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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

興福寺東金堂院の門と回廊の発掘調査 現地見学会

2021-10-23 23:59:55 | 現地説明会

 令和3年10月9日(土)

 まだまだ暑い10月、好天の中で行われた興福寺の東金堂院の門と回廊の発掘調査の現地見学会である。興福寺は、1998年以来、寺領の復元、整備を進めており、この発掘調査もその一環として奈良文化財研究所が調査を実施したものである。過去、何回か発掘調査の説明会には行っており、ブログにも投稿しているはずである。

 場所は、現在国宝に指定されている興福寺の東金堂の西側で、調査区としては、南北20m、東西13mの範囲で、そう大きくはなかった。

 

 見学会自体は、コロナ禍による緊急事態宣言明けということもあり、調査員の説明はなく、適宜質問に答えるという感じであった。

 

 発掘調査のとしては、東金堂院の回廊と西門の基壇が検出されており、回廊の東側では、地覆石や羽目石、雨落溝などが検出されている。構造としては、1間の単廊であったと考えられている。

 

 東雨落溝については、上下2期あり、上層は平安時代末から鎌倉時代、下層がそれ以前のものであり、奈良時代の創建時にさかのぼるかもしれないとのこと。ただ、見学会では、下層の雨落溝は見ることができなかった。

 

 門については、回廊より西辺では1mほど張り出している。下の写真では、ビニールひもが柱のあった場所を示している。

 

 それぞれ礎石の据え付け穴が検出されているが、礎石そのものは残っていない。

 また、門の階段も検出されている。

 

 また、西側の調査区では、南都焼き討ちの際の焼土と考えられる赤い土が、平安時代のものと考えられる土器と一緒に検出されており、これらの回廊や門が、平氏による南都焼き討ち以降に建てられたことが想定される。

 

 

 門については、礎石、礎石の抜き取り穴から桁行3間、梁行2間の八脚門であったことがわかった。

 回廊については、調査区から東へ曲がって、東金堂の北側に続いており、東金堂ど国宝館の間に、礎石が残っている。

 

 東金堂院の回廊と門がいつ失われたのかは定かではない。

 この日は、東金堂の横の五重塔の初層公開も行われていた。来年から10年間かけて修理するため、それまでの見納めということだろうか。後日見に行こうと思う。

 

 五重塔はいつも見ても景色がいいなあ。素敵だ。


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