遺産、遺跡を求めて…

遺産、遺跡を求めて…

見りゃわかるさ(笑)

阿波大島防備衛所・・・

その④で終わりです。その①その②その③



今回は兵舎跡周辺をアップします。



聴音室のあった尾根より一段下がった場所に兵舎はあります。
尾根の外れには大きな浄化水槽。









3層濾過式ですね。川の無い無人島ですから水の確保は重要だったと思います。



深さも深い場所で4m程。無人島でこんな所に落ち込んだらシャレにならんねw



ゴミ除けの屋根が付けられてたのでしょう。ボルトが残ります。














近くには用途不明の基礎。









で・・・一段下りた場所にある平地に広がる兵舎跡。

炊飯場含め、3棟程の基礎があったと思います。

写真右手斜面上部が浄化水槽。














便槽・・・










カマド・・・大・中・小と3つ並んでます。













カマド裏手・・・







その他・・・色々。
















とか・・・こんな感じです。

別ルートで下山途中の尾根にある機銃陣地のような窪み。









牟岐大島・・・

とても美しい場所でした。









     ~おしまい~




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「道の駅うずしお」建替え工事に伴い「門崎穹窖砲台」の発掘調査がおこなわれました。
結果、日本最大級のドーム型穹窖砲台が姿を現しました。
その調査成果の現地説明会を開催するとの事で参加してきました。


ま、ありきたりの説明会であり、完全な立ち入り制限まである、つまらん説明会でしたけどね。

どれだけ貴重な戦争遺跡であろうと、道の駅の建替えは中止にはならないし、状態が悪いだの危険だの、保存する気など更々無い・・・解体前提の意味の無い説明会。

建替えれば済む道の駅とは違うんですよ。解体すればそれでお終い・・・
二度と見る事のできない貴重な貴重な遺跡ですよ?
興味の無い役人には銭を生まないコンクリートの塊かもしれへんけどね。
ここまで見せてこれくらいの説明しとけば納得するやろくらいにしか思ってないやろね・・・
少しだけ中の写真を撮らしてくれとお願いしても、崩落の危険があるからダメやと。。。
おまえら入ってんのんちゃうの?崩落?笑わせんな‼戦争遺跡どんだけ巡ってると思ってるんや。
埋文は入って調査してんのちゃうんか‼そいつらは危なないんか?
同じ人間やで。なんでオレは危ないねん・・・
無くなるんやで・・・記録に残したいだけやのに。。。この目に焼き付けておきたいだけやのに。
何が「日本最大のドーム型砲台」やねん。お前ら壊すくせに‼
壊すのにそんな宣伝文句要らんし、ほんま笑ろてまうわ・・・
そんなに珍しく貴重なん分かってんのやったら保存の方法もあるんちゃうんか?
道の駅ずらして建てろや‼やり方が姑息やねん。


戦争遺跡は全国的にも価値が見直され保存活動が進んでる場所もある一方で、くだらんもん造る為に消えてしまってる場所も多くあります。
悔しいですが・・・どうする事もできません。

ほんま、内部の写真だけでも自分のカメラで収めておきたかったですね・・・
まぁね・・・オレだけに撮らせる訳にもいかなくなるし、収拾つかへんようになるんもわかるし気持ちは複雑やけどね。
少なくとも遠路説明会に参加してた方々は、そんな気持ちになってたんじゃないでしょうかね。


今日は腹立って・・・悔しくて・・・寝つき悪そうですわ。

道の駅新しなっても絶対に行ったらん‼

ま、平和ボケした無知な観光客が銭落として行ってくれるやろけどね(笑)




詳細はその内。












因みに・・・昔の記事です→10年程前の訪問時




     ~おしまい~





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その②より随分と時間があきましたが・・・

その③ですw

阿波大島防備衛所・・・その①
その②


では続きです。



その②でアップした隧道のある平地より、尾根に向かいます。

半分ほど上った場所より下を見る。



尾根方向を見上げる・・・



あと少し・・・石積が見える。






尾根は切り開かれて平地となってます。

聴音室のあったと思われる場所。残念ながら基礎しか残りません。








聴音室裏手側、出入り口でしょうね。階段だけ残ってます。



とにかくね・・・基礎しか残ってませんし状態も微妙。

基礎だけね。。。

















この辺り、洗面所や便所だと思うw










何ヵ所か確認できましたが・・・何やろね。








聴音室表側・・・





遮蔽壁・・・にしては低いかw

石積。。。





せっかくここまできたので、少し上のピークに残る狼煙場を見学します?



若干・・・道は険し目(^-^;





ピークに残る平地・・・ここが狼煙場跡です♪





景色は最高でしたね。




では、次回・・・兵舎で最後となります。

兵舎方面道中にある海軍標柱



埋まってて番号分らず。








     ~おしまい~





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続きです。





図中③の隧道まででしたね。



③の隧道より少し道が荒れてきます。
手が入ってないので、プチジャングルのようで楽しいです(^^♪








緑を満喫しながらピークに向けてノンビリと20分程進むと少し開けた場所にでます。




この場所に④⑤⑥の隧道が並びます。

④から。

壕口は少し埋まってますね。左右は石積が施されてます。





壕の用途は不明。退避壕でしょうかね。



深さは7~8mだったと思う。





突き当り・・・特に何も無し。



最奥より壕口を。






では、隣の⑤へ。因みに壕の間隔は5m程。

崩れてますが、ここも壕口左右に石積が造られてた形跡。






入ってすぐ、右に30度程折れて突き当りまでが真っ直ぐ。



深さは6~7m程。







では隣の⑥に・・・ここも間隔は5m程。




壕口よりすぐ右に少し折れて真っ直ぐ。



深さは5m程。






図中⑦の隧道を探したのですが・・・



怪しい石積・・・




それらしい場所はありましたが、崩落?
深さは1m程・・・覗いたのですが、崩落ではなさそうな感じでしたね。もしかすると試掘で終わったのかもしれません。




ただ・・・一段上がった場所に⑧の隧道があります。



こちらは真っ直ぐ。



状態は一番良いですね。




深さは10m程だったかな・・・



奥より壕口を・・・






壕口近くに海軍標柱・・・



埋まってるので番号は確認してません。




⑧の壕より⑤⑥⑦の壕がある平地を眺める。





見えてる壕口は⑦




では・・・

ここから尾根までもうひと息なんですが、まぁまぁの傾斜でしたね。



その模様は・・・


その③でw




      ~おしまい~





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阿波大島防備衛所


現在は「牟岐大島」と呼ばれてます。

少し大島の歴史を書いておきます。

牟岐港の東南東約7kmの洋上に浮かぶ、周囲約9.3kmの無人島です。
古くは天保2年(1645)より阿波藩主、蜂須賀 至鎮侯より青木家二代庄屋、七郎兵衛に大島において「キリシタン改め」の御番を命じられ、航行する船を停泊させ、キリシタンの取り調べを行なっていたそうです。
後の文化3年(1806)には遠見番所が頂上に設置され異国船を発見すると狼煙場より狼煙を上げて徳島城へと知らせてました。
それより200年後の弘化3年(1846)に隣の出羽島より3人が大島に移住。その後、移住者が増えて明治11年(1878)には20戸まで増えたそうです。ただ・・・島の生活は不便で病院や学校といった面で、明治20年頃より少しずつ島を離れる人があり明治30年(1897)には元の無人島となりました。


そんな場所にひっそりと残る遺構です。

大阪警備府隷属 紀伊防備隊 阿波大島特設見張所・・・

特設見張所。。。簡単には、海より侵攻してくる敵に対して目を光らせてた陣地。
紀伊防備隊は、阪神方面侵攻防御の為に設置された陣地です。

昭和19年10月頃より運用開始されたようです。



そろそろアップせねばwww

と言う訳で。。。


個人所有の無人島です。

許可を得て、ガイドさんの船にて渡りました。


施設及軍需品目録




雑品目録




施設等配置図・・・一部、字が解読できないモノがありますが、ほぼほぼ配置図通りの位置に隧道や建物跡が残ります。




当日の探索ルート・・・




では。


正面に見えるのが牟岐大島です。




牟岐大島の船着き場・・・






付近には桟橋跡と思われる石積が多く沈んでます。





湾の奥にも幾つか人工物がありますが、戦時の物かは不明。



綺麗なビーチもあったりします。




ガイドさんとルートの打ち合わせをして・・・




ほな・・・




出発~♪




軍道は比較的、綺麗に残ってます。。。。。途中まではねwww




石積に・・・



石畳・・・美しくも感じますね。




5分程歩くと左手に住居跡の平地がありますが、特に何もないのでスルー。
その辺りの右手斜面には石を切り出していた痕跡が残ります。

持ち出されず残された石が幾つか確認できましたよ。



そこよりノンビリと10分程でしょうか・・・

右手斜面に壕・・・3枚目の写真(見取り図)とは少しズレてる気がしますが①の隧道。

微かに壕口が確認できますね。斜面を少し上がった場所にあり、この壕はガイドさんも知らなかったと言ってました。





ライトを当ててカメラ突っ込んだんですが、イマイチ奥の確認ができません。




谷を挟んだ場所には色々と残ってましたね。






図中の「烹炊所」付近。





建物の基礎だけが残ります。




烹炊所に付き物のカマドの確認はできず。








烹炊所の奥ですが、図中の字が解読できません・・・桟???(^^;

分かりませんが、その付近。



基礎・・・2m×3m程。





中には小さな発電機を設置してたようなコンクリートが確認できます。



と・・・大きな水槽。。。朧気ですが、4m×6m程はあったように思うw
深さは・・・水が溜まってたので分かりませんが見えてる分でも2ⅿはあります。

これは生活用水用でしょう。








図中の「燃料倉庫」付近です。

大小色々な基礎や水槽が残ります。





















と、最奥の「隧道②」



壕口は崩落してますが、入れない事はない。。。



奥行きは6m程・・・



足元は悪いですが、状態はいいですね。



まぁまぁの蟻地獄状態で出るのに苦労したのはヒミツ(;^_^A



軍道に戻り、大きな水槽より少し上には谷から水槽へと水を引き込んでいたと思われる水路跡が残ります。



谷を分岐させて水量調節してたような細工です。



仕切り板の場所を変える事で流れる方向を変えていた感じですね。






大きな水槽の近くには、海軍標柱・・・二十三






そこから少し軍道を上がると隧道・・・奥行きは3m程でしたね。



が・・・あるんですけど、図中に記載はありませんでした。

図中の矢印③位置・・・辺りだったと思う(^^;)




近くに横たわる海軍標柱・・・



二十一





因みに・・・ここ大島には「たちばな」と言う日本に自生する唯一のミカンの木が自生してます。3本あったかな。





丁度、実がなってたので食べてみましたが、酸味だけの甘味の無いミカンです。種持って帰って植えてみたけど・・・芽は出ませんでした(´;ω;`)




そんな感じで、その②に続きます~(^^♪





     ~おしまい~





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