2022年12月1日木曜日

幕末史跡巡り 江戸城無血開城

今回は、東京の幕末史跡巡り。

 今回のテーマを江戸城無血開城と決めて、勝海舟、西郷隆盛所縁の地を巡る。

勝海舟誕生の地である両国からスタート。勝海舟はいち早く海軍の必要性、とりわけ操船を行う人の教育の重要性に気づき、海軍操練所を創設した人物である。しかし、幕府の役人でありながら、坂本龍馬など反幕府派の浪人にも広く操練所の入門を許したため、謹慎処分となる時期もあった。

ドラマなどではちゃきちゃきの江戸っ子として描かれることが多いが、それもそのはず。
勝海舟の生まれた地は隅田川のすぐそば。まさに下町の江戸っ子だったのだ。

江戸の蕎麦は、屋台蕎麦が発祥らしい。いろり庵 自家製かき揚げ蕎麦


両国から少し離れた隅田区役所前には、右手を挙げた銅像がある。

勝海舟が産湯を使ったと思われる隅田川。

そしてもう一人。上野公園にある西郷隆盛は、薩摩藩で倒幕軍を率いた総大将を務めている。勝と西郷の話し合いの結果、江戸城を明け渡すことになり、江戸は戦火を逃れている。

その会合は、薩摩藩邸(現在の三田)で行われたとされている(現在工事中につき、記念碑は別に保管 2022年12月)

薩摩藩の西郷隆盛像が何故、上野にあるかというと、江戸城は無血解放されたものの、まったく戦がなかったわけではなく、無血開城(降伏)を受け入れられない幕府の一部が彰義隊を結成し、上野の山(すり鉢山)に立てこもり、それを制圧したためとの説がある。
西郷像のすぐ側の彰義隊の墓

すり鉢山頂上

ところで、西郷隆盛像は本人とはさほど似ていないらしい。これは、西郷が写真嫌いでその姿が後世に伝わっていなかったことが原因とされる。

今回は、両国―墨田ー上野ー三田を巡る江戸城無血開城の一部を巡った旅でした。