ワカンナイ

それでもワタシはワカンナイ・・・

表現のエンジン

2016-03-01 | 日記

人は常に何かを追い求めていないと生きてはいけない生き物である。
"何か"を見ることで、自分に足りない"何か"を発見し、それが自らの中に空白という概念をつくり、そこを必死で埋めようとして、"何か"を表現する。

それがかたちとなったものが音楽であり、絵画であり、あるいは小説である。

自らの空白へ対する"表現"というものは必ずしも、目に写るものとは限らない。

例えば恋であり、旅であり、あるいは犯罪であり、その根本をみるとすべては"感情"というものであるともいえるかもしれない。

つまり、人は何かに依存していないと生きてはいけない生き物である。その中に"生きがい"のようなものを見出すのだ。
音楽家のそれは、曲作りである。サラリーマンにとってのそれは会社であり、家族や子供への愛である。

衣食住が満たされているからといって、本人がその状況に満足しているかといえば、必ずしもそうではない。
"衣食住の充足"と"幸せ"の因果関係は、あまりにも、他の多くの要素を無視し過ぎている。

繰り返しになるが、人は途方もないくらい何かに依存することを求める生き物である。
依存とは、繋がり。
人は自由を求めていると言いながら、鎖に繋がれた自分というものも同時に求めている。
そういう部分でも人間というのは一見、相反した性質を矛盾なく受け入れられる生き物である。

経験が大事と多くの人が言っている。
なぜか。
人は自分以外の他者と話したり、どこかに旅をしたり、何かを見たりすることで、自らの中に空白をつくる。その空白の性質、そして、その空白の埋め方、そして、そこで生まれた欲望への感情の方向性によって人生の多くの部分が決まってくる。人生の何に渇望し、その渇望を生めるために、何を表現するか、それを自ら決めること、それが自由の本質である。