千葉県北部にある、JR成田線の佐原駅。

 

 

その駅前に立っている一体の銅像。

 

 

江戸時代に日本全国を徒歩で測量し、詳細な日本地図を作製した事で知られる「伊能忠敬」の像です。

 

 

現在の千葉県九十九里町に生まれた忠敬は、17歳の時に佐原の酒造家である伊能家に婿入り。

 

佐原を代表する名家でありながら厳しい経営状態だった伊能家を、持ち前の商才と倹約生活で立て直し、大きな利益を生み出しました。

 

1783年に起きた「天明の大飢饉」では私財を投げうって佐原の人々を救いつつ、商人達の先頭に立って厳しい状況からの回復に努めました。

 

 

49歳で商売から身を引き、隠居した忠敬は、江戸で天文学や暦学などを勉強。

 

これらの知識を生かし、55歳から71歳までの15年間で10回、日本全国を測量する旅を行いました。

 

測量の道具に加え、自分の歩幅も使って詳細な地形データを取り続け、歩いた距離は合計すると地球一周分にもなるんだとか。

 

織田信長の時代は「人生50年」といわれていたのに、忠敬は50歳から第二の人生を歩みだしたのですから脱帽ものですね。

 

 

北海道から九州までの測量を終え、弟子達と共に地図の作成に取り掛かった忠敬ですが、完成を目前にしたところで病に倒れ、73歳の生涯を終えます。

 

しかし、この日本地図は伊能忠敬が作ったものだと世間に伝えるため、弟子達は忠敬の死を隠し、地図を完成させます。

 

江戸幕府に献上された地図は、現在の地図と比べても大差ないほどに詳細なもので、公式地図として長年使われる事となりました。