すみれのキモノ笑う日々

すみれのキモノ笑う日々

週末着物ではありますが、着付けに悩みコーディネートに失敗するちょっと笑える着物のお話、日々のアレコレをつづります。

Amebaでブログを始めよう!

皆さまこんにちは。

 

2014年6月から開始、6年と8か月続けてきたこのブログですが、本記事を最後に卒業することにいたしました。

 

 

理由はいくつかあります。

 

 

元々、私を仲間に入れてくださった着物好きのグループがアメブロでつながった方々だったのでそれを真似したことがこのブログの発端でした。

そんなグループの皆さんも今ではブログを更新しておられる方はほぼおられず、リアルあるいはSNSを利用した交流にシフトしていったため、ブログで方々とつながるという名目が希薄になったのが一つ目の理由。

また、前記事「ぼっちで生きていく」で書いたとおり、このグループに頼らない単独行動によって心が軽くなる時間をこれから作りたいとも思いました。

 

二つ目の理由は、FacebookやInstagramで写真がメインになる発信をすでにしており、ブログをタイムリーに更新することが私の場合時間的に難しくなってきたこと。

特にこれから仕事も忙しくなるので、無理なく楽しく過ごしたいと思います。

 

三つ目の理由は、そうしたSNSと、自分の気持ちを忖度なく文章で綴る媒体を完全分離したいと思うようになってきたこと。

SNSは着物コーデの備忘録、そして日常の自分の安否確認用に(笑)。

そしてそれとは別に、心の奥底に抱えるものにじっくり向き合いアウトプットできるテキストメインのメディアを別に探しているところです。

 

 

Instagramでは着物コーデを展開しています。

「こちら」と皆さまを誘導したいところですが、実はインスタ始めたばかりでまだ投稿数もフォロワー数もほんのちょっと。胸を張ってご紹介するには気恥ずかしいシロモノです。

公開アカウントですので、そのうち何かで「もしかしてこれすみれじゃないのか」とご覧になることもあるかもしれません。そのときはどうぞ眺めてやってください。

 

最後に。

拙いブログでしたが、読んでくださった皆様、本当にありがとうございます。

「いいね」をくださった方、いつもコメントしてくださった方、勇気と励みをくださってありがとう。

これからも時折皆さまのブログを拝見しにお邪魔いたします。

 

どうか皆さんお元気で。

素敵な着物ライフをお過ごしください。

 

 

すみれでした。

 

2月11日(木)、結婚記念日。

 

江戸小紋に博多織の帯。

 

 

記念日ディナーは中洲のフレンチ「レストランひらまつ」。

 

 

 

 

目にも美しいお料理の数々。

 

 

 

 

 

 

結婚して29年経ちました。

こうしてブログやSNSにも夫をたびたび登場させるせいか、

「いつも仲良しね」

と言っていただくことが多いのですが、大多数のご夫婦と変わらないごくごく普通の夫婦仲です。

おそらく、一緒にいる様子をネットにアップするかしないかだけの差だと思います。

夫との一場面は自慢も卑下もない自分の日常の一部。

私にとっては「昼にカレー食べました」という同じくらい普通のこと。

しかしおそらくは、その普通こそが宝物なのだろうと思います。

 

夫婦ですから、新婚の頃はそれなりにケンカもしました。

「共働きなのになんでアタシだけがパンツ洗って干すのよ!」

「仕事が正念場でそのことで頭がいっぱいなんだよ!それくらい察してくれよ!」

「自分だけ仕事がタイヘンみたいな言い方やめてよ!」

みたいな安定のバトルも経験済みです。

双方の実家事情に引きずられるストレスを互いにぶつけたこともあります。

それが一緒に暮らしていくうちに、そして年齢を重ねるうちにお互いのとがったところが少しずつ削られ、「二人で暮らす以上、協力し合わねば結末が見えている」と共通認識を持つようになってきた感じです。

 

 

二人とも仕事を持っているので、週末にまとめてやるルーティン家事(掃除・洗濯・食料買い出し)を一緒にやることで早く終わらせ、それぞれの自由時間を少しでも長く確保したい。

そんな様子をご近所から「買物もいつも一緒なのね、ほんと仲がいいわあ」などと言われるのですが、本人たちにしてみれば実は「貴重な休日。家事は協力して執行した方が全体の業務効率が良い」だけだったりします。

 

それぞれの自由時間は、夫はバイク、ガレージ整理。

私は着物で歌舞伎鑑賞、家で読書、と趣味はバラバラです。

整理整頓や家の内外の環境整備といったハード面が得意な夫、苦手な私。

スケジュールやToDo管理などのソフト面が得意な私、苦手な夫。

夫は陽、私は陰。気質や性分も全く違う。

 

 

ただ、家計の使い道に関する考え方はまあまあ近い。

あと、冠婚葬祭や交際ごとに関する考え方もかなり似ている。

ニュースで報じられる政治施策に対してつぶやく思いなんかもそこそこ近い。

二人とも管理的な立場なので、仕事の立場や責任に関する想い、弱音を吐きたくなるポイントも通ずるものがある。

 

つまりは、一つ屋根の下で生活するうえでとかく言い争いになりがちなポイントがたまたま意見一致するようになったので、致命的な亀裂を経験することなくここまで来たといった感じでしょうか。

幸か不幸か、子供がいないというのも大きかったかもしれません。

これは勘ですが、子育てについては大きく方針が違っていたのではないかと思われるので。

 

 

 

とにもかくにも30年目に突入。

30年は「真珠婚」だそうです。

記念にパールのアクセサリーなど買ってみようかな。

そう、自分で買うんですもちろん(笑)。

 

 


 
 
 

 

 

 
 

 

 

もう10日以上経っちゃいましたが、2月11日が結婚記念日でした。

我が家では、毎年私がお店を探して予約します。

 

夫にとっての外食とは、牡蠣小屋! うどん! カレー!

雰囲気の良いお店を妻のために予約するなどというのはフェルマーの最終定理をはるかに超える難題でございます。

 

そして彼にとってさらに超難問なのが

 

「一体何を着ていけばいいのか」。

 

ちなみに我が家では、衣類は各自のおこづかいで買うことにしているため、互いの服装にあまり干渉しません。

 

夫のオフの服装は大好きな趣味のバイクのお店で売ってるポロシャツ。

左胸にイナズマのワンポイント刺繍があったりと、ムダにスポーツ感満載です。

 

言っときますけど61歳ですよ奥さま。

61歳にもなった男がディナーに何を着たらいいかもわからず、実際ふさわしい服も持たないんです。

 

ジャケットがあるでしょうが、と持って来させたら

「モニカ」を歌っていた頃の吉川晃司さまのような肩幅で、小柄な夫は大人の服を着たお子ちゃまになります。

「これじゃなくてほらグレーのがあったじゃん」

「あーあれボタンがとまらないから捨てちゃった」

「新しいの買いなさいよもう~~ 怒」

 

みたいなやり取りを毎年繰り返し、

しまいには「こんなていたらくでは着物でオシャレする意味ないのでは」とまで自分の気持ちが萎えかけ、

「こっちもトレーナーと綿パンで行ったろか」とヤケを起こしそうになりますが、

 

そこは気力を振り絞って、着物コーデ。

 

 

 

グレージュ色の江戸小紋。

帯は江紋屋さんの博多織。

ちょっと春っぽくしたくて、小物はピンクをプラスしてみました。

 

 

さっさと御馳走食べて帰ろうっと。

 

 

 

 

 

 

これまでのお話はこちらから。

 

 

 

 

 

 

 

 

「何だっけ あの雲の形 何て言うんだっけ」


 

 

さて、人と交わるのがへたくそな私。

「とりとめのない会話が苦手で逃げ出したくなる」弱点は50代後半になった今も全く克服していません。

 

職場は仕事をするところ。

ジムは体を鍛えるところ。

お稽古事は学ぶところ。

仲良しさんを見つけるところじゃない。

そう割り切ることで、自分が困らないようにしてきました。

 

着付け教室に通ったときも、生徒さんたちはこぞって帰りにお茶をしたり連絡先を交換してその後も交流したりしたようですが、そこに私が誘われることは決してありませんでした。

人間は、とりわけ女性は本当に敏感な生き物だとつくづく思います。

私が「人が苦手」と思えばそれは細かい波動となって相手に伝わる。

そうすると相手も「そんなあなたのことが私も苦手」となる。

そしてその波動をまた私が受け取ってしまうという悪循環を幾度となく経験しました。

 

しかし結局は自分の問題なのですから、周囲に理解を求めるのはお門違い。自分でどうにかコントロールするしかありません。

 

着物をはじめてから数年後、ありがたいことに着物好きのグループからたまたま声をかけていただき、今も時折ご一緒しています。

皆さんどの方も明るく優しい良い方です。

 

(着物が好きという共通点があるのだから、私のような人間でも交流できるかもしれない)

 

ただ、グループとはいえ、その中で特に仲良しの中心メンバーがいて、私はその外にいる。御三家と外様(とざま)大名のような感じです。

私は実はこれまでその距離感を正しく読めていないことがしばしばあって、

(久しぶりに仲間ができたんだから皆が喜ぶような企画を私も考えねば。皆のために汗をかかねば!フンガー)

と鼻息荒く張り切っていたこともありました。

皆さんにとっては随分迷惑なことだったろうと今は思います。

 

そんな外様(とざま)の私に、何回かに一度の割合で「〇〇に一緒に行かない?」と個別に声をかけてくださるのですが、

(気を使わせてしまってるんだなあ・・・なんとも申し訳ない)

と自己嫌悪に陥ったりするのでした。

 

 

そして相変わらずぎこちなさを払拭できない会食のおしゃべり。

着物が好きな者同士といっても、当然ながら話題はそればかりではありません。

親の介護の話、あの食材はどう調理するか、あそこの店は美味しい、新店がどこにオープンした・・・同年代女性らしい話題が続きます。

実に当たり前の光景です。
でも普通の人が自然にできる会話が、私には難しい。

 

実家の話はワケあり過ぎて重いからしたくない → スイッチOFF

どこのお店がランチがおいしいか?それは主観の問題だからなあ → スイッチOFF

糠漬けを何日漬けるか?各ご家庭で違ってて当然よ → スイッチOFF

 

こんな風に脳が「結論は出た。発展させるべき話題じゃない」と判断して回路を切るので、

「すみれさんちはどうなの?」と話をふられても「・・・えーっと」となり、その場の空気を壊さないための語る言葉が見つからず反応できなかったり、薄い返ししかできなかったり。

 

失礼にならないよう、相槌を打ちながら話を聞くものの、しばらくすると疲れてしまって長続きしない。

また、「あっ今の話ならなんとか自分でもコメント出せそう。会話に参加しなきゃ」と思い、「何て言おうかな、えーと」と頭の中で整理しているうちにもう話題の中心が違うものになり、大縄跳びにいつまでたっても入れない運動神経の悪いヒトみたいになります。

その結果、開始1時間も経つと脳がゲームオーバーを宣告してきます。

 

そんなときはもう無理をせず、皿の上の料理に目を落としたり、部屋の調度品をそれとなく眺めたりして間を持たせるのです。

時にはもう全く関係の無い考え事にふけることもあります。

(明日の夕食の献立どうしようかな)

(そうだ月曜日は朝のミーティングであの件伝えておかないと)

(それにしてもあっちのテーブルの女の人メイク濃いなあ)

(昔あんな感じの人が職場にいたんだけどな。いつだっけ、どこだったっけ)

 

 

そう。まさに「霞柱・時透無一郎」状態で会の後半を過ごすことになるのです。

( 注: 無一郎くんは肝心なときにちゃんと仕事します)

そして困ったことに最近この「無一郎」度が激しくなってきたのです。

 

皆が楽しくおしゃべりしている最中、チコちゃんがサジを投げるほどボーッと呆け顔の私。

「ねえ具合でも悪いの?」

「お酒飲み過ぎたんじゃない?」

と心配させてしまい、その都度「いや、大丈夫」とごまかします。

もしかしたら

「何なのこの人。そんなにつまらないなら来なきゃいいのに」と場を白けさせているかもしれません。

 

私が変わり者なばかりに、楽しかるべき空間をおかしな空気にしてしまっている。

そう直感する場面が多くなってきました。

 

ということで、このブログを読んでいる(かもしれない)グループメンバーの皆さまにはこの場を借りてお詫び申し上げます。

仲間に入れてくださってありがとう。皆さんと過ごした時間は私にいろんなことを教えてくれました。

 

 

しばらくは独りで着物を楽しんでみようと思います。

「独り」は長年私の唯一の友人でした。

その心境に再度立ち返ることが今の私に必要な気がしています。

自分を深く理解できるのは自分しかいない。

自分を理解できない限り、誰かを理解する余裕も生まれない。

 

 

またいつか、ひょんなことから同じ時間を共有しようと思えるその日まで。

 

これまでのお話はこちらから。

 

「ぼっち」で生きていく(その1)

「ぼっち」で生きていく(その2)

「ぼっち」で生きていく(その3)

 

 

グループ行動をすればするほど孤独を感じてしまう。

むしろ一人でいる方が寂しくない。

そんな状態は高校、大学、そして社会人になっても続きました。

 

コミュ障ぎみの私ですが、仕事上のやりとり自体を苦痛に感じたことはありません。

業務上の会話やミーティングは、達成すべき目標に向かって関係者の意識が集中するからかもしれません。

何が課題でそれをどう解決するか関係者と共有し、意見が対立するときはその調整方法を考える。

何をどう話し、どう伝えたらうまくいくかを考えるのは大変なときもありますが、首尾よく回れば達成感を感じることができました。

 

しかし、仕事を離れた懇親の場となると学生時代と同じ「入り込めない」苦痛が襲います。

しかもその頃はいわゆる「飲みニケーション=人間関係」と信じて疑わない風潮がまだ残っていました。

女性の先輩も少数いましたが、彼女たちは異口同音に「懇親会やランチ会には何があっても出席すること。それが仕事の人脈を作るのよ」「そこで重要な情報共有をすることもあるのよ」と言いました。

 

一番嫌だったのは、「女性同士仲良く力を合わせましょう。たまには集まってガス抜きしましょう」と月イチで女性だけの会食が行われることでした。

当時、まだ男性が多い組織で女性は少数派。結託したい気持ちはわからないではありませんが、

「協力は惜しまないけど、それと飲み会と何の関係があるのか」

「それぞれ考え方は個人で違うのに、女性だからとひとくくりにするのは男女協働の考えに逆行してるのでは」

と感じたものです。

 

実際参加してみると、ほとんどが愚痴と悪口ととりとめのない世間話。仕事上の有益な情報交換など皆無です。

しかもペラペラしゃべるのは先述の女性先輩1~2名だけで、他の者はその都度あいづちを打つだけ。

後輩の誰かが何かをしゃべろうとすると、先輩が「あーそれ知ってる私の場合はね」とテーマをかっさらってすべて自分の話題にしてしまい、あちこちに話が飛びまくる終わりのないマシンガントークを続けます。

会の終わりに「今日も楽しかったわねー」と満足そうにしている先輩と「次は私が幹事しますー」と答える取り巻きたちと一緒にいると、自分のエネルギーがひどく削られる気がしました。

 

「そんなに疲れるなら行かなきゃいい」と考えたことは何度もあります。

ですが、そのたびに自分に言い聞かせてきたことが一つありました。

 

(これは、人として大事な修行だ)

 

生きてきた背景も、考え方も価値観もそれぞれ違う。

そんな他者との交わりを「苦手だから」と避けていては、自分の成長にはつながらない。

 

(自分にはない良さを誰しも持っている。それを見つけ、受け入れる努力をするのだ)

 

実際、先輩たちはその強いキャラも手伝って仕事の実績は優れていたので、私もそこは尊敬していました。

 

こうしてかなり長いこと、自分がそれほど好きでない場にも「仕事の一環」「人格形成の一環」と自分に言い聞かせながら参加してきました。

しかしそれはしょせんきれいごと。

一番根底にあったのは「影響力の大きな人の呼びかけを無視すると何か良からぬ影響があるのではないか」「孤立するのが怖い」という根拠のない不安を私が持っていたこと。

つまり自分の弱さでした。

 

 

しかし、年月が解決してくれることもあります。

徐々に自分の仕事が評価されてポストをもらうにつれ仕事人としての自信がつき、自分のスタイルも確立されます。

自分にとって重要でないものを切り捨てる勇気を持てるようになっていきました。

苦痛だった女子会モドキはこれまでも口実をつけて半分以上逃げていたのですが、ある日「申し訳ありません、家庭のことも含め諸事忙しくなってきました。不器用なため時間調整に苦慮しまして」と完全卒業を申し出ました。

 

すると、「了解」とおそろしくあっさりしたメッセージが先輩から来ました。

その後、先輩とそのグループからは廊下で会ってもプイとそっぽを向かれるようになるのですが、特段自分の仕事に何か支障が起きるわけでなく、私は心から安堵しました。

 

(なーにが日頃のコミュニケーションだ人脈だ、ふざけんなバカ)

 

こうして私は、「つるむ」「群れる」ことに対する嫌悪感をさらに強くしていくのでした。

 

  (続く)