前記事の内容は、実をいうとほぼ昨季に考えていて。ただ書くタイミングがなかっただけなんだよね。
で、ようやく書き上げてアップしたあとで思い出した。
今季の村元哉中・髙橋大輔組のワルシャワ杯のフリーダンスを見た後に感じたことを最後に書くつもりが、忘れていたことに。
でもよく考えると、前記事はアイスダンスの話で、最後に書きたかったことは村元哉中・髙橋大輔組の話だったので、追記ではなく別記事にした。


ワルシャワ杯の演技。あれを見て、「見事にバレエの世界だな」と思ったのだ。
もっとも私がバレエをテレビでよく見てたのは十代の頃で、その後はあまり見てないんだけれど。ただ、自分が少女だった頃に楽しんでいたものと、とても近いと思ったのは事実だ。
フィギュアスケートの世界ではアイスダンスはともかく、他の種目ではバレエ音楽は良く使われているけれど、「バレエの世界だな」と思わせるものはそれほど多くはない。
むろん別にバレエの音楽を使ったからって、バレエらしい演技をする必要なんてないと私は思ってる。フィギュアスケート競技なんだから、フィギュアの世界を追求すればいいのであって、バレエらしいかどうかは関係ない。
バレエの音楽という良く知られたモチーフを使って二次創作し、インパクトを与える。それでいい。というか、竹取物語モチーフの妄想アイスショー話なんて書いている私に、二次創作批判なんぞできるはずはない。

ただむろん、バレエらしい演技を「してもいい」のは事実だ。

「ラ・バヤデール」で、このカップルはバレエの型をきちんと重んじている、ということをジャッジに示した。
そしてバレエらしい演技をしたということは、この選手たちはバレエという踊りが持つ型を尊重し、その型を自分のものにするために肉体を鍛錬するのを惜しまない、そういう姿勢の持主であると示したことになる。
バレエの型という直接的にフィギュアスケートに結び付けなくてもなんとかなる、そういうものですら尊重する。
それは当然、ジャッジや観客に、もっと身近な「アイスダンスの型」も尊重する選手達だろう、という印象を与えるのではないだろうか。



髙橋大輔選手は、シングルの元世界王者である。
「シングルの技術を使って、アイスダンスでそこそこの実績を獲得しようとしているのでは?」という感覚は、当然多くの人が持っていただろう。
それに対しズエワコーチは、高い技術点が出る構成のプログラムを村元・髙橋組に与えることで、「このカップルはアイスダンスの技術をきちんと身に付けている」ことを示した。
ただ彼女の戦略はそれだけでなかったのかもしれない。
ズエワコーチは、この「ラ・バヤデール」を通じて、「このカップルはきちんと先人が築き上げてきた型を尊重する人達ですよ」ということも見せようとしたのではないだろうか。
髙橋大輔選手はアイスダンスに対し、道場破りのようなことをしたいわけではない。きちんと道場に入門し、一つ一つの技を身に付け、進んで行こうとしている。
そんな存在だということを伝えようとしたのではなかろうか。



なんてことを感じたのである。