Wednesday 8 December 2021

少子化対策についてつらつらと考えてみた

うちの夫(ミャンマー人)は、非常にテレビっ子です。

ワタシの持論では、物心ついた時からテレビがある環境で育った人はそんなにテレビに執着しないけど、物心ついた時にテレビがなかった人は、テレビっ子になる確率が高いと思う。

うちのミャンマー人は、ワタシよりも若いんですが、子供の頃のテレビへのアクセスが潤沢だなかった為か、いまだに非常なテレビっ子です。

テレビ:https://floatingonwatermeditate.blogspot.com/2013/03/blog-post_20.html

コロナ禍の間、できるだけ買い物の為の外出を減らす為に、某ア〇ゾン通販サイトもプライムメンバーになっている方も多くいると思いますが、例にもれず、我が家もメンバーになりました。

メンバーなると、某ア〇ゾンがやってる動画配信サービスへも無料でアクセスできるのですね。

動画配信サービスと言えば、今や、飛ぶ鳥を落とす勢いでブイブイ言わせているネッ〇フリックスも、今みたいに流行る前から加入しておりました。

なのでまあ、うちのテレビっ子は、普通のテレビ番組に見たいものがない時間帯は、二つの動画配信サービスを駆使して、世界各国の色々な番組を、せっせと鑑賞しておるのです。

ゴミみたいな番組もありますが、なかなか見ごたえのある番組も多々あります。

その中で、世界の貧困地域のドキュメンタリーなんかとつらつらと見ていて、ふとタイトルの事について考えたのです。(前置き長い)

世界の貧困地域の人々の生活は、本当に大変。

辺境の地で砂金を集める女性なんて、4日間かけて集めた砂金の買い取り価格が、たったの2ユーロです。

自分が食べていくのも大変な状態なのに、子供がいたらもっと大変やろうなあ、なんて思って見てたら、砂金を集める女性の所に、今日は学校が休みだといって、子供たちがお手伝いに来るのです。子供たちは、学校が休みの時は、母親の砂金集めのお仕事の手伝いをしているそう。家族総出で、砂金集めです。

ドキュメンタリー見てても、貧困地域って、大抵子沢山なのね。

今、日本をはじめ先進国では少子化が問題となっているのにも関わらず、地球全体をみたら、世界の人口が増えているのは、発展途上国の人口が増えているからです。

今の日本が少子化なのは、若者世代が貧乏で結婚しない(できない)、子供を育てるのにお金がかかるから子供を持てない。要するに、若者にお金がないから少子化になっていると言われていますが、その一方で、発展途上国では、絶対的貧困で、一日2ドル以下とかで生活していて、明日の食べるものもないようなカップルも、子供を産んでいるからです。

何が違うのか。

ドキュメンタリーを見ていると気付くのは、発展途上国では、子供はかなり雑に扱われているという事です。(これを見て、かわいそうだ、募金しろという慈善団体があるわけですが。)

つまり、生まれても雑に扱うから、貧乏でも子供を産むわけですな。

もちろん、子供の事は大切に思ってるし、愛情をかけて育てているのですが、お金がない人は、無い袖は振れない。愛情はかけてもお金はかけられない。

「ごめん、将来の事を考えたら、学校に行かせてやりたいのはやまやまなんだけど、でも、毎日のご飯を食べられないと飢え死にしちゃって将来もクソもないから、あなたも働いて、少しでも稼いでね!」という感じの雑さです。

先進国では、子供を産むなら、生まれた子供を大切に育てたいから、お金がないから産まないという選択になるわけです。

そこで、この意識の違いは、何がターニングポイントとなるんだろうかと、考えてみました。

ちなみにワタシは、氷河期世代の初めの方。第二次ベビーブーム真っ盛りの年の生まれです。

ワタシの学年は、とりあえず子供が多かった。

小学校は1学年100人弱。(3クラス)

中学校は1学年300人強(8クラス)

高校に至っては、1学年600人弱(12クラス)くらいいたはず。

同じ高校で同じ学年の同窓生でも、知らない人の方が多いくらいです。

そんなに沢山いたワタシたちですが、だからと言って学校を新しく建てるわけにはいかないので、高校受験も大学受験も、競争率が高かった。

オマケに、大学を卒業する年になってバブルが崩壊し、ただでさえ高かった競争率が、さらに倍!

なのに、政府は何もしてくれなかったので、いまだに何もしてもらえてないので、われわれ氷河期世代は、一生冷や飯を食っているわけです。

我ながら、かわいそうな世代だと思うのですが、ふと思ったのです。

多分ワタシたちは、沢山いるから雑に扱われているのでは?

おそらく、もし今、コロナ禍が治まって経済が上向いてきたとして、政府が重い腰を上げて、経済的に困窮した若者の支援をするとなれば、コロナショックで就職機会を失った、20代30代を優先するでしょう。

それは、もちろん、これから子供を産み育てる可能性が高い若者を支援する事による、少子化対策というのもあるかもしれませんが、ただ単に、数が少ないから大切にしようというのもあるのではないかと、訝ってしまうのです。

氷河期世代は、もうちょっと手遅れであるというのと同時に、数が多いから、雑に扱われているような気がしてならない。

人間には、少ないものを大切に、数が多いものは雑に扱うという傾向があると思うのですよ。

これを子供を持つ事に対する意識について当てはめてみた場合、

沢山産んで雑に扱う ⇔ 少なく産んで大切に育てる 

となるわけです。

沢山いると、雑に扱うから、親の負担は少なく、さらに産む。

少ないと、大切に育てるから親の負担は大きく、さらに産み控える。

どちらかの流れに乗ってしまうと、増え続ける、もしくは減り続けてしまうので、どこかで、この二つの流れを切り替える必要があります。

日本の場合、戦後しばらくは増え続ける方の流れに乗っていましたが、ある時、減る流れに切り替わりました。

ターニングポイントは、国が豊かになった事だと思います。

そして日本では、豊かになったはずなのに、バブルが崩壊して氷河期世代を作り出してしまった事と、それが第二次ベビーブーマーと重なった事が、それを加速させてしまったのです。

数が多すぎた第二次ベビーブーマー世代は、事あるごとに雑に扱われて、自分の子供は少なく産んで大切に育てる方向に進もうとした。

でも、バブルがはじけて、「少なく産んで大切に育てる」もハードルが高くなった。

だからと言って、「沢山産んで雑に扱う」はやりたくない。

まあ、少子化の流れは、他の先進国でも起こってますので、バブル崩壊と氷河期世代は、少子化を加速させただけで、根本の原因ではないのではないかと思います。

一番の原因は、国が豊かになった事に加え、豊かな環境で大切に育てられた世代が親世代になったからだと思うのです。

そう思ったら、少子化対策には、国が貧乏になって、子供がハングリーに育たなければいけないわけです。

まあ、今の日本経済は失速していますし、このまま失速が続けば日本も貧しくなって、明日の食い物にも困るという状況で育った子供達が親世代になれば、労働力の為に沢山産んで雑に扱うという意識になり、日本の少子化も解消するかもしれません。

それは、嫌やなあ。もう、少子化のままで良いんじゃないでしょうか(無責任)?



No comments:

Post a Comment