大人の中国語勉強:吉田拓郎の『襟裳岬』とノーベル文学賞作家『莫言の北海道旅行記』

『莫言・北海道走笔』:莫言の北海道旅行記

『莫言・北海道走笔』は中国人作家の莫言が、2004年12月26日から12日間、中国人編集者、作家、記者、写真家など、総勢10数胃m名を同行して極寒の北海道を縦横した旅行記です。出会った人々、動物、居酒屋、旅館、露天風呂、街並み、歴史、厳しい冬の風景など、写真を挟んだ読みやすい編集になっています。北海道の勉強になります。この旅行記から8年後の2012年に莫言はノーベル文学賞を受賞しています。

強風の襟裳岬で、吉田拓郎の『襟裳岬』の歌碑に刻まれた歌詞を読んで、("襟裳岬的春天是没有春天的春天〞,只有站在这里,才能领悟到作者何出此言,并且将其作为歌曲的主题句。)と書いています。

吉田拓郎「襟裳岬」の歌詞「襟裳の春は何もない春です」

地理书上也少不提到这个地方,在一个关联就是经邓丽君之口传唱多年的日本歌曲《
襟裳岬》,邓丽君所唱歌的版本、重新填了的词、把它変成了一首情歌。我以为,原词更多地把一个人身在襟裳岬的心境表现出来。歌中唱道:

听说在北方的街道
正把悲哀投入暖炉中焚烧呢
为了莫名的烦恼而独自伤神的话
那就把那沉闷的岁月聚拢起来取暖吧
襟裳岬的春天是没有春天的春天


这首词,如今被镌刻在石碑上,立在海边。我们每个到这里的人,站在碑前,都大声地唱起来,狂风把我们的歌声搅得七零八落,断断续续。
"襟裳岬的春天是没有春天的春天〞,只有站在这里,才能领悟到作者何出此言,并且将其作为歌曲的主题句。因为这里风大,除了生长一种紧贴地表,色如礁石的低矮植物外,没有树,更没有花,也无法开耕出田地。所以,又有人把这里称作是襟裳岬沙漠。即使春天到来,也无法唤起大地的生机,这未免太让人黯然神伤,所以这首歌劝大家,”曰子总会一天天接踵而至、面带微笑吧"。即使人生没有春天,又如何?

【莫言・北海道走笔】

私の翻訳(勉強のための翻訳です)

地理の本でもこの場所について触れていることはめったにありません。一つ関連あることはテレサテンが長年歌ってきた日本の歌『襟裳岬』です。テレサテンの歌っているバージョンは、歌詞が書き換えられて恋の歌になっています。原詩が襟裳岬にいる人の心情をより表現していると思います。このように歌っています。

北の街ではもう悲しみを暖炉で
燃やしはじめてるらしい
理由のわからないことで
悩んでいるうち
老いぼれてしまうから
黙りとおした歳月を
ひろい集めて暖めあおう
襟裳の春は何もない春です

この歌詞は、いま石碑に刻まれて海岸に立っています。ここに辿り着いた我々一人一人が、歌碑の前に立ち、皆で大声で歌い始めれば、狂風が歌声を揺り散らし,途切れ途切れにする。
”襟裳の春は何もない春です”、ここに立ち始めて、作者が言わんとすることを、そしてこの歌詞が歌の主題句で使われていることを悟ることができます。ここは風が強いので、地表に張り付き、岩礁色のような低い植物が成長している以外は、木もなく、花もなく、田畑を耕すこともできない。だから、ここを襟裳岬砂漠と呼ぶ人もいます。春が来ても、大地の活力を呼び起こせない。これはあまりにも憂鬱です。この歌はみんなに「日々の暮らしは毎日次から次とやって来る、いつも微笑みを浮かべようよ」と勧めている。人生に春がなかったら、どうなりますか?n

この本は莫言がノーベル文学賞を受賞した翌年、神保町の中国関連書を扱っている書店で見つけました。年に数回、思い出したように書棚から出して読んでいます。

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