「私のほほえみは、“神さまのポケット”に入ったのだ」

 

カトリック修道女でノートルダム清心女子大(岡山市)の学長を務めた渡辺和子さん(1927~2016)の言葉だ。(「置かれた場所で咲きなさい」から)。

 

自分から笑顔であいさつするように心がけたが、無視されることもあった。たとえ相手から期待した反応が得られなくても、自分の行いは神様のポケットにたまっていく。そう考えると、憤りが消えたそうだ。

 

だから、憤りがあってもいい。怒りをもったことを、「ああ、自分はまだまだ、ダメだ」と反省する必要もない。それを忘れる手段をもてばいい。

 

ポケットにたまった“行い”を数えていく。

 

 

心は人の痛みがわかるために使おう

口は人を励ます言葉や感謝のために使おう

耳は人の言葉を最後まで聴いてあげるために使おう

目は人のよいところを見るために使おう

手足は人を助けるために使おう

 

これは一見すると“いい言葉”で行動の目標になる。でも、いつも言葉を集めてばかりだった。行動することはなかった。

 

でも、「ああ、自分はまだまだ、ダメだ」と反省する必要はない。それを忘れる手段をもてばいい。

 

 

どうするか?

 

行動の指針でなく、結果を記録していく。

ポケットにたまった“行い”を数え上げていく。

 

・コンビニでアルバイトさんに「ありがとう」と言えた

・友だちの自慢話を我慢しながら最後まで聞いた

 

こんな毎日のちょっとした行いを数えていく。書いて残しておく。

 

 

そうすると、必ず「そんなの誰だってできること」と、いつも斜めに見るひとがいる。

 

そんな人にはこう言いたい。

「誰でもできることだけど、でもそれが私のいいところです」

 

 

それでいい。

 

今は、神様のポケットにほほえみを入れていく。

 

マスクをしていると、互いの口元は見えないが、私たちもほほ笑みを絶やさず過ごしていこう。神さまのポケットからあふれかえったほほ笑みが、世界に散らばることを祈って。

 

 

参考 引用

2020.5.3 中日新聞 「時代を生き抜く名言」