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アメフト観戦記や読書日記を綴っていましたが、最近は古墳(コフ)ニストとして覚醒中!横穴式石室をもつ古墳にハマっています。

奈良市北部の古墳をあるく⑱ ~ヒシアゲ古墳(磐之媛命陵)の陪冢たち~

2021-06-07 00:00:02 | 史跡を歩く

 ヒシアゲ古墳の周辺には陪冢と考えられる古墳がいくつか残っている。拝所の前に1基と後円部の北側に広がる雑木林の中に4基、墳丘の東側、航空自衛隊幹部学校に接する部分に2基となっている。陪冢い号は、コナベ古墳の陪冢とされたり、陪冢ではなく独立した古墳ではないかとも言われている。

 ヒシアゲ古墳の周辺の陪冢は、墳丘は宮内庁が管理しており、墳丘の周辺についても発掘調査がなされていないため、詳細は不明である。

 それぞれの古墳を見ていこう。

【陪冢い号】

 大和21号墳 円墳、径42m

 

 

【陪冢 ろ号】

 円墳、径20m

 

 

【陪冢 は号】

 円墳、径27m

 

 

 【陪冢 に号】

 方墳、一辺42m

 

 

【陪冢 ほ号】

 方墳、一辺27m

  

 

【陪冢 り号】

 

 その他、る号陪冢が、航空自衛隊幹部学校の敷地内になるが確認できなかった。なお、陪冢のへ号、と号、ち号は戦後、現在の航空自衛隊幹部学校が、GHQの基地であった時に破壊され消滅している。

 陪冢については、初めて現れたのは佐紀石塚山古墳とも言われており、その後いくつかの巨大古墳の周辺に築かれている。

 古くは、古墳の被葬者の従者などの墓とも言われていたが、最近は人体埋葬のない、副葬品だけを埋葬した陪冢も多く見つかっている。

 次こそは、コナベ古墳の陪冢を紹介したい。

 


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