TBS地上波のドリームオンアイス。三宅星南選手目当てで録画したのに、彼のプログラムの1シーンも放送されなかった。う、悲しい。とはいえ世界選手権5位の友野選手も同じように無視だから、文句も言えない。



一方、鍵山優真・佐藤駿・三浦佳生の三選手、いわゆる卍トリオはフルで放送だった。

いや、鍵山選手は五輪とワールドのメダリスト。他の二人とまとめていいのか?ネイサン昌磨と並べるべき格ではないか?と思う人もいるかもしれない。

しかし、この三人、それぞれテイストは違うけど、同じくらい私にとっては魅力あったというか、かっこいい〜と唸ってしまったのである。

私にとってはネイサンとしょうまは「安定と信頼、確実に満足させてくれる」という点で一つの集合であり。

卍トリオは「うぉお、こう来るか、成長中の選手はやっぱ新鮮だなあ」という感じで別の一つの集合なのである。




中でも、三浦佳生選手の「オペラ座の怪人」。

いやー、ちょっと感慨深かった。髙橋大輔選手の「オペラ座の怪人」を思い出したのだ。プログラムから受ける疾走感が似ていた。迫り来る危機をすり抜け、求めるものへ向かって爆走する、そんな感覚。

そう、元々はこの疾走感が魅力で、私は髙橋大輔選手を一番贔屓にしたんだよな。それまでは織田信成選手とどっちにしようか迷っていたのである。織田くんの猫足ジャンプも魅力あったもんで。しかし「オペラ座」を見て、髙橋選手にしよ、と思ったのだ。


あ、ちなみにこのときの私はまだ大輔ファンにまではなっていない。

実はバンクーバー五輪前、携帯電話の着信音を「オペラ座の怪人」にして、その後「道」の着信音が出たらそちらに変えて応援気分を盛り上げたりなんてしてた。しかし当時の私にとっての髙橋大輔選手はあくまで一番贔屓であってファンではない。

髙橋選手のショートの「eye」は記憶にないし、そもそも、私はソチ五輪シーズンに再びフィギュアを見始めたとき、トリノで髙橋選手が世界王者になったことを覚えていなかったのである。織田くんのショート落ちの方がショックで、その記憶の方が強かったのだ。つまり箱推しで、中での一番を髙橋選手にしていただけだったのである。


そして、その一番贔屓になったきっかけが「オペラ座の怪人」の疾走感であり、その次のシーズンの「ロミオとジュリエット」でもその疾走感は健在で、すごいなーと思っていたのだ。




しかしバンクーバー五輪シーズンでは、その「疾走感」は消えていた。それは故障後、リハビリで体の使い方を進化させたために動き全体に柔らかさや滑らかさが増して、結果強引さを感じるようなスピード感では無くなった、それだけのことである。しかも表現は深みを増していた。

それは好もしい変化だったから、私はそのまま彼を一番贔屓としていたのである。


で、その後、私はソチ五輪シーズンで髙橋大輔選手に「堕ちて」しまったわけだけど、それはその後より熟成されていった表現技術、そしてその中に見られる少年的な感性に捕らえられたからで。

忘れてたなー、この荒々しい疾走感の魅力、なんて、三浦選手の演技を見て思ってしまったのである。


なんかタイムカプセルを開けたような気分になってしまった。

今の私とは違った視点で、大輔さんの演技を、そして男子シングルを見ていた過去の私に出くわしたような。




そういえば、羽生選手や佐藤駿選手の「オペラ座の怪人」からは疾走感は感じなかったな、ということをふと思い出す。いや、ちゃんとスピードはあるんだけどね。

羽生くんの場合、中国杯の包帯を巻いた姿に海賊を連想した。そしてその後の衣装は、まるでゆらめく水面のような模様だったせいもあり、彼の演技は「水の中を滑らかに進む」そういう印象が強かった。で、羽生くんリスペクトの駿くんも似た雰囲気だと私は感じていた。

どちらがいい、悪いの話ではない。そもそも女性が演じるオペラ座もまた全然違うし、パトリック・チャン選手のオペラ座もまたかなり違うわけで。


ただ、私の中にあった「オペラ座」イメージの原形は、髙橋大輔選手のものだったことに気がついた、それだけのことである。