ある日SNSで見つけた言葉が、点として残しておいたノートの文字とつながった。

まだ細い線だけのものもある。面になって文章(ものがたり)になったものもある。

そんな物語をコラムとして、エッセイにして書いてきた。

 

でも今も点だけの言葉もある。そんな点の数々を集めてみた。

 

 

映画「MINAMATA」を見たときだった。

他人と自分を納得させる言葉を探しても見つからず

それでも身体が震え出したとき、魂につながったと思えた

 

長い階段を昇るとき、その階段のすべてが見えなくてもいいのです。

大事なのは、目の前にある一段を昇ることです

 

M.L.キング牧師

 

オリンピックをやるか、やらないか?

「純粋に出来るか出来ないか」を考える。それによって誰が儲けるとか考えると判断を間違う。

他の誰かが利益を得ていても、私には関係ない。でも不利になる人は守らなければならない。

 

墨色の空は空より青く、墨色の花は花より赤く・・・

心に色が映らなければ、墨にも色は映りません。

 

書家 篠田桃紅

 

視線をやった先では、子ども達が壊れた三輪車で遊んでいる。

「こうして子ども達が笑っていられるのなら、そこが世界で一番幸せな場所なのよ」

 

「魅力的な唇になるために、優しい言葉を話しなさい」

 

山口路子「オードリー・ヘップバーンの言葉」

 

自分が「自分の心」と思っている空間は、自分の心の一部でしかない。

まだ知らない自分の心がある。その部分を書いていくのが小説

 

やはり僕たちの国は残念だけれど、何か大切な処で道を間違えたようですね

 

さだまさし「風に立つライオン」

 

分かりやすさは暮らしやすさ

 

急普及したリモートワークは、“仮想世界への移動準備”

 

シン人間史

 

私が親しんできたエッセイって、もっと書き手が体験したり感じた、役にも立たないような思い出や風景、会話などを「心の体重」をしっかり乗せて書いたようなものが多かった

 

戦うことで勝負をつける、戦争によって国の主張を通すという征服的な考え方は、言わば古典的な男の発想です。それは、共存や話し合いによる解決、皆がともに穏やかに暮らそう、という考えとは正反対のところにあります。そう考えていくと、戦後の民主主義や平和憲法というものと、日本のファッションが性や階級と関係がないこととは、根っこの部分が同じである気がしてならないのです。

 

(次号に続きます)

 

 

ノートには、こんな言葉が張り付けてあった。

だからどうした、と言えばどうにもならない。何の役にも立たない。でも書き留めて置かずにはいられない。

 

これらの点が繋がる“ものがたり”を、日々扱っている情報とは区別しようと思う。

消費されていくものが情報なら、“ものがたり”は魂にチューニングされる振動を連想する。

 

「どんな“ものがたり”に沿って生きているのか」

自問しながら自分の“ものがたり”を書いていきたい。

 

 

ノートの言葉は次号に続きます。