大映の思い出⑪です。「虎は死して皮を留め、人は死して名を残す」という諺がありますが、大映もその言葉に合っているような気がします。毎日のようにどこかのテレビで放送されたりして、大映のマークを見ない日が少ないくらいです。
この大映社章は昭和17年に大日本映画製作株式会社として発足時に作られたもので、「広く募って一番良いものを採用しよう」と一般募集、凄い応募数だったそうです。当時は日本とドイツが同盟を結んでいて、ドイツが使っていた「鷲が翼を広げているマーク」を真似た応募作が95%と多かったそうですが、こういう作品は予選で落とし、大の字の両手両足がグッと上へ廻って映の字を包むものが選ばれました。作者は当時、満州大石橋に住んでおられた神野八郎さんと言う方だそうです。
2枚目の写真は、当時の私が着けていた社員番号入りのバッチで、今でも大事にしています。
今日も私が住んでる辺りはとても天気が良いです☀️
大映のマークですが、初めて見た時から存在感があるマークだなっ…って思っていました🎵どっしり構えると言いますか、力強さを感じていて、私は大好きです🙆💞決定に至る経緯を教えていただき、有り難うございます😊💕永田社長が考えられたのかな…と勝手に思っていました🤭このマークから映画が始まりますが、これからはしっかりと敬意を込めて見させていただきます🥰
社員バッジも素敵ですね😊✨✨✨社員バッジも見せていただき、有り難うございます🥰このバッジは大映の色々な事を一緒に見てこられたのですね💕✨✨✨宝物ですね✨✨✨このバッジを胸に付けてお仕事も頑張っていらっしゃる姿も拝見させていただき、有り難うございます🥰💕
また色々と教えていただけると嬉しいです😊🎵
お身体お大切になさって下さいね🐒❤️
レスが遅れてご免なさい。
雨・曇り・晴天と、不思議な朝を迎えた今日の福岡です。
大映時代につけていたバッチを破棄できず、愛着があるのでしょう私は
今でも大事にしています。
ところで、私の叔母二人が大映の女優をしておりました。
10期の毛利郁子、とその親戚筋にあたる当家筋の女優です。
時は1960年前後、姫の役柄の時代劇で連作物に出演していた様です。
もし、ご記憶あらばなんでも結構ですのでお聞かせ頂ければ幸いです。
今後も、本ブログを楽しみにしています。
いつもお立ち寄りいただいているようで有難うございます。
今回はレスがとても遅れてしまい、深くお詫びします。
毛利郁子さんは時代劇も現代的にも使える貴重な女優さんだったと
思います。あのような事件がなければ、いまでも活躍していたのにと
思いますしとても残念です。
彼女は大映に入る前に博多におられたこともあったそうで、そんな
ことも身近に感じます。