりうるさいので、政治家以外の政治参加というのは投票以外では、本当に難しいのです。

 

公明党は創価学会さんが、ばちっとついておられるので、はっきりしすぎてるくらいです。

しかも本来労働者層は共産党などがとるべき票田ですが日本では創価学会さんがここを抑えました。共産主義はそもそも科学万能・反宗教なので、そもそも宗教とは考え方が違います。ただ、ある意味、共産主義の思想は、教義があるという意味では、宗教に近いものです。

私は、それでも、考え方が違う人たちが、共存共栄でき、みんなが安全に生活できるのならば、それでそれで良いと思います。

 

余談ですが、こういう団体の方々と親しくして、普段から政治活動の支援をお願いして応援していただくということが大切で、これがなかったら、政治家の先生からは相手してもらえません。選挙では先述したように法律が曖昧なので、団体に直接的に動いてもらうのには慎重になりますが、いずれにせよ選挙の時に何も貢献せずに、受かってから「先生・先生」「お願いします」というのは、虫が良すぎる気もしてます。

 

私は、公務員にはお土産ももっていかない無礼者ですが、その方が先方も安全です。ただ普段地元の方が知らない先生の国際的な活動をVIDEOメッセージにまとめて後援会に見てもらうか、支援団体にお願いするくらいはしておかないと、、、。

 

そして候補者の票田の割り振りをするのは、政党としては当然のことです。小沢さんが何故、かつて剛腕といわれたかというと、新党ブーム(風)が起きれば、その風の勝ち馬に乗る様に、これらの団体を、強引に野党側に鞍替えさせることに成功させて、政権交代を実現させたからです。

 

陰謀論者は不正選挙を言う人もいますが、外国は別として、日本では、選挙自体はかなり公正です。これはマジです。昔、会社で役所の請負いや、開票に使用する機械メーカーなどに人を出していたので知っています。入札ももっと昔はしりませんが、2000年代ではかなり公正でした。反政権の政党なども、ちゃんと当選しています。ただこれからは、ネット選挙などで簡素化すればするほど、公正は難しくなるのが難しいですよね。ちなみに日本のデジタル化が遅れているのは真面目だからです。適当ならバンバン導入してます。高齢者云々を持ち出して、情報格差とかの問題ではありません。かなりリスク要因を検討して慎重だからです。

 


安倍総理について(あるいは統一教会についても含め)は、日本一顔の広いお方ですから、他の方がいくらでも書かれているので、私はその話ばかり書くのではなく、次に今日は以前からの持論を書きたいと思います。

 

 

 

戦争を防ぐには、世界連邦しかないと思っているのですが、同時にテクノロジーの発達とともに、人類への脅威は、ますます進んでいて、仮に世界連邦が出来ても、何もしなければ、戦争は防げないかもしれないとも思っています。
核は小型化しテロリストなどへ拡散する恐れがあり、歯止めが効かないAI兵器、それにデータ取り放題のネット社会で、ハッキングによるサイバー攻撃、人類のサイボーグ化(国家主権絶対であれば、タックスヘイブンがあるように、DNAヘイブンもできる可能性は否定できません)などなど、、、。

 

結局こうなると、「本気になって戦えば人類は滅ぶ」ということを、世界中の人々が理解するしかないです。

核兵器は、抑止力どころか国が滅びそうになれば使用される可能性もあり、「抑止のみで使わない」と決めたって、存在すれば暴発事故をおこすかもしれません。実際おこりかけていますしね。

 

「抑止力」は、良心のある人と人との情報交換しかありません。止めるのは、兵器ではなく、人しかないんです。
 

しかし国家による諜報や特務工作では、必ずしも平和へ進むとは限りません。そこで私は、公正公平な国際機関、将来は世界政府機関に、情報機関が必要だと思っています。

国際機関にも情報機関はなくはないのですが、やはりそこは国際機関。加盟国が上位です。いくら国際機関が中立でも、あるいは独立調査委員会を作っても、国家主権が絶対であれば、その国家が隠せば、真実はわかりません。「正面玄関」から堂々と調査に入れば、受け入れ国は、見られても良いところを見せて、見られたくないところは隠すだけです。

国家の諜報員だと、その国家の国益に資する調査をするわけで、これでは、かえって喧嘩(戦争)になりかねません。
人類のことを考えれば、(とりあえず世界連邦がない今は加盟国に了承してもらって)国際機関が独自の諜報機関を強化すべきです。

 

戦争や紛争の当事者は、基本的に大義を持っています。当事者にとって人殺しは正義なのです。ロシアだってミンスク条約をまもらないウクライナが、ロシア系住民に対する人道違反をしているから、守りに行ったという大義です。信じる人は少ないでしょうが。

 

私は全ての人殺しを犯罪にしたいと思っています。特に、戦争はあきらかに意思決定に関係ない、子供たちまで殺されて未来を奪われる、という悲惨きわまりないものです。

どうしても正当防衛で仕方がない場合もあるでしょう。でも、それを確かめるには、あきらかに公平な第三者が、世界の委任を受けて、正確な情報をもとに裁判をしなければなりません。


そのために、世界連邦運動は、戦争犯罪や人道を犯した政府高官などの「個人」を、国際社会として訴追できる国際刑事裁判所(ICC)設置運動を行い、実現しました。これは旧来の考え方では内政干渉ですから偉業なのです。もちろん締約国にならない国もあるし国家主権絶対であれば訴追するために入っていきにくいのが現状で、機能不全であることは現在の枠組みではどうしようもありません。

それでも、日本の世界連邦運動もICC締約国にする運動に成功しています。

そのため世界連邦の国際事務局の欧州本部は、元々は旧国際連盟・現国際連合欧州本部のあるジュネーブにありましたが、今は(ザ・)ハーグに移りました。


しかし、先月下旬にあるニュースがありました。ICCでは、プーチン大統領の戦争犯罪について議論されていますが、このICCに、ブラジル人研究者がインターンとして入り込もうとしたのですが、この人、本当はブラジル人ではなく、ロシアのスパイ(ロシアの諜報機関のGRUのメンバー)だったそうで、強制送還されていたことがわかりました。現在ブラジル当局が捜査をしているそうです。
 

ガーディアン紙によると、この人ブラジル国籍の、Victor Mullerという偽りの名前で、ダブリンのトリニティカレッジで政治学の学士号を取得し、新渡戸稲造が学んだことでも有名なジョーンズホプキンス大学で2020年に外交・社会学の修士号をとって、リサーチアシスタントとして、ICCのインターンとして採用されたそうです。

しかし、この人本名はSergey Vladmirovich Cherkasovというロシア人スパイでした。
大学の指導教官もEugene Finkel准教授も、全く知らずに、本人が言うブラジル・アイルランド・アメリカでの経験とともに、強い推薦状を書いています(しかも、この人、ウクライナの人だったのが皮肉です)。

 

つまり学生時代からスパイとして「別人」として大学で学んで、国際機関に乗り込もうとしたのです。こういうように長期的にスパイを育成することを西側では「イリーガルズプロジェクト」と言います。ロシアでは普通のことだそうです。

こういうものまであるならば、「人からの情報」しか真実はつかめません。もちろんオランダも、他国にいる自国のスパイや、友好国のスパイ、下手すればロシア内にも西側スパイがいるのかもしれないですね。
 

しかし、スパイであることがわかったのが、「捜査をする検察があるICC」ではなく、オランダ政府の諜報機関AVIDが、いち早くつきとめたからです。

 

オランダに入国する際に拘束されたので良かったのですが、これが国際機関が、そのまま採用していたら、あらゆるICCのコンピューターシステムのパスワードを抜き取ってアクセスできるようになり、ロシアに関するあらゆる証拠の改ざんや証拠抹消ができたということは、いうまでもありません。
これは、いかに国際機関が持つ情報がいかに弱いかという事の証明でもあり、早急に国際社会全体として真実の情報をつかめるようになる事が大切だと思っています。

 

日本にもスパイが沢山いると思います。これは危険なことです。現代の国家主権社会では由々しき問題だと思います。

ただ、世界連邦主義の私から言えば、はっきり言って、これをやり続けてもキリがないです。だったら、それぞれの「国家」よりも、「世界」が公共の福祉に反する捜査を委任して、世界連邦政府の世界警察を作る方がマシです。

祖国を裏切った奴がいる?とか、隣にスパイがいるのでは?とハラハラするのは、つまらんです。やはりこちらでも信じることは幸福追求には大切です。世界が皆で繁栄するしか、幸福な社会は実現できません。これは、お花畑思想ではありません。私は、案外素人ではなく、自衛隊の机上演習合宿にも参加したことはありますし、我が国と同盟国の情報機関の方々も良く存じ上げております。これも支援団体と親しくするのと同じく、政治家の先生とお付き合いするのには、必要な要素です。その方が技術の進歩に抗えない現代においては、現実的選択だからです。

 

しかも、これからは情報化社会・監視社会ですから、隠しごとがやりにくくなっている時代です。だから、もし隠しごとをする人は、どんどん巧妙になって、わけがわからなくなります。人間は、知られたくない恥ずかしいこともあるでしょうから(誰でも寝室やトイレの中まで見られたくはないですよね、、、)、なんでも情報をとられるのは良くないとは思います。でも個人情報が、テクノロジーの進化によって、取り放題であることは止められません。

 

どういうことが人類の公共の福祉に反することなのか?そしてそれが真実なのかどうか?どこまでがプライベートだから「めくってはいけない」のか?これを示し、調べるのも、国際機関の役割です。

 

これらも、国連改革の大きな柱の一つと思っています。

 

世界連邦

谷本真邦

 

オランダ、ザ・ハーグのICCにて、、、

 

総理の遺影と、世界連邦日本国会委員会 衛藤征士郎 会長(安倍派最高顧問)。

塩谷・下村 両安倍派代表代行らと安倍派総会にて

 

海部総理の訃報に続いて、石原慎太郎先生もご逝去されました。

 

石原慎太郎先生は、海部総理とは違って、個人的に仕事でご一緒させていただいたわけではありませんが、もちろんお会いしたことはありますし、実は親族が、ご子息も含めて、選挙スタッフをしていて、お世話になったので、残念です。

 

また私自身が影響を受けさせていただいた笹川良一先生とも、良いご関係があり、話題には良く出てきた方でした。

作家で、映画界・芸能界などにも関与し、政治家としては運輸大臣や東京都知事なども歴任された大物でした。

新党結成や総理就任などは叶わず、それに維新と合流されたりした後に、晩年「もうひと花咲かせていただきたかった」ので残念でした。

 

もし石原新党が出来たら、入れてもらいたかったです。もしかしたら違う人生になっていたかも知れません。

ただ基本的に私は、当初考えた国連入職にも少々失望し、世界政治(NWO構築、今の世界連邦運動)に関心を持ち、日本の政治家になるつもりはありませんでした。もちろん国家主権が社会の最高である現代では、国の政治には、何等かの形で関与しないといけないとは思っていましたが、親戚も、司直の偉いさんも、各宗教界のリーダーの先生方も、もっと言えば海外の大物政治家や学者にも、「日本では」政治家(つまり国会議員や大臣)にはならない方が良いとアドバイスも受けてきました。裏に回ってこそ本当の政治とかを読んだこともありました。

その前から、学生/教師~実業家として、世界政治運動に関与をしたかったのですが、小沢先生らが党をいくつか作ったり改変されたりして、政治改革がごちゃごちゃになっていた時代で、色んな方に政界に誘っていただけることがありました。そのころは、20代後半から30歳前後と若かったということもあり、ちょっと国会議員になることも考えた唯一の時期でした。当時の政党(今もそうかもしれませんが)は、当選回数が序列だったので、出世するなら早くから出た方が良いというのもありました。それに、当時はお金に余裕があり、お金さえあれば当選できる最後の時代でもありました。アメリカのように、何かの専門家が、いきなり一発屋として政治で活躍することが可能なら、それもありかと思います。また世界政治ではなく、日本のため、あるいは地域のため、当選回数を重ねていって、人生を捧げようという人は、政治家も良いと思います。

でも私はちょっと違うタイプですね。「職業のフルコース」を目指し、イロイロやりながら成長したいタイプです。

あらゆる業種を、少しはかじったので、後はどこまで伸びれるかの勝負です。だから(家族が許せば)いつ死んでも良いんです。死ぬとき「ここまでだったな」と思うだけです。ただ、もちろん、出来るだけ長く生きて、出来るだけ成長したい、という欲求は、もの凄いものがあると自負しております。だから年齢という数字は既に捨てて忘れています。またどんなに体調が悪くても怪我をしていても生涯現役で仕事をしていたいんです。他がダメでも何かの仕事はできますが、脳がダメになるとやはり仕事ができないので、認知症にならないように医療技術革新を待ちたいところです。

 

こんなフラフラした人生を送っていますが、実は前科も、破産歴も、現在は反社の付き合いも、何もないので、クリアランスには通ります。

だから、その後も政界に誘われたことも、なくはないですが、公認を出す前に、まずは会社をやめて府連や支援者相手の政治活動に専念してからとか、条件が全然悪いし、本気に出来ないようなお話もあり、やはり、ないな、という感じなので、黒幕として生きたいですね。

(実際尊敬する人も、天皇陛下と、今の身近な方を別にすれば、政治家では伊藤博文・高橋是清のような波乱万丈の革命的官僚政治家か、ジムクラークのような連続企業家、坂本龍馬や笹川良一先生のような黒幕です。国連でも、みんなが尊敬する、連盟を創設したウィルソン大統領や、現代のアナン総長よりも、経歴から尊敬されなくなったワルトハイム氏とかに関心を持ちます。天邪鬼なところもあるのかな。世界連邦の全く正反対で、最も嫌悪するヒトラーとナチについては、かなり詳しいんです。あまりに詳しいのである学者さんから潜在意識では好きなのでは?とか言われたことはありますが、そんなことは絶対なく、ライフワークの世界連邦主義と、国家民族主義ドイツ労働者党の思想とは、正反対なので、やはり嫌悪はしています。以前リッベントロップのことを書いたこともありますが、ゲッペルスの日記やヒムラーの業務日誌なども読み込みました。)

 

慎太郎先生の側近の浜渦さんは(関係ないですが、息子が、東大時代に、私たちが主催した国連欧州本部でのジュネーブダイアログに、参加してくれたこともあります)、先生は結構繊細な方だと仰っておられましたが、私もそう思います。

 

基本的に、慎太郎先生は、私のような若輩の外部の人間には、ガラっぱちながら、優しい方でした。

「先生の生き方に憧れてます、それで一級船舶もとったんです」というと、冗談ですが「俺のクルーをやれ!」と言われたこともあります。ですが、これは麻布自動車の渡辺会長や、色んな人にも、同じことを言われたことがありましたが、一応ガキながら私も船を持っていたので、そんな怖い人の部下になると大変だと思いました。むしろガキながらクルーが欲しかったくらいでした。

 

余談ですが、クルーも大事で、当時の自分の会社の秘書(男性)をクルーにしたんですが、なにせ彼は海に素人なので、あまり頼りになりませんでした。当時は50ft.以下の船ならば、海事免状を持っている船長がいれば、船の操舵を人に任せても良かったのですが、任せていると、一回沿岸部で、海図上の浅瀬に入りこんでしまっていたこともあり、気づいた私は慌てて船をエンジンを止めました。セーリングボート(日本で言うヨット)ではなくエンジンボート(日本でいうクルーザー)だったので、無理に深い外海にでようとすると、もっと浅いところがあれば、砂を噛んで、ペラが傷んだり、エンジンに吸い込んでしまってはいけないので、念のため、潮が満ちるまで、外海に出るのをやめて、ちゃんと浮いていることだけを確認して(浮いていなければ座礁なので本当に事故です。転倒する可能性さえあるので恐ろしいんです)、しばらくアンカーをかけて、乗っている十名ほどの友達には、BBQをして時間をつぶしてもらうことにして、念のため118(船版の119です)に連絡しておきました。浮いていて、これから潮が満ちる時間なので、問題はないのですが、下手をすれば「事故」扱いにされるところでした。

 

慎太郎先生は、若いころには病んで高校を休学されていたこともありましたし(今のニートですね)、ご本人は(元々、石原プロの役員として映画の五社協定を打ち破る奔走をするなど政治家に向いているといわれていたそうですが)海外の窮状などの現実を見て政治家を志したり、お好みの同じお寿司屋さんのものでも少しの味に変化があれば食べないとこだわられるようなところがあったり、裕次郎さんのことを褒める人がいると「俺の方が上だ」とムッとされたりするような、人間的なところも、おありでした。

もちろん裕次郎さんが世に出るきっかけは慎太郎先生ですから。しかも子供の頃までは、お兄さんの方が、ずっとカッコ良かったそうですから、後年日本一カッコイイ男になった弟を持ってしまったお兄さんとしては、嬉しい反面、複雑だったんですかね。

しかも先生の女性の問題(今なら辞任もんですが)のことを聞いた記者に「そんな話はしない!」と堂々というなど、私のような者にはカッコよかったですね。

でも、それだけ迫力もあり、かつ繊細な方なら、身内の人はさぞ怖かったでしょう。

 

ただ、個人的には、政治だけでなく、「若者文化」にも関心を持っている私にとっては、日本の一時代を築いた方なので、本もよく読みました。

先生といえば、いわゆる「太陽族」ですが、これにも、あこがれたものです。

私は、若者文化でもサブカルというより、「メジャー」な文化に関心を持っています。維新の志士の頃から、しばらく若者文化というのは一時期停滞していました。江戸時代からかわらず新橋・柳橋・向島・浅草などや、京の祇園などの花街での遊びがまだ残っていました。しかし大正デモクラシーが開花したころから、モボ・モガの登場、エログロナンセンス、あるいは昔ながらの歌舞伎・浪曲などの伝統芸能とはちがった、欧米流の新興の興行が起こりました。

戦前、立教の学生などを中心に、ハワイアンやジャズバンドの流行です。今で言う帰国子女もいて、こういう音楽を海外から持ち帰りました。新橋フロリダなど有名ダンスホール(今ならクラブですね)も流行ったそうです。ハワイアンやジャズも、今やクラッシックと同類ですが、今のヒップホップよりも斬新な音楽の流入でした。

しかもさすが日本人、古関裕而先生などが、洋楽を日本流にアレンジするという技は、当時からあり「戦前版J-POP」があったわけです。

 

このシンボルが、後の歌手協会会長のディック・ミネ御大です。昔、私が歌手協会さんとお付き合いさせていただくようになったとき、亡くなられた元大御所歌手の方に、ディックミネ先生のお話はよく聞きました。美空ひばりさんなども一緒にスキーに行ったり可愛がっておられたそうです。ディックミネ先生が発声練習をしていたという湘南逗子のトンネルで私も大きい声を出してみたこともあります。ディックミネ先生は「千人斬り」や「モノが大きい」「四度結婚したけど二度目と三度目は姉妹」など、女性や下ネタの伝説ばかり知られてますが、平和主義者で、明るい太陽のような方だったそうです。私が少年時代に亡くなられたので、結局遠目でお顔を見たことしかなく、お付き合いをしたことがないので残念です。

(日本歌手協会さんのステージでスピーチする谷本 本当は大御所歌手のみなさんがいらっしゃるのも気にせず歌ってみたかったなぁ、、)

ディックミネ先生は、学生時代は相撲部だったそうですが実際は喧嘩三昧だったそうです。それでも立教大学を卒業して、逓信省の官僚になって昼は役人生活のかたわら、夜はナイトクラブでジャズバンドのドラムをされていたのですが、ルックスの良さと歌えることを、淡谷のり子先生や古賀政男先生に見いだされて、当時としては遅咲きの二十代後半で、テイチクからデビューし、テイチクが増資して会社を拡大しないといけないほどの大ヒットを飛ばして、戦前最大の流行歌手の一人になられます。

その後はジャズだけではなく、古賀先生の影響もあり演歌などにも挑戦して、活躍の幅を広めます。そして若者文化に影響を与え、「ジャズやハワイアンに詳しいと銀座の女性にモテる」と、学生などに流行したそうです。当時は慶應や立教のハイカラ学生が、銀座のクラブで幅を効かせていました。戦前の学生は、お金持ちですからね。

 

しかし戦時体制になり、外来語風の名前だったので当局から三根耕一と改名させられるなどの事件があり、こういうことに嫌気がさし、当時東洋のパリとか魔都と呼ばれた上海に拠点を移します。

 

上海というのは、もちろん植民地という影の歴史もありますが、高杉晋作・伊藤博文などの維新の志士が影響を受けた近代日本に最も近い西洋であり、戦前ディックミネ先生が移られた頃には、羅教(新興宗教団体)から派生した大ギャング団の「青幇」や、その若きゴッドファーザーの杜月笙が街を牛耳り、戦時体制とは思えない、華やかさを呈していたそうです。シカゴでも20代の若きゴッドファーザー、アルカポネが活躍していたころです。青幇は上海大世界というレジャービルを拠点にしていました。これは横浜中華街の横浜大世界のモデルです。

 

上海では、この頃、児玉誉士夫先生も上海に拠点を作ります。児玉先生は、労働者から日大専門部で学びつつ、赤尾敏先生の建国会や、右翼の祖である頭山満先生のもとなどで、複数の右翼団体で活動をされ、刑務所に入ったり自決未遂をしたり、若くして既に波乱の人生を送られているのですが、笹川良一先生が設立した国粋大衆党(日本版ファシスト党)の東亜部長や陸軍嘱託特務機関もされるようになり、笹川良一先生の斡旋で、海軍の特務機関/物資調達機関である「児玉機関」を作っておられました。

 

児玉機関は、児玉先生が海軍の特攻の父と呼ばれる大西中将などから、直接目をかけてもらっていたこともありますが、児玉先生の弟分や子分だけでなく、児玉先生から見れば先輩格の大物も所属されており、実質上は笹川機関といわれています。

そしてこの児玉機関は歴史に何度も出て来る「ブロードウェイマンション」という高級アパート兼ホテルの一角に事務所を置きました。

私も上海に行くときはこのブロードウェイマンションを定宿にしていました。起業家仲間からは、なんでそんな古いホテルに泊まるの?と言われましたが、私は最新のフランチャイズ系の高級ホテルよりも、こういう歴史的な建物に泊まるのがすきなんです。

そして児玉機関には、野口進(ライオン野口)一家が仕切っていた興行部もありました。野口進さんは、嘉納健治さん(ピス健)という菊正宗で有名な神戸の地方財閥の嘉納家出身(柔道を確立させて、オリンピックでも有名な、嘉納治五郎なども、この家の出身です)の「旦那ヤクザ」とよばれる名家出身のヤクザに任されて、興行も行った超有名な興行師です。上海では、この野口親分の奥さんの里野さんが活躍しました。ディックミネ御大だけでなく、淡谷のり子さんやベティ稲田さんをはじめ、当時の名だたるスターを上海に集められました。

笹川良一先生が社長をされた市川右太衛門プロとともに、この児玉機関系の野口興行部が、日本の芸能プロの元祖といわれています。野口進一家では、のちには息子さんの修さんという超有名格闘技プロモーターも輩出しています。

笹川先生や、赤尾先生も、(あまり知られてないのですが)昭和17年の翼賛選挙で、非翼賛議員として、一度だけ衆議院議員になられております(この選挙では、児玉先生は落選され、内務省嘱託、将軍と同じ格の勅任官待遇、戦後は内閣参与などになられて、自民党の前身の自由党結党に際しては、辻嘉六氏を通じて、児玉機関が集めた資金が提供されております)。これらの肩書きは、ハッタリだと疑う人もいますが、首脳級がなるA級戦犯の容疑をかけられたくらいでしたので、戦時のわずか数年で、相当出世されたことは事実です。

笹川先生はすでにこのころ、議員であるとか関係なく(戦時中の国会議員は全く力がありませんでした)、政財界や軍に影響力がありました。また同時に日本の芸能界のドンにもなり、「作曲家の山田耕作(先生)は虚栄心があるので、長靴を履ける軍嘱託の高官にしてやった」というお話を本人から聞いたことがあります。

 

しかし、その後は、戦争でしばらく若者文化は、戦争一色で、せいぜい慰問文化くらいになります

 

ただ、終戦後には、いきなり若者文化が再隆盛します。元は破たん経済の中で、的屋の親分が頑張って闇市の隆盛、GHQのPXの横流しなど非合法経済の中で起こった、愚連隊の勃興を中心とした、若者文化の隆盛です。

 

神戸では、元々戦前から沖仲士や興行を仕切っていた山口組(初代山口春吉親分が50人の人夫を束ねて大島組傘下で結成、40代で実子の登親分に跡目を譲り二代目は公共事業の市場の利権で大島組から独立しました。二代目親分の弟と同級生という関係で田岡三代目が人夫から盃を貰い組員になりました)は、有名な田岡一雄親分(あまり知られてませんが、二代目親分が吉本興業の用心棒として籠虎組ともめて亡くなり、その後は山口兄弟会として組織は存続したものの、田岡親分は一時期は便宜上婿養子縁組をされていたのかもしれませんが文子姐さんの苗字を名乗って独自の組活動をされていました。ですが結局は兄弟会から押されて)三代目を襲名、国際ギャング団(のちに山口組若頭補佐となる菅谷親分が中心でした)らとも連携して街の治安を守りました。

その後、経済復興とともに、横浜の藤木幸太郎親分らと港湾荷役振興協議会を作ったり、我が家があった鎌倉山を開発された菅原通済先生・緒方貞子さんを国連に引っ張り出したり様々な女性の地位向上に努められた政治運動家で国会議員でもあった市川房枝先生・右翼の大物で建設会社社長の田中清玄先生らと、麻薬追放国土浄化同盟を結成し、麻薬撲滅運動を展開されて、全国的な大物になられました。組を継いだ時は大正時代からある組で、三代目とはいえ、日本全国では江戸時代から続く博徒・的屋組織が多いことを考えると新興勢力でした。しかし数年で全国に名を轟かす大組織に育て上げられました。

もちろん、たまたまヤクザという特殊なカテゴリーに見えますが、元々山口組は港湾荷役=人材派遣・業務請負業・土建業、さらに芸能興行社という、正業の実業家でもあるし、当時は群雄割拠で、こういう組織から政財界の中で堅気として活躍する一般企業に転換していったところも多く、今の暴力団という感覚とは違うでしょう。

 

新興宗教も若者に大流行りでしたが、特に初代・二代目が下獄されていた創価(教育)学会なども、出版業界などで苦心しつつも、愚連隊などとも平気でやりとりをされて(これは池田先生の著書、人間革命に詳しいです)、若者を中心として息を吹き返し、三代目に青年部長だった池田大作先生が就任されてから、一気に巨大化しました。平成期には与党のキャスティングボートを持つドンになられました。

 

戦後の東京では、銀座警察と呼ばれた(ご本人らが言ってたわけではないそうですが)グループや、新宿の愚連隊、そしてなんといってもその中から、元下北沢グループで、新宿へ移り、そこから渋谷に拠点を構え、のちに映画でも活躍される安藤昇先生の東京宣伝社、東興業です。この人たちは高校生や大学生で、本職になるという凄い人たちです。しかもダンスパーティーを開催したり、洋品店やバーを出したりと商売にも熱心でした。私もパーティー屋(イベサー)だったので、憧れました。

 

その後に出てきたのが、太陽族です。

 

慶應などのブルジョワ学生らが(これはディックミネさんも安藤昇さんもやっていた戦前からあった文化なのですが)、「(慎太郎刈りという)ヘアースタイルを決めて、アロハシャツとタボダボのパンツをはいて、外車に乗って、普段は銀座などの繁華街でパーティーなんかをして、夏休みには湘南のおぼっちゃまの親の別荘をたまり場にしてヨットや水上スキーなどのマリンスポーツをしつつ、ナンパをする」という文化を、日本中に「太陽の季節」という小説で表現したのが石原慎太郎先生でした。

しかも当時の石原先生は、まだ一橋大学の学生で、慶應大学にいた弟の裕次郎さんらのライフスタイルをモデルにして書いた小説だったのですが、芥川賞を受賞され、日活で映画化され、これらは大ヒットして、戦後史に残る社会現象になりました。

しかも当時、天下の日活に映画化の交渉をしたのは学生の石原兄弟だったというのが驚きです。お金やキャスティングの話も含めてです。今の学生にそこまで出来ないでしょう。そしてすぐに、この映画のヨットのスタントや学生用語の指導などで引っ張りだされた、弟の裕次郎さんを主演にした「狂った果実」を書きおろして映画にして、これまた大ブームになりました。ちなみに太陽の季節では、長門浩之さんが主演ですが、狂った果実では長門さんの実弟の津川雅彦さんをデビューさせています。両方湘南を舞台に兄弟と女性問題が関わる話で、実際自分と弟裕次郎さんとの兄弟、それに太陽族と呼ばれるようになった慶應の学生たちの湘南の夏休みの生活にヒントを得た話です。

なお狂った果実では、裕次郎さんは元は弟役だったのを(兄は佐藤浩市さんの御父上の三国連太郎さんの予定でした。実際、裕次郎さんは慎太郎先生の弟ですしね)、兄役にしたのがあたりでした。たしかに三国さん男前ですが、この物語の中の兄というのはは豪快な遊び人の役なので、ちょっと生々しくなったと思います。やはり、本物の太陽族だった裕次郎さんがそのままでもカッコいいので、遊び人でも、若々しく輝いていましたね。弟は美少年ながらまだ初心、という設定です。長門さん津川さんは映画界の名門マキノ一族のご出身だけあって津川さんは本当にハマり役でした。

そういう意味でも私は映画では「太陽の季節」より、裕次郎さん主演の「狂った果実」が好きです。

あと、この映画での脇を固められた岡田真澄さんがまたクールなんです。後年映画賞のスポンサーをやった時にお会いしたんですが、パーティーでは新人賞の若い有名女優さんなどより、岡田さんと話したくて、ずっとご一緒させていただきました。

そして狂った果実は、中平康監督も、武満徹先生の音楽も最高で、フランスのヌーベルバーグに影響を与えるなど社会現象から文化史にも影響を与えるようになるのです。

 

こういう経緯で、石原兄弟は「運命の年、昭和31年に、わずか一年で、一般学生から、日本一のスター作家&俳優」に化けるのです。

そのあとの、ご兄弟の政財界や芸能界でのご活躍、怪我病気や金銭問題でのご苦労は、誰もが知るところです。

 

この流れの湘南の学生ライフは、エンタメの世界では、東宝の若大将シリーズに受け継がれます。これは本来、戦前の「大学の若旦那」という映画のオマージュなのですが、実際は太陽族の近代版と言ってもいいでしょう。

ルーカスの出世作アメリカングラフィティーの世代、シナトラやプレスリー映画などの雰囲気も入ってきます。

主演はご存じ加山雄三さんです、加山さんも、裕次郎さんと、同じく湘南で青春を過ごし、慶應の法学部の3年下の後輩です。しかし太陽の季節から数年たってからはじまった若大将シリーズでは、同じような若者文化がテーマですが、明るい。CAなどをしているマドンナ役だけでなく、令嬢やファッションモデルや歌手など、あらゆる女性にモテモテなのは、若大将も太陽族同様なのですが、若大将の方は淫靡というか陰湿ではないんです。

しかも「ボンボン不良のボス」の赤マムシ、準主役の「ブルジョワ学生」の青大将と、役割をわけています。だからパーティーを企画するのも、だいたい赤マムシか青大将です。若大将は勉強もまぁできるし老舗のすき焼き屋の息子というある程度おぼっちゃまだけど、そこにスポットは当てず、スポーツ万能、バンドを組んで歌も歌える、「さわやかな好青年」というのに特化しています。むしろブルジョワ学生などは、バブル期で言う「アッシー君やメッシー君」として使い、結局モテない、という感じで茶化します。

少し時代が豊かになった感じがします。この間、現実社会でも東京オリンピックなども開かれるのですが、街も綺麗になってきたりして、高度経済成長で団塊の世代が高学歴を目指しだしたころです。

映画自体も、ヨットやサーフィンなどをグアムやハワイでしたり、スキーをヨーロッパでしたりと、各国での海外ロケなどを慣行して、国際的な感じで、豪華になってきています。

戦後すぐの、イデオロギーの変化による虚無感などもなく、経済成長の恩恵を受けた華やかさがあります。

 

このころから、ブルジョワではない不良が、カミナリ族と呼ばれる暴走族の元祖も生まれます。

 

また学生(政治)運動が盛んになります。戦前の学生の政治運動は、ほぼ皇道運動で、そこから大陸浪人や国内の右翼・壮士らと結びつきました。これは民族自決・ファシズムなど世界的潮流でした。

 

ところが戦後昭和30年~40年代は大正教養主義の復活とともに左翼運動が盛り上がります。これもやはり世界的潮流でした。アメリカのシカゴセブン、ブラックパンサー党、フランスのカルチェラタン闘争、サルトル主義、中国の毛沢東の文化大革命など、世界的潮流です。

ここにビートルズを筆頭とするポップカルチャーや、ウッドストックなどのフェス文化、ヒッピー文化や東洋哲学まで融合して、若者文化が多いに盛り上がりました。

 

これもあまり知られていませんが、赤坂の有名クラブで、児玉先生とビートルズが飲むと言う計画もありました。実現はしませんでしたが。

 

日本でも同じ動きでした。エンタメでは、昔からの興行師のほか、NHK、大資本系メディア(正力氏の読売日本テレビグループ、前田氏から財界四天王水野氏さらには鹿内氏らが買収したフジ産経グループなど新聞系、東宝は東京宝塚=つまり阪急グループや東映は東横映画=つまり東横急行/今の東急系など電鉄系)のほか、ジャズミュージシャン出身の社長が設立されたナベプロ・ホリプロなど独立系も児玉先生や中曽根先生らの政財界の応援もあり勃興しました。

そしてやはり海外の影響は大きく、若者の間では海外のポップスの日本版が流行ったり、「エレキ」や「GS」がはやりました。

 

政治運動でも、左翼も共産主義の分派をはじめ、ノンセクトラジカル、さらにはそれに対抗するための日本学生同盟や盾の会(三島由紀夫先生の民兵組織)などの右翼運動、

そして広域化していくヤクザと、それをとりこんでまとめようとする運動(児玉誉士夫先生の仲介による東亜同友会構想などです。戦前ヒトラーやレームのナチス突撃隊も、退役軍人と反共ゴロや労働者、それに日本で言う愚連隊ヤクザが、一つになり合同してできたものですが、これを作ろうとしても、日本では地元密着型のため、地域間同士がどうしても結びつかず挫折しました)など、あらゆる動きがありました。

 

しかし、学生運動は、「おとな」である共産同のさらぎ徳二議長を暴行したあげく、関西系学生が独立して赤軍派が誕生しましたが、大菩薩峠で軍事訓練中に大量に逮捕されました。また国際根拠地論から、日本初のハイジャック(よど号事件)を起こしたり、パレスチナにいってPFLPと連携し日本赤軍の最高指導者となった重信房子受刑者の便宜上の夫である奥平剛士らのパレスチナ解放運動で、テルアビブ空港で乱射事件をしてそのまま自決するなどの「中東の自爆テロリズム」の源泉をつくった日本赤軍へと発展したり、

交番や銃砲店を襲って武器を持っていた労働者系の革命左派(京浜安保共闘)と合同して「連合赤軍」を結成し、山岳ベースでの連続リンチ殺人事件を起こし、最後はあさま山荘事件も起こしました。別組織ですが、連続企業爆破事件などもありました。

 

この無意味な暴力に、一般学生は急速に冷めました。

 

ちなみに私は共通の弁護士がいて知り合った、連合赤軍で、あさま山荘直前までいて軽井沢駅で逮捕され、20年以上獄中にいた、いわゆる赤軍兵士のバロンさん(ニックネーム)という人がやっている静岡駅前のスナックに良く行きました。新幹線ですぐですから。政府高官の人を連れて行ったこともあります。話はいかついですが歴史の証人ですからね。笑ってはいけないですが、出所後はじめて(口座を作りに)普通に銀行に入った(それまでは強盗でしか入ったことがなかったという意味・・・)とかおっしゃってました(赤軍というのは資金調達には銀行を襲うそうです。銀行は資本主義の象徴だから襲っても良いというのがスターリンの考えだそうです、ひぇー!!)。

 

また、さらぎ議長を、内ゲバで半殺しにして、独立して赤軍派を作った中心人物の元京大の塩見議長(学生の間では日本のレーニンと言われました)が経産省の前で反原発運動をしておられたので、声をかけたことがあります。「塩見議長ですか?」と聞くと、「なんだお前、俺のことを知ってるのか?」というので「存じ上げませんが、塩見議長は有名じゃないですかぁ、まだ運動をしているんですか?まだ世界革命を目指しているんですかぁ?」というと、「世界革命はないけどなぁ」と言いながら、うれしそうに、そこから一時間も政治演説を始められました。結構楽しかったです。次の予定を飛ばしたくらいですから。でも、その時仰ってて印象的だったのは「もともと毛沢東なんていうのは俺らからしたらオッサンで興味がなかったんだ。本当は(実際に少数ではじめて革命に成功したばかりの)カストロやゲバラにあこがれたんだな。だから(田宮とか)北朝鮮にハイジャックして行った連中も、そこに、とどまろうと思ってなかったんじゃあないかな。俺らは、そこで協力を得て、キューバへ行きたかったんだよ」と言われていたのは、印象的でした。また重信房子受刑者の話題も出して「フー(重信受刑者のこと)は俺に惚れてたんだ」とも言っていらして、重信受刑者は美人闘士でも有名だったので、「本当ですかぁ?」と笑ったこともあります。

 

なお重信房子受刑者のお嬢様で、ジャーナリストの重信メイさん(この人はテロリストではないですよ)が、世界連邦の中東和平プロジェクト(イスラエルとパレスチナの戦争遺児を日本で交流してもらい次の世代には戦争をなくそうという恒例の事業)を、最初にやったときに、奔走していただいたというご縁もあります。塩見議長って、今でも元気なのかなぁ。

 

鳩山由紀夫総理(実は、民主党政権時、総理退任後の一時期、世界連邦日本国会委員会の会長をされたことがありましたが、すぐ政界を引退されたので、今ではほぼなかったことになってますが、、、)のご自宅で、一水会という右翼の木村代表という方とお会いしたのですが、なんと一水会と塩見議長とは交流あるそうです。右翼と左翼ってやはり根は同じなんだなぁと思いました。私は「通州事件(中国の暴徒に日本の民間人が大量殺害された事件)に関するフォーラム」に参加したことがあって、そこには、日学同や盾の会の出身者、さらにはサンケイ新聞や、警察、神道界の方までいらして、バリバリ保守(ぶっちゃけ右翼)の会でしたが、いろいろお話したことがあります。そこの会の方たちによれば、右翼も左翼も、民衆のためのものであって、三島由紀夫先生も「天皇陛下のご存在があるかないかだけの差だけだ」と仰ってたようです。

もちろん三島先生なので、「時間で捉えるのが保守で、空間を大切にするのが左翼」などと哲学的なことを書かれた記事を読んだことがありましたが、原理は同じなんですね。私の解釈では、一君万民か、ただの万民か、だけなんですね。

重信受刑者のお父様も左翼どころか、東大時代に血盟団にいた右翼の大物四元義隆と盟友で、(血盟団事件に関与し、首相の相談役や宮中にも関わった陽明学者の)安岡正篤先生の金鶏学院の門下生であったそうですしね。

 

ただこういう熱い季節はすぎて、70年代、80年代は、完全にノンポリの、硬派か、ナンパ学生、言い換えれば喧嘩上等のバンカラ学生か、ハイカラ学生が主流になりました。少年は暴走族、おぼっちゃまはディスコでパーティーといった感じですね。このまま、タケノコ族や一世風靡などの路上文化も盛んになったりもしました。アイドル歌手も出てきて芸能界と関わりのあるヤクザが暴走族を使って「親衛隊」などを組織します。70年代から80年代半ばまでのアイドル歌手のターゲットは、今の様にヲタ文化ではなく不良少年少女のための文化だったんですよね。

 

このころは私も小学生、中学生となってきており、本当に今では考えられないほど「おませ」だったので、こういうのに参加しはじめます。小学一年でビートルズを知り、金主のおじいいちゃんのお陰で、洋楽のレコード、CD、LDなんかを買いまくり聞きまくりました。今はすっかり忘れましたがあの頃はちょっとしたDJくらいの知識は持ってました。本も読みまくりました。それで若者文化に関心を持ちました。

ただこのころは今より全体的におませで「22歳(になれば少しづつ臆病者になっていくわ♪)」という谷村新司さんの歌がヒットしたり、「20歳をすぎたら、もうおバン(おばさん)」という言葉もあったほどです。今の20歳や22歳なんて、全然若者じゃないですかね?。

しかも私が中学生の頃は、「売春」をするのは中学生であり、90年代ごろからは女子高生が「ウリ」とか言い出し、さらに21世紀になれば援助交際なんて言葉が出てきたり、「枕営業」なんていう業界用語が一般化したり、今では「パパ活」とか「ギャラ飲み」とかいうようになってきましたが、言葉は変われど、要するに売春するかお妾さんになるかだけの違いなので、いつの時代も同じですが。

ただ私の感覚では大きな違いは年齢です。高齢化しているのです。

少年も、暴走族をするのはメインは中学生で、せいぜい高校まで。高校で不良になれば「高校デビュー」と蔑視の対象でした。17、18歳にもなれば不良は引退するか本職になるもんです。

私が高校へ入学したばかりの頃、中卒でヤクザで修業の身に入った近所の奴が、髪を短く刈って、ヒゲはやして、サングラスをかけて、くわえタバコで、声をかけてきました。「谷本っちゃん、ええのう学生は!社会人は辛いで!」と言いだしたので、私は「あほか!俺は学生ちゃうわ、まだ生徒や!しかも、お前、社会人って・・・社会からはみ出しとるやんけ!」と笑った覚えがあります。まだ十五歳の頃です。今の十五歳なんてほんの子供ですからね。

成人式で暴れている不良を見ると「若いなぁ」と思ってしまいます。尾崎豊の歌で「盗んだバイクで走り出す、、、15の夜♪」という歌もありましたが、そんな暴ヤンをするのは中学生のやることでした。

一概には言えないですが、高学歴・晩婚化しているせいか、今の中学生・高校生なんていうのは、ホンの子供で、パパ活とかいうのも、早くて大学生、普通は社会人がやっていることだそうです。

なんか成人年齢が20歳から18歳にさげられてますが、上げた方がいいんじゃないかというくらいです。なんか若者が幼いです。ただ、これも以前にも言ったように、今も、昔も、「おくて」もいれば、「おませ」もいる、だから一概に年齢で法規制するのはどうかとは思っていますが。

かくいう私は、12歳で音楽をはじめて、すぐ上達したので、音楽関係のアルバイトもしだしましたし、高校になったらライブイベントやディスコでパーティーのオーガナイズをしました。

私の頃は、ノバ21グループというのが全盛でした(マハラジャやキングアンドクィーンなどが有名です。立教OBだったグループ代表にも可愛がってもらいロールスロイスに乗せてもらいました。グループは直営ではなく、各地に「〇〇レジャー開発」などという個別の会社を若手社長に作らせて、フランチャイズ料や家賃を取るという商法で広げられました)。

このディスコではもともと銀座のクラブのウェイターのことだった「黒服」というものを流行らせました。入店まもないウェイターはミリタリールックの様な服装をさせられるのですが、少し出世すると黒いタキシードを着れて黒服と呼ばれます。当時、ホストクラブは、今みたいに若者のものではなく、水商売の中高年女性向けでしたから、この黒服がホストみたいな役割でした。昔のホストはダブルのスーツを着ておでこを出さねばなりませんでした。私は酒は飲まなかったのですが(未成年でしたしね)、お水の女性の知り合いが沢山いたので、指名が取れたので頼まれて体験したことはあります。昔はラストソングと言って売上が一番高い人が最後バラードを歌うなどという昭和の香りただようホストクラブがありました。一気飲みコールは大学生のサークルのコンパ(そもそもコンパ、合コンなどと言うにも学生のものでした)ではやってましたがホストクラブでは静かに飲むところでした。今や、全く変わって、キャバクラや、アダルトのV製作、風俗店などを手広く経営している後輩は、ホストクラブも作って、バンバン盛り上げて、給料を再回収したうえに、こういうところにくる子の中には、育ちの中で辛い思いをして、精神を病んでる子も多いらしく、経営者に変わってホストが悩みを聞くので、一石二鳥とか言ってました。

もちろん私は、夜の世界とは違う世界で生きてきましたが、パーティー屋なんかを経験していると、後輩などはそっち(夜の世界)へ行った奴もいます。

基本的には私は後輩たちには、サラリーマンになるのを勧めています。今の日本ではそれが有利だからです。でも、たまに起業家になって、今暗号資産で稼いでいる者もいますし、政治家になった者もいます。でもこうして夜に行くやつもいるのです。私は誰が何が向いているというのを見分けるのは得意なので、スタッフたちの人生は結構私の言った通りになっています。

当然みんなの自由ですが、ヤクザだけは反対しました。

同級生がヤクザになったときは、全力で止めました。

ヤクザは戦後まもない頃は別として、平成以降にもなれば、どうにしてもその道しか生きれない者がやるもので、他でも生きれるならば、絶対なるなと言ってます。おいしい思いが出来るからなる、という者には絶対に反対してます。まぁ同級生も、親分の言っていることは、私の言っているとおりの「ハッタリ」だったと、すぐ気づいて、足をあらい、大学、大学院に進んで、立派な社会人をやっています。

 

当時のワンレンボディコンや当時は流行りの仕事だったレースクィーンのような美人女性は店の入り口に座らせ目立たせ、そうでない女性は奥でボトルを入れさせたりされてました。さらに当時のディスコは食事もできました。ちなみにノバさんは、大衆向けのディスコがオオバコ化するか、小屋はクラブとなを変えて、それも日本では下火になったので、しゃぶしゃぶ屋さんになります。

 

今だからいえますが、イベントでも店側には私の年齢を隠すように言われていましたし、警察も、酒場なんだからガキがあんまり派手にやるなよと言われていました。

すぐに自分でパーティー券(パー券)をさばくより、当時のボンの不良グループに頼むか(関西ではMさんやKさんFさんなど有名なボンもいましたし、Gというベンツとかで走るボンボン暴走族も有名でした)、有名私立や医学部系の学生サークルにさばかせた方が良いとなり、さらには先輩学生を使って企業協賛をつけるほうが良いという風になって、ここからは学生起業家への道をたどります。
 

ただ結局は時代は変われど、音楽、リゾート、スポーツ、パーティー、金もうけ、喧嘩、車、ファッション、学生政治運動など、ベースは戦前から戦後、今も同じです。

 

今は、音楽もニューミュージック的なものが令和の音楽として時代が回転するかボカロを使ったりするかの違いで、単にスマホやSNSが発展してツールが変わっただけでおんなじことです。

政治運動も、グレタさんらのZ世代やα世代の環境運動に変わっただけでおんなじことです。香港とかミャンマーでは、いまだに民主化運動で血は流れていますしね。

 

だから私も、あえて同じ道を進み、学生時代から、音楽、リゾート、スポーツ、パーティー屋からイノベーションの起業家になり、世界連邦運動に身を投じました。車やファッションも大好きです。

まぁ喧嘩だけは、実際は好きでしたが、前に書いたように子供の間は良いのですが、大人になってからは道具を使って命のやり取りになったりお金がからんだりするので非暴力主義者になりました。

 

石原慎太郎先生に話を戻しますが、これらの時代を作家から政治家として長く活躍されました。

裕次郎さんは太く短い人生でしたが、慎太郎先生は太く長く生きられました。

慎太郎先生は運輸大臣の時、暴走族にさえ肯定的でした。若いエネルギーが戦争や闘争に向かないから、危険行為にはしるのは当たり前だといわれてました。

 

ただ東京都知事になって、歌舞伎町浄化などを行った時は、後輩のスカウト軍団(今は迷惑防止条例で出来ませんが昔は合法でした)・ホスト・嬢らは、「都知事は自分は若い頃さんざん遊んで、偉く成ったら、しめつけかぁ、、、」と言っていたのが、おもしろかったです(実際はさんざん遊び回ったのは弟の裕次郎さんであって慎太郎さんは真面目だったそうですが、、、)。

 

都知事としては、ディーゼル排ガス規制、通称石原銀行(これはベンチャー育成という意味では国家的な意義があったのですが、実際には銀行員がベンチャーの見極め能力がなくダメになっちゃいましたが、、、日本の終身雇用制度のもとでは、銀行員は銀行員なので、これは仕方ないです)、そして東京マラソンなども国民の健康とともに防災対策などに使えると、政策はとても面白かったです(私は走りませんでしたが、三枝成彰団長の六本木男性合唱団のファーストテノールをしておりましたので、君が代の斉唱、応援歌の合唱をしています)。

 

石原プロの解散、伸晃さんの落選など、石原軍団時代は終わったのかもしれませんが、私は彼らのような若者文化を研究し、生き方を参考にして、今に至っています。

 

最期に石原先生は尖閣の領有権に大変強い思いがありました。

 

世界連邦としては世界法での世界統治を目指していますが、それが無理な今は、まず領有権があきらかなのであれば、沖縄県石垣市の字登野城尖閣とするならば北京五輪前に「公然と国標を建てる等」の70年代から言われていることをやらないといけないです。さすがに五輪のときは攻撃してこないでしょう。戦争は絶対いけない。尖閣を完全に日本の主権を形として主張するなら、五輪がある今しかないです。

石原先生も、あの世への旅立ちに、安心されるでしょう。

 

石原先生のご冥福をお祈りします。

 

 

バブルの香りがまだ漂っていた「時代を感じる古い写真」を、、、

 

集合写真なのに、やたら斜に構える谷本少年15歳

 

パーティー屋時代(まだ学生時代、横にいるのは今や地方議会で議長にまで出世した仲間です)

 

太陽族?10代の頃谷本

 

やはりパーティー屋時代(まだ学生時代、となりにいる彼も今や大手広告会社幹部兼大プロデューサー。みんな偉くなるなぁ)

 

世界連邦

谷本真邦
 

新年早々悲しいニュースが入りました。世界連邦の日本支部の海部俊樹会長がご逝去されました。なんか役人の方から、噂はきいたのですが、前にも倒れられたこともあり、復活されるだろうと思っていました。しかし会長代行の中野寛成先生(元国務大臣・国家公安委員長)から、直接携帯にお電話をいただき、事実だということを初めて知り、ショックを受けております。

 

とりあえず、ニュースも解禁になったので、世界連邦の国際委員長の私から、世界連邦の世界組織の役員各位に連絡しました。

詳細は以下の通りです(英語ですが)。

 

I have to inform everyone of this sad news that H.E. Mr. Toshiki Kaifu who is the President of our WFM-Japan passed away of old age on January 9th. 2022 at the age of 91. We would like to express our deepest condolences to his family and respectfully pray for the repose of his soul. 

He was born on January 2, 1931. He had been a Japanese Diet Member (Member of Representatives) for approximately 50 years and was the Prime Minister of Japan from 1989 to 1991.

After his appointment as the President of our WFM-Japan, he continued to use his contacts and knowledge, such as acting as a bridge to the Japanese government and making recommendations to the prime ministers and WFM-Japan. 

President Kaifu was elected as an Honorary President of WFM-IGP at the World Congress in the Hague in 2018. His family has already held a private funeral service. There will be no LDP public funeral service or farewell ceremony held due to the ongoing COVID-19 situation. His family declined the offerings such as flowers tributes and condolences with thanks.

We respectfully pray for the repose of his soul.

With many thanks.

 

英文に略歴も入れましたが、海部総理は、愛知県のご出身で、二世議員ではありません。代議士秘書から国会議員になられた、典型的な国会の議会人です。少年時代から弁論にたけ、中央大学を経て早稲田の二部に編入され、大隈以来の伝統ある弁論部(雄弁会)で活躍されました(私自身は、慶應・東大・神戸大・外大・学習院などあらゆる大学にフラフラと入学しましたが、実は中央にも早稲田にも行ってなかったので、良くそのお話も自虐的にしていました)。

ちなみに、私も学生時代には、早大雄弁会さんとはお付き合いがあったのですが、しばらく遠縁になっていたところ、海部総理のご縁で復活しました。

 

WFMと雄弁会の合同で、講演会をやってた頃は、海部先生にも直々に来ていただいて、その頃は、なぜか国会近くの事務所にいきなり私をお呼びになられ、人脈をご紹介いただいたり、いろいろな思い出があります。非常に可愛がっていただきました。

 

海部先生は学生時代から演説では「海部の先に海部なし、海部の後に海部なし」といわれた雄弁家です。

大学院に進まれましたがすぐ中退され、河野金昇衆議院議員の秘書になり、河野先生の死去後、中継ぎの奥様が議員を一期されたのち、地盤をついで当時29歳という最年少国会議員として当選されました。

 

当選後は、三木武夫総理の子分になられました。また三木派の番頭には河本敏夫先生という方もおられました。この河本先生は、三光汽船のオーナーで大富豪です。元々三木氏の奥様が森コンツェルンの令嬢ということもあり、三木派は党人派の派閥としては、お金に困ったことがなかったそうです。海部先生いはく「他の政治家は、お金をもらってまわらないといけない。クリーン三木だって、金は配らんといかんかった。」とのことでした。スキャンダルの無い先生ですが「俺はクリーンといわれたけど、それは、派閥に自前のお金があったからだ」ともおっしゃってました。

 

当時の政界は、政財界が連動しているところもあり、お金が飛び交っており、合法献金なのか違法献金なのかよくわからない状態だったそうです。愛人がいるのも、男の甲斐性くらいに思われていた時代でした。

ただ、海部先生は、普通の政治家は、官僚出身なら監督している企業からお金を引き出さねばならんかったし、角さん(田中総理)のように自分や友人の会社で稼いだり、無理して金を集めたりしなければならない。だから「可哀そうだ」ともおっしゃってました。

 

また、現上皇陛下の即位の儀では、特の内閣総理大臣でしたので、万歳三唱を扇動する役でしたが、直接陛下とお話されて、宮内庁の依頼した古式ゆかしい装束ではなく、史上初の洋装(モーニング)での万歳三唱を希望されたりと、身なりには、なかなかこだわりが、おありでした。桐花大綬章の時には「お祝いの会」も、我々がひらかせていただいたのですが、普通はこういう会では勲章をつけるのですが、先生はなんと、せっかくいただいた勲章でしたがつけずに、飾っておく、というスタイルをとられました。

いずれにせよ、先生はお洋服にも、こだわりがあり、(私の子供の頃は、政財界人はダブルの大き目のスーツを作られる方が多かったのですが)、スリムなシングルのスーツをピシッと着られておられてました。

関係ないですが、褒賞の祝賀会では、余興(といっても国宝級です)で、死去直前の中村勘三郎・勘九郎・七之助親子(海部先生が後援会長をされていました)の素晴らしい歌舞伎を近くで見れた「役得」もありました。

また、その褒賞の会の準備をして、エレベーターに乗り込んだら、小走りでエレベーターに飛び乗ってこられ、「ハァハァ」言っておられた高齢の方がいらっしゃいましたが、その方は良く見ると現・セブンアイホールディングのオーナーで、伊藤ヨーカ堂創業者の、伊藤雅敏元会長でした(セブンイレブンの鈴木会長の親分です)。伊藤会長は私に「いやいや、海部先生のお祝いの会に遅れるわけにはいかないよねぇ」と、ハァハァ言いながら笑っておられましたが、秘書さんらも残して、突然の大物の飛び込みでしたので、驚いたことも思い出です。そのずっと前に、日銀出身で私の会社の役員になっていただいた人に、伊藤元会長を紹介していただいたことがあって、広い応接室でお会いしたことがあったのですが、その時の厳格な雰囲気と全く違うので面白かったです(セブン銀行の初代社長が、日銀出身で、その日銀出身役員の、日銀時代の同期という関係で、紹介していただいたのです、ちなみにその日銀出身役員は私の大叔父の部下という関係でもありました)。今後の閣議で、「大勲位」を授与されることが決められるでしょう。

 

そして、海部先生は、なんといってもトレードマークは水玉のネクタイです。数百本あったそうですが、後援会の人も、プレゼントには「水玉のネクタイ」を買ってけば喜んでいただけるので、迷うがないのでよかったと、聞いたことがあります。

 

私自身についても、髪の毛が元々は直毛だったのですが、ある日パーマをかけて「もじゃもじゃ」ヘアーにしたところ(このブログのプロフィール写真でも「もじゃもじゃ」です)、ほかの政財界人からは、この「もじゃもじゃヘアー」の評判はよくなかったのですが、海部先生だけは、「政界などで前へ出ろ」と仰っていただいていたので、「政財人や役人は、遠目で見たら誰かかわらん。谷本だけは遠くからでもすぐわかるようにしろ」ということでした。「雰囲気も出るし、レーニンだってハゲヒゲだからレーニンなんだ。普通の髪型だったら、ただのおっさんだ」とかも仰ってました。

あるとき、ピシッと短髪にしたら、「つまらん髪型にしたなぁ、つまらんやつだ」と叱られたこともありました。

 

文部大臣を二度されて、「文教族」のイメージもありますが、外交通で、早稲田時代から早大総長が世界連邦主義者であったこともあって、ご理解がありました。

また、海外青年協力隊を創設させたり、ODAを増やしたり、湾岸戦争時には多国籍軍には(パパ)ブッシュと話し「貴国(アメリカ)の作った憲法によって自衛隊は出せない」と参加を拒否し、ペルシャ湾の機雷を除去するなどでは自衛隊を海外に出して自衛隊による国際協力を史上初の実行をするという、本当に「平和主義を堅持しつつ現実的外交を」展開されました。

またドン金丸・黒幕小沢先生たちに支えられて、というか、支えさせて、世界では冷戦崩壊、国内では平成天皇即位(現上皇陛下)・政治改革という激動の時代をバランスを取りながら、日米関係、アジア関係、東側の崩壊、、、そしてマルチ外交を展開されました。

当時の各国首脳は、アメリカは(パパ)ブッシュ(ホットライン、通称ブッシュホン=当時はやりだしていたプッシュホンにかけてます)、イギリスはサッチャーさんがまだ強い影響力を持ち、フランスはミッテラン、西ドイツはコール(そして東西統一)、ソ連はゴルバチョフ(そして崩壊)などです。

近年の安部総理時代の首脳陣もつわものたちですが、このころも負けず劣らず凄い首脳陣で、本当に政治的にも外交的にも天才的な手腕をお持ちだったと思います。

 

昔は、世界が(技術的に)広かったので、簡単に首脳や閣僚が会うことはできなかったので、外交使節団(外交官)の役割は大きかったのですが、今や世界は(技術的に)たいへん狭くなり、すぐに会えるので、大使に公電を打つよりも、直接会ってしまえる時代になりました。

しかも最近は、外交官がちゃんと準備をして、首脳は決まったことを確認する、というだけではなく、前のアメリカ大統領のトランプさんの様に、SNSで、「近くにいるから会うか?」とか、半島の北の最高指導者に呼びかけたり、別の機会ではせっかく第三国で会っても、まとまらずに用意された昼食を取らずに帰っちゃうというくらいですから、(本当は内々でも色々調整はあったのですが)これは凄い外交の時代です。首脳も外交技術がないと務まらないですね。

 

ただ海部さんも、安部さんも、外交官経験、外相経験はありません。英語もさほど堪能とは言えないです。

ただヘッド級レベルの外交に、経験はそれほど関係ないのかなとも思っています。大事なのは個性・品性です。

明治以後、日本には伊藤博文初代首相、高橋是清元首相など、外交官ではない首脳外交の天才が多数いました。私は明治天皇だって外交の天才だと思っています。例えば明治のロシアの皇太子(のちの皇帝)が、日本で暗殺未遂(大津事件)にあったとき即陛下自ら駆けつけて見舞われ、皇太子から「日本はうらまない」という文言を引き出した明治陛下は、僭越ながら、大した外交手腕をお持ちだと思います。

 

まして、語学が出来る出来ないなどは関係ありません。河野・茂木・林外相らは、一流の大学や大学院に留学歴もあり、語学には大変堪能で、頭脳的にもとても優秀な方々ですが、外交においては、語学が出来る出来ない、高学歴かどうかというレベルではすみません。一歩間違えたら、戦争や経済破綻になるくらいの、「最重要政治案件」なので、外交の手腕が必要なのです。

実際、天下の外交官と思われている吉田茂首相も、他の外務省出身者の中では、語学下手と言われましたが、外交手腕は天下一品でした。優秀な専門通訳官がいれば良いというだけです。あまりにあざやかなので理想主義的には批判される人も多いですが。

私のような仕事では、日本人どおしでも、英語でやりとりをしたりされるので、英語が世界の共通語・公用語みたいな気になります。でもまだそこまでには至っていないですね。もちろん国連などでは英語が出来なければ文字通り話にならないですし、外交官は第二外国語が専門の方でも皆、英語は堪能です。しかし政務(大臣をはじめ、副大臣・大臣政務官とかですね)の通訳は、専門の通訳官しかやらないことが多いです。それでも大学院で留学した人は、一見英語はペラペラですが、実際には「日本語で言った方が本来の意図が通じる」と言われる人も、結構おられますね。トヨタの社長もアメリカの大学院を出て、英語はペラペラですが、アメリカの議会の公聴会では、失言をしてはいけないと日本語で話して専門の通訳をつけておられたエピソードは有名です。いまでもロシア、中国、中東などの、首脳は、みんな自国語で話してくるので(これらは国連公用語ですしね)、外交と語学を結び付けるならば、相当なポリグロット、オムニリンガルでないと外交はできなくなります。

まぁ、もともと19世紀まではプロトコル上外交用語はフランス語でしたしね。私が関与したモンテネグロなどは、もちろん「モンテネグロ語(ほとんど同じ旧ユーゴスラビアのセルビア語と同じ)」が親語ですが、元々東側の国なので「英語はできないけど、ロシア語は出来る」なんて人も結構いて面白かったです。台湾など日本の植民地だった所の高齢者は「英語は出来ないけど日本語なら話せる」という人もいました。だから結局は、覇権を持つ国の言葉が、広まるのです。そのため世界連邦では世界公用語としてエスペラント語(人工的な国際公用語)が作られたのですが、全く広まらず形骸化しました。結局は今は英語(米語)が世界共通語・公用語となっていく流れです。将来的には世界の覇権をとりたいと考え、人口も多い中国だって、皆英語を学んでますしね。

 

あとこれは、首脳外交の話ではないですが、ナチ嫌いの学者が、ナチの行動で唯一褒めていたのは、外相になるリッベントロップが英国大使だったとき、一切英語を使わず自国のドイツ語で通したことでした。リッベントロップは、職業外交官ではなく元々は(ワインの)貿易商で、少し在外公館に出入りした経験があったため、一気にナチの外交アドバイザーとして外務省嘱託特務機関事務所から、正式な外交ルートの特使・大使などを経て、外相になり、当時の外務省の半数以上を自派の外交経験のない人物に取り換えたという強気の人物でした。第二次世界大戦勃発までは、戦争をせずに第一次世界大戦までの領土を取り戻し、ヒトラーを「外交の天才」とまで言わしめた立役者でした。ヒトラーは戦争や人種差別で多大な犠牲を出し20世紀最悪の人物とも言われています。「権力掌握」といっても暴力的で、ズル賢い戦略が、たまたま成功しただけ、という評価です。「経済政策」でも成功したように見えるものの、これは「小手先の手法」や、既に権力を握っているために、それを過大に宣伝するプロパガンダの成果であると、まったく評価しない人もいます。ただ、戦争前の外交手腕だけは、成果を出したとしている学者も、実はいるのです。もちろん、その後の酷いナチスの行動で現代ではリッベントロップの仕事は全て「悪魔の業績」となっています。ちなみにリッベントロップはワイン商時代、カナダを拠点にしたりしていた関係で、英語・フランス語なども堪能なマルチリンガルでした。でも英国王に信任状を奉呈する際もドイツ語、在英の各国大使館への通達も全てドイツ語でやったため、各国は困惑しつつも、ドイツの地位を押し上げ、英国にアピーズメントポリシーを引き出させ、世界に「ヒトラーは外交の天才」とまでいわしめた成果の下地を作りました。ちなみに日本(特に近衛及び東條首相・松岡外相)をミスリードさせたということで悪名高いドイツ大使の大島浩将軍も、もとはといえば駐在武官時代にリッベントロップと親しくなって情報をつかみ、外交官でもないのに、一気にドイツ大使になりました。

 

もちろん担当者の外交と、首脳外交は別ですが、戦前の吉田総理時代以前は、外国との交渉に慣れていないため、経験も大事でした。ただ今は関係ありません。海部総理は、外国のつわものたちの、心のうちに入りこみ、交渉をしつくしました。

海部総理と、ブッシュ、ゴルバチョフとの話は、大変貴重で、歴史的にも残していかねばならないと思います。

 

むしろ、現在の岸田首相は、外相を長く経験したので、心配しています。閣僚級の外交と、首脳級の外交は全く重みが違います。

また日本の首相は、天皇陛下がいらっしゃっいます。中世以来の宮廷外交文化も残しています。そのため日本の首相は米中露など権威も権力もある名実ともに国家の元首というわけではありません。

さらに議院内閣制で国家の最高機関は国会なので(・・・もちろん外交儀礼上、国家元首は天皇陛下ですが、学者の中には、国家元首は事実上内閣総理大臣であるという人もいれば、国権の最高機関は国会であり優越性をもつ衆院の議長が国家元首だという人までいます)、

そういう意味でも、議員の下にある内閣(総理大臣)が、国を飛び越えることをする外交を処理するというのは、難しいのです。

それを、うまく乗り切られた海部総理には関心しています。

しかも、二つの大国の間にはさまれて、外交をするというのは、本当に難しいのです。

 

岸田首相は「波風を起こさない性格」で、それが支持率を押し上げています。それなのに、決めたことでも、さくっとひっくりかえして、ビシっと収めるのが得意です。これは、既に秘書官などを通じて役所から、首相に報告が上がっていたことでしょうから、一回決まったことを、官僚や担当大臣の「顔」を無視して納めているのですが、国を思って閣僚・官僚各位はむくれず首相を支えて頂ければと思います。

 

ただ、これは外交では通じないでしょう。


外交で日本がリーダーシップをとっていただけるかどうかが勝負なのですから、外務省の方にはぜひ首相を支えていただきたい。

さらに岸田首相は、終身雇用の日本の外務省内に、すでに人脈=しがらみがあります。外務省の皆さんは、わかっておられると思いますが、さきほども、いったように、外相の岸田先生と、首相の岸田先生は、重みが違う立場であり、そこをあらためて再確認し、支えていただければと思います。

 

岸田首相は、基本的に自身や、自身の派閥も含め、さらに派閥内で林外相を登用し、「米中の間で調整できる」と考えられておられます。皆米中に人脈も、人に言えない深い関係もあるからです。しかも米国では政権(バイデン民主党)が弱まっていて(ハリス人気も弱り、引退したバイデンよりは若いヒラリークリントンさんを推そうという声もあるくらいです)、中国に加えて、ロシア(ウクライナ)の問題まで加わり、日本が頼りだろうと考えていたからです。

 

岸田首相は親戚の財務官僚など、まわりに官僚が多く、官僚を「引っ張る」か「引きずられるか」も勝負どころだと思っています。

それと同時に外交で経験を「活かす」か、外交経験に「とらわれるか」も勝負です。

なによりも最重要なのは、アメリカ合衆国と中国の間で「ファシリテーター」になるか、米中「二股外交として同盟国米国の信用をなくすか」のはざまの上に立っています。これは大変難しいことです。

世界連邦主義者としては、前者を応援したいですが、今の段階では現実的には後者の方が無難です。

もし前者をやるなら、マルチ外交を使ってやるべきです。バイ外交で、アメリカにも中国にも、良い顔はできません。

海部総理の時代も難しかったですが、まだあの頃は、ソ連が崩壊した時であり、現在の習氏・プーチン氏はバリバリですから、事情が違います。

 

ようやく、水面下で努力をされて、なんとか今月下旬、北京五輪までに、オンラインで首脳会談をすることになりそうですが、本来日米首脳会談は、もっと早くやるべきで、首相就任後、何か月も会えないというのは異常です。しかも本来は対面でやるべきです。対面で出来ないというのは問題です。スモールトークこそが重要なのです。

スモールトークって、意外に、現実の政策だけでなく、自分が本当に思っている非現実的ても理想の政策へのベクトル(これで理解してもらえることもあります)も話せますし、他の首脳についての噂話もできます。つっこめば、選挙のコツまで話せます。例えばバイデンだと「大統領閣下は、環境環境って仰ってるけど、ロシアがパイプラインのカードを出しても、裏ではうちにはシェールも沢山あるよ、だからいざという時は欧州も平気だし、直前で出せばガソリン価格も下落させて中間選挙を有利にできますよ」とか、公開だと完全に内政干渉で、絶対に言えないような話でも、対面のスモールトークなら、政治家同士なので、「なるほど!」ってなって個人的に仲良くなれるのです。

官僚だって首相に耳打ちするけど、首脳同士でも耳打ちできます。安部さんのゴルフ外交も意味があったんですよ。せめて海部総理の時のように、オンラインでもホットラインを作ればいいんですが、、、。普通のオンライン会議は、必ずハッキングされているので、公開討論と同義です。ならば、むしろオフレコの部分でも、「聞かれている前提」で、はっきりと「日米同盟第一」「FOIP促進」「かの国には問題が存在する」「そしてこういう強硬策も考えている」くらいは言ってしまった方が良いでしょう。例えば安部さんも小泉訪朝時には、控室でも盗聴されている前提で、総理と会話したと聞きます。私が岸田さんなら、強い酒を使って、暗号電話のホットラインを使って、バイデンとオンライン飲み会を二人だけでしますね。

でも、中国も色んな人がいて、良い政治家もいるんです。どんな人でも絶対悪人というのはいないので、トップにも変わって貰えればいいのです。独裁者は、野心家の間は、まだいいのです。ただし支配の類型でいうと、カリスマ支配は、超人でなければ「維持」できないです。そのため独裁者は、刃の上をあるいているようなもので、絶対終身権力を握ったとたん、神格化された超人に見せるために、強引なことをしたり、自分自身も個人として皆猜疑心に悩まされるなか死ぬか、革命で暗殺されるか、幸福な晩年を送れなかった歴史が多いのですから。

 

しかも心配せずとも、経済では、台湾ともアメリカと親密なわけですから、そう簡単に戦争をはじめられないです。中国ビジネスも人民元ではなくまだドル建てです。だから監視もできる一石二鳥の電子マネーに力をいれているわけですが。

 

むしろ、あまり言えないですが、どちらかというとロシアが注目です(ここは、ごくごく弱いものの、プーチンはまだ親日です)。しかし、その影響下にある北朝鮮、それに中国だけによらずに北とも密約するアフリカ諸国、そしてまかり間違って北のミサイルが暴発するのでは?という方が心配です。今のところ実験をしたミサイルが大量にあるので処分をしているみたいなものですが、核や極超音速ミサイルまであるのですから、いつ暴発するかわかりません。ミサイルが、太平洋を越えるのではなく、極地まわりでアメリカへ届くようになれば、日本の先制攻撃が重要で、経済を圧迫する可能性もあります(やり方によれば、日米外交上優位に立ったり、経済が活性化するかもしれませんが、それはあまりに危険な考え方です)。

 

だからそういう観点で、ロシア外交は注目しなければなりません。私は独自の情報ルートを持っていますが、ウクライナでは間違いなく戦争になります。日本はロシアとの経済協力を強固にしているので、二股外交になってしまう可能性があり、役人は業界と、アメリカ&政権与党に、挟まれて大変になるでしょう。隣国のように闇取引をするわけにはいかないです。ロシアは不凍港問題をよくいわれますが、そもそも広すぎて東も西も国境付近が怖いんです。ウクライナがNATOに入ってミサイルを配備するとなれば、めちゃくちゃビビります。ゴルバチョフとブッシュはこれ以上NATOは東へ向かないという約束を、欧米は現在反故にしています(これは世界連邦がない現在の国家主権体制では仕方ないです)。ロシアは、ナポレオンからも、ヒトラーからも、突然攻めこまれれたことがあるので、いつも緊張しているんです。一般の家で例えれば、小さなマンションなら警備は完璧にできても、お堀もなく森に囲まれた大邸宅に住んでいるようなものです。そして、昔も、ちょっと前にも、強盗が隠れていて、突然なだれ込まれてこられたことがある、というようなものです、当然まわりは警備したくなるのです。プーチン自身も、お兄さんがWW2ドイツ侵攻で兵糧攻めをされているなか病気で薬がなくて亡くなり、さらに長じてからは自分がKGBのスパイとして配置されていた東独の崩壊を目の当たりにしました。西から、命をかけてきた国を壊され、食うや食わずでモスクワへ帰ってきて、タクシードライバーなどをしていたのです。まぁ恩師が政界で出世したりもあり、ひょんなことからオーバーナイトセンセーションで大統領になり、現在は大皇帝のように君臨していていますが、その半生はトラウマを抱えた苦難の半生でした。

 

中国はこれに注視するでしょう。ウクライナ同様、同民族が住む台湾でも、アメリカは喧嘩を売ってますが、それを買ったとき、アメリカがどう出るかということをです。おそらく今のアメリカは、喧嘩を売って武器も売っても、他国のために血を流しまくるのはもう疲れています。そのため、日本も台湾もウクライナも、対案を考えておかなければなりません。本当に自国だけで中国から守れるようにするのかです(それには核も必要です)。それは無理でしょう。もちろん、これは同盟国米国を批判したり、中国ロシアを擁護しているのではありません。戦争を防ぎたいだけなのです。唯一、公平公正な国際連合も、こういうことには、どうにもなりません。だから唯一の方法は国際連合を強化して、世界連邦を作らないといけなのです。戦争をすれば犯罪で逮捕して裁判して罰をかけるぞという枠組みが必要です。

 

原則、米中は政治的には対立していますが、経済では深い関係性があります。人民元では世界に通用しないので結局香港やスイスの金融機関でドルに換えています。アメリカ国債だってもっとも買っているのは中国です。近年、日本はこれと同じことをしてきたわけです。与党でも政府に入る主流派は親米反中姿勢を政治的に見せつつ、与党反主流派は非公式に経済界を守るために中国とうまくやってきたわけです。もちろん野党左派の政治的にも親中派もいます。

 

私はよく、世界連邦を明治維新にたとえますが、徳川(覇権を持つ国、これはアメリカです)と、島津(反覇権国で国連を活用して覇権を取ろうとする国)と同じで結構つながっているものです。

 

だから「二股外交」はやめて、バイでは日米同盟最優先、近隣諸国とのファシリテーターとして活躍するためには日本政府は国連などのマルチ外交を強化したり、トラック2外交などを使え、というのを推しているわけです。

これは、あくまでも日本人としての考えですが、世界連邦主義ともつながる考えだと思っています。

 

 

なお話を海部総理に戻しますが、黒幕の笹川・金丸・小沢先生のイメージから「神輿は軽い方が。。。」などといわれたと誤解されていますが、これは中曽根内閣発足時、大派閥の田中派が支えて、中曽根先生をたてて内閣を作ったときの関係者のオフレコの言葉で、元々は海部先生への言葉ではありません(中曽根内閣は、田中派の押しで成立したので、田中曽根内閣などと呼ばれましたね、でも最後は中曽根首相も重鎮になられました)。ご自身も、自分の事だと誤解されたようですが。

体格も大柄ではないため、イメージで軽量級と思われますが、政治手腕ではたいへんな大物でした。

「恫喝」などはしないと報道されてますが、(もちろん若造の私には偉ぶったりはされない先生でしたが)私自身は机をドンとたたいてお怒りの姿を何度も目撃しておりますから、政治には情熱一杯の先生でした。

 

引退後も、世界連邦での首相や外相への提言はもちろん、台湾が東日本大震災にたいへんな尽力をしていただいたのは有名です。台湾の貢献には、震災ののちょうどその日に名誉博士をもらうために台湾に訪問され馬総統とお会いされていた海部先生のお陰も、おおきかったのも知られざる事実です。

 

十数年くらいまえから、学生とも親しくしていただいたことなどから親密になり、式典出席の名代を頼まれるようになり、総理にしか知ることのできない皇室のこと・政府の秘密・アメリカ・ASEAN・ソ連(崩壊時)などの良さと恐ろしさ、そして各国指導者と連絡するルートなどまで「極秘」で教えていただけるようにもなりました。これは側近の方も知らない言えない話ですから、まわりが思っている以上に、かつての私は海部先生には恩義があったのです。

 

後年は、小沢一郎先生とご一緒に新党に関与され、本当に政治改革の混乱の90年代をすごされたこともありました。そのなかで、現代政治の裏表も、こっそり教えていただきました。

さる三大日系ホテルの一つにある、有名な二階のフレンチレストラン(もともと政治家が多いの店です)に、たまにいらっしゃって、偶然お会いする事もありました。


そのころには、将来は「お前は運動をしてるのだから、政治では前へ出た方がいい、向いている」とおっしゃっていただきましたが、結局自分は日本では、いまだに裏方で、前へは出ていないので、先生のご期待に応えられなかったという意味では残念です。
 

亡くなられて数日たって、すでに密葬は既にすまされましたが、コロナ禍なので無理ということなのですが、個人的には総裁経験者・総理経験者に加え、あれだけの方なので、自民党葬・内閣葬・国民葬か何かなどは、していただきたいです。

既に総理時代から、30年の時を経てはいるとはいえ、世界的に歴史の変わり目の時に総理をつとめられたのですから、どこかに「弔意を示すライトアップ」とか、何か追悼の意を示すことができないのか?とは思っています。

 

また50年もの間、国会議員をされた方は、憲政史上6人しかません。私は個人的には、職業は新卒採用・年功序列・終身雇用には反対で、政治家も様々な専門家が年齢は関係なく「一発屋としてやる」というのが望ましいと普段は思っているのですが、ここまでされると異次元ですので尊敬しております。

現職で、このくらい長く政治家をやっておられるのは小沢一郎先生と衛藤征士郎先生(衛藤先生は自治体首長と参議院をたせば50年の政治家歴があります)だけです。

なお最長は、世界連邦初代会長の尾崎行雄先生の、第一回帝国議会から当選25回・62年以上の政治歴という驚異的記録です)

実は、海部先生は国会議員を、50年やったと思っていらしたのですが、政界引退時、実は(衆議院)選挙中は議員歴に入らないので、調べると49年の衆議院歴で、50年に達していなかったのは、残念とおっしゃってました。

「サイフは落としてもカイフは落とすな」と言われ、なんと「16回」連続当選されました。

1回でも当選すれば凄いことで、25年やれば「永年表彰」を受けられます。なのに16回当選・49年の国会議員歴とは、なんとも考えられないです、、、、。

 

そして最後には、「わが政治人生に悔いなし」と仰っておられました。

 

ご冥福をお祈りします。

 

世界連邦会長 海部俊樹総理

谷本真邦

 

(自分の組織の会長と、わざわざ写真をとらないので、二人で写っている写真は、意外にありません。これは10年以上前ですね)

 

令和4年1月9日の正月明けです。長らくブログを書いていなかったのですが、年末から何回かこれを書いてみました。

しかも、世界連邦や仕事の具体的なことは書かず、どちらかというと自分が思いついたことを、適当に書いているので、文章が「とっちらかっている」、「読み手のことを考えず自分のことばかり述べている」というのは、もしも読んでいる人がいれば、すみません。このブログは自分の勝手な記録みたいなものなので、、、。癖になったので、新年もまた書こうと思います。

 

そもそも、谷本って何してる人?と言われています。

 

世界連邦を目指して運動しています。ただ現実的には、世界連邦建設は時期尚早です。そのため国連や各国政府の高官のお手伝いをしたり、日本の政府には沢山あっても立法機関で国権の最高機関の国会に政策立案能力をつけるべく有識者諮問機関などを設立してもらったりしながら「国連改革強化「を中心にしつつ、トラック2~の新外交を目指したり、新興国の外交アドバイザーなどをしながら、「機が熟す」のをまっています

また元々は起業家でしがこれも時期尚早でなかなか理解してもらえませんでした。現在は一旦身を引いています(以前にも書きました)。

 

ただ、やわらかいものでは、音楽・広告エンターテイメントの世界で、数万人を集める国際貢献のためのフェスをプロデュースしました。

それだけではなく、日本のODAで外国の国立劇場なんかを作ってもらうと、そこで国際交流文化際を開催したりもしました、

厳粛なものだと、イスラエル・パレスチナ平和プロジェクトなどもやりましたし、

国連の鐘と連動して。国際平和デー日本委員会を設立し、国連平和を守る会(寄贈者の令嬢が代表)と世界連邦関係にお集りいただき、事務局長・オーガナイザーをしました。何が凄いかというと第一回は国連の鐘と連動するのは当時の日本宗教連盟のトップの戸松先生のお計らいで「関東最大の鐘」のある増上寺でやらせてもらったことです。ここには、ご皇室の御臨席も仰ぎましたが、増上寺は徳川の菩提寺であり、ご皇族が参拝は歴史的なことです。下記URLでもUPされてますね。

国際平和デー / 平和の鐘鐘打式 / 2020年9月21日(全国版)/ 国際平和デー日本委員会 - YouTube
今年はコロナ禍で延期になりましたので、リレーメッセージでした。

国際平和デー/平和を祈る鐘打式 【2021年9月21日】: 国際平和デー日本委員会 - YouTube

何してる人?といわれても、型にはまっていないので、「バタバタ忙しくしているだけの無宿者」、カッコ良く言えば「脱藩浪人の志士」っていうのが、現段階での回答ですかねー。

 

仕事ではそんな事なのですが、学校は、実は親の方針で地元の学校に行かせたいというのがあって(親の家は、後に破たんするのですが、まだ私の子供のころには、家業の会社もあって、裕福だったので)海外の「ボーディングスクール」に行きたいなどと言っていたのですが、、、。親は「何をバカバカしい。お前なんかは、地元の学校に行って、もまれろ!」という感じでした。

でも諦めた、というよりは、「そもそも名門に入るって、意味があることなのかなぁ?」とかを考えはじめてしまいました、、、。

しかも、うちの地元では、勉強が出来ることは今でいう「スクールカースト」の中でが下に位置して、不良が上位で幅を利かせているような世界でした。むしろ真面目で問題のない子は、逆に馬鹿にされたり、先生からも放置されたり、貧乏くじを引いているような場所でした。時代背景もありましたが。ただ、私は、そこで不良になって狭い世界で威張って生きるのも、バカバカしく、子供でしたが、年は関係なく、都会へ出て、勝手に遊びはじめました。そこで中高時代は、学校をさぼりまくって、勉強も全然しませんでした。うちの高校は、私服もOKだったので、入学時に某有名ブランドの服を着て登校して恥をかいたり、音楽をやっていたので深夜のライブあけでメイクを落とし切れずにそのまま登校して恥をかいたりもしました。さぼりまくっていて、たまにいくと恥をかくので、余計、面倒くさくなってしまいました。

 

まぁ、それでも、ちょこっと受験勉強して、一応「どこの大学でも入れる学力」に戻して、大学を転々としていたのですが、そのころには色々な人脈も出来ており、すでに事業もしていたので、好きな時に理系や文系など範囲を超えて、フラフラ学んだので、事実上「独学者」です。

今も、大学の教授もしていますが、客員待遇のため、ちょいちょいコロナでオンラインの特別講義とかをしているだけで、普段は人の研究を手伝ったり、本の山に埋もれて勉強をしているだけです。

 

しかも、音楽とかもやっていたこともあり、昔から色んなメディアの世界とは関係をもってて、さらに世界連邦運動を通じて政治の世界などにも関係を持ったので、「表に出る」ことも誘われてきましたが、同世代の堀江貴文さんなどが、表に出て思いっきり「火だるま」になっているのを見たりしたので、やっぱり少々「狂人」を自称する私としては、目立つと、色々と炎上してしまうような気がして、お断りし続けてきました。

ただ、一つ真面目なことをいうと(冗句ではないですよ)、結構、「未来はこうなっていくだろうな」というのは、結構あたってました(実際に行動を起こしたものの、時期尚早で、盛り上がりはしなかったのですが、、、)。

昔やろうと起業していたようなことが2,30年のときを経て、世界がそのようになりました。


パソコン通信の時代から「これからは情報化社会」とかは言われていたので、SNS、仮想現実、暗号通貨、監視社会の登場は、見越してはいました。ただ「コンピューター」は凄い!と思いつつ、「パソコン好き」だと、オタク(今でこそ市民権を得ましたが、昔はちょっと蔑視の対象でした)みたいに思われるので、あえて関心を持っていることを出しませんでした。

私の小さいころは、ゲーム好きがマイコンと言っていたコンピュータをいじりだしたり、表計算でオフコンを使うという人がいたというくらいでしたが、私は、音楽作りが入口でしたが「これは面白い!世の中は急変するぞ、、、」とは思っていて、実際、そうなりましたね。

 

よく「すぐ行動に移せ!」とか啓発本などに書いてありますが、実際に行動した私は、早すぎてことごとく失敗しました。

それに勉強のほうも、物理とかをかじって「世界(宇宙)の真理を探究したい」なんて思っても結局はわからないことだらけだし、だったらデータを集めて公共政策とかで何かを模索してみるということもやってみましたが、それが本当に社会に貢献するのかどうかが疑問になってきました。

トランスパレンシー(透明性)が正義みたいに言われていますが、行政や組織がデータを、なんでもかんでも出したら、見方によって、見解がいろいろ出ます。コンプレインを呼び込むだけです。何が国民を幸福にさせるのか、何が重要なKPIなのかが、実際には図れないので、意味を見出せずです。

しかも、医療の二元論的なデータ分析とか、初頭教育のデジタル化とか(親戚のおばちゃまが、東大教授で、これの専門家でした)、公共政策が、意外とスノッブなので、ちょっと不安です。

「多様性」って言われている割には、同時に「正義論」も盛り上がり、実は「不寛容」な社会なんですよ。

つまりトランスパレンシーを求め、データを開示させて集めても、監視社会になって、「正当な評価をする」だとか、なんとか言って、正義を振りかざし、人の揚げ足をとる、ということになるだけだなぁ、と思いました。

データサイエンスは、日本では全く遅れていると言われているのですが、これはある意味、世間の風から国民や団体を守っていることにもなるなぁ、と思っています。

まぁどっちにしても、納税者も、株主も、官報とか有報とかの公開情報すら、(仕事で自社に関係する入札情報とか補助金プログラム情報以外などは)あんまり見ていないですしね。

それと、公共政策を作っているような人は、本当の「公共」を知らない人が多いです。

これは、どういうことかというと、公共政策を作っている人は、ちっちゃな頃から、ぬくぬくとエリート育ちをして、真面目な良い子だった人ばかりなので、そりゃ本当の公共の実体は、肌感覚では、わかってないですよ。

だから、自分の経験から、政策立案や判断をされるのは、良くないと思っています。

とくに高級官僚は、自分の真面目だった子供の頃の経験と、現在親になった自分の子供のことを、照らし合わせて考えて、例えば「18歳未満の性行為を犯罪」にしてしまうようなことが起こるわけです。これが犯罪なら、世の中で「彼氏・彼女」とかいってる高校生なんかを見たら、どんだけ犯罪者がいるか、データを取ったら、恐ろしい話です。

もちろん自分自身も、ある種、感覚がおかしな人だと自覚はあるので、なるべく自分の経験値で、公共をはからないように、心がけています。「自分のことを棚にあげて、、、」と言われる場合もありますが、数字だけでなく、俯瞰的に、あらゆる見方から、社会のファクトを見るようにしています。

 

自分の人生は、幸運だったから生きてこれた、というのもありますが、面白かったので、お勧めできる部分もありますけど、、、。

そんなこんなで、結局、理系や、公共政策はやめて、公共哲学の歴史(思想史)なんかを研究するほうが楽しい、ということになりました。

 

あと、私は、研究者というよりも、何でも実際に行動してみることが多いので、どうしてもバタバタと動いています。止まったら死ぬマグロとか言われたこともありました。

人と一緒にいることが多く、TVやネットを見ることが、あまりありません。

また昔から、流行りものには、うといところがあって、「ガンダム世代、ドラクエ世代でしょ?」とか、言われるのですが、これらのことを、まったく知りません。ドラマもリアルタイムでは、ほぼみたことがなかったので世代的に同じでも話題についていけません。

あと趣味は多かったのですが、みんながやってることを、あまりやっていないということもあります(例えば、子供のころは、地元ではみんな野球をしていましたが、私はサッカーやバスケットボールがやりたくて、クラスメートをむりやりひきこんでやったりしました。今の子供はサッカーをするのが普通になりましたがさきがけでした。それに、大きくなってからも、マージャンは出来ませんし、競馬、競輪、パチンコなども、一回もやったことはありません。笹川良一先生を尊敬していましたが競艇の船券を買ったこともありません。

 

でも、このコロナ禍で、サブスクで、少し昔にヒットしたドラマを見て、「面白いもんなんだなぁ、、、」と今更思ったくらいです。

 

幼少時、マンガやアニメ、それに刑事ドラマとかは大好きだったのですが、小2くらいで、はやくも卒業しました。実は、幼児期から、あっという間に漢字が読めるようになったので、既に保育園から推理小説にはまっており、祖父と政治の話をして、小学生に入った頃から洋楽ロックにハマり、父の文学全集とかも読破するぞと試みて色んな純文学を読了しました。要するに単純に「マセガキ」だったのです。

小学校では、一部の友達からは「物知り館」のあだ名をつけてもらったことはあり、クラスメートから「先生の話」が本当かどうか、私に確認に来る、というようなことが、よくあったくらいです。性についても詳しく、「夏にセミがミンミンなくのはセックスさせてくれって言ってるんだよ」と説明して、女子から変態扱いをされたこともあります。

まぁ大多数からは、変わり者の変な奴、と思われていたでしょう。小学校の同級生からは「谷本って変な奴やわ」と思われてましたが、大人になって再会したら、「確かに変わっているけど、案外まともだったのね」と理解してくれたこともありました。

 

でもTVは、「わかりやすい」のが大流行です。でも同じような話題と、地上波はやたら「食」の番組が多いので、どうしても見なくなってしまいますね。性的欲求への刺激に訴える番組は作れないから、大衆の食欲に訴えようとしているのでしょうが、一瞬は人の心を惹きつけることはできるでしょうが、私はどうしても興味がわきません。

「ひな壇芸人」の番組も、もう一つですね。天才のMCさんが、まわしていて、面白いものもありますが、基本的には、この芸人さんたちは、ひな壇でひとこと面白いことを言うよりも、新宿とかの劇場に生で見に行って、漫才やコントなどのネタを見るほうが、はるかに面白いです。

私には「わかりやすい」番組の作り方は逆に苦手で、「わかりにくい」くらい詳しいほうが、色々探求心をついてくるので、興味がわきます。

 

あとネットは、「勝手にAIを活用して、おすすめをだしてくるので、蛸壺的になることが多い」と良く言われますが、それ以上に、あまりにも二次・三次情報が多すぎて、それなら古典の本を読んだほうが、よほど面白いです。

古典というのは古くから残っているというだけでも、値打ちがあるということです。

ネットを見るならば、昔好きだった音楽・映画を見るくらいですね。

昔はスポーツも好きだったのですが、自分がやらなくなったら、観戦もしなくなりました。

しかも私がやっていたのは、(子供の頃は喧嘩が好物だったので)格闘技とか、子供のころに選手だった水泳、すぐにやめることになった陸上競技、少しだけかじったことのあるモータースポーツ、それにシーズンリゾートとしてやっていたマリンスポーツとかスキー/スノボくらいです。だから、もちろん一流の人の観戦も悪くはないのですが、どちらかというと人がやっているのを見るよりも、やる方が面白いんですよね。

 

それから、最近、スピ系の変わった本が多くなっていますね。

まぁ、これは、元はインターネットの影響でしょうね。陰謀論とかと同じです。

対面が減って、同調圧力がないので、私も含めて、みながみな、好き勝手なことを言ってます、

読書好きの私からすると、スピ系の本は、いわゆるニューソートの流れを組んでいるものが多く、いわゆる「引き寄せ」の啓発系や、量子力学の基礎を用いて「パラレルワールド」の話だとか、目新しいもではないのですが、昔に比べて急に浸透してたと思います。

 

とはいえ、私も、世界連邦日本国会委員会というのをやっていますが、世界連邦には日本宗教委員会というのもあって、神道仏教キリスト教イスラム教など超宗派ですが、神道だけをとっても神社本庁から、おおもとさんをはじめ超宗派の宗教指導者の方々と交流があるので、スピ系もアレルギーはなく、結構宗教は好きです。

思想史としての西洋と東洋文化の融合も面白いです。

それに若者文化の歴史なども、好きなので、若者の左右両方の運動、ヒッピー文化とか。特に史上最高のポップスターのビートルズが、リシュケシュへ行って、マハリシに影響をうけ(のちに喧嘩したり、和解したり、、、)したことも良く調べました。超越瞑想、ヒッピートレイル(カトマンズまでの旅)などの本も良く読みました。子供の時、のちに反社会勢力となったオウム神仙の会(真理教)が出てきた時、すぐに連想したのも実はビートルズ(アクロスザユニバースという歌とか、、、。グルを称えるマントラ=ジャイ・グル・デバ、、、オーム、、、=宇宙の根本の波動の音/言葉のフレーズです)です。

世界連邦の先輩が日本にダライラマ猊下を呼ばれた時には、猊下にご挨拶をさせていただきましたが、そのとき「あなた(私)は、すべてうまくいくよ」と言われたときは、とても感動しました。それに私は「宮さん系」の親戚がいたりもするので、神道も子供のころから身近でした。祖母の姉は女性でしたので、神主というより、「カムヌシ」と呼んでいて、サニワさんと「鎮魂帰神」術を駆使する古神道の流れを汲み、この方も、やんどとなき血筋だったのですがですが、女性だったこともあってか、あえて神職のエリートではなく、笠置の山にずっと籠って、山中のほこらで、神を祭り、毎日祈り続けられてました。

占いではないので変な話ですが考えてることから未来の事実までやたら当たるので怖い存在でした、家業も〇年後から先はないと告げられと実際その年に破たんしました、この人は自分自身で、帰天する時期を2年も前から宣言して、そのとおりの日にさよならしました。「〇年度の春の彼岸明けににさよならだね」といっておられ、やはりその時なくなりました。

そんな方が、母に、お見合いで父と一緒になるとき、この人となら「世界をもっていく男の子が一人だけうまれる、二人はないが、良い」といわれたのが、なんとこの僕なんですね、、、。まだ実現してませんが、、、(涙)、これからですよ!。

実際母は、好きでもないお見合い相手と、子供がそんなに出世するならと、結婚したそうですが、長男の私を生んですぐ子宮筋腫で子宮を全摘しているので、予想どおり一人っ子です。
それに、ソクラテス以降の「科学ではわからないことだらけ」ということが、本当にそうだとういうことを、逆に科学的に証明されはじめて、カントの「理性の世界」の範囲も、どこまでか、わからなくなってきています。不可知、つまり、どうせわかんない。でも、だからと言って「外す」のではなく、とりあえず「信じておく」方が、少なくとも幸福だろうと思っています。

 

ただ、こういった本には、なんでも好きなことが書いてありますが、玉石混交ですね。でも物語としてはとても楽しいです。インド哲学やヒンズー教・仏教の影響も交じって、覚醒(さとり)したり、チャクラが開いて、次元上昇(アセンション)し、宇宙との交流しているなどと、私にはまだ、理解できていないものもあったりします。

あと歴史的に、すでに断絶したものも「実は秘密で継承されている」といわれたり、「偽書」と言われている本が、再び脚光をあびたりもしているので、「本当なの?」と思ったりはしています。

個人的には、アセンションよりも、むしろコロナ禍で次元下降するのでは、、、と思っています(どんどんバーチャルになって二次元化していますからね)。実は、情報化社会がすすむから、そうなるのではと、昔から言ってたんですよね。

 

そういう意味でいうと、私はもう少し勉強しないと、まだ理解ができていないものも多いです。

 

ただスピ系は原則的に、「現代文明」「物質文明」を否定しているものが多いです。「何も持たない」のが幸福、とか言う人も増えてきています。

でも、お釈迦様も、スジャータのように供養や喜捨をしてくれる人がいるから、成り立つのであって、世界中全員が釈迦仏陀だったら、この世は逆に「それこそ殺生の弱肉強食」の野生にならざるを得ません。

ビートルズの歌「ザ・コンティニューイング・ストーリー・オブ・バンガロー・ビル」の「矛盾」です。

 

仏がいう、色即是空、無増無減というのはわかります。すべて物質は素粒子の波動だから、世は空であり、変動していくものであるし、増えたり減ったりもしない、、、というのはそのとおりだと思います。そう考えると波動の差はあれども、道元のいう虫けらも落ち葉も、全て仏性というのも腑に落ちます。

 

ただし、生態系がある以上、個の命の取り合いをしないといけないのは、仕方ないのでは?と思っています。そのなかで、長い年月をかけて、飢餓や自然の驚異に苦しんできた人類が、移動をしながら、一生懸命働いて文明を作って、生態系のトップに立って、せっかく豊かにしたのに、これを全否定とは残念です。これは豊かさの裏返しなのかなぁ、、、。

 

ちなみに、SDGsも、合意に達するまで、私も運動に参加していたので、今どんどん流行ってきて嬉しいのですが、「サスティナビリティ」の部分ばかり強調されていますが、あれはあくまでも「ポストMDGs」、つまり「デベロップメント(開発)」の目標なんです。

むりやり「アジェンダ2030」に、リオプロセスの環境問題をゴリ押しで多く入れたので、それが目立ってしまうというのは仕方ないですが、元々は世界が「物質的に豊かになるためのもの」であることを、忘れてはいけません。

世界では、断捨離どころか、まだ食べていけない人も、燃料がなくて凍死する人も沢山います。生まれてすぐ死ぬ子供もまだまだ多いです。

いまだに紛争で殺し合いをしているのですから、世界では「戦後」とはいえないのです。

食べていくことさえできないのだから、ちゃんとした教育や保健にはアクセスもできていません。人権侵害も、まだまだ残っています。

こういう、経済や文化の格差がなくなってはじめて、多様性、寛容性とかの話題ができるのです。

そのうえで、ようやく世界連邦につなげられるのです。SDGsは世界連邦の地ならしだと思っています。

だから、まだしばらくは、無理なのかなぁ。

 

私自身も、まだ物を所有することに執着もあります。

 

というのは、昔はあらゆる物を集めていましたが、鎌倉の家を処分するときに、「断捨離ブーム」に乗っかって、ほとんどの物を捨ててしまいました。だから私は買いたい物をコレクションして物にあふれた生活と、ミニマリスト、両方の体験者ですが、やはりまだ行き来をしていて迷っています。これも程度問題なんでしょうね。

 

商売でうまくいってないとき、(逆に「見えを張って信用を失うな」という考えもありますが、道徳的に見て、人に迷惑をかける可能性もあるので)生活を最小限にしようとしたこともあります。モットーは質素倹約・質実剛健です。それで断捨離をしてみました。

 

まず「物欲」を捨てないといけないので、ブランド好みはもちろん、人と比べてうらやんだりしなければいけないです。、つまり常識も捨てなければなりません。でも「物欲」は意外と簡単に断ち切れるのです。何か欲しいと思った時少し我慢する。そうすると実際その物欲は忘れるんです。そうしていくと実は、ほとんど生活費も、かからないんですよ。

実際は、幸い色々な人が助けてくれたし、やりたいことも多くて多忙になったので、ここまでのことを実行したことはないのですが、どれだけ最低限で生活できるのかをシミュレーションをしたことはあります。

さがせば、東京で働くにしても、ぼろアパートなら月2~3万で雨風をしのげる部屋は借りれます。地下鉄はありとあらゆるところに張り巡らせてあるので安くてどこでも行ける。仕事をするスーツや作業着だって1万円で恥ずかしくないものは揃います。昔は「安かろう、悪かろう」でしたが最近はそうではありません。安くても、まぁまぁ良いんです(※ただ、これは化学製品・大量生産・国別格差による過酷な労働条件、、、などの結果でもあり、フェアトレードなどを真剣に考えると100円のチョコが1000円になる計算ですから、安くて高品質を保つためには、もっとイノベーションが必要です、、、念の為)。スーパーや百均などでは、食材を含め、激安消費材が、まぁ沢山うってますし、ポイントもたまる。あとはスマホと回線契約だけすれば、まず社会人として最低の情報にも困りません。

あと、何と言っても素晴らしいのは図書館です。タダであらゆるコンテンツが見放題。夏は涼しく、冬はあったかい。いくらでも、暇つぶしも、勉強もできる、というものです。

もしも、扶養家族がいなくて、健康であれば、月10万円もあれば生きていける計算でした。月10万円くらいならば何歳でもバイトはあります。

なお、扶養家族がいる人や、病弱な場合は、最低限ではありますが、行政を頼って生きていくこともできます。もちろん不十分なので政治の力で頑張ってもらわないといけないですが。


そして、つとめ人ならば(会社を売却した時の条件で、私もサラリーマン社長を経験したことがありました)、ひたすら仕事をしていると、会社の財産に囲まれて、生きていけるので、ほぼ支出がありません。私などは、旅暮らしの仕事なので、交通費はもちろん、パワーランチなど打ち合わせを入れまくったら食費に至るまでタダです。仕事をしていて文句を言う人はいません。しかもお金も貰える。

 

私は、いろんな仕事をしましたが、どの仕事も大好きです。これは本当に幸福なことだと思います。

 

「ミュージシャンとか、起業家とか、国連を強化する運動だから、やりがいがあって、楽しいんだろ」と思うかも知れませんが、中学生くらいから色々働いてきて、テキヤでかき氷を売ったり、知人の手伝いで季節ものの夜間バイトでクリスマスケーキ製造をしたり、社長になってからも、失敗してからは、ITとかええカッコではなく、社長が率先垂範をして携帯ショップのキャンペーンでは売り場にも立ったりしましたし、金融会社の各地のティッシュ配りの下請けの営業とかもやりましたよ。ティッシュ配りなんて、早番(出勤する方に配る)の準備は朝6時からだし、遅番(帰宅する方に配る)が終わって、回収して倉庫へ運んで、集計していたら午前様です。休みの日はキャンペーンの稼ぎ時です。文字通り寝る間なんてないですわ。

 

でも、どの仕事も全然楽しかったです。

皆が遊んでいる時に、働くのは、「主体・客体」でいうと「主体側」なので、寧ろ嬉しかったのです。

 

ただし私のように自営業の場合は、仕事をすればするほど、お金がかかります。このことは忘れてはいけません。

下りのエレベーターにのっているのと同じで、その速度以上にかけあがる(つまり儲けを出す)ことをしなければ、奈落の底ですから、気をつけてください。

 

それと幸福に生きるには、ある程度健康ならば、パートナー(恋人や配偶者)がいた方がいいですね。最近の若者は草食系だから「色恋沙汰」は、昔と違って激減しているようですが(今の日本の環境では生物学上普通のことのようですね)。ただ、お金などの条件は関係ないです。お金も「一人口は食えないが、二人口は食える」と昔の人は言ったそうですが、実際一緒にいて、助け合えば、なんとかなるもんです。まぁ私は仕事ばっかりして、家族には迷惑しかかけてないので、あんまり偉そうなことは言えませんが。それと、そもそもパートナーが見つけられないという人もいるそうですが、ある程度、清潔にしていて、人見知りさえしなければ、パートナーには困りません。パートナーに困っている人は、人見知りなだけです。まぁ、これを直すのが難しいのだそうですけど。まずは、ちょっといいと思った人に「好き」と告白しまくっていたら、振られることもあるでしょうが、誰かは振り向いてくれますよ。そしてその相手を「自分好みにする」のは、むしろ付き合ってからの自分の器量だと思っています。若いころ、私の一番の自慢は、モテたことや、相手した人数とかではなく、「俺と付き合ったら綺麗になる」ということでした。もともとパートナーは全く違う環境で生きてきた人ですから、お互い相手に合わせていく努力をしないといけないものですからね。恋愛というのは不思議なもので、むかし「貴方(俺のこと)の都合の良い女になるのは嫌!」とか、いっつも言われてました。でも「そんなに俺にとって都合の悪い人になりたいの?都合が悪い人より、都合が良い方が、ええやん!」と思って、そう言えば結構納得してくれました。

でも、そもそも「好き」と告白できない人も多いそうですが、私は「あなたが嫌い」とは言い辛い、というのなら、わかりますが、なぜ「好き」という肯定的なことを言えないのかは、本当に理解できないですわ。昔話ですが、恋愛では告白の直球のみで駆け引きとかはやったことないですが、それでもパートナーに困ったことなんて一度もなかったですよ。

 

それと前にも書きましたが、幸福に生きるには、夢を持つことは大事です。ただし、時間軸を分けた方が良い。短期、中期、長期です。

①まず長期目標、人生目標です(私などは世界を平和にするとかです)。人生をかけた長期の夢。これは漠然としたものです。生きるベクトルです。具体的でなくても良い。具体的に「政治家になる」とかにすると視野が狭くなる。しかも死ぬときに、最終的に実現できていなくても「少しでも、ここまではやった」と実感できれば、満足できます。

②次に中期目標ですね。ここ数年で何かを成し遂げようということです。起業家なら上場をめざすとか、政治運動家ならこういう政策を実現するとか。サラリーマンなら会社の成績をどのくらいまでにするとか。ですね。

③短期目標は、今すぐにやることにつなげるべきです。今年、今月、今日などの直近の目標を決め、そこから逆算して、今から何をするかです。このプロジェクトを成功させるとか、〇Kgダイエットするとか、試験で〇点とるかとかです。

そして優先順位をつけて一つ一つ行動することです。ただ、これは長期目標にベクトルさえ向いていれば、失敗しても、次々ローリングしていけばいいと思っています。

ただ、これに「まず行動」ということが大事なので、できるだけ取り掛かるのにハードルを下げても良いです。モチベーションが高いときはやる気になりますが、低いと出来ないというのでは困ります。歯磨きのように、自動的に習慣化が出来ると良いですね。

私は、シャワーで切り替えました。シャワーを浴びた瞬間、脳内が仕事モードに入るように自動化していました。

起業家時代は、私は深夜0時ごろまで仕事をして、仮眠を取って、朝四時には起きていましたから、かなりの寝不足ですが、とりあえずベッドから這い出してシャワーを浴びて歯を磨くと、目が覚めます。

それと脳への報酬を決めておきます。シャワーを浴びてからでないと、「いくら喉が渇いていてもコーヒーを飲まない」とかですね。
そうすると嫌でもまずシャワーを浴びます。そうしてスッキリすると、いきなり脳が、勝手に仕事モードに切り替わります。そして暗いうちから外へ出て、スケジュール調整や、経営計画に頭が切り替わります。

 

この長期、中期、短期目標というのは、、、、

例えていえば、長期目標が「東京」から「関西へ向かう」という漠然とした目標を決めるのです。短期目標は、とりあえず歩き出すことです。あせらなくてもいい。あるいていれば、途中で自動車に乗せてくれる人がいるかもしれない、でもその自転車が故障するかもしれない。でも自動車が壊れたら、次は駅からもっと速い電車に乗れるかもしれない。・・・でもその電車が反対方向へ走っているかもしれない、でもそれに気づけばは降りて、乗り換えれば良い。ただ西へ向かうという「ベクトル」だけを見失わなければ、「迷い子」に落とし込まれることはない。

長期目標がない人は、自動車が壊れたら、「人生終わりだ」と思ったり、「次はどうすればいいのだ?」と悩むわけです。だけど関西へ行くという漠然とした目標さえあれえば、なんでもいいから西へ向いたら良いだけなんです。

 

失敗しても、転んでも、死刑になるような取返しが着かないことさえしなければ、生きている限りやり直せます。

しかも例えば、関西までつかなくても、名古屋までついて、そこで野垂れ死んでも、「ここまでいけたかぁ」と実感できれば幸せではありませんか。

 

あと「悩み」も、人間にはつきものですが、これを克服するには「多忙」が一番です。瞑想とかが出来る超人は別ですが、普通は「ぼーっとすると」悩みはじめます。

そのため、もし隙間時間や暇な時があれば「〇〇をする」というのを、あらかじめ決めておくのです。

私などは昔は、「数式を解く」とか「哲学書を読む」とか「事業計画書を書く」とか、わけわからんことでしたが、普通の人でも「好きな音楽をイヤホンで爆音で聞く」英単語を覚える」とかでもいいのです。暇は悩みの始まりですから、これは避けましょう。ただし学生や社会人の場合、とりとめがないと。仕事ができませんから、スケジュールを決めて、切り上げるタイミングも決めておくことも必要です。

 

まぁ私は、仕事が好きだったので、働きまくってますが、必ずしもそれが正解ではありません。

人には向き不向きというのもあって、仕事をしたくないのに無理して働くと心や体を壊します。

その人、その人の、良い具合で、生きていくのが大事なんです。

 

だから、そういう「ハードワーク」が向いていない人には、ホワイトな職場も沢山ありますから、バランスよく働いて暮らすという生き方を、お勧めします。成功者を目指すというわけにはいかないかもしれませんが、質素に暮らせば、そのほうが絶対に幸福です。

 

10代なかばの頃、友人がバイトをしていたガソリンスタンドの夜勤のアルバイトをしたことがあります。この仕事は楽でしたよ。たまにしかお客様の車は来ないし、責任者がいないという理由で、原則その場でのオイル交換やタイヤ交換などややこしい仕事は禁止なんです。たまに来る給油と、せいぜい洗車とふき取りだけ。今は時代が違いますが、なんかそういう楽な仕事も今でもあるでしょう。

 

ただし、仕事が大好きな私はちょっと違ってて、そもそもまだ高校生で、すでにイベントのオーガナイザーなどの仕事もしつつ、さらに夜寝るというのが惜しくて、これをやったんです。しかも本来は何もしなくても良い夜間のアルバイトなのに、本社が売上向上を目指していたので、自分で勝手に、出勤前にそのガソリンスタンドと契約していない周辺の会社を地図で塗りつぶして、訪ね歩き車検・オイル交換・タイヤ交換の法人契約を取りまくり、入店数か月のバイトの分際で、その店はもちろん、エリアNo.1の営業成績になってしまいました。店内に成績を張り出していた棒グラフは今思い出しても嬉しくなります。特に暴排条例前だったので、怖い系の事務所(お酒ではない方のノミ屋さん)では、多くの高級車を抱えており、めっちゃ売上があがりました。

しかも当時、まだオイル交換をしなくても良いタイミングなのに「する時期です」とか言って、ステッカーだけ張り替えて、実際にはオイルは交換していないという「不正」が横行していました。そんな時代でした。でも高校生ながら、一人で本社に乗り込んで、社長に直訴して、こういう悪弊を完全撤廃させました。それが本社から、大口得意先にも伝わり、顧客の信用を得ました。

そんな感じだったので、怖い系の人の車を、別の店員が洗車をしたときに、灰皿を交換をしていなかったというので、いちゃもんをつけていた時も、私が呼び出され、その怖い系の人に会ってなだめました。すると「たにもっちゃん、おらんかったら、あかんのう(笑)」と落ち着いて、かえってくれました。

 

まぁ、これはただの「自慢」に見えるかもしれませんが、こういうタイプなら「起業家」に向いている、ということが良いたいんです。

でも、そういうタイプでないなら、起業家とかはやめておいた方がいいです。普通なら、なるべくホワイトなところで働くのが良いと思っています。これを伝えたかったんです。

 

 

まぁこうして「断捨離」も経験した私ですが、それでも今になって、あれは残しておけば良かったなぁ、、、なんて思うことが、よくあります。

例えば、レコードとか、、、。

使わせてもらっている、ある会員制のサロンに、良いプレイヤーとスピーカーなんかがあったりすると、かけてみたくなります。

でも、全部捨てちゃった。

 

なぜなら、服だって、ドレスコードがあるときのために、一着だけソフトカジュアルタイプの略礼服だけを残して、「モーニング」や「タキシード」などのフォーマルウェアは、みんな捨てちゃったので、たまに「やんごとなき方」らと、正式参拝や晩餐会をするときなどは、レンタルをしないといけない、、、なんてこともありました。昔は自前というと、「若いのに、ちゃんと正装をお持ちでいらっしゃるのね、、、」と褒められたのに、、、。

また、海に行こう!となったときでも、良いサーフボードもあったのに、捨てちゃったので、やっぱりどっかで安物を高い値段でレンタルしないといけなかったり。

長年触ってないので、ギターを演奏してみたいなぁ、と思っても、全部捨てて、ないので弾けないですしね。リッケンバッカ―からビンテージのストラトまでいっぱいもってたのになぁ。

靴や時計を買うたんびに、昔は沢山もってたから、捨てなければよかったと、思ってしまいます。

ただ、当時、ゴミのようなコレクションもたくさんあって、捨てるものと、残すものを、わけようと選んだり、考えだしたら、なにも捨てられなくなるので、何も考えずに、えいやっと、高級品も含めて、全て捨ててしまったのですよね。

ちゃんと選んで「売れば」よかった、、、。

 

もちろん、かくいう私も、シンプルな生き方が幸福ということが、わかないわけではありません。

 

ちょっと話はズレますが、私は昔、チワワを飼っていました。かわいいやつでした。

リビングのとなりにコネクティングしていて、あけっぱなしにできる、このチワワちゃん専用の部屋がありました。それは、このチワワは毛がよく抜けるので、あちこちゴミだらけになるため、部屋から出ないように躾をしていたのですが、私が見ていないときは、その部屋から出て、家じゅうを、うろうろしていたようです。家じゅう、毛だらけになっているので、バレバレです。

でも、私が見ている時は、いい子にしていて、部屋からは出ないようにするという、ズルいところがあって、これもまた可愛いかったですね。

私が、リビングにいたときに、部屋から、遊んでいたボールが出てしまって、「取りに行きたいけど、いけない、、、」とオドオドしていました。かわいそうなので、私がちょっと隠れてあげると、トコトコと平気で部屋から出て、ボールをとりに行きました。

結構、賢いなぁ、と思いました。

 

でも基本は、このチワワちゃんは、起きて、ごはんを食べて、うんこをして、自分の妻だと思っているチワワのぬいぐるみに抱きついて腰をふって、寝る。そして翌朝、また起きて、ごはんを食べて、、、という繰り返しです。

たまにドッグランに行ったり外で遊ぶというのが唯一の楽しみです。

 

人懐っこくて、人気者だったので、旅暮らしの時は、元々預かってくれる人が、とても多かったんです。そうしているうちに家族が出来て、アレルギー体質の子ができました。ちょうど預かって下さった方のなかで、どうしてもこのチワワちゃんを返したくなくて「欲しい欲しい」という方いらっしゃったので養子に出して、十五年ほどの天寿を全うさせて、いただきました。

 

この犬を見ていると、毎日毎日、同じことをしていただけの人生(犬生)でした。

結局は、犬も人間もおんなじ動物なのだから、食べて、寝て、トイレに行って、セックスをして、、たまに遊んで、そして死ぬ。

そんだけのことなんだなぁ、、、と思いました。

 

「人生なんてシンプルなもんだ」と思いました。

 

人間は「万物の霊長」ということで、少し「想像力」が豊かだったため、社会や文化を作ってしまったので、所有欲や義務が増えてしまい、かえって悩みも多くなりました。飢餓がなくなった代わりに、苦労もできちゃったんですね。

 

 

だから、これからは、お金をどかっと使って、プログラムを作り、機械に働かせて、人間が食べていけるようになれば、「シンプルな生き方」も良いのではと思っています。

 

そのために、色々な産業機械システムなどを創造した「支配する側の人」と、それの恩恵を享受して遊んで暮らす「被支配者側の人」、という「二極化」は進むのかもしれません。

 

今は専制主義の国も多いですが、結局のところ世界は民主主義になっていくでしょう。

そして選挙で選ばれた「人気者」が神格化され、政策計画の策定や労働実務は全て「機械」がやって、この神格化された支配者は、少数のスタッフにこの機械の管理をさせているだけでよく、あとのほとんどの大衆は「幸福に好きなことをして暮らす、、、」ということになると思います。

 

こんなことをしていたら大衆は、衰退しそうに見えますが、これは教育や医療・体育などの厚生行政がある程度まともに機能すれば、進化こそすれ、遺伝子的には急に退化はしないでしょうしね。

「支配される」っていっても、労働者階級でも、今や子供が微積や関数まで教えられる時代です。スポーツの記録もどんどん更新されます。

わずか数百年で、遺伝子は変わらずとも、技術だけで、すごい進化をしてますから。だから大衆も好きなことをやっていても進化していくのです。

 

こういう感じが、ポストSDGsの未来像ですね。

こういう感じになったなら、断捨離をしたり、次元上昇したりしても、良いかも知れませんね。

 

ただ、支配者は良い人(哲人王)で一人だったら平和ですが、二人以上になったらスターリン・ヒトラーの戦いみたいに闘争本能が暴走をするような最悪なことになるので、注意しないといけないでしょうが、、、。

 

私個人の考えは、色々言ってはいても、「究極」は、何でもよくて、地球に隕石でも当たったら、自分が人類の歴史に名を残そうが、どんな文明を作ろうが、「一貫の終わり」なわけです。それまでの話です。

 

だから前にも書いたように、人間は宇宙・三千大世界からしたらケシつぶのような存在です。いつ絶滅するかもわかりません。

でも、とりあえず今ここで生きている限り、「自我」は確実にあり、痛みもあり、大切な人を失ったりするととても悲しいという感情が個別にあることは事実です(実際私の昔の師がもうダメ?という噂が入り、夢にも出てきましたが、大丈夫と信じてますが本当なら悲しいです)。スピ系の人がいうように、いくら魂レベルでは宇宙全部繋がっていて「ワンネス」とか言ったって、(素粒子レベルではそれも真理なのでしょうが)現実には、例えば誰かが怪我をしたら痛いのはその人だけで、その他の人は痛くない。「認識しなければ無いのと同じ」という理屈もあるので、これは神経系をはじめ器官が違う生命体と、宇宙全体がワンネスというのは、物理上繋がっていても、「食うものと食われるもの」や「痛み」「幸福」を一致させるのは難しいですね。

 

だから、やっぱり「個」というのも、大きいのです。

 

まぁたしかに、「仏」くらい、無上覚まで悟れたら、痛みなどは、他の苦しみ同様、捨てられるでしょう。

心頭滅却すれば火もまた涼しです。ティッククアンドックって僧侶をしっておられますか。ベトナム戦争前夜、南ベトナムでゴディンジェム政権を批判するためカンボジア大使館前で焼身視察をした事件です。しかし何が凄いって身体が、炎の風で少し前後に身体は揺れたものの、ぼろぼろと肉が焼け落ちるまで、蓮華座(座禅を組んで)じっと瞑想されていたことです。普通の戦場などで皮膚に火がついて、煙(一酸化炭素)以上に、炎を上げて燃え上がると、皮膚のあまりの熱さ(ぜっきょうと、激痛で、七転八倒されます。やはり仏まで行ってなくても修行をつんだ菩薩は、本当に心頭・・・つまり心や神経頭脳を霊魂からきりはなして滅却されていたのでしょう。

悟りの境地・三昧の域に達せられた方は違いますね。

 

 

 

ケシ粒だろうが何だろうが、みんなが痛みがなく、幸福に生きていければいいですね。

 

今は、その過渡期です。さっきの好きなことをやって生きていくのだって、ちょうど、YoutuberやInstagramerのように、「遊んでいる」のを見せたりしているだけで、商売ができるようになりそうなのですが、、、。ただ、やっぱりまだ過渡期なので、本当に遊んで食えている人は、まだほとんどいなくて、メディアや芸能プロのサポートもないし、実際には芸を極めたプロの芸人と同様に大変な仕事だろうと思います。

これは、昔のマルチまがい商法なんかで、「働かなくても儲かるよ!」と、必死で営業トークをしている人みたいです。

「働かなくても、、、」っていいながら「今めっちゃ営業活動してるやん!それならサラリーマンになって営業やったほうが色々守られてええやん!」と思っていましたし、投資家とかも「お金に働かせる」といいながら、一日中変動を気にして画面を見続けている人とかもいて、なかなか遊んで食べてはいけないですね。

 

私は、そんな経験をして、逆にいち早くネットの世界からいなくなりました。

まぁこのブログも、広めようとはしていません。

たまたま団体で作って、放置されていたので、思いついたことを、どっかに書きたくなるため、書きなぐっているという、独りよがりな行為にすぎません。

 

自分の大学の授業でも「これからは、武力の時代、金融の時代を経て、文化の時代になっていく」と講義で言いましたが、、、

これは「ソフトパワーの概念」を説明しただけであって、現実では少しまだの話です。

 

実際には、人類が生きていくための「政治経済」は機械に任せて、文化の世界で「遊んで、好きなことをして、幸福に暮らす」という社会になるには、もうちょっと時間がかかるでしょう。

 

それまでは、ふらふらと世界連邦運動をしていきますわ。

 

 

※ダライラマ法王猊下とご挨拶とお話を賜ったときです。一対一でお話したわけではなく、世界連邦関係者が外部秘で招聘された時で、、

お近くで話せたのは、ほんの少しですが、「あなたは全てうまくいく」と話していただき、感動しました。

※自分で、ご尊顔を写したので、2ショットではありませんが、

 

 

※うちの、今は亡き、チワワ(本名:タニモト・ココ)ちゃん。「人生はシンプルだ」という生き様を教えてくれました。

 

世界連邦

谷本真邦

令和3年12月22日の冬至です。長らくブログを書いていなかったうえに、政局が動き、何回か書いてみました。

しかも世界連邦や仕事の具体的なことは書かず、どちらかというと、思いついたことを日記的に書いていたので、文章がとっちらかっているのはすみません。癖になったので、また書こうと思います。しかも今回は具体的なこともまぜてみます。その第二弾です。

 

私は「ポジティブなホームレス」を売りにしていましたが、

今年もコロナ禍が続いたので、海外出張も減ってほとんど日本、特に関東か関西にいました。こんなに海外に出ない年は少ないです。

また海外からのゲストを迎えることが少なくなりました。コロナ禍前の2019年には、大阪G20、今上天皇陛下の即位の礼などの大きな外交行事、それに最近はWAW!だのTICADだの、いろいろと行事が目白押しであったのに、急にさびしくなりましたね。再来年のG7は対面で行っていただきたいですね。

外務省さんは、法務省さんや厚労省さんと連携して、一部要人に関しては、隔離免除措置もあるのですが、これがなかなか大変で、バブル方式といって、一般の人と接触しない、公共の交通機関を使わない、会食はない、などの制約があります。

米国のように基地があって、専用機を使われるような大国の要人は良いのですが、国連の関係者や、小国の方ではなかなか難しく、大使館が全部手配をされることもあって、日本のホテルや航空会社などの架け橋をお手伝いしたこともありました。

ある国の要人は、航空会社の協力でビジネスクラス全部を貸し切り、ホテルではワンフロアを借り切ってエレベータも専用を使うなど大変協力していただきました。国連では中満次長でさえ隔離されるという事態もありました。オリンピックでは要人接遇の担当をされた方が、現在世界連邦の担当をされているので、少しお話を聞きましたが、さぞ大変だったであろうことが想像できました。

 

その中で、この年末にかけて、非常に印象に残った方が、東ティモールのグスマン初代大統領の来日でした。これは私の上司筋の一人である長谷川祐弘元国連事務総長特別代表が東ティモールの独立以降の民主化など建国や国造りを助けたので、以前からリモートなどで会合に参加していただいたことはありましたが、直接お会いするのは初でした。

このグスマン氏は、現大統領ではないので、国賓・公賓などではないのですが、「独立の父」として、同国では今でも非常に影響力を持っている方です。

東ティモールは、ポルトガル支配から独立闘争に勝利したにも関わらず、インドネシア侵攻と支配があり、この間もグスマン氏は、独立闘争を数十年に渡って継続、二十数年にわたりジャングルに籠ってゲリラ活動をしたのち、インドネシアの軍事作戦に敗北、拘束され終身刑となりました。しかし、この間も同じく終身刑から大統領になったマンデラなどの支援もうけ、刑務所内からも闘争を続けたといいます。

そののち、インドネシア二代大統領で開発独裁のシンボルでもあったスハルト大統領が政変で倒れたのち、国民投票を経て東ティモールは独立。グスマン氏は初代大統領に就任しました。それ以降も、オーストラリア軍の駐留や国境紛争などの困難を越えて政治をされました。

しかもオーストラリアとは諜報活動の問題が発覚し、国際司法裁判所・仲裁委員会など、国際法による国境問題解決に力を尽くしました。

 

こういう人と直に接すると、とてもオーラを感じます。「不屈」というのは、こういう人のことだなぁと思います。

今どき戦国大名のような生き方をしてきた人に会うのはレアです。

もちろん厳しい人なのでしょうが、その波乱の人生に似合わないユーモラスなところもあって、人間力の強さ大きさを感じます。こんな人とご縁を持つと、人間「死ぬまで諦めてはダメだなぁ」と思います。

 

このような方ですので、小生が客員教授をしている大学で、上司の副学長に依頼して、同大学にはこれまでなかった制度である「名誉博士」を、名誉学位規程の原文をあらたに書いて、理事会を通して頂き、授与させていただきました。

 

グスマン大統領はNHKの取材で、「誰(どの国)とも同盟を組まず、誰をも敵とせず、皆が友人である」と、語っておられたのが印象的でした。

 

ただ、武装闘争に生きた人でもありますが、独立後の民主化、国境線を決めるには、国連や、国際法による「法の支配」も重要な役割を果たしたのは事実です。だから世界連邦国会委員会にもおいでいただき、各党の代表とお会いしていただきました。

もちろん我が国とは、前提条件は全然違いますが、近隣諸国と問題が国には、参考になるかなと思いました。

 

 

最近、私も慎重になって、理想を追求せず、出来る範囲で、ものごとをやったり考えたりしてしまう傾向があります。いろいろお話させていただき理想を追い求めるべきだなぁと、本当にエネルギーを貰いました。

 

 

エネルギーを貰った人でいうと、これは外国の人ではないのですが、人材派遣のパソナの南部代表には圧倒されました。

パソナさんは、淡路島に本社を移転されたので、先日ご招待していただきました。役員の方に一日かけて設備を紹介していただき、創業者の南部さんと、その息子さんもご一緒に、お食事をご一緒させていただきました。

国連70周年記念を京都でやった時以来一年ぶりの再会でした。

 

パソナさんは、竹中平蔵先生が会長をされている関係なのか、良く批判されていますね。

でも、とてもすごい会社です。パソナの南部代表は、日本を代表する著名なベンチャー起業家です。

 

それと、竹中先生については、(以前も書きましたが)普通の学界を通ってこなかった方です。

一橋の学部卒で、銀行員から大蔵省研究所で研究したものが認められ、母校ではなく政府に強い影響力を持つ大阪大学の先生に認められ、「乙論」=博士過程ではな「論文」博士号を取得して、学者になられ、さらに、いきなり大臣になられました。

私は優秀な人がこうやって慣例関係なく出世されるのは良いことだと思っています。

小泉政権下で、郵政民営化という巨大郵政利権を持つ方々からは大変な反対にあいつつ、実行されていたので、やたら批判されるようになったのだと思います。私自身は、竹中先生はそんな批判されるようなことはされてないと思います。

 

小泉総理も、冗談がお好きで、基本はなんでも部下に「任せる!」と、仰るタイプでしたが、拉致問題と郵政民政化だけは命がけで断行しようとされてました。それに、中心的に尽くされたのが、拉致問題では安部総理、郵政民営化では竹中先生です。

 

ちなみに、竹中先生といえば、中央区の「ウォーターフロント」の「タワマン」のイメージですね。オリパラもあったので、東京ではウォーターフロントのタワマンが大流行りです。私は中央区や江東区のタワマンに住んだことはないのですが、上京したてのころは、私も赤坂や、竣工直後の六本木ヒルズ、お台場のタワマンに住んだこともありました。

ただ、タワマンだけでなく、一戸建て別邸もあり、使い分けをするのが良い感じでした。私は元々日本では「湘南」などリゾートに別荘が欲しかったのです。湘南なら「披露山」もよかったのですが、ここはビバリーヒルズ・ベルエアー風のところです。それなら本当に海外の別荘の方が価格的にも割安です。そこで日本の別荘なら、昔からある古典的な地区の「葉山」「鎌倉」あたりがいいなぁと思って、「鎌倉山」を選びました。鎌倉山は、庭付一戸建のみで、景観を壊す開発に反対する住民の結束が強く、マンションどころか湘南モノレールの駅も作れなかったほどです。そのためハマると大変居心地よかったです。夜には意味もなく逗子・葉山・横須賀あたりまでドライブして、店歩きをしたり、早朝サーフィンをしてから仕事へ行ったり、休日には船に友人に誘ったりして喜ばれました。

別荘といえば日本でも他にも色々良い所があります。でも「箱根」は温泉なので旅館の方が良い感じでしたし、「軽井沢」などは貸してくれる方もいて手入れ不要な貸別荘で十分でした。会社の仕事で関係したこともあり福利厚生で会員制リゾートも利用しましたがこれはあまり使い勝手がよくなかったですね。また都心郊外の住宅地(田園調布、成城、目黒、落合、、、など)も良いのですが、都心の職場まで車が混むのが難点です。それなら一層リゾート地くらいまで離れる方が良いですね。

関西時代は、神戸の岡本や六甲にも住みました。京都も良いです(御所・新設の京都迎賓館は別格ですが、民間でも戦前の実業家塚本与三次が開発し豪邸造園マニアの山縣有朋についてた天才庭師小川治兵衛造園の南禅寺界隈別荘地も素敵です。曽祖父と縁のあった旧藤田邸や、社長時代に野村證券に招かれた創業者野村徳七邸碧雲荘などの当たりは、良く尋ねた所で、水流と数寄屋造りが良いんです)。でも、やはり関西で阪急沿線阪神間住宅は最高に住み心地が良いです。神戸に隣接する芦屋に六麓荘という地区があり、そこはまだ住んだ事はないのですが何人か友人がいて良く行きました。ここが私の住宅地ランキングでは日本一かなと思います。

あと私自身は、タワマンやホテル系レジデンスなど「デッカイ建物」が好きなのですが、(もちろん性差は色々なので、一概に言えませんが)私の周辺の女性は、タワマンより番町や松濤などの(元々は地主などの豪邸だった所を改装した)、低層階高級アパートを好む人が多く、若いころは選択を迷うことがありました。

家族は定住しますが、私自身は、旅暮らし。転々として暮らすか、世界を飛び回って暮らす放浪するのが好きなので、ほとんど一時的な家かホテル・サービスアパートメントです。

私は、「旅」自体も好きですが、「乗物」と「建物(不動産投資も)」も好きなので、ちょうど良いです。

 

以前、六本木ヒルズが竣工したころは、タワマンに住む人は、ほとんどが元々その辺りの地権者であった高齢者ということで、若者では、外国人と、上場させた起業家などの一部の富裕層だけだったので、まだ珍しく、友人を招いても、びっくりしてくれたので、面白かったです。

まぁ、今は立派なタワマンが、ほんとうに沢山できたので、「ファミリー向けの団地化」してますね。近い将来、「昔の郊外のニュータウン」化するかもしれません(今や廃墟になっているニュータウンも、かつてはサラリーマンファミリーにとって、憧れの生活仕様だったんです)。

しかも、デベが違うので、建物のデザインが統一していないのは仕方ないですが、都市計画もきちんとしていないため、バラバラに地上げをして、場所も飛び飛びで、ドンドン作るので、欧米のよう「数百年続く美しい都市の街並み」には、なっていないのが少し残念です。本来東京は、歴史的に見て、城下町なので整備されて美しい都市になってもおかしくないのですが、地震、大火、空襲など、壊れては新たに作られてきた、民間によるスクラップアンドビルドをしてきた街だから、まぁしようがないです。

 

竹中先生も大臣、つまり公務員でしたので(憲法での公務員とは政治家のことです、、、)、これを批判することは、権力の監視という意味で、言論は自由ですが、私が問題にしたいのは、一次情報に触れていない人が、ネットの情報を切り取って、さも知ったかのように「〇〇氏は〇〇である」とか、書き込む人や、拡散したり、これを書籍化やセミナーをしてビジネスにされる人が多いことです。最近こういう一次情報にふれない根拠のない言論人が多いことが気になります。ネット情報というものは、当たり前ですが、誰でも見られるものです。しかし一次情報に触れていない人も、なぜか「自分だけが知っている情報」のような勘違いをするのでしょうか。これはさらなる情報弱者に対して、ミスリードしてしまいますので、注意したいですね。

 

私は、よく「陰謀論」で話題に出る、国際金融資本の財閥一族の方も、米シンクタンクの幹部も良く知っていますし、「いわゆる」秘密結社と言われている社交クラブも、よく知っています。「表の」王侯貴族にも謁見させていただいたこともあります。

もちろん、政治経済で、競争をしている以上、正直言って、全部が嘘とは言えない部分があるのもあるのも事実ですが、「時代背景」、「見方」、「程度問題」で、良いとも悪いとも、どちらにも言える部分もありますし、相当歪曲されたり誇大化されたりして流されている部分も多いのも事実です。

 

ちなみに私の考えは、企業が暴走しないようにするのを規制するのが「法」で、「法」より「倫理」を上にもってくるべきという考え方が主流になりつつありますが、倫理で人を罰すると、何が善か悪かというのを、恣意的に立ち分けてしまうので、心配しています。善悪は主観によるので、倫理を持ってくると弁護士も、会計士も税理士も、判断が出来ず仕事になりません。

私の母方の祖父は裁判官出身の石油会社社長でもあったため、晩年は経営コンサルタントのはしり的存在から、学者として「経営法学的意識論=LCBA」を確立しました。関西の大学では、経営法学とういう学科を作られるまでになりました。これは哲学的なのですが、こういう学問体系を持ちつつ、倫理道徳だけではなく、ちゃんと立法につなげることが重要だと思っています。

 

さて、そのパソナさんの創業者である南部代表は、「世界連邦の同志」と私が勝手に思っている田中朋清先生と親しくされています。田中朋清先生は、世界連邦日本宗教委員会事務局長であり、私は世界連邦日本国会委員会をしている関係で、いつもお世話になっています。ご皇室とも近いやんごとなき方なのですが、とても気さくに、仲良くしていただいております。ちなみに、ご尊父は世界連邦日本宗教委員会会長で、日本の神社を統括する神社本庁総長の田中恆清先生です。

しかも別のご縁もあって、私の母方の祖父は裁判官から学士応召しビルマで陸軍将校をしていたのですが、田中朋清先生の母方の祖父も大蔵省から学士応召しビルマで陸軍将校をされていたそうで、戦後その私の祖父は高野山で私財を投じてビルマ戦死者のための法塔仏閣を建てたのですが、そこで法要をされていたのが、どうやら田中朋清先生のおじいさまだったようです。あの世から祖父同士が、孫同志に、「平和のに尽くせ」と言っているような気がしております。

 

しかし、パソナさんの「淡路島投資」、これは想像以上のものでした。

実は私は以前「短期派遣を規制」するとき、反対した提言を書いたことがあって、「反派遣主義者」と思われていたことがあります。

でも実際はそうではなく、私の問題意識は「短期派遣規制は、正社員の利権を守るためであって、そもそも労働者の権利を守るものではない。短期派遣は不安定だが、そもそも短期派遣で生計を立てることを想定すること自体がおかしく、人生のなかでそうせざるを得ない時期をなるべく減らすように、社会を改革すべき」であって、「単に短期派遣を禁止すれば、その人たちの人生計画のなかで、一時的な食い扶持がなくなるだけ」、それより「正社員と長期派遣の格差を解消すべき」という論文を書いたので、「反(長期)派遣主義者」のように思われたのです。データ、数式、公文書、判例などを使って、社会科学的に、ちゃんと書いた提言でした。

 

でも、本来は、それだけではなく、「何としてでも終身雇用を守りたいがため雇用の流動化を阻害し、クビにならないため席が空かなくて、一旦はずれたら、横入りできない社会」「出世できない夢のない非正規雇用への批判」、「男女雇用機会均等法によって、女性の正社員雇用を減らし非正規雇用を増やすなど、企業は反作用をするものだということを見据えた政策立案が必要」という提言をしていただけです。

無理やり雇用を守るよりも、クビになっても、リカレント教育でキャリアアップすれば、再就職できればいい、という社会を望んでいます。

 

実際、私自身、この提言をしたときには自社の一部には派遣会社を所有していました。

学生時代には携帯電話にネットが乗るような話が出たとき、いち早く、日雇い派遣の携帯マッチングサービスをシステムを組んだことがありました。これは後に学生企業家の先輩S氏が「F社」のコンサルをして大きくし、ここのオーナーのH氏とわかれて、自身の「S社」を設立し、さらに「Sキャスティングサービス」という会社を子会社で設立され、務めておられた商社を基軸に倉庫会社と組んで英国のフランチャイズや、大手リース会社のビルを使ってレコード会社の出資で、次々とディスコプロデュースをして成功されつつも、外されてモデル事務所を経営されていたのO氏の出資を受け、のちの「G社」が出現しました。

元々は私がプログラムを書いた、携帯アルバイトマッチングサービスが進化して出来た「モ〇イト・ドットコム」は、一世を風靡しました。(G社さんは急成長した凄い会社だったのですが、わずか数年で、店頭公開2部から一部上場、年商千億単位にまで急成長したのですが、現在は派遣と業務請負の法律のはざまで問題化してしまい倒産してしましました)。

 

実は私のところにも、Sキャスティングサービスの出資案内が来てたのですが、起業は元々は社会貢献をするために壮大な名簿ビジネスを自分でやりたかったので、他人の会社の株式を引き受けなかったのですが、ここに出資をしていれば大富豪になっていました(涙)。

まだマザーズとか孫さんがもってきたジャスダックもできていないかったのですが、店頭公開(2部)というベンチャー育成の新たな株式公開基準の方法で、一株5万(50円X1000株)が、当時では離れ業だった2分割と10分割=つまり20分割し、それで一株900万円以上の値がつきました(つまり5万円の株が1億9000万になったわけです)。なので、何千万かつっこんでいたら、売り抜けていれば、ビリオネア(1000億円単位の時価)になったということです。

このSキャスティングサービス社は、大物ディスコプロデューサーが買い取り、同氏は経団連理事や紺綬褒章を受ける大物財界人になりました。

ちょっぴり、悔しかったので、この投資案内企画書を、会社に張り出してたこともありました(まぁ株の売りには慎重な経営陣の方々でしたし、もし最後まで持っていれば、倒産して紙きれになってしまうのですが)。

 

自分自身は単にプログラムを作るのではなく、個人が繋がれるような「実体」を作りたかったのです。

今、ようやく、はやりだしたビジネスモデルを、20年はやく作りたいと思ってしまったのです。

現在は監視社会が問題になるくらい個人情報をつかめるようになりましたが、当時の私は、個人の力を信じていました。「雇用」は厳密な個人の管理が必要です。そして労働力というのは、個人の信用にもなるので、個人を管理することによって、「個人の行動や思考の管理」と、その信用をもとに「労働力ポイント」という、お金の代わりになるような、金融サービスをくっつけて、誰もが「将来の労働力」を担保にして、「不動産などの担保なし」で融通できる金融ビジネスのようにしたいと思っていました。

しかも宇宙ステーションを活用することも、かなり本気で研究しました。今でも半分冗句ですが世界連邦の大統領府は宇宙ステーションにしても良いくらいに思っています。腐敗防止にもなりますしね。

それにインターネットが携帯できるならば、単に顧客囲い込みビジネスモデルというだけではなく、個人の行動や思考の管理を、時空も超え将来の労働力などを信用をポイントにして貨幣にできて融通できるので、国家主権というものを越えて世界が繋がれる社会になれば、世界新秩序を創設できると、壮大な夢を持っていました。

 

これらは、今のSNSや、暗号資産(仮想通貨)で実現してきているモデルです。

個人の将来の労働力を含めた人間力を担保に金融ができるというポイントはまだありませんかね?。中国で生涯ポイント制度が始まりましたが、私の案は「個人の長所」で不動産などの物をもってなくても「与信」をつけるのを目的にしたものなので仕組みは近いですが少し違います。

 

ただ、こういうアイデアは私が天才だったからではなく、職を転々としたのちスタンフォードの教員から連続起業家になったジムクラークなど、先輩のシリコンバレーの先端起業家の人たちは考えていたことでしょう。

ただ、ハードとインフラ、そして何よりも世界の人々の思考が、まだここに追いついておらず、私などは、早すぎました、、、。

 

「影の大統領」とまで言われたピーターティールや、YouTubeを作った連中、イーロンマスクのような、いわゆる「ペイパルマフィア」の人々、それにビルゲイツを継ぐザッカーバーグのようなハーバード系の学生起業家は、逆に「レイトカマー」だったから、成功できたというところもあります。

アマゾンやアップルのようにイーコマースを基軸にサーバーを巨大にしてビジネス化したり、PCや携帯インターネットサービスを徹底的にお洒落にする(スマホのことです)など、「シンプルなビジネスモデル」を追求しまくる、、というのでも、良かったのですが。

 

中央官庁的に言えば画期的だったデジタル庁も、出来るまでは良かったんですが、結局ITに詳しい平井先生が大臣をされると、結局アメリカのクラウドサーバーを取り入れるしかなかったですしね。またせっかく民間トップを事務方トップにしようとして伊藤穣一さん登用されそうになりましたが、身体検査で落ちたりしましたしね。

 

先述のビルゲイツだってMSのOSが、IBMに導入されたところから、成功物語がはじまりました。しかも、そのOSは、ほとんどパクリです。パクリでもなんでも、IBAは「良い」と判断したから採用したのでしょう。そのうえでビルゲイツの「契約方法が良かった」とか色々成功理由を後付けされてますが。でも今の日本では、大企業が、自社の命運をかけるような発注を、大学中退のCEOが個人でやっている会社でも、「良い」から採用する、、という判断能力がないんです。日本なら、彼らは実績がないからダメ、彼らの会社は小さくて信用がおけないからダメ、とか。

だったら、他の大企業や公的機関が使っている製品でやれば、無難で間違いはない、、、ということになるんです。これだと日本にベンチャーが育つわけないですね。

 

これらの事象は、いつも言っているように、選ぶ側が終身雇用の弊害で、本来の実力の判断が出来ず、一般的なブランドがあって欠点がないという信用力だけでしか判断できないのです。

 

それと日本では、90年代に、YouTube的なことをやろうとした奴は「著作権問題」で違法のため「こんなビジネスは無理無理」と扱われましたし、「P to P」も日本発信でしたが、この革命的なモデルも、「犯罪」になって、うまくいかなかったですし、、、。

コロナ禍など危機は本来チャンスです。また金余りと低金利でベンチャー投資は増えてますが実は玉石を判断できず「皆が出すので出す」というだけでバブル期に絵を高額で買っているのと同じです。世界ではリーマンショックという危機後、ウーバーやエアBなどシェアリングが流行りましたが、日本は既得権益が必死で止めました。DXとか言ってますが昔のIT化と何も違いません。日本はアニメ・ゲームもやりつくしました。だから結局今の大機関投資家のベンチャー投資は紙くずになるかもです。たまには日本でも成功する所もあるでしょうが、確率的に、オリンピックの金メダリストくらいの可能性だと思って下さい。銀行や証券マンの融資条件は「社長を見る」という事が良くいわれます。それは失敗してない無難な人を選ぶという意味です。もっと言うとビジネスモデルの成功性を判断できないと言う事でもあります。失敗を許さないという事は、ベンチャーは失敗確率が多いので人生棒に振るから日本ではやめておいた方が良いという事です。戦後は高度経済成長や行政改革などの波に乗って成功できましたが、いやまそれも無理になってきました。だから今、日本では、まだベンチャーは成功しにくいと思います。銀行は、自分が個人で商売をしたことがないくせに、まず商売して貯金してその分くらいなら創業支援金を出すという所が多い。ユニコーン企業が生まれるわけないです。

 

そして自分の失敗は、これに加えて「資本」問題もありました。

 

私は、そのころ、そもそも旧東側諸国の失敗は、マルクス主義の失敗ではなく、資本主義が未成熟な状況で農民革命を起こして、単に名前を変えただけで新王朝を作ったことに原因があると思っていて、むしろこれからは、共産主義の敗北の名のもとに、その思想の影響力が弱まり、資本主義が成熟しすぎて、格差が出来て、次の世代にこそ本来の社会主義的な段階に入ると思っていました。

 

だから私は、世界社会文化に貢献をするために事業をしようと思っていましたので、自分の持ち株の支配権などには全くこだわりませんでした。ただ、これも、早すぎで、まだまだ「資本主義」の「勝ち組」時代が続いたのです。

2010年以降くらいから、やっと「持続可能性」などが、流行りだして、格差もようやく問題になってきました。

当然「格差」なんて昔からあったし、「持続可能性」なんていう言葉も、ローマクラブ発足時から流行っていたのですが、ビジネスの世界では、最近まで出てこない話でした。

 

「所有(資本)と経営の分離」という言葉も流行りそれを実現しようとしましたが、これは国際的な資本家のための言葉であり、世界でも全然進んでおらず、脇が甘すぎました。結局、株を支配していないことで、逆にガバナンスが効かず失敗しました。

 

そのうえ私自身、グローバリストのくせに、株を売った先が、日本の機関投資家だったことも原因で、投資家にやりたいようにやられて(未公開株として転売までされてしまいました。自由に流通できるをを良しと思っていたのも馬鹿ですが)失敗してしまい、一部の会社は後身に譲って辞任したり、一部の会社は大手に売却したりして、連続起業家の道から、一旦引退して、大学に戻りました。

 

しかも、日本では失敗すると再起できません。また機関投資家さんは、プログラムなどビジネスモデルには投資をしてくれません。これもベンキャピさんなどの機関投資家さんがアナリストも含めて、終身雇用の銀行員で、ベンチャーの専門家ではないためです。

 

つまりこれも終身雇用の弊害で、金融マンは金融マンなので、新しいビジネスモデルの評価ができる本当のエンジェルがいないからで、投資分析が、経営者の経歴、他の機関投資家とのバランス、せいぜい利益の実績しか見られず、起業には向いていないことが多いのです。

海外の連続起業家などは何度も倒産している人も多いのですが、、、。

 

日本でも、戦前までの起業家は、ことごとく失敗を経験して、成功した人も多いのです。戦前は終身雇用・年功序列なども、農村以外ではなかったです。だんだん官庁などが取り入れ、戦後高度経済成長とあいまって民間にも浸透していきました。

また起業家には、「借金王」が多いのですが、最後まで資金を回せた人は成功者といわれます。成功者とは、死んだときに、会社が資金を回せられる状態だった人のことです。つまり、死ぬまで資金繰りが回せた人は成功者で、生きている間に詰まった人は失敗者といわれます。

松下幸之助氏だって、戦後すぐは税金の滞納の王者だったうえに住友銀行からの巨額の融資で大きくなりました。バブル崩壊寸前で、亡くなったので、経営の神様といわれています。

でも、そごうの中興の祖の水島さんも、ダイエー創業者の中内さんも、バブル崩壊後も生きておられたために倒産してしまい、最後はペケがつきました。

孫さんも、死ぬまで資金を回せたら、「ベンチャーの旗手」でしょう。でも生きているあいだに資金が詰まったら、ここまで成功しても「失敗者」と言われるでしょう。

 

そんなことで、失敗の可能性は誰にでもあるのですが、今の日本は失敗経験があると、立ち直れません。

 

だから私は、そんな状態の日本のベンチャーへの起業や投資に関与はしていません。

自分が、創業に関与した会社以外では、自分名義では資産がほとんどなく、せいぜい親族が所有する法人が所有している海外の投信や株などしかありません。ただ、これらは、現金化していませんが、ユニコーン企業の株もあり、いずれ「利益」をもたらしてくれるでしょう。

 

今はセミリタイア状態ですが、「世界連邦」を目指すためにも、またコロナ禍が終われば、シリコンバレー・シリコンアレー(懐かしい!)、そしてアジア、ヨーロッパ、アフリカなどの、これからの街に行って、先端のベンチャー企業の経営や投資に関与してみたいと思います。

 

 

話は戻って、このパソナさんは「オリパラ・コロナで大儲け」などとも言われていますが、人材派遣・紹介や請負などは、人が商品にあたるので、本当に募集(普通の会社で言えば仕入)、管理(普通の会社でいえば商品の品質恒常化)が、とても難しい業務なのも知っています。

濡れ手にあわの儲けなどは、できないのです。「社会が困っている時に儲ける」と批判されますが、「社会が困っている時に経済を回す」というのは、本当に難しいことで大事なことなのです。コロナ禍で、いくら政府がお金を使うと言っても、医師会は人手不足で機能せず、医療崩壊しそうになったのが、その証拠です。あの人格者で知られていた尾身先生が理事長を務めるJCHOでも、お金があまっちゃって問題になるくらいです。

 

だから私は、反派遣主義ではなく、どちらかというと反終身雇用・反年功序列・反年齢差別など雇用の固定化と、企業の反作用に注意しようという主義者なのです(もちろん若手にもチャンスを与えるjこともいいのですが、むしろ高齢者差別が多いので、これに反対しています)。いずれにせよ、外国人労働者を少しいれるとか、人手不足のところは給与をアップするという対処療法では解決しません。世界とともに経済成長していくしかないのです。

 

そういう考え方なのと、労働問題では数学を使った研究や提言もしてましたので、パソナさんを、そもそも色眼鏡で見ることはないです。

 

私は色々な大学に行ってますが、そのうち一つは神戸大学だったので、ちょうどそのとき阪神淡路大震災があって、パソナさんにはその時の復興にかなり寄与していただいたので、むしろ尊敬していました。

 

ただ、さすがに地方創生とはいえ、淡路島の上側(淡路は日本地図で下側になるところが発展しています)に移転とは、思い切った決断だなぁとは思いました。しかも、派遣やアウトソーシングでは結局現場が全国各地になるため、ちょっとした代表まわりの管理部門の移転と、ホテルやショッピングモール、研究施設など、よくある大型複合施設を作っただけかと思っていました。

 

しかしお招きいただいてお伺いしたら、全然違いました。まぁ、凄かったです。

 

無農薬農場の真ん中に「農家レストラン」を作られたり(これは農業政策に詳しい人ならわかりますが農業に株式会社が参入して山林を農地にしてそこに商業施設を作るというのは政治的にとても困難です、この壁を突き破られるのは、政治を動かすだけではなく、現地の農家や組合の方々などのご理解など、相当な努力が必要でしょう)、阪神淡路大震災の震源地となって廃校となった小学校をリノベーションしてカピバラやポニーが放牧で闊歩する「牧場兼レストラン兼特産物小売施設」を作られたり、「空中禪道場」とかも建設中でした。しかも島中に日本のソフト産業の雄である「アニメやキャラクターの世界」が、存分にちりばめられています。泊めていただいたところもよくあるリゾートホテルなどではなく、「グランピング」施設で、夜は満天の星が見え、朝は海沿いということで雲海が見えました。しかも、どれも、内装や家具の一つ一つまで、「創業者の南部さんが東南アジアから買い付けてきたもの」というこだわりがあって、驚きました。これは、相当な熱量が必要で、お金があれば出来るというものではありません。

 

創業者の奥様にもお会いしたのですが「70歳になっても、20代の頃と、夢や情熱は全く変わってません」とのことでした。

 

ちょっと空間プロデュースを知る者なら、よくある「外資系のフランチャイズ系の高級ホテル」が、夜景借景と、間接照明で暗くして高級感を「演出」し、「サービスが良い」のではなく「サービスが良いという宣伝戦略」を活用していることがわかり、どこも同じような箱が、ほとんどです。

でも淡路島は全然違いましたね。本当に素晴らしかったです。まぁ海外などでは、海や山などの自然が、そもそも雄大だったり、街が古くて城下町として色合いが揃っているので、綺麗だったりするので、それはそれで悪くはないのですが、日本の地方では、なかなか「良い感じ」を出すのが難しいので余計に、すごさが伝わりました。

 

ただでさえ、地方(田舎)を扱うのは難しいと思います。

 

私自身の経験でも、10代の時、バブルの絶頂で、リゾート全盛でした。関西のバブルのシンボルと言われた安間・堀一族の経営する和歌山の「川久」という会員制高級リゾートホテルの、大阪の出店である心斎橋・日航ホテル内のテナント「マニエル川久」のバーの運営をアルバイトで任せていただいたことがありました。私は10代のころから、音楽の仕事~イベントの仕事~お店の運営請負については詳しかったので楽しかったです。しかも、ここは関西バブル紳士のたまり場で、大金持ちのお客さんから、ご一緒されてこられる芸能界の人から、公職の方まで来られていて、にぎわっていました。お店が終わってからも、飲みにいくのに、同行させていただいたり、とても可愛がっていただきました。しかもこのころは、どんな業種の方でも、リゾートには関心を持っておられました。

でも、私が大学で忙しくやめてから、バブルが崩壊し、川久は倒産しました。ここにお客さんとしていらっしゃっていたバブル紳士たちも、多額の不良債権で新聞をにぎわすことになります。

また東京の知人に、イ・アイ・イの高橋さん(故人)という、バブル海外リゾートの帝王もいらっしゃいましたが、わずか数年で兆単位の資産を形成しましたが、これもメインバンクの長銀とともに、あっという間に潰れました。

私が10代のころ、日航・全日空・帝国ホテル・ワイキキホテル群のオーナーの「戦後最大の政商」と呼ばれた小佐野賢治さんは、知人の不動産業で成功された大実業家の方に、「リゾートは、君にはまだ早い、甘いものではない、厨房の芋の剥き方にも目をくばらんといかん」とおっしゃっていました。そんなものかと思いました。

 

西武の堤さん、国際興業の小佐野さんクラスの「ものごっつい人」でさえ、初代が一生をかけて築いたリゾートや不動産を中心とした財閥も、二代目までは持たず、国際大金融資本の外資系ファンドに一瞬で買収され傘下におさめられてしまいました。

 

地方を開発するというのは、並大抵の気合では出来ないのです。

 

「地方創生」、「地産地消」、「無農薬」、「持続可能性」、「ソフトパワー」、「精神世界」などは、いわゆる今の「流行り」だけれども、実際は合理性から、なかなか出来ないものです。パソナさんは、創業者個人の熱量で、これを実現させておられました。

 

 

例えば、レストランに一本の木でできた数トンもの超大型テーブルを搬入したり、、、捨てられていた小学校のモニュメントを掘り出して修復して展示しなおしたり、、、お客さんに雰囲気を楽しんでもらうため三階にクラッシックカーを搬入したり、、、。これらは、ほんの一例ですが、はっきり言って、やろうと思っても面倒なものばかりです。ちょっと合理的に考えたら、「やめておこう」と思うものばかりです。

 

ぜひパソナさんには、私がやろうと思っていたような、アメリカの西海岸の港町サンフランシスコでスタンフォード大学を中心に首都たる東海岸以上にベンチャーが育つシリコンバレーを形成したように、日本の西海岸の港町である神戸で神戸大学などを中心にして首都圏以上のベンチャー・イノベーションの街を形成していただきたいですね。神戸には、その潜在能力があると思います。

 

でも、淡路島というのも、目のつけどころが良くて、古事記や日本書紀ではイザナギ・イザナミが最初に作った島とされている縁起の良いところですし、実は社員さんたちも、若い人もベテランも関係なく責任ある役職に登用されているし、神戸や大阪から通われている方が多く、決して一部ネットで叩いている人のいう「島流し」などではなく、30分もあれば「都会」という、ちょっと郊外にあるという場所なのです。

空港も一時間圏内に、伊丹空港、神戸空港、関西空港と、「あまり使われていない」と評判の良くない国際空港を再活性するには、ちょうどいい位置にあります。

 

トヨタの都市計画も面白いのですが、こういうところも、ぜひ国際機関の人にも多く見ていただいて、未来型都市の事例として参考にしていただきたいと思いました。

 

 

これらの方々は、本当に志があり、エネルギーを貰いました。

慎重だったり、面倒くさがっていてはダメだなぁと、反省しております。

 

もちろん政財界や文化界には、凄い人が多くて、いつも影響を受けますが、今年末もこれらの方にエネルギーを貰い、「来年も頑張るぞ」と思ったところでした。

 

 

東ティモール 独立の父 グスマン大統領

 

パソナ南部代表と淡路島にて

 

世界連邦

谷本真邦

令和3年12月18日です。長らくブログを書いていなかったうえに、政局が動き、何回か書いてみました。しかも世界連邦や仕事の具体的なことは書かず、どちらかというと、思いついたことを書いていたので、ちらかっているのはすみません。

癖になったので、また書こうと思います。しかも具体的なこともまぜてみます。

 

現在は「世界のために、名も命も求めず、年中無休無給で働く」という笹川良一先生の教え通りに暮らしています。笹川先生はご存じのように現日本財団の創設者で国際的政財界の大立者だった人で、大物宰相の田中角栄先生や戦後最大の政商・小佐野賢治社主などとも仲が良かったそうです。また戦後最大の黒幕・児玉誉士夫先生の上司筋にあたり、山口組三代目親分(※昔は極道の人は表の世界の人とも普通に付き合いできました)と友人だったりもされたので、世間では暴力団の親玉みたいに思われていた部分もありましたが、私がお会いさせて頂いた際は、立派で、かつユーモアのセンスもある魅力的な方でした。

 

かつて創設した会社の株とか現金化できない資産や、親族の支援や、他人の組織の財産に囲まれて、暮らしているだけです。

ただ、現実的には、これでは、自由にお金を支出したり、お世話になっている人に恩返しもできず、家族にも迷惑がかかるので、やはり出世したり、お金儲けをしたりも、必要かと思っているところです。

 

しかし「黒幕」として、戦前の政治運動家の大立者である頭山満先生(もちろん戦前の方なのでお会いしたことはありません。

ただ直孫の呉竹会会長・頭山興助先生には、平沼赳夫先生らとされていたご皇室行事の「新嘗祭」を祝う祭事や、無窮会という孫文らの文書などの管理する資料館に関するお手伝いさせていただき、一時私を「懐刀」と呼んでいただいて、感動したこともありました。最近はすっかりご無沙汰しており失礼しておりますが。頭山先生のご縁で、若き日に国連高官などもご紹介いただきました)、

 

そして前述の

「昭和の黒幕」笹川良一会長(日本船舶振興会・現日本財団創設者)、

「平成の黒幕」池田大作会長(創価学会の中興の祖)など、

国家元首クラスが、挨拶にきたり相談をしたりするレベルの黒幕は「令和」では、まだいないですね。


実は複数の政財界の偉い人には、谷本が令和の黒幕になれと言ってくださいます。特に今は右翼、宗教も良いけど、学生起業や社会運動もした得意の「ネットワークテクノロジー」を活かした世界連邦運動でやればピッタリだとおっしゃっていただきます。しかも世界中の政財界文化界のあらゆる諸アクターと人脈を築いているので、むしろ日本だけの政治家になるより世界規模が、合っていると仰っていただきます。我が意を得たりと嬉しいことです。


ところで私の少年時代は、バブルだったので「黒幕的な人」は沢山いらっしゃいました。

私が、関西から上京して、最初に会社の拠点をおいた港区で、あちこちに事務所や社宅を置いたので、麻布の各所をお持ちだった有名な麻布自動車の渡辺さんなどにも、不動産でお世話になりました。

 

また商法違反となってからも、いわゆる総会屋の人々も、たくさん残っておられました。

学生のくせに生意気にも会社社長をしていた時代、本業では野村證券さん、副業やプライベートでは西武(コクド)さんに、お世話になっていたので、その筋では後に名前が出てしまい問題になってしまった方も、いらっしゃいましたね、、、。

このころは、裏社会の方も、表の社会に、バンバンからんでおられました。

竹下総理「ほめ殺し」を覚えているかたもいると思います。この時は竹下・金丸両先生⇒東京佐川の渡辺社長(佐川急便は創業者が、田中総理と同郷で、笹川先生と組んで、運輸省を動かし大きくなられました)⇒稲川会二代目親分(見た目は、非常に柔和なビジネスマンタイプの方でしたが、ご病気をされて亡くなる直前、逆に突然大親分の貫禄が出てこられて、あまりの変貌ぶりに驚きました)⇒皇民党という流れで納めて問題になった事件です。皇民党総裁は、四国の方で一般には無名でしたが、当時の五代目山口組カシラで飛ぶ鳥を落とす勢いだった、ミナミの大親分と、兄弟分だったという超大物です。

でも、だんだん、バブル期くらいから、極道が問題になってからは、裏社会の人が出てこられることはなくなりました。

私がボランティアでお手伝いをしていた政治家のパーティーなどでも、「それ風」の人たちは、パーティー券購入金だけ受付において、名前も名乗らずに帰られるというのを、目撃しました。今は「組を会社ごと堅気にされた会長」以外は、政治家のパーティーでも、一切いらっしゃらないです。

 

もちろん、今は暴対法の制定、そして暴排条例の制定で、表の人は、反社会的勢力と言われるようになった裏社会の人とは、一切付き合ってはいけなくなりました。そこで「半グレ」と呼ばれる不良グループが増えました。ただ、私の少年時代には「半グレ」とは、本職の極道にはなれない「堅気の」不良という意味でした。昔の警察では、「愚連隊」も、博徒、的屋、さらには興行、港湾・炭鉱・土建業の口入れをする正業持ちのヤクザと、同列に扱われていました。有名な安藤昇先生なども(太陽族の登場以前の戦後すぐに、学生パーティー屋をされていた、いわばイベサーの元祖的存在だったので、正直憧れてました)、愚連隊で、渡世違いや稼業違いとはいうものの、ちゃんと(?)ヤクザ・極道として扱われてました。

 

でも、今はヤクザが、法律で闇に潜って以降は、「半グレ」と呼ばれるグループも、「半」ではなく、本物の極道と変わらない反社会的勢力になってしまいました。勢いで人殺しもしますしね。伝統的な賭博などをやっているのかどうかは知りませんが暴力的な行為ではなく、ごんべん(詐欺)や、薬局(違法薬物売買)などを商売にしている不良が多いと聞きました。私が警察の偉いさん(四課経験者)から直接聞いたのですが「極道は懲役へ行っても、組が家族の面倒を見る、留守中に姉さん(奥さん 東京の的屋さんではバシタというらしいです)に手は出させない、懲役を終えたら出世する、親のためなら命さえ惜しまない、命令されなくても動く、こういう体質だから、まずいのだけど、半グレは基本的にお金儲けが目的で懲役を避けるから、まだマシですわ」といっておられました。ただ本職は、足を洗ったり、破門・絶縁・所払いなどで、やめることが出来るし、5年たてば警察的にも堅気の認定をされます。でも半グレは、元々ちゃんとした組織でない「ただの地元の先輩・後輩の友達関係」なので、やめたくてもやめられない、という欠点もあるそうです。そんなもんなのかぁ、、、と思いながら聞きました。

 

しかも、愚連隊も(戦前は大陸浪人となって軍の特務機関として汚れ仕事の下請けをしたり、戦後は国内の三国人を取り込む)、政府転覆をたくらむ極左暴力組織も(直接海外で事件を起こしてました。中東で爆弾や乱射事件を起こすテロリストの元祖はそもそも日本赤軍です)、日本の反社会的勢力というのは基本的に国際的でしたので余計大変だったそうです。

ただ昔は、極道も、任侠右翼など、極左暴力組織と対抗する勢力として、ある種、保守系の人たちから、認められていた部分もありました。

戦前は、議会政治を推し進めた院外団や壮士といわれた、今で言うロビーイストはヤクザでした。しかも政治家になるヤクザもいました。

九州の炭鉱のドン、吉田磯吉親分も、政治家として大成されました。横須賀の小泉又次郎氏(小泉総理の祖父)も、海軍港湾荷役請負のヤクザ親分から政治家になった、通称「いれずみ大臣」でした。戦後でも、ナベツネさんの親分筋の大野伴睦衆議院議長も、「任侠道は日本の心」と言われていたそうです。「政界の暴れん坊」と言われた浜田幸一先生も、元々本職のヤクザで、関東の大親分である稲川会初代から児玉誉士夫先生を紹介され、そのバックアップで政治家になられた方です。浜田先生には、亡くなられる少し前、空港のラウンジで偶然お会いして、ご挨拶したところ、私のまだ小さかった長女を抱いて可愛がってくださいました。生意気に私もファーストクラスだったので、通路を隔ててお隣だったので、機内でも娘を可愛がってくださいました。政治には厳しくても、本当に優しい方でした。今なら元ヤクザが政治家になるのは無理でしょう。ん?いや、立派に副大臣になられた現職の先生も、暴力事件で逮捕歴があったりもするので、更生すれば大丈夫なのかな?

まぁ、いずれにしても、飯島内閣官房参与(元首相秘書官)いはく、「政治家のクリアランス・身体検査というのは、叩けば埃が出る人かどうかの粗探しをするのではなく、政治になるほどの生き方をしていれば、誰でも一つや二つは、内緒にしたいことはある。だから叩いても埃が出回らないように、洗いざらい聞き出して、問題にならないように、手を打つことが、本当の身体検査だ、俺にやらせれば問題は出ないのに、、、」と仰ってました。内閣の参与というのは、立派な役職ですが、アドバイザーなので、直接的な権力はないので、こうおっしゃっているのでしょう。

これも、なるほどなぁとおもいました。政治家になるような人で、本当に隅から隅まで調べて、何の問題もない人なんて、自ら泥を被らない器の小さい人か、何もしてこなかった人に等しいですから。

 

総会屋も、与党総会屋もいました。いま、総会屋、つまり特殊株主がいなくなって、外資系ファンドが「ものをいう株主として登場しはじめた」などと報じられるようになりましたが、昔から「経営者を批判する野党総会屋」、それを「黙らせる与党総会屋」がいて、バランスを取っていたのです。大阪の一部の地域では、子供が不良グループに入ると、地元の親分に頼んで、部屋住みをして更生をさせてもらう、などという風習もあったくらいです。生まれながらに被差別をされる境遇で、どうしてもその道しか進めない人だけが、正式に盃を貰うというわけです。


今だからいえますが、私も若い頃、クラブのパーティーを仕切っているときなどは、よく「パーティー荒らし」と呼ばれる、のちに「チーマー」とか「ギャング」とかを自称するようになる、「不良少年たち」が暴れていました。暴走族はバイクなどで走るために集まっているのですが、こういう不良少年は、喧嘩上等とか言って暴れるために集まっています。例えば、スタッフが入口で「並んでください」と言うと、「俺は人からの指示は受けない」とか、ワガママばっかりいって、喧嘩を始めるので、困るんです。元々、大阪にも古くから「暴走族」だけではなく、北(梅田)とミナミ(心斎橋)それぞれに、極道の下部組織の、大きな不良グループの流れがありました。また親分の息子たちなどのボンボン不良と呼ばれる連中もいました。大阪で、学生を集めてイベントをするようになって、非常に目立った存在になった私も、当然こういう不良たちが、絡んできます。真面目(?)だった私は、余計気を使わないといけなかったんです。そこで、VIPルームには、必ず、警察の偉いさんと、そっち系の偉いさんのために、席をあけておくというような、多方面外交をしていました。普通学生のパーティーなどではVIPはスタッフルームと化すのですが、うちのVIPルームは、(少し前に「ちょいワルおやじ」というのが流行りましたが)「極ワルおやじ」が、沢山いたのです。でもちょい悪おやじだけでなく、極ワルおやじも、意外に女性にもモテてましたよ。逆に、大阪府警の人は怖かったです。兵庫県系のそっち系の親分と目が合うと、「おい、お前ら、オオサカ(府警)、怖いんかぁ?こらぁぁ!」とか言って、絡んだりしておられましたね。

ここで書いても、面白さは伝わらないのですが、真面目なスタッフが大親分に対して、一般客と同じように入口で「ビンゴゲーム代500円払って下さい」と言って、「俺はそういうのは払わないんだ」というと、スタッフも「払ってもらわないと入れません」と言って咎めて、後で、私を慌てさせたりしたこともありました。また今真面目に外資系大手会計事務所で公認会計士をやっている国立大学の真面目な仲間が、同じスタッフ仲間の女子学生に、大親分と「良い感じ」になって口説かれているのを、(そういう人とは知らず、スケベおやじに絡まれていると勘違いして)強引に割って入って、自分では助けたつもりで連れ出しているのですが、後で、私が話をつけにいくことになったりと、当時のエピソードは一杯あって、私にとっては懐かしく面白い思い出です。

ただ私は黒幕には憧れましたが、やくざは向かないです。私の少年時代、関西では暴対法もなく、やくざが幅を効かせていました。でも子供の喧嘩はアドレナリンが出て楽しいけど、プロの喧嘩は命の取り合いかお金です。しかも喧嘩に勝ったら倍返しされる。素人は負ければそれで終わりでも、本職は負けて大怪我しても「大丈夫?」と言われるのではなく、親や組織が舐められたことになるので、這ってでも返しをしなければならない。それは無理だということを早く知ったのは天運でした。若者グループの長でも「真面目系」を自認し、絡まれたら絶対勝てる相手でも謝るようしました。

 

さて、黒幕と言えば政治家でも、バブル期終盤には、田中角栄総理の派閥を竹下総理とともに丸々奪取した金丸信先生を事実上継ぎ、さらに自民党を割って出た小沢一郎先生のような黒幕政治家もいらっしゃいました。小沢先生は20代で国会議員になって40代で大臣・自民党幹事長とトントン拍子で出世されたのですが、その後宮澤政権を倒して、自民党を割り、細川総理という単なる雑誌の記事から始まった新党をブームにして衆院一期の新人総理誕生という離れ業を実現されました(細川総理は参院と知事経験はありましたが戦後日本社会が安定してからは、衆院で本流派閥で当選回数を重ね有力大臣・党や国会幹部職を経なければ総理になれませんでした)。

自分の党は羽田総理を頭にして自分は裏にまわり、反自民政権をいきなり作られたのみならず、現在の小選挙区比例代表並立という大政治改革を実現させるような当時の日本最強権力者なのに、なぜかご本人は常に総理にならないのです。これはあまり知られていませんでしたが、前原先生と小池先生の、希望の党結成の時にも、実は最初は小沢先生が大きく関わっておられました。

私が上京した際、(私の曽祖父は、明治の内務官僚で、大叔父は財務官僚だったので、警察や財務官僚の親戚や知人は多かったのですが)警察系大物官房副長官(事務)の指示で、官邸官僚の方が、小沢さん用の報告、自民党向け報告、財務省向け報告、国民(メディア)向け報告を、言葉を使い分けておられたことがあって、驚きました。

 

また、現在でも、民間メディアの雄・読売日テレグループ創業者で大興行主の正力松太郎さんの後継者になった記者出身・主筆のナベツネさんや、京都の国連協会会長の千玄室大宗匠など、古くから政財界に影響力ある方々も、まだまだお元気に頑張っていらっしゃいます。

他にも、表には出られてませんが、まさにトラブルの解決などの現場で、ご活躍されている警察出身(政治家の秘書官もされてました)の政界のフィクサー(警察出身なので裏社会の方ではありません)として、知る人ぞ知る人もいらっしゃいます。

 

京都(関西)も独特です。もちろん世界、日本だけでなく、地方には地方の表裏の権力構造の独特のネットワークがあります。特に京都は特別ですね。私は大阪出身で、神戸に住んだりもしましたが、母親の実家が京都で、今も両親は京都で、自分の京都の大学の教授もしたりして、関係のある土地で、面白かったです。

 

ナベツネさんは、あまり知られてませんが非常に哲学者的に勉強されることもあり、さらには創価学会の池田大作名誉会長とも、哲学者同士という形式で、かつてよく食事をともにする仲でした。今だからいえますが、「自公体制」をつくったのは、公明党の市川書記長と仲の良く連立を組んでいた非自民の小沢先生だけでは無理で、当時のドン野中広務先生と小沢先生に握手させるには池田会長と仲良かったナベツネさんが間に入らねばくっつかなかったでしょう。そしてキャスティングボートを握った公明党の支持母体の創価学会を一人で動かせる池田会長は日本の黒幕になられました。

ナベツネさんは、そこまでの日本のドンというわけではありませんが、凄い政治アクターですね。言論人、財界人の枠を超えた「別格の人」とよく言われています。

首相は天皇陛下に国のことを奏上しますが、ナベツネさんは今でも月一回官房長官を呼び上奏させているという噂があります。またナベツネさんは、岸田首相も、多くの財務官僚も、開成高校なので仲が良いそうです。

・・・ちなみに私は開成出身でもありませんし、関西の高校出で、大学も転々としてるので、あまり同窓会とかクラブとかに、直接参加するタイプではありません。でも、まったく関与していない学校の同窓会やクラブも含めて、いろいろな人脈からの「ご縁」が出来て、ご支援をしていただけることもあるので、有難いものです。

 

しかし小沢さんは、常に平成の政界再編の中心におられ、政治が動けば外れてしまわれます。そこで、首相にも、ドンにもならずじまいで、凄い方です。もう一回何か仕掛けていただけることを期待しております。

 

元々「根なし草」を自認している私は、組織に内部からがっつり関与することよりも、外部で少しだけ関わることが面白くて好きなのでちょうどいい感じです。

また、いつの時代でも「地方には地方の社会や文化」がありますが、特に母の実家の京都を筆頭に、自分の出身である大阪、一時住んでいた神戸などの「関西」は、首都圏の「関東」とは違う、独特の人脈が形成され、東京と微妙な関わり合いのなかで機能しており、特にバブル期には、表の方だけでなく、裏の方も表面化してきて、それはそれで、面白い世界でした。

 

まぁ「いかつい」昔話はほどほどにして、、、。

 

 

こうして、今も影響力のある方はいらっしゃるのですが、やはり子供時代にお目にかかった先述の「黒幕」のスケールの大きさは凄かったです。しかも、現在の大臣などのいわゆる表の政治家は、公人も公人なので、簡単にことを運べません。しかもすぐに変ってしまいます。すぐに変わってもすぐに政策を決定できれば問題ないのですが、今の政治はプロセスが多すぎて中々決められません。モンテネグロの外交アドバイザーをやっていたとき中国の使節が官民問わず即決してお金を出すので、海・道路・トンネル・鉄道などみんな取られちゃいました。

 

また、せっかく公選で選ばれた国会議員の先生でも、大臣になる前には特定の分野を専門にして頑張っておられても、「大臣になったから取り組めない」という台詞を何度も聞きました。権力を持つと実際の利害関係者が増えて、各方面に気を配るので、逆に何もできないわけです。これではもったいないですね。こういう社会状況なので、「黒幕=フィクサーやロビーイスト」の役割は大きくなってしまいます。
 

法律というのは作るのが大変です。いくら「閣法」が多いといっても、役所で法案を書いてから、、、有識者の審議会・パブコメ・法制局とのやりとり、永田町へ移ってからも議連や党の部会・政調および政調審議会・総務会を通し党議決定をして、議運(議員運営委員会)にのせる・各党国対にのせる・国会の委員会審議を経るなどをしないといけません。またそのために都度都度、官僚が、政党職員・政治家秘書・時には業界団体ともやりとりをしながら、政治家にレクや振付をしないといけません。そのため法案が成立するまで2年くらいかかります。その間に大臣は変わってしまうこともあります。だから、こういうロビー活動をする人は、とりまとめられる力があるため便利、というか重要なのです。

 

ちなみに、そんななか菅(前)総理は、わずか一年で、携帯料金引き下げ・デジタル庁創設・不妊治療保険適用・クワッドに非公式に英国を巻き込む・そしてなんといっても国民の大半に新型コロナのワクチン接種を成功させる、などなど、あらゆることをやられたので驚きでした。菅総理は久々の大宰相でした。もちろん憲政史上最長記録を塗り替えたやはり大宰相の安部総理に、総務大臣や官房長官として仕えられていたという蓄積が爆発したという面もあるでしょう。

 

昔は、黒幕も凄い人がいましたが、政治家の先生も、すごい人が多かったです。

古かった議員会館時代、長老の先生に何かお願いごとをすると、すぐ役所の幹部にお電話をされて、一発で決めるという、先生も多かったです。今は、良い意味でも悪い意味でも民主主義が成熟してきているので「すばやい決断」というのは難しいです。

 

黒幕の方も、ここに名前を出した方は、変な表現ですが、大物すぎて表に出てきた黒幕で、基本的に黒幕というのは、当然もっと無名で、世に知られていないものです。

 

ただ、無名ゆえに、たまに偽物も出てきます。昔ほどの大物黒幕がいないと言っても今も黒幕はいらっしゃいます。なので今も偽物が登場します。ただ少しカマをかけて質問すれば、すぐ本物か偽物かがわかります。

基本的に、嘘・ハッタリはダメです。人を救うための「方便の嘘」や、売り込みのために「本当の長所」を自慢することは良いと思いますし、こちらから見るかあちらから見るかで善悪の概念も変わるので、「真実は何か?」ということを、ことさら決めつけるのは難しいです。

ただ自分を「盛る」ために、「ハッタリ」をかます人はダメです。一度ハッタリをかまされると、本当のこともふくめて、何を言われても、「本当かよ?」と、何も信用できなくなりますから。まぁ本当に「いかつい人」は、あえて盛るよりも、陽気に(実際に各方面に影響が出ないエピソードなどを)面白可笑しく色々話をしてくれる人です。その中に自分の自慢話もさらっと盛り込まれて、聞く人に凄いなぁと思わせます。しかも腹が立ったら怒るし、機嫌がよいと良く笑うという、人間的なところも見せます。そして誰に対しても偉ぶらず、なんでも相談しやすい雰囲気を醸し出す人です。ただし言ってはいけない肝心なことは絶対話しません。こういう人が、一番いかついですね。典型例は、昔の笹川良一先生です。

今なら安倍総理ですね。この人だから、トランプ、メルケル、習、プーチン各位も、相手ができるのです。

 

小泉総理も、そういう風に見えますが、プライベートでは陽性で「夜の座談」などもとてもお得意なのですが、昼に気合が入ると結構寡黙に豹変して近寄りがたい雰囲気でした。目が座り、「豹変」というか、髪型は「ライオン」で、孤独な「虎」のようになられます。それに仕事が終わると、パッと帰って行かれますしね。政治家は「恫喝」と「優しい人情味」を両面でお持ちの先生は良くいらっしゃいますが、小泉総理ほど、二重人格の人は、そういないです。

 

偽物の見分け方は、細かく言えば色々あるのですが、ざっくりいうと「派手な人」は怪しいです。人は見た目で判断してはいけないといいますが、これは、「地味な人でも、実力者もいる」ということです。見た目は結構重要です。

 

私は、学生起業家時代、派手なブランドの時計を集めるのが趣味でした。見栄だけではなく本当にフォルムが好きで、カタログを眺めるだけでも楽しいくらいの時計マニアでした。でも、さる大富豪に「そんなのつけてると馬鹿にされるよ。本当に腕が良い人は、チャラチャラした時計なんかで飾り立てなくても、良い腕がある」と注意されたことがあります。

その方は世界的大富豪でしたが、日本製の普通のスチールの一万円くらいの時計をつけられていました。それ以降、私はブランド時計をつけるのをやめました。

 

たしかに派手好みなら、黒幕として権力を行使して政策実現を目指すよりも、表に出て良い恰好をしたがるはずですから、派手で、黒幕ぶっている人は、国が貧しかった「昔の話」か、「TVドラマ」の世界だけで、今は偽物が多いですね。

 

あと偽物とまではいかなくでも、胡散臭い人は、「嘘じゃないだろ?」とか、「違うか?」とかが、口癖の人です。こういう人は要注意です。「嘘じゃないだろう」というのは、「こじつけたら嘘にはならないが、本当のこととは距離がある」と言っているのと同意です。「違うか?」というのも、自分の意図に強引に持っていかなければ論理破たんする必要があるからです。

 

それから、一部のビジネスパーソンの中には、「〇〇法で一定のところからは規制されている」ことを、「〇〇法で一定のところまでは許されている」と話をする人も多いので、困りますね、、、。私は主観で変わる倫理道徳よりも法の支配を重んじるので間違ってはいないと思いますが、この説明は法の趣旨から逸脱した脱法行為のため、今の社会では倫理道徳を重んじる風潮なので、気を付けた方が無難です。

 

もう一つ、政治家でも黒幕でも、ドンにまで出世する先生と、そうでない方の、私流の見分け方があります。

昔から、私のような小僧が、誰かに頼まれて、先生を紹介し、依頼を仲介するという場面で、「はい、はい、あの件なっ!谷本君から、いっつも聞かされているよ!」と仰る先生は、必ず出世します。

すでに、用件は本人か秘書などに伝えてあるのに、「えーっと、今日はなんの話かな?」という先生は、出世されませんね。

 

本当は、ある程度力がついてきた先生には、あれやこれやと、ものを頼んでくる人が、絶えません。社会のために良かれと思って意見を言う専門家の人も多いのです。

なので、お忙しく、一つ一つの依頼ごと、陳情、提言などは、忘れてしまうのは仕方ないです。

政治は「何でも屋」なので、そのくらい忙しいものなのです。これは仕方ないです。

 

こちらも、それがわかっているので、話を聞いてもらうためには、まず「玄関組」から「奥座敷組」になることが大事なのです。

つまり「家に呼んでいただけるような関係」になるまでは、第三者に頼みごとを依頼されても、先生にお願いごとをするのは、申し訳なくて出来ませんでした。

 

まぁ最近は、私も厚かましくなったことと、公私が分かれてきてるので、家には行くことが減り、あまり存じ上げない先生や、お忙しい先生にでも、いろいろと頼み事をして、ご迷惑をかけていますが、、、。

 

ちなみに、官僚のなかには大臣などの挨拶・答弁・会見の「直前に耳打ち」をするというテクを持っている方もいらっしゃいます。当然あらゆることを忘れて、今、耳打ちされたことを話します。政策実現のためのマル秘テクです。

 

しかし、それなのに「いっつも、この件を聞かされて、困っているんだよ」と笑っていただけるような先生ならば、どなたにでも、そういう対応をされているでしょうから、依頼者も、紹介者も、それだけ大切に考えていただけているような気になります。これは誰も嫌な気はしません。

 

でも先生にお会いしてて、いきなり「なんの話でしたかな?」と言われると、紹介者の顔はつぶれ、依頼する人も、軽く扱われてるな、と思います。こういうタイプの先生は出世できません。

「もう、いっつも聞かされているんだよ、、、」と言わても「さて何だっけ?」と言われても、どっちにしても依頼者は、何か物事を頼みたいわけだから、先生を前にすれば、あれこれと喋りだします。

そして、結果的に役所などが抵抗して、その依頼が実現しなくても、依頼した人は、紹介者にも、この先生にも、努力していただいたことに、感謝することになり、「借り」ができます。その依頼をした人の組織は、全力でその先生を応援することになります。
 

基本的に、表で活躍される方も、黒幕的に裏で活躍される方も、トップを極めるまで出世される方は、「良い人」が多いです。

「こわもて」や「偉そうな人」が、出世する社会もあると思いますが、民主主義社会では、上から目線の人は、出世できませんね。

 

裏表がなくて、話しかけやすい人に、情報は集まります。

上からは可愛がられて、下からもこの人のために頑張ろうという人が沢山いるという人が、出世します。

 

他にも私流のいろんな目利き法があるのですが、それは横においておいて、、、

 

 

さて、来年もやりたいことが、たくさんあります。もちろん、中心は世界連邦運動です。その中で、いくつかも継続案件があります。

 

まずは世界連邦を公的機関にすることです。

世界連邦日本国会委員会は、戦後すぐ国際的に官民連携で世界連邦運動は始まっていました。

そのなかで英国議会から国権の最高機関で立法機関の国会に委員会を作るように、英国議会の議長から要請をうけ、戦前ノーベル賞候補になった国際的運動家で世界連邦運動の日本の組織である「世界連邦建設同盟(現世界連邦運動協会)」初代会長尾崎行雄先生のもとで初代副会長をされていた賀川豊彦先生が斡旋して、当時の衆議院議員を会長に、首相・最高裁長官・建設同盟初代尾崎会長・二代目東久邇宮元首相を顧問に、設立されました。

 

賀川先生は凄い人で、貧困解消のためスラムに飛び込み研究、のちに海外の組合制度を学び、農協・労組・生協・保険などの設立に関与し、組合の父といわれた大人物です。

現在も賀川豊彦関係団体連絡協議会があり、世界連邦も会員なので、私も担当させていただいてますが、錚々たる方がいらしています。

これは、世界連邦の宗教・文化教育など他の団体でも同じですが、、、。

 

そして国会委員会創立翌日の国会でこれを公的機関にすることが政府委員より確認されたものの、現在まで国会法による常任委員会にはなっていません。また国連創設60年と日本国連加盟60年の記念に、それぞれ衆参両院で「世界連邦への道を探求(究)」するという国会決議が採択され、麻生太郎総理の指示で外務省総合外交政策局に担当を置いていただき、首相・官房長官・外相・財相や国連に提言をしています。しかし公的機関とはなっていないので、世界連邦という名前にはこだわりがあるものの現実的にはグローバルガバナンスに関する機関を設置法を通したいです(もちろん憲法で政府が処理するといわれている外交の一部にもとれますが、国家と国家の外交ではなく、地球規模課題にあるため概念は少し違います)。

 

今急に世界連邦実現が難しいならば機能主義的に国際社会を強化改革していきたいと思っています。既に取り組んでいる、国連議員総会(国会議員100名以上の賛同を取り付けました)、国際司法裁判所・国際刑事裁判所強化、国連常備軍(個人的には国際情報機関が必要と思います)。

 

世界連邦運動は官民諸アクターが取り組んでいますが政財界でのこういう特殊な存在なので、知らない方には、なかなかわかりにくいです。私自身もわかりにくい存在だと思います。世界連邦運動家というよりも、国際ロビーイストとか国連改革運動家という呼び方の方がわかってもらいやすいかもしれません。

 

そのなかでも特に、国際連帯税の実現はしたいです。国際連帯税はフランスなど13か国で国際航空券税が導入されていますが、WHOのアソシエイト組織であるUNITAIDでエイズマラリアなどのワクチンを購入配分する機関です。これは国際航空移動が感染症を運ぶことのリスクがあるので、代わりに税をかけてその資金に使おうというものです。日本では国際連帯税を導入するというところまでは法律に入れ込むことに成功しました。これには、与党税調、外務省・財務省皆様のお世話になってきました。

 

話題は変わりますが、私は、以前から国際連帯税導入を目指しておりましたが、かつて政府の事務方の担当としてお世話になった外務省の当時地球規模課題総括官課長だった飯田慎一さん(現経済局審議官、菊田真紀子参議院議員の夫)が、まだ54歳でお亡くなりになりました。今年、外務省では、他にも、北米一課長や国連政策課時代にお世話になった和田幸浩大臣官房総務課長がまだ52歳で亡くなったり、OBでは国連大使や国連事務次長もされた大島賢三大使が急逝されました。また外務省ではありませんが世界連邦参議院決議採択をはじめ、トラックⅡ外交で、大変お世話になった江田五月元参議院議長が亡くなり、急なことで驚き、そして寂しい話題も多かったです。

飯田審議官は税調でも国際連帯税導入が最も近づいた時の担当課長であり、在外勤務が終わって帰国されたとのことでしたので、久しぶりにお会いしたいと思っていたのに、お会いできないままで、残念でした。和田課長とは、昨年に内輪の少人数の食事で、たまたま私が会計をしようとしていたとき(今の公職の方は割り勘が原則で計算がややこしいのです。昔は、政財界や高官の方などは、一見さんお断りの料亭などでツケがきき、しかも女将に多めに払うなどして適当にどんぶり勘定で会計ができたものですが、今ではきっちりされています)、課長が足が出たら自分が負担するといって残って会計をしていただいて、その後、料理屋さんから、なかなか来ないタクシーを探して、二人で夜道を歩いたのが最後でした。元甲子園球児というスポーツマンでお元気だっただけに、突然のことで驚きました。大島大使は、国連安保理改革の講演や、国会議員に国連関係のレクをしていただいたりと、以前からお世話になっていたのですが、ミャンマー問題にも取り組まれていたので、ちょうど今年の軍部の政変後に、ミャンマー担当の国連事務総長特使が来日され、私は事務総長特使とともに、大島大使とも数日間ご一緒させていただき、特使の帰国の日、総括も含めて、私がホストをしていたリモート会議の最中に、倒れられてそのままお亡くなりになりました。すぐにマイクカメラを切ってご自宅にお電話したりしていました。無理をされたのかなぁと自分の責任も感じたのですが医師曰く死因はちょっとづつ進行していくものでここ数日の動きは関係ないということでしたので救われました。江田先生は政界引退後も、弁護士として災害被災者支援活動など、ご活躍されていると聞いていたので、残念です。

 

また、外交とは関係ないのですが、私が社長をしていた会社の取締役だった映画評論家の水野晴郎(故人)が生前ライフワークにしていたので私もスポンサーをしていたある映画大賞で、ゴールデングローリー賞を贈らせていただいたこともあり、そもそも水野氏がファンとして応援していて何度かお会いしたことがあった人間国宝・二代目中村吉右衛門さんが、年末に亡くなったのも残念でした。ちなみに昨年は、この映画大賞で二度も(黄泉がえりとサイドカーに犬)最優秀主演女優賞を贈らせていただいた竹内結子さんも急に亡くなったのも、とてもショックでした。五輪の仕事で良く行っていた、ある教会のすぐ近くに、結子さんのご自宅があって、ご結婚をされて、お幸せになられたと聞いており喜んでいたので、ショックが大きかったです。

 

各位のご冥福をお祈りします。

 

さて、この国際連帯税、今のようなパンデミックのときこそ、これが必要です。WHOが徹底的にワクチン薬開発分配ファシリティ・医療設備・災害防衛のための常備軍などの創設をして、いざというとき世界中に回せる枠組みを作ることと、その財源としての国際連帯税については、議論は何度もしていたのに、残念です。

国際航空券税は、国土交通省が、航空業界に影響があると反対されてはおりました。ただ観光促進に使うための出国税はとられたので業界について本気で考えているわけではないとは思いますが。それなら国際貢献だけでなく空港での大規模検疫施設を設置しようと厚労・法務省と連携して使うことも提言しました。その中のパンデミック発生です。悔しいです。

 

国会は立法機関です。でも日本はなぜか行政機関(政府=官僚)が法案を作ることが多いです(閣法と言います)。それに国会が賛成か反対かするだけなのです。ただし憲法と予算は違います。

やはり憲法は国権の最高機関の国会が発議し、特別決議を経て、国民投票(直接民主制選挙)を導入する高度な政治案件です。

そしてもう一つ予算は国民の収めた税金なので、国民の代表者である国会で決めるものと決められています。この原則は大事です。財務省は徴収したり分配したりする事務を執りつかさどる役所です。もちろん政府は行政をするのだから必要な予算を要求するのですが、決めるのは国会であるべきなので、事実上、与党の予算案が通るため、実際の予算については与党税調の議題が重要なのですがこの報道が少なく、衆参両院での予算委員会でスキャンダルのやりあいなどを中継をしているのが、子供のころからの国会七不思議のひとつでした。

だから、与党税調はとても権力があるのです。財務省で出世するには分配する「主計」と言われますが、それも正しいのですが、主計でも主税でも、まずは与党税調との関係を強化するのが大事なのですが、あまり知られてませんね。

 

私の親族は、政治家一族ではありませんが、役人・学者・財界人などが多く、むしろ「政治家にはなるな」といわれました。その方々に、いろいろな話、旧制高校や大学、政府の実情などのお話をよく聞かせていただきました。自分も政治に関心はありましたが、世界連邦のようなものがあればいいなと思っていたので、日本の国会議員などになりたいとは思いませんでした。国連にも少し失望していたので、世界に貢献するには実業家になるのが良いと思いました。その後世界政治に関与できたらいいなと思っていました。

母方でいうと、祖父は裁判官から学士予備応召で陸軍将校をなり、戦後は石油会社会長から、経営法学的意識論を確立した経営コンサルタントのはしりの学者で、母方の祖母はお宮さん系でした。

父方の谷本家の方といえば、曽祖父が内務省の役人で北海道に渡り函館で警察を作った人です(だから私も生まれた時の本籍は北海道でした)。その息子である私の祖父は兄弟が多く官僚・日銀マン・石油会社に嫁いだ人・学者などがいましたが(厳密には大叔父大叔母ですが)
おじさん・おばさんと呼び、可愛いがってくれました。祖父は次男で、さる財閥家族の養子に出され、長州の藤田伝三郎・平太郎男爵親子の縁戚で48か村の大庄屋の息子として生まれ英国で関数に関係する数学をきわめて海軍工廠の要職をになっていた(父の母方の)曽祖父と、公家系の曾祖母との間に生まれた祖母と結婚。岳父の関係から機械メーカーの経営者となりました。藤田邸のあった北浜に本社をおきました。私は子供のころ北浜の料亭「かがい楼」さん、自宅応接間で、銀行幹部などに、祖父に会社の跡取り息子として紹介されたりしました。ただ上場していなかった家業の経営が傾き、私自身も独立心旺盛だったので、自分で事業をしたいと思って、基本家業からは離れ、学校へ行きながらITなどで起業をしました。

 

子供のころから、個人的に世界連邦的な考えに関心があったので、国際連合や外務省のやっていることに関心を持ちましたが、大蔵省(現財務省)にも関心を持ちました。やはり戦後の日本は、米国と大蔵省が動かしている印象があったためです。

そのため、長じてからは、世界連邦、特に国会委員会に関与させていただくようになりましたが、外交だけではなく、税調に関心を持ちました。現世界連邦日本国会委員会の衛藤会長も自民党の重鎮として、会長は変われど、副会長をずっとされています。

 

その与党税調会長は、私の祖父と近かった二階堂先生と選挙区が同じ(当時は中選挙区で、ライバルでも、交流はあったようです)山中貞則先生(私がお会いした頃には、すでに杖をついて体がきつそうでした)、私の卒業した高校と大学(のひとつ)の同窓会長をされていた塩川正十郎先生、私を政界へ勧めていただいた相澤英之先生、国際連帯税議連初代会長の津島雄二先生、世界連邦の野田毅先生、やはり世界連邦で税調小委員会委員長の伊吹文明衆院議長など、それぞれお世話になった方が関係されておりました(大蔵省出身が多いですね)。

現在は宮沢洋一先生が会長です。「こわい、こわい」と言われていますが頭の良さに加えて人格者で尊敬しています。これらの方は首相や財務大臣のように、あまり表に出られないので、知らない人も多いかもしれないですが、インナーと呼ばれて、大変な実力者なのです。私は与党税調で勉強させてもらいつつ、三木義一青山学院学長(当時)、元財務省主計官の志賀櫻弁護士(故人)らの有識者による「民間税調」にも参加させてもいただきました(最近は多忙ででられてませんが)。

 

私は国会議員ではありませんが、世界連邦で一応国会関係者ですので、与党税調の「〇×等審議」という外には出ない書類はいただいてます。各々の省庁の案を残すかどうか、どうなるか全部はいっていて、ピンクの表紙の本みたいになっています。

これは①マル政(政治的検討)、②〇(受入)、③△(検討)、④二重△(長期検討)、⑤X(お断り)、⑥法△(法案内容検討)、⑦事△(事務当局で検討し後日報告)、⑧マル済(措置済み)という順番に、わけられています。与党税調では、各省庁の予算について項目にわけて審議するのですが、経産と財務の駆け引きが見えておもしろいです。

 

しかし最近は、ICTや数学が見直されてきまして、これは英語とならんで、ある程度の基礎知識は社会では必須になってきていますね。

役人の方が、自民党で、ドーマー条件(年次国債発行の割合なら対GDP比は一定まで収束し破たんしない定理、米原の「健全化指標」という日本版もあって名目GDP成長率が上昇すれば対GDP比での政府の債務残高は膨張しないという概念。なおボーン条件というのもあって前期財政悪化の場合も今期PBを改善すれば財政運営には問題がおこらないという定理)を出してきて、話をごまかしたのですが、これが間違い説明をしたので、後で謝罪をされることになったということがありました。

私は元々理数系(専門は物理)が好きで、小学校の頃から算数だけではなく数学が好きでしたので、中高は授業をさぼっていても、国立大学には入れました。学位授与機構への学位請求論文は、世界連邦などの国際政治ではなく、労働問題(当時人材ビジネス会社を経営していたためです)を書きましたし、色々な大学へ行ったなかに神戸大学もあって「同じ西にあって、港町で、商業に強い」神戸大学を中心にして、神戸を、どうしたら日本のスタンフォード大学やシリコンバレーにできるのか?などの論文も書きました。

インフラを調べて、ポアソン分布など使って、数学をベースに書きました。それで提言もしました。

これらは社会科学ですが自然科学を応用しないと証明できません。

 

ただ、私が大切にしているのは自分のなかにある理想へのベクトルです。これらは、あくまでも、やりたい政策の言い訳のための後付け理屈です。

政策判断に「絶対」はありません。善・悪や真・偽あるいは正・誤の二元論で考えるのは良くありません。見方(立場)によって違う見え方をします。そして前提条件は何か、それに程度問題、人間の行動心理、自然現象なども考慮にいれなければ、判断できません。

二次元、三次元だけで物事を考えると、だめで、短期・中期・長期、あるいは歴史という時間軸、人間の欲求や想像力など、4次元、5次元以上の、ものの考え方を利用できないと、破たんします。

1+1=2とする前提がないと2+2=4になりません。1と1とを図で重ねると1ですから、1+1=1という前提に立てば、2+2=2です。

こうしてみると前提がずれると、すべての公式は変わるのです。

 

小学生で高校くらいの数学はマスターし、高校生で起業し中高年を雇用し、さらに現在中年になって、子どものころに学んだことをすっかり忘れて再度勉強していて、気分は「まだ中学生(廚二病)」という私は、看護が必要な子どもと、介護が必要な高齢者以外は、皆個人差が大きく「年は関係ない」というのが、私の根本にあります。プロスポーツ選手の様に世界の限界を目指すなら年も関係することもあるかもしれませんが、普通の仕事では、あまり関係ありません。私自身も年齢意識は、ぐちゃぐちゃで、10代から中年になった今まで、年齢で変わったなと思う事は、まったくありません。

 

だから、いわゆる文系の人でも理系の人でも、専門家にならなくてもいいので、何歳からでも数学、情報技術、英語、護身術は、基礎だけでも、やっておいた方が良いと思います。

特にリーダーは、専門家に任すべきですが、何を言っているのか全くわからなければ、ビジョンを示せず、少しわかる部下に、騙されちゃいます。

さて、この税調、当然役人の方も出席されます。もちろん財務省が実力があり、厚労、法務・警察、文科、、、などなど、それぞれの省庁が予算を求めます。

昔は、それぞれの省庁に「族議員」がいて、その省庁を応援(恫喝?)したそうですが、今はその色合いは薄まっています。

そのなかで、特徴的なのは「経産」はどの分野でもビジネスとして関係できるので、できるだけ自分のところにもってくるかが勝負なようです。また外務省は、貴族的なのか、官邸以上に報償費がつくからなのか、あまり強く求めません。

意外なのが防衛省で、政治家の方が予算要求意欲が強く、官僚の方は予算を減らすほうが褒められるという、少し違った役所です(場所も市ヶ谷で、霞が関でもありませんしね)。

 

政治家と官僚との関係が、メディアで話題になることがあります。

ただ現在の日本は議会制民主主義ですので、国民の代表で構成される国会が国権の最高機関とされていて、国会の指名で行政トップが決められるとしています。

だから「政治主導」という言葉がありますが、これは言うまでもない当たり前のことなのです。立法も予算も国会が決めると憲法に書いてあります。つまり頭脳が政治で、手足が官僚です。また民間会社でいうと、株主が国民で、それに選任された役員が政治家で、従業員(社員)が官僚です。

ただし、実態は、政治家だけではなく、官僚が全ての分野の権力行使をしています。会社でも役員だけが仕事をしているのではなく、実際は社員が仕事をするのと同じです。「脱官僚」という言葉が流行ったことがありましたが、民間会社が脱社員と言っているようなものなので、これはおかしいです。ただこう言いたくなるほど、国会がやるべき立法も予算も役所がやっています。これは、これで、おかしくて、本来は国会がしなければなりません。もちろん憲法で決められているので最終的には国会が承認しますし、与党税調や政調、最近できた内閣人事局をはじめ、政治主導も根付いてきてはいますが。

ただ、日本の民主主義は、まだ成熟していなくて、やはり戦前までの帝国主義の名残りがあります。

天皇が任命する内閣、天皇が統帥する軍、これらに付け足して天皇がえらぶ貴族院議員と国民が選ぶ衆議院を作ったので(ちなみに実際は天皇自身が選ぶというよりは元老や内大臣が選んでいますが、、、)、この雰囲気が抜けていないのも現実です。

 

戦前は、官僚(行政)のトップは、国民が選んだ政党政治家がなることもあったのですが、官僚や軍人がそのまま出世して政治家(大臣など)になることも、よくあったわけです。主権の関係で、国民のための官僚ではなく、天皇のための官僚だったわけですしね。

また、最近は官邸がようやく強くなりましたが、財務省が官庁の中の官庁といって力があるのは有名ですね。あと、もう一つ、内閣法制局という、とても権限の強い役所があります。しかも法制局というのは、法案の拒否権をもっているので、これは凄い権力です。ここが理屈をつければ法案は消えてしまうのです。しかも人だけなので特段の予算が不要で財務省も恐れなくて良いのです。

それと検察もとても強いです。裁判所は、検察の証拠で判決を言い渡すので、事実上、検察が司法権を担っているといっても過言ではないでしょう。本当は司法、立法、行政と三権分立なはずで、国会が国権の最高機関なのですが、、。、

(最高機関ということは、衆議院の優越性も入れると、国家元首は衆議院議長になります!もちろん現在の日本では、元首は機能主義的から内閣総理大臣だという学説を述べる一部の学者を除いては、学説的にも、儀礼的にも、元首に相当するのは天皇陛下でしょうが)

野球チームで政権を例えると、当然オーナーは政治家ですが、実質的には各プレイヤーが各省庁の官僚であり、そのプレイヤーを采配する監督が財務省、審判が法制局、ルールに口を出したりルールを破ったものを追放したりするコミッショナー機構が検察といったところでしょうか。どんなに優秀な選手でも監督や審判やコミッショナーには逆らえませんね。

 

ちなみに先述した、報償費というのは、いわゆる機密費です。この報償費について、元官房長官の先生いはく、常に数千万円の現金が金庫にあり、使ったら翌日にはすでに新札が必ず入っていたとのことです。

「外交」は情報収集など機密にしないといけないことがあるので、多くが官邸から外務省に「外交機密費」として支出されます。当然、総理などのための官邸用の官房機密費もあります。ただ当然外交実務担当の外務省に多くが支出されます。

 

まぁ昔と違って、外務省も他省庁も試験が統一されて、さらに他省庁の人も語学が達者になって、例えば「経済外交では経済官庁の人がする」など、外務省だけが外交をするわけではなくなってきておりますので、他省庁にも、外交のための機密費は分配されています。

 

実は、年に数十億円もある外交機密費は、余るので、外務省から官邸に上納還流していたことがバレたことがありました。

これ自体は、そもそも機密ですし、国の金庫から、元の国の金庫に戻すだけなので、理論的には問題はないです。

 

しかし、これを悪用した事件がありました。M室長という(すでに検挙され罪をつぐない懲役刑を終えておられます)、外遊などの要人ロジ担だった人ですが、この、そもそも秘密の報償費を、さらに上納還流するという、「裏の裏」で、闇に消えてしまうお金のため、10億円の単位で私的に流用したのです。競走馬を多数購入したり、複数の愛人とのマンションやプレゼントの貴金属、ゴルフ会員権など、私的に流用したことが明るみになりました。この事件が、発覚する要因になったのは、情報通だったM先生(私自身が、旧ユーゴスラビアのモンテネグロ外交アドバイザリーオフィサーをしていたので、旧ユーゴスラビアの別の国の名誉総領事をされていた元政治家だった人なので。よくお会いしてました。少し前に残念ながらお亡くなりになりました)が、つかんだ情報が発端だったので、詳しくお伺いしたことがあります。

M室長だけでなく、前任室長と部下も逮捕されたほか、多くの意幹部が処分されました。外務省が、こんな大きな事件で摘発されることになったのは、情報源のM先生が外務省に忠告した際、このM先生のことを「元職」だからか、甘く見たのが原因だそうです。M先生は、ご自身のご経歴から、政財界やマスコミにかなりの人脈があり、平川町や一番町のM先生の事務所やご自宅に、色々な人が集まり、情報通で有名でした。M先生は、外務省の人に、適当にあしらわれて気を悪くされ、親しい警察の方に情報を流したと仰ってました。

誰でも、人を「甘く見る」のはやめておいた方が良いですね。私も、M先生から、FBIのフーバー長官のように、あらゆる情報を握っておくというのは、自分がやりたいことを実現するためには、常日頃から収集しておいた方が良いというのも教えていただきました。

さて、このようにして、この事件は東京地検ではなく、警察、しかも国家公安委員会系や警察庁(業界用語ではサッチョーと呼ばれる)ではなく、警視庁(つまり地方)の方が、摘発した事件です。ちなみに地検は、法務省のなかでも強い存在です。法務省では、検察の地位が高く、法務事務次官よりも検事総長が上位、とか言われたりもしています。しかも「赤レンガ組(法務省の旧本館が赤レンガのため)」という、政治家に近い検察官より、現場の地検の検察官の方が、政治家の汚職(業界用語:サンズイ)を摘発するのに優れているともいわれています。

サッチョーは国の機関ですが、警視庁とは国ではなく地方の管轄です。元々は内務省(国)直轄機関で、天皇陛下がいる首都警察のため、名称が違うのですが、現在は「東京都警察本部」のことです。本部長も昔ながらの「警視総監」という仰々しい名前です。警視庁は「霞が関にあるが霞が関にあらず」と自虐される方もいらっしゃるそうです(霞が関にあっても、国の中央省庁ではないためです)。

つまり地方の刑事さんが、国の官僚、しかも官邸を巻き込んだ事件を、摘発するというのは、圧力にも屈しないガッツある仕事だと思って、尊敬しています。誰がこの仕事をされたのかは存じ上げませんが。しかも、業務上横領(業界用語:ギョウヨコ)や、特別背任(業界用語:セナカ)ではなく、詐欺(業界用語:ゴンベン)で逮捕したのは、うまかったと思います。官邸が、被害届を出さなくても、「虚偽を伝えて金銭を自分のものした」だけで、立件できるからです。実際、私的流用する際には、M室長はホテルのロゴ入りのレターヘッド便箋を持ち帰り、領収書を偽造していたそうです。そして機密費なので、首相外遊などの際などは、いくらでも官邸の官房長官室にあるお金を引き出せたそうです。M室長は、某自民党の大物秘書の方は「とんでもない奴だ」とおっしゃっておられていた方もいらっしゃいましたが、外務省に強い影響力を持っていた国会議員のS先生によると、M室長はとてもまじめな人で、そんなことをする人には到底見えなかったそうです。しかも当時の「外務省のドン」S元駐米大使など、この人の庇護者も多く、ここまでやっていたということには、驚かれたそうです。私自身も、このM室長、すでに噂になっていた時、日本でサミットがあり、大きなイベントで、遠目で見たことがあっただけで、知人ではありませんが、確かにそんな派手なタイプではないように思いました。余談ですが、世界連邦日本国会委員会現会長が、運悪く、この事件発覚時の外務副大臣だったので、まったく関係ないのですが厳重注意処分されてしまいました。当時の政権は報償費上納を認めませんでしたが、鳩山政権時岡田外相が上納を認めました。

 

当時私は神戸大学を休学して、自社本社を溜池に移し全日空ホテル(インターコンチ)に臨時で住みました。ここは(六本木ヒルズが出来る前の)アークヒルズにあったので、交差点の斜め向かいが官邸・国会で、裏に米国大使館、日本財団、通信社があり、ヒルズにGSも入ってました。ここで出来た人脈は面白かった。当時の総理は先述の小沢さんが活躍した細川・羽田政権から、村山総理をかつぎ自民党が政権を奪還、橋本・小渕さんから森総理に変わった頃です。当選が遅かったのに年功序列を突破して出世された京都の野中広務先生が官房長官で、参院では戦前の大新宗教の「大本」を出て作られた「生長の家」が推す村上正邦先生など、ドンといわれた先生がおられました。故羽田総理は六本木男声合唱団でご一緒しました。

もちろん公明党は、支援団体の創価学会池田大作先生がお元気でしたし、国連では今年亡くなられた大島大使、次席大使は現国連学会トップの神余大使が国連改革や日本の常任理事国入り運動で活躍され、緒方貞子さんも難民高等弁務官として著名でした。バブル崩壊後にしては日本も少し元気になっていたところです。

もちろん今でも、ごっつい先生はおられるのですが、当時はもっと凄かった印象です。でも、このころでさえ「政治家が小粒になった」と言われており、その前はもっと凄い剛腕な人がいたのでしょうね。

 

ただ事件ではキャリアは処分だけで逮捕がノンキャリだけだったのが疑問でキャリア制度は問題があると思っています。勿論ノンキャリ上級登用制度や民間からの登用などキャリアでなくても出世(外務省なら大使など)するケースも稀にはありますが差はやはりあります。ノンキャリで有名な人では、今もご一緒に平和構築を学ばせていただいている慶應出身でノンキャリ採用から上級登用され国連でも活躍された元コスタリカ大使の猪又先生を尊敬しています。また井上義行先生という後に参議院議員になった方も有名ですね。この井上先生は高卒で国鉄の機関士になり働きながら通信制大学を卒業し国鉄民営化とともに総理府に異動を願い出たノンキャリ官僚でしたが優秀で世界連邦国会委員会の事務総長をされていた額賀福志郎官房副長官(後の財務大臣)の秘書官から安部晋三官房長官の秘書官(これらは事務取扱秘書=つまり役所から来る秘書で一般職の国家公務員)を経て、安倍総理の首席秘書官(こちらは政務秘書官なので特別職の国家公務員です)にまでなられました。官邸官僚なのに、北の拉致問題で活躍されて、外務省から越権だと批判されたりしましが、押し切って頑張っておられました(今は、外交も政治主導になってきてますが、当時は外交は外務省がまず公式ルートを通じてやるのが原則でした。政治家のなかにも、これをいまだに気にして、外務省外の外交には否定的な方もおられます。実際、私は、昨年に欧州議会や欧州NGOなどの要請もあって、世界連邦の大先輩の塩浜さんと、国連議員外交を、政府にも協力をしてもらってすすめようとして、100名以上の国会議員の賛同署名を集めたのに、君(谷本)は外相の顔を潰すことになるぞ。それに世界連邦の会長にも恥をかかすことになりはしないか?と言われ、立ち消えになったこともありました。別の議員先生は、これだけ賛同署名を集めて決まっていることではないのかと、残念がっておられる方もいらっしゃいましたが、何せこれを言っておられる方が超大物議員だったので、野党も含めて他の会合に出席している議員先生たちは何も言えない感じになりました)。この井上先生は、公益のためには、嫌われる勇気を持っておられるので、見習いたいものです。ちなみに井上先生は、別の総理秘書官から聞いた話で、日銀支店長役宅(=社宅ですね。各地にあったのですが、当時の大阪支店長役宅は松下幸之助邸に隣接する豪華なものでした)にも負けない、豪華な法制局長官公邸を作ったです。見た目は穏やかな方ですが、なかなか豪快な先生です。安倍総理といえば、二次政権の経産から来られた首席秘書官の今井さんや、内閣参与や総理補佐官になられた和泉さんなどが有名ですが(小ネタですが、ある国際会議で総理の「代理」として和泉さんがスピーチする予定が和泉さんも来られなくて、急遽私が「代理の代理」でスピーチしたこともありました)、永田町や霞が関で一次政権の井上先生は、もっと有名でした。

 

秘書や補佐といっても色々で、政務の首席秘書官というのは、事務の秘書と違い、役所との懸け橋だけではなく、政治的ことまで扱うので、普通は親族を含め、国会議員の秘書としてやっていた人が、信頼されて、そのままなることが多いです。総理をはじめ閣僚などの政府高官は、国会議員である場合、議員としても政策・公設・私設などの各種の秘書がいますし、役所として首席秘書になる特別職の政務秘書官と、役所の職員でもある一般職の事務取扱秘書もいて、これらはそれぞれ別です。

総理の秘書官くらいになると、さらにアシスタントのセクレタリー(秘書の秘書)もいます。もちろん公職的には、首席秘書官は、ランクが上ですが、政治家の秘書というのは、公的な序列と関係なく、長年政界にいて大きな人脈や金脈などの力を持つ人もいたり、秘書と名乗っていても実際は大きな組織を背景に国会に来ている「政界の黒幕」などもいらっしゃるので、なめてはいけません。ごく稀ではありますが、特に「ボランティアの私設秘書」のなかには、本来は大権力者だったりする人がいたりもします。たとえば宗教団体の教祖とか、圧力団体のドンとかですね。基本的には組織からは誰かが送り込まれることの方が多いのですが、直接ドン本人が私設秘書になられる場合もあります。普通は、儀礼上、どんなに偉くても議員先生を立てるのですが、議員先生を叱っている秘書をみたことも実際にあります。

また親族など、影響力を持つ人も、私邸・官舎(公邸)や事務所にはいらっしゃいます。

ある政治家の若い秘書さんが、安部総理の応接間で、質素な老婆が、腰も低く、さも留守番を頼まれているような感じで出てこられたので(実際、人手が足りない政治家には、事情は詳しく知人でも信頼できる人なら、留守番を頼むこともあります)、ぞんざいに扱っていて、私があわてて「あの人は、総理のお母さま、つまり安部家のドンの岸総理の娘さんだよ」と注意したこともありました。

有名な首席秘書官としては小泉総理の議員時代から仕えられた飯島氏などもいましたね。飯島氏は現在内閣参与ですが世界連邦文化教育推進協議会役員になっておられます。また昔は首席秘書官には「番記者」を登用することも多かったそうです。そのなか井上先生は優秀な官僚だったため普通は官僚では局長の前ぐらいの階級の人が総理秘書官になるのですが(今の総理秘書官は局長どころか事務次官経験者までいらっしゃいます)、40歳そこそこのノンキャリアでめちゃくちゃ出世されたケースです。これは夢があっていいことです。

 

いずれにせよキャリアとノンキャリアというのは学卒時一生を決める酷い制度です。民間も似たようなところがあります。同じ会社(例えばメガバンクとか)でも学歴やコネで最初の配属から違い一生歩む道が違います。私は18歳で人生が決まる新卒採用・終身雇用・年功序列はダメだと言ってます。

 

日本の初代内閣総理大臣の伊藤博文も、農民出身で、テロもする志士になって、明治維新に関わり、(兵庫県)知事(当時は殿様)、中央政府高官になって教育も工業化も外交もあらゆることに関与して、(今でも破られていない)史上最年少で首相(さらに帝国議会議長・政党結成・枢密院議長など、あらゆることをやっています)に上り詰めた人なので、キャリアとか関係ないです。自分でも、年齢差別のない、起業家、政治運動家、非常勤の大学教授など、色々とやりたいことをやる風来坊的な人生を送って体現してやろうと思って生きてきました。だからサラリーマンをしたことがありません(採用する側として就職活動のアドバイスをしたことがありましたが、自分が就職活動をしたことがありません)。

また音楽をやっていたので芸能界にも関与したことがありましたが、ここは役所・企業・政治(特に自民党の政治家は、閣僚経験などの役職序列ではなく、当選回数という、年功序列です)同様に、年功序列の世界だったので、生意気だった私は外部から関与することにしました。

なんでも継続することが良いという考え方もわかっていますが、私自身は、一発屋の人にあこがれていて、ワンナイトセンセーションというか彗星のごとく突然現れて成功し、アーリーリタイアする、場合によってはまた復活する、、、とような「ローラーコースターライフ」願望があったのです。

例えばビートルズも、(もちろんアマチュア時代や、ハンブルク修行やバックバンドなどの下積みはありましたが)1962年にデビュー、1963年自国の英国で一番になり、翌年アメリカでも一番になり、1年ちょっとでポッブ文化において世界制覇を成し遂げましたが、その翌々年の1966年には人前で演奏することをやめ、さらにマネージャーが亡くなり自社を設立したものの1968年頃には平和運動・インドヨガなど興味が分かれバラバラになってしまい、1970年解散しました。そう考えると、実際に活躍したのは「わずか数年」です。それでポップ文化に史上最大の影響を与えて歴史に名を遺したのです。

幕末の志士などもそうですね。吉田松陰や高杉晋作、坂本龍馬なども業績は短期間です。龍馬は(江戸剣術留学などはしてましたが)土佐勤王党に関与し志士となったのは27歳、翌年脱藩、江戸で勝海舟門下となり、神戸で海軍操練所を作ったもののすぐ閉じられ、長崎で日本初の商社・亀山社中を作り、幕府の長州征伐で薩摩の資金で海運事業で長州側に協力、薩摩・長州を結び、同社を土佐の公的機関である海援隊に改組、土佐藩会計係の岩崎弥太郎に影響を与え、のち海運から三菱財閥創業者となる道筋を作り、明治政策の基礎ともいわれる船中八策を書き、土佐重臣後藤象二郎を通じ藩主山内容堂から提言させ徳川慶喜の大政奉還に繋げ、33歳になった日に死にました。明治維新は一人のカリスマが中心で革命をしたわけでなく多くの人が集団で実現したものです。だから龍馬について、関係者の仕事が自身の評価につながっているとか、薩長同盟や大政奉還など維新にどこまで影響があったかは議論があります。しかし少なくとも「わずか数年」で、日本をひっくり返したと言われるくらい歴史に名を残しました。

「わずか数年」で成功、というのは、とても夢があります。何歳でも、寿命があと数年あれば、歴史に名を残すことが出来るかもしれない、ということです。

こういう事例は普通では極端な話かもしれませんが、私は「パッと花火を上げるような一発屋」にはあこがれます。そのため、「農耕民族的」村社会より「狩猟民族的」な生き方が好きで、そういう意味では米国の方が向いていたかもしれません。

 

年功序列の芸能界の事例では、「芸能界のドン」とも呼ばれた超大物マネージャーを、ベテランの歌手の方がチャン付けで呼んでいるのを見たことがあります。この超大物マネージャーの会長さんが若いころに、この歌手の方の運転手をされていたそうで、一生頭があがらないようでした。この方々は仲が良いので、まぁ良いのですし、例外はあるのでしょうが、いずれにせよ年功序列では天下を取るには何十年もかかるなぁと思い辞めておきました。実際に、私も学生時代に、学術論文を寄稿した時、書籍を書いた時、映画のプロデュースをした時など、全てにおいて、大先輩の勧めで、自分の上の人のお名前を借りてやることにしたことがあります。ゴーストライターやスピーチライターという意味ではなく、有名な人の名前を使えば売れるという理由でもなく、年功序列の世界では学生がこんなことをしていたら「嫉妬ですぐ潰される」という意味です。もちろんサラリーマンではないので騙されたり苦労もしましたが、それなりに面白い半生でした。

 

さぁ、話を戻して、今国会では、外務省から国際連帯税の項目が盛り込まれていませんでした。

国際連帯税は、国際間取引に課税をして、国際機関などで使おうという税金です。

国が国民にかけて国のために使うのが国税、県などの地方自治体が県民などにかえて県民のために使うのが地方税ですが、

世界のための税金はありません。

将来は世界連邦として世界税を導入したいですが、国家が主権を持つ現代では、そういう徴税の権利は、まだ「世界」にはありません。

そこでそれぞれの国が、国際間取引に課税して、国際問題に使うというのが国際連帯税です。

もちろん、これが進めば、国際協力のための国税負担が減るので、実質そちらを減税すればプラマイゼロで増税されるわけではありません。

しかも日本のインフラを使って上がった収益が他国に持っていかれている現状では課税するほうがはっきりして、国益にも寄与します。

 

ただ国際連帯税は、毎年どんどん下がり、昨年は「二重△」、今年はついに項目入りしなかったのです。国際連帯税の議連では議員立法も検討されており、法制局の方たちとのミーティングにも同席させて頂きましたが進みません。ちなみに、予算がつく法案を提出するには、衆議院なら50名、参議院なら30名の賛同が必要です。多数が必要なのは、国益より自分の選挙区への利益誘導優先を避けるためです。

いまODAを維持するのは苦しい。国内も大変です。コロナで予算があっても事業も出来ないです。ただ国際取引、しかも実態経済と違うギャンブル投機取引にかけて国際機関に直接入れる有効に使えます。将来の世界税にするための世界連邦的発想だけではなく、日本は少子高齢化のなか世界に投資をしてればまわりまわって、国益にも資すると思います。コロナのワクチンの国際航空券税も、今の航空業界では全くお話になりません。

でも世界的「金あまり」の状況で、為替商品に対するAIでの高速投機取引での先物取引などの金融派生商品には、安定的な長期的実質経済に影響するので、これにかけたいです。これは河野太郎元大臣が中心に、麻生太郎総理も認めていた案です。もともとトービン税といって投機取引を抑えるための学説があって、これを素直に取り入れたものです。フランスのような国際航空券はさすがに今の航空不況では潰されるでしょうし(本当は、国際航空で移動する人が少し負担するだけで、航空会社が負担するわけではなく、導入国でも航空会社の売上に影響しなかったというデータもあり、心配無用なのですが)、欧州のFTTを参考にする場合がありますが「金融全体」にかけるのは投資離れなど実態経済に影響するので難しいと思います。無理せず為替に専念する方が良いと思います。

 

これは国際機関の拠出金として、国税から出している分が減り、為替高速取引などは中間層や貧困層はしてないので良い徴税だと思います。国際格差解消でも良いと思います。外務省委託で日本総研が世論調査をしたら過半数が賛成です。増税賛成はあまりありません。国会は、国権の最高機関で、唯一の立法機関です。しかも税を扱うのは納税者でもある国民の代表たる国会です。閣法が無理でも、議員立法でもありがたいです。来年は実現を目指したいと思います。

 

先週末、世界連邦日本国会委員会衛藤征士郎会長・自民党外交調査会長・税調副会長、佐藤正久自民党外交部会長らが、首相、官房長官に、外務省予算7700憶円を要求しました。

 

谷本真邦

令和3年11月1日です。Halloweenの選挙がおわりました。投票行かれましたか?

 

選挙は民主主義を体現できる唯一と言っても良い手段です。

「世論」は、メディアの評論や、ネットの拡散などではく、選挙なのです。

 

現在の世界では、「(自由)民主主義」と「専制(絶対王政・独裁など)主義国」が対立軸になっています。「資本主義」と「共産主義」の対立軸がないように見える世界でも違う形で続いてしまいました。

 

私は、民主主義は大切だと思っています。もちろん以前にも書いたように民主主義にも弊害はたくさんあります。大衆迎合で無茶な公約によるポピュリズム・衆愚政治が起こるとか、多数(51%以上)をとったら少数(49%以下)を弾圧できるとかですね。

これから、もっと政治制度は精査していかなければならないとは思います。ですが今のところ民主主義は一番マシかと思っています。

 

ただいずれいせよ、人間は動物なので、自然に「ボス」は生まれると思っています(特に、狩猟採集のみで生きる動物ではなく、農耕が始まって、「社会」が成立すれば、一層必要になると思います)。

狩猟採集生物でも「縄張り」があったり、群れを作るタイプの猿などにはボスがいます。ボス、つまりこれは政治であり、これは生物としての本能なのです。

ただし、このボスを作るために、民意、つまり群れの構成員の意志が反映されるのは大切なことです。ボスに従属させられているだけでは幸福に生きていけないです。ただ、生物の本能では、ボスになるための方法は、喧嘩に勝つことです。つまり武力で制圧してボスになることですが、人間は火と道具を持つようになり、この喧嘩(戦争)が発展しすぎて、子供も含めて皆殺しをするようになってしまい、これは、やってはいけない政治手段になってしまいました。だから次に考えたのは世襲制ですが、これも結局は子孫が適正があるかどうかがわからないため、側近政治や寡頭制になって、権力がどこにあるかわからなくなってしまいました。それで、最終的に、みんなから平和裏に、入れ札で、ボスを選出するという考えが生まれたのですが、これはかなり良い方法ですね。

 

また「議会の議員が各地から選出されるという仕組み」も大切で、放置される地域がなく、このお陰で一部の地域で飢饉などが起こることはありません。

世界に、世界議会や、世界政府、世界裁判所などがないため、放置されて飢餓がまだ残っているのです。これは世界連邦の私の思想の根幹でもあります。

 

さて話題の本筋の今回の選挙ですが、我が世界連邦日本国会委員会の会長は、自治体首長・参議院議員を合わせると50年の政治歴があります。これは現在は野党の小沢一郎先生に継ぐ日本二番目、自民党では最長老です。年功序列の自民党にあって、党最大派閥筆頭の最高顧問、党総裁直轄特別機関で、部会の上にある外交調査会会長、与党税制調査会副会長、という重鎮です。そのため伝統ある世界連邦日本国会委員会会長をお引き受けしていただいております。私は年齢差別や働ける人は働いて欲しいという生涯現役主義者のため、かねてから反対している定年制のため、比例復活ができないという危機的状況の中、元々社会党が強い地元のなかで、相手候補の親分で社会党重鎮が亡くなり「弔い合戦」の様相を呈するなど、党の調査で少し前の圧勝ラインからBマイナスというギリギリラインになって接戦になりましたが、しっかり勝たれたのは、さすがです。本当に嬉しいことでした。外交・安全保障は、地元支援者には「直接的には」受けないことかもしれません。しかし実力のおありになる先生が活躍していただけることは、国や世界のために、ひいては地元の方にも、幸福なことだと思います。

 

総理経験者などは無難に当選しましたし、

かなり長く幹事長をされたので色々言う人もおられますが(本来はとても良い人です)前幹事長の二階先生も、当然当選されました。

少々いろいろあった山口県の林先生も予想通り圧勝されました。林先生とは国際連帯税議連でも、ご一緒しましたが、今後、出世される可能性が高い先生です。

 

世界連邦日本国会委員会事務総長も、閣僚を歴任された立民党の大物(最高顧問)ですが、この方もちゃんと議席を守られました。ありがたいことです。

 

今回の選挙は自民党の圧勝と言っても良いと思います。前回は野党の分裂などで大勝しており、解散時276席もあったので、233席の過半数を目標にし、30∼40議席落とすのではと言われていましたが、20席代程度の減なら勝利、40席以上落としたら執行部は責任を問われるだろうと言われていました。結果的には261席の絶対安全多数を取ったというのは、静かな圧勝でしょう。これは野党共闘という強大な相手の中、選挙区候補者選びがあったからでしょう。

 

ただ、世連でお世話になった重鎮では、世界連邦日本国会委員会では総理や参院議長とともに顧問に就任していただいている大島理森衆議院議長をはじめ、そのほか伊吹文明元衆院議長、井上義久元公明党副代表、塩崎恭久元厚労大臣など、有力議員が次々と引退されました。

そんななか、せっかく出馬された野田毅先生が、落選されたのが残念です(この方は伊吹先生同様、大蔵官僚出身で、40数年国会で活躍され、私が深くお世話になった与党税調でも活躍された長老の先生です)。

 

幹事長も経験され派閥の領袖でもある石原伸晃先生も落選されました。私の身内も関係していた先生ですし、個人的には石原軍団のファンでしたので鉄の結束の軍団の解散とともに、落選されたのは残念です。昔事務所でご挨拶したとき、金宇さんという「黒部の太陽」を撮ったキャメラマン(カメラではなくキャメラといわなければなりません)の偉い人がベテランとして悠然とされていたり、岩崎さん(石原プロで裕次郎さんがご存命の頃から既にいらした方)が厳しく仕切っておられた頃が懐かしいです。選挙区は、住宅街なので、リベラル支持が多いのですがそれだけではなく、大新宗教の本部や多くの寺社仏閣も多いのに、「宗教にはコロナ持続化給付金を出さない」と言い出され(陰謀的に党総務会で言わされるるようにされたのかも知れませんが、、、。政教分離の原則や、宗教法人の免税特権もありますが、今では税務当局も宗教法人の事業活動にとても厳しく、ある意味では納税をしている普通の法人です。そういう理論で言えば、他の法人同様給付金は貰えるはずです)、結局この問題は解決しましたが、これは寺社仏閣の票田に響くミスでしょう。

 

ただ、実はこれらの先生の苦戦は、調査からは予想されていたことでした。マスコミの予想ははずれたと言われてますが、党がやっているような電話回しのような調査では結構はずしてません。一部のメディアではネットを導入したようですが、これは予想を外しますね。しかも出口指差し調査で、言わない人も増えてきています。

 

これらの先生とともに、今回は甘利自民党幹事長が、小選挙区で負けたことが、メディアではフューチャーされてますが、この方は以前から選挙区で負けた経験もあり、ある人が怪文書を流しまくったりもしていて、総裁選で県連に良く思われなかったとか、落選運動をされた方もいて、いろいろと苦戦をされました。ただ比例復活されているわけで、落選した(比例議席を1つ奪ったものの、議席を失った)というわけではなく、本来は幹事長として、党を勝たせたので功労者です。小選挙区でもそんなに差をつけられて負けたわけではありませんので、辞めるほどの責任はないと個人的には思います。でもズルズルいると問題が長引くので、勝った選挙に水をさしてしまうので、こちらも残念です。

「永田町の大物であっても、仕事ができる人も、実は良い人でも、一般の人気や、地元で強いとは限らない」という典型の先生です。

 

こうして世界連邦日本国会委員会メンバーの先生方の中には、ご勇退された方、残念ながら落選された方が、複数いらっしゃるので、また新たな先生方をご紹介していただき参加していただかないといけません。最近は小選挙区制や風が吹いたり、選挙で国会議員の先生の入れ替わりが多いので、困ったことです。

 

幹事長後任は、茂木先生になりそうですが、この方はビジネス界・コンサル出身でありますが、非常に事務方的な仕事の出来る人です。選挙対策についても経験があり、来年参院選のことまで考えると、適任ではあります。

 

来年の参議院選挙は本当に重要です。ここで票がどう動くかで、国政が左右されます。現政権の基盤が強くなるかどうかがきまります。あまり詳しくは述べませんが、日銀人事も関わってくるので、日本経済の動向が動くでしょう。

 

茂木先生にちなんで、また余談ですが、私が少年時代、今ほど「ハーバードのプロスクール」や「戦略コンサル」が、まだ、はやっていないときに、それをしていた方です。まだ、このころは、(もちろん例外はありましたが)何といっても東大がエリート、ハーバードやオックス・ブリッジなどの留学をするということもありましたが、これは学者のすることでしたので、大学院ではアカデミアから見て、MBAなどのようなケースメソッドを使ったプロスクールは少し下に見られ、コンサルや投資銀行家などは、日本向きではない、と言われていた時代でした。

 

ちょうど私が子供のころ、一般的な日本社会では、官僚が一番で、その次に学者・医師・弁護士・会計士などの専門家、その次に一流企業社員が、良いとされていました(芸能人やスポーツ選手のような特殊なスターは例外ですが、、、)。官僚でも、外務省を除いて、在外研修として外国大学院に留学するのは、まだ一部でしたし、バブルがきて以降は大学院プロスクールで在外研修が流行りはじめましたが、実際の勉強はハードなものの、会社側からは「箔をつける」「一時のレジャー」で、帰ってきたら「その学んだ知識を活かせろ」というより、「良い思いをしたのだから次は現場でベタにがんばれ!」みたいな時代でした。

 

私は少年時代は、好奇心旺盛であらゆることに興味をもちました。そのなかで哲学、宗教、物理・化学の他、歴史も好きでしたが、歴史上の人物はもちろん、現代人にも関心があり、多くの人の人生に関心がありました。指導者層だけではなく、一般の人でも、みんな結構波乱の人生なので面白いのです、

だからTVは洋楽ライブ・スポーツ・映画以外、ほとんど見ないのですが、実は「徹子の部屋」が大好きです。人生経験豊富なゲストのお話を徹子さんが面白く引き出されて楽しいです。また同じ感覚で、老人ホームの傾聴ボランティアも、とても楽しいです。大手の高級介護付き住宅会社と関係しているので、著名な方もいらっしゃいますが、社協系や災害仮設などは普通の方です。でも普通の方でも、とても楽しいです。

これは時代背景を知らないとつまらんのですが、時代背景を知ると、本当に面白いのです。

子供たちと遊ぶのも楽しいですが、人生の大先輩に失礼ですが高齢者と交流するのは、別の意味で楽しいです。

高齢者の「昔話」や「自慢話」は嫌い、という若い人も多いそうですが、なぜか私はとても好きでした。

少々「盛られる」人もいますが、嘘は前後関係を聞くと、辻褄があわないので、すぐにわかりますので、やめた方が良いとは思いますが、それはそれで、ご愛敬です。

 

その関心を持った一人に、(エリートですから普通の人ではないですが)ルイスガースナー氏という、有名な経営者がいました。氏は、ハーバードのMBAから、マッキンゼーに入り、その後顧客であったアメックスの経営に関与して自分が経営者になり、その後ナビスコ経営者(そのころに存在を知ったのですが)、さらにIBMの経営者として復活させて、カーライルという国際的投資会社の会長になられた「経営のプロ」です。

日本では三井の社長は三井だけ、三菱の社長は三菱だけという、終身雇用だったので、経営者でも〇社の社長というのが一般的で、社長の専門家としていろいろな会社を渡るという、こういう生き方もあるのだなぁと、興味を持ちました。

また、起業家にしても、政治家にしても、アーティストにしても、日本の常識は世界では違うのだなと思いました。

もちろんアメリカでもジャックウェルチ氏のようなGEにずっと務めて出世し経営者になってからGEの立て直しに成功したというような日本的な方もいましたが。

 

後にジュリアナ(英国企業のフランチャイズのオオバコ=当社は商社の事業でしたが個人でされることになりました)やベルファーレ(エイベックス系のオオバコ)というディスコ経営から、モデル事務所経営を経て、別の軽作業請け負い会社を企画して抜けたられた方が設立した会社の株を買ってグッドウィルグループを成長させた折口さんという方が「経営のプロ」を自称されて、この言葉を広められました。

ただ、この方は、防衛大で学び、商社から独立し、失敗しても、再チャレンジされ、資本主義制度を活かせて株売買で成功される姿は、経営のプロというよりも、堤康次郎さんや今で言えばイーロンマスクのような、資本主義のベンチャー連続起業家の先駆けのような方だなぁと思っておりました。そのため、私的には、経営のプロというと、どちらかというと折口さんタイプよりも、雇われで会社の経営者を渡り歩くガースナーのようなイメージでした。

 

まぁ、そんなこんなで、こどものころから、戦略コンサルタントの存在には興味を持っておりました。そのずっと後に、大前研一さんが、「平成維新の会」を立ち上げられて、戦略コンサルの存在が有名になりましたが(平成維新の会は、細川総理の日本新党ほど成功はしませんでしたが)、この方は早稲田卒、東工大院・修士、MIT院・博士を経て日立から、マッキンゼーに入られ、コンサルタントで出世された、当時としては国際的エリートキャリアで、のちにスタンフォードなどで教え、自身のネット大学を作られたりされていまでも活躍されています。

ただ、その前から堀紘一さんという方がいます。私が起業家時代に。所属して、ファーストテノールを担当していた、音楽家の三枝成彰先生主宰「六本木合唱団」という、プロの著名な音楽家と、政財界の人が一緒に、著名な世界のコンサートホールでクラッシックのコーラスをしたり東京マラソンで君が代を合唱したりするという楽しいサークルがあって、ここでご一緒した方です。この方は、中曽根大勲位と近い、駐伊大使の父を持ち、東大卒後、新聞(読売)、商社(三菱商事)勤務から、ハーバード院でMBAを経て、ボストンコンサルティングで活躍されのちにベンチャーキャピタル・インキュベーターとなられました(岸田さんが総裁になられた時に、秘書官に経産事務次官クラスがなると書きましたが、実際に嶋田さんという経産事務次官から、この堀さんが創業されたドリームインキュベーターという会社に入っておられた方が、総理秘書官として官邸入りされました)。

この方や、デジタル監の石倉洋子さんなどもそうですが、これらの方が「今はやりのビジネスエリートのキャリア」の元祖的存在の方です。

今は、こういうキャリアの人が、増えてメジャーになったので、外資系のコンサルや機関投資家は、エリートサラリーマンの典型化してきましたね。

 

そして、肝心の茂木先生なんですが、ちょうど堀さんから十年ほど後輩で、東大卒後、商社(丸紅)、新聞(読売)、ハーバード院(こちらはケネディースクール)を経て、マッキンゼーでコンサルタントで活躍され、これは堀さんとそっくりのキャリアだなぁと思いました。ケネディースクールなので公共政策に関心があるのかなぁとは思っていましたが、茂木先生はマッキンゼーの先輩の大前さんの平成維新の会の事務局長になられ、政治家になられました。茂木先生は、あの人は優しいという人と、不愛想な(こわい)人だという両方の評判がある方ですが、写真的暗記力があり、ふりつけた文書を一瞬で覚えるという特技があります。

 

いわゆる官僚出身・大実業家出身・議員秘書出身・地方議員から、二世の世襲議員が大流行りの時代でしたし、まれに松下政経塾出身者、言論人なども出てたりもしていましたが、一部では旬をすぎた(失礼!)芸能人・スポーツマンなども政界に出る時代で、「政治家になってもおいしくない」という風潮があるなか、(私も世界連邦主義者の学生起業家でしたが、この雰囲気が影響して、国会議員を目指すキャリアを歩む気がなくなったということもあります)、「こういう方も、政治家になるんだ、、、これは良い!!」と、少年ながら思った人でした。

とんとんと出世、選対や党政調会長などや経済閣僚も複数経験、今や経政会の流れを組む平成研という派閥を率い、外務大臣に就任されるなど、大物議員になられました。

 

ただ個人的な話として自分の会社でも、外資系の戦略コンサルタント(戦コン)を使ったことはあるのですが、億単位のお金がかかりました。相当な分析資料をいただきましたが、売上や資本増強には効果はなかったので、余裕のある大手企業が勉強のために使うのは良いと思いますが、ベンチャーには、戦コンは身の丈に合ってなく、国際(渉外)弁護士や、ITコンサルの方は、実務的で良かったです。それでもコストは結構かかりましたが、、、。彼らは「経営を上向ける」よりも、経営の教師として「お金を取るプロ」として、本当に一流です。

・・・結局自分で勉強して、率先垂範して、やることにしました。

 

しかも、起業家で、上手くいったものもありましたが、少し失敗もしたので、その会社を大手に売却してから、国際的なお金をテクニカルに活用して、会社売買を本職にしてからは、前に出なくなりました。私は根は、資本主義者ではなく、どちらかというと社会主義者に近いのですが、当時(今も)の世界の経済を動かしていたのは資本主義なので、まずは資本家になるのが王道だと思い、連続的に起業に投資をして、会社売買をするようになったのです。

会社は「将来利益」も価格に出来るので一番儲かる「商品」です。また買収は長年の経験が詰まっていて多くの人々の人生をかけた結晶を買うことと同じなので、表現は悪いですが「時間と、思い」を買ったと思えば、大金を払っても十分価値があります。

ただ、原資は、貯金をしてからでは、人生が終わってしまうので、やはり他人のお金でやらねばいけません。逆にいえば、これが株式会社の原点です。そのため、自分はあまりお金を取らないようにしました。それで仕事ばかりして、組織の財産に囲まれてくらしています。

 

たまに「自分で稼いだ金をどうしようが勝手だ」という人がいますが、それは間違っていて、稼げたのは、努力などは当然の話で、それ以外に、たまたまそのステージに乗れたという「運」が最も大きいし、なんといっても多くの人々の支え、先人が築いたインフラがあって、初めて稼げるのですから、そこは謙虚にならねばなりません。

 

ただ、今は世界連邦運動家になったので、自分個人のお金は儲けていないです。自分はそれでよくても、問題は世界社会のために「年中無休無給で働く」という状況になってしまったので、親族には良い思いをさせれてないので、叱られてます。

それから自分の後輩の会社が、一部は幸いうまくいっておりますが、一部はうまくいかなくなっているので、株主であり創業者である私が責任を取るべき、という人もいます。

それに「プロ」として、ちゃんと自分を高く売りなさいと言う諸先生方もいます。それも一理あります。

 

お金を稼ぐという事自体は、お金は経済の血液ですから、私は悪いと思いません。むしろ質素が生む「貧困」は悪です。

また私は自分でも商才があると思っていて、実際必要な時は、もちろん合法取引に限定しても「〇〇という報酬をいただくのが条件です」と言えばいいだけなので、そんなに難しいことではないのですが、社会運動家は、なんとなくそれが言いにくいという潜在意識があり、これを直さないといけないですね。

 

起業家時代の方が、会社(株主=実際は自分が大株主なので自分)の利益のためにやってると堂々と言えたので、お金を儲け、贅沢もしましたが、金融(金融は凄い儲けている人がいますが批判の対象ですね)や、社会運動家では公的な理念なので、お金儲けが、よいこととされていません。しかもMDGs、SDGsの時代になってからは、「お金持ち」というのは流行らないですしね。

そのあたりで、「質素」から、「富裕」に、いつかシフトチェンジするかどうかを、悩んでます。

 

 

さて、今回の選挙では、立民と共産が野党共闘したことが、マイナスになったといわれますが、そうではないと思います。やはり一騎打ちになったのは、小選挙区では有利に働いたのではないかと思います。実際、自民党は接戦になって負けた人も出たわけですから。

 

ただ立民と共産の共闘というのは、思想的には、やはり問題はあると言わざるを得ないかと思います。閣外協力というのは、民主主義・議院内閣制の理念に反する、ある種のディープステート思想と思われかねません。そこに比例の少々減った理由があったのだと思います。まぁ議席が減ったので、いろいろな意見のある立民党では枝野代表は辞任せざるをえないでしょう。ちなみに小話では枝野代表はヘビースモーカーで国会外での会合の時には、念のため喫煙所の同線確認を警察としないといけないですね。

 

小選挙区は中選挙区に比べ、死に票が増えたり、一位が議席をとるので風が吹けば大きく議席がブレるので、なかなか難しい制度です。メリットは「選挙に金がかからない」というのと、「二大政党制にして政権選択を国民が出来ること」なのですが(実際に権力の絶頂にあった小沢一郎先生がいろいろな政党を連立させて成功させました)。ちなみに落ちた人が比例復活するのはどうなの?という意見がいますが、これだと単に凄い少数でも1位だけが議席をとれるので、2位でもまぁまぁ票を取れた人も議席を与えないと「死に票」が増えます。だからこの制度は小選挙区制にはあった方が良いのです。比例の制度自体の問題は別にあるとは思いますが(昔ブログに書きました)。

 

ただ共産主義の日本共産党さんだけは、天皇制度で資本主義の日本とは根本的に思想が違うので、これは混ぜられないのです。比例で立憲の議席が減ったのはやはりこれだと思います。

そもそも共産主義とは、「資本主義が成熟して、社会主義を経て、共産主義を目指す」ものなので、いきなり共産主義になるわけではわりません。共産主義というのは、段階があるのです。第一段階、第二段階、、、と。ソ連も中共も共産主義国家を実現できていません。その過程で名前こそ同志、書記長などにしてますが、事実上、絶対王政国家や全体主義独裁国家でした。

日本共産党も、現実路線に寄せてはいても、段階を経て「共産主義を目指す」ということは変わらないので、この最終段階は、今の日本の体制の考え方とは違うわけです。

もちろん、時代とともに、共産主義の定義やあり方も、いろいろあるし、変わりもします。だから良い、悪いは別です。

そのため「思想の存在」を否定しているわけではありません。しかも共産主義は「平等なパラダイスを作ろう」という思想なわけですから、理想的ともいえます。資本主義が成熟して、、、ということですから、「終わった思想」ではなく、「これからの世界思想」なのかも知れません。

ただ「今の日本」の政体と、「これまでの共産主義を目指した国」の実績が違うだけです。

 

そのため日本共産党は、その名と、完全に解散して新党を作られるならば別ですが、日本共産党は、あくまでも共産主義の共産党なので、中道の今の政党と相容れるのは厳しいのではないでしょうか。

私は、武力が大きくなりすぎた現代では当然暴力革命はダメだと思いますが、、、それはそれとして、「理想」は貫いていただいて、そういう時代がくるかもしれません。それまでは、おもねないでいいただきたいくらいです。

 

維新は伸びました。自民党も立民党も、人もふくめて、源流は古い歴史がある政党ですが、維新は新人も多く「新党」に近いです。大阪発なので、特に大阪の反自民の保守層を大きくからめとった感じですね。連邦国家でもないのに、こういう地方政党が、のびてきたのは、凄いなぁと思います。しかも橋下さん以降、吉村さんなど、顔を作るのもうまい。政策がうまくいかなくても、それを補って余りあるくらい、メディアへの対抗策も、喧嘩も、とても上手なので、やり方次第では、国政でも、とても伸びるかもしれません。

ただ、ネックは自民党と違い権力に対する執着が弱いことかと思います。「与党に是々非々」と、政党の本来目的である、自分自身で「政権を獲得する」ということが、大阪以外では見えないので、地方政党というイメージがぬぐえない原因ですね。

これから国対の野党連合から出た国民民主らと、キャスティングボートを握るようになるのかは、見ものです。

 

でも、政治全体は、我々のような少し関与しているものは別として、ネット検索などを見ていると、衆議院解散時も、サッカーワールドカップだとか、最近だと小室さん夫妻のことだとか、他の話題が多く、やはり関心は薄いのだなぁと思います。もちろん国家が安定しているから(官僚への信頼??)、任せておけばいいという面があるのかも知れません。

 

古代から、王政が僭主政に、貴族政が寡頭政に、民主政に衆愚政になるということを言った人もいましたが、民主主義はチャーチルのいうように「マシ」ではありますが、「最良ではない」です。衆愚だけでなく、多数派絶対(多数派が少数派を弾圧できる)、いろんな意見があってすぐに決められないなど、問題がいろいろあります。

でも、国民の意志を反映させなければ、国民の生活はよくならないので、理想的な「哲人王」がいない以上、民主主義は大切な制度です。だから投票率は上げたいとは思います。

ただし、「なんでもいいから投票所へ」というのにはちょっと、、、と思うところもあって、これらの危険があることは忘れず、主権者として、ちゃんと考えて、投票しなくてはいけないです。

 

最後に、世界連邦運動家として、、、。やはり世界議会が欲しいです。そうすると世界中に光があたります。もし国会がなければ、為政者は困窮する地方があっても、放置しても、構わないっちゃぁ、構わないのです。

国際連合は、あくまでも主権が加盟国なので、全然違います。だから今困窮する国があっても放置しても構わないのです。

 

このところ、選挙があったので、日本の政治や社会のことを書いていましたが、私は「郷土愛」という意味で(つまり、日本という、比較的良い国に生まれ、守られながら、育ってきたので、、、)愛国者ではありますが、日本の政治に取り組んでいる政治運動家ではありません。

私は世界に関心があります。だから脱藩浪人の志士になったつもりでいます。

また、世界を良くすることは、まわりまわって日本も良くなることだと信じていますしね。

 

ただ、もちろん物騒な話をしても仕方ないです。明治維新の時代や、かつての世界大戦、各国の革命・クーデター・国家独立紛争などの季節と違い、もう暴力や大規模デモでは、犠牲が出るだけで、ちっとも世界は変わりません。むしろ、そういう暴力が一部の国では、まだやっているので、世界から、なくしていかねばならないです。

喧嘩や騒動が大好物な私でさえ、意味がないうえに、関係ない人が犠牲になるような、暴力や政治は全く嫌いです。

暴力的な行動は、国家の持つ軍事力が強大なのと、監視社会なので、簡単に、拘束されるか、命を取られて、終わりです。

世界に関心があっても、今は「国家主権」なので、便宜上、現在ある枠組みで、自国(日本人なら日本)の法のもとで、合法的に仕事をしないと、何もできません。

だから、自由な身分でいながら、トラックⅡの「外交」の範囲で、勉強したり、起業したり、ロビー活動をしているわけです。

例えば、国際条約の刑事責任を含む国際司法裁判所や国際刑事裁判所の権限強化や、国際連帯税を導入して財源確保をしたり、国際連合を強化するなど、機能的な方法を模索するしかありません。

これらの運動は、夢物語のようで、あまり実効性が乏しく効果的ではありませんが、「機が塾するのを待つ」しかなく、その間は、これしかありません。

坂本龍馬も、大政奉還・無血開城からの国家統一・議会制民主主義を実現させるに至るまでには「腫物は、ふくらむのを待たなければ、針をさして、膿も出すことはできない」という言葉を残しております。時期を待たなければ世界の問題は解決しないということです。しかし龍馬の死後、廃藩置県・憲法制定などを経て、これらは実現しました。

夢は、「現実的でない、意味はないから、考えない」のではなく、持ち続ける、機が熟するのを待つことも大事です。

 

でも、もしいつか「世界国」の世界民の代表たる「世界立法府」や、そこから作られた「世界政府」が建設できれば、(世界の隅々からも議員がでてきますから)世界中放置できなくなるというわけです。こういう日を夢見て、活動をしていきます。

 

 

世界連邦

谷本真邦