消費されていくものが情報なら、“ものがたり”は魂にチューニングされる振動だ。

「どんな“ものがたり”に沿って生きているのか」

自問しながら自分の“ものがたり”を書いていきたい。

 

 

地球のために、世界のためにと手を添えて大きな声で叫ばれる。

でも私は「誰も置き去りにしない」、この言葉が好きだ。

地球のために、世界のためにの前に・・・

 

この世には様々な世界が存在する。

現実、想像、空想、意識、バーチャル(アバター)

すべてが同列と思えば現実逃避とはいわない。好きな世界で生きればいい。

 

何が何でも全部「自分で」自分のことをすることだけが自立じゃない。

できないなら誰かに「お願い」したらいい。

人は誰しも完璧な存在ではなく、完成形を目指すために生まれてきたわけじゃない。

 

人間はどちらかというと、物事を悪い方に考えるクセがある。

リスクを想定しておいた方が生き残りやすいためだ。

そう思えば、そのクセも捨てたもんじゃない。

 

すべての物は誕生し終焉を迎える。その循環が破綻したとき重大な環境問題が生じる。

そしてひとつの物質の終焉を物質の死とすれば、すべてのものの無事な死こそが次の無事な時代を作り出す。

 

「あなたのカッコイイとこが好き」よりも、「あなたカッコワルイけど好き」の方が大きな思いを感じる。

キライには理由があるけど、スキには理由がない。

ああ・・・だからか

 

「困っている人を救う」のではなく、「困っていることを助ける」

 

勇気をもらう?貰うもんじゃない、勇気は自分の内から出すものだ。

 

あきらめる、という明確な意思はなかったにしろ、たくさんのことを素通りしなければならなかった。

でもそれに気づけただけでいい。

 

「僕は息子を尊敬している」、そう言える子育てができれば万々歳だ。

 

私たちに欠けているのは、知らないものについての知識ではない。

知っているものを深く考える能力である。

仏社会学者 エドガー・モラン「科学の言葉」

 

人生を映画にたとえると

「クローズアップで見れば悲劇、遠景で見れば喜劇」

 

自分の人生はパズルのようなものと思えばいい。

神が描いた元々の絵がわからないから、一片のピースの場所がいつもわからない。

四苦八苦して出来上がった絵を見て、初めて神の存在と意思を知る。

 

迷っているときは、ソコなんです(駅の案内板)

だったら、今ここで淡々と丁寧に暮らす

 

家族が一番複雑だ

 

後悔するのは、選ぶ自由があったから

面倒臭がるのは、やりたいことがたくさんあるから

寂しくなるのは、大切な人がいるから

悔しいと思うのは、自分に誇りがあるから

言いたいことが口から出ないのは、想いで詰まっているから

野原ひろし(クレヨンしんちゃん)

 

 

 

これらの言葉に酔っていてはいけない。

言葉から自分で出来る行動を起こすことだ。

そうしないと、心地いい酔いを求めていつまでも彷徨うことになる。

 

動いてどうなったか、どう思ったか、記憶と記録に残す。

 

三日続ければ、今年の新たな行動になる。

ひと月続けて書いたものを眺めたとき、自信になる。

一年経って朝歯を磨くような無意識な習慣になったとき、私は文章の中にいる人になっている。

 

 

淡々と・・軽やかにこの一年を暮らす

 

 

 2022 元旦  年の初めに