お城でグルメ!

ドイツの古城ホテルでグルメな食事を。

エッテルスブルク城館

2024年04月27日 | 旅行

バッハ、ゲーテ、そしてシラーで有名な旧東ドイツの町、ワイマールは古典的な町として20世紀の終わり頃からユネスコの世界文化遺産に登録されています。

そのワイマールから北に10km行ったところにある、人もまばらな田舎の村に建っているのがエッテルスブルク城館です。コの字型の旧館と新館が向かい合っています。旧館は18世紀の前半に狩猟のためのお城として建築され、その大広間でヨハン・セバスチアン・バッハが演奏をしたそうです。バロック様式で奇抜なデザインの新館が建造されたのは18世紀の中頃です。ゲーテ、ヘルダー、コロナ・シュロェーテル、ヴィーラントなど、多数の小説家、詩人、音楽家たちがエッテルスブルク城館の客人で、いっしょに演奏したり、読書会をしたり、踊ったり、議論を戦わせたりしました。ゲーテは戯曲である „Jahrmarktsfest zu Plundersweilern" (1778) と „タウリス島のイフィゲーニエ" (1779) をこの地で書き上げ、後者はこの城館で初演されたそうです。さらにフリードリヒ・シラーも、創造力をかきたてるこの地方の静けさにひかれてエッテルスブルク城館を訪れ、戯曲「メアリー・ステュアート」を書き上げました。19世紀の初め頃城館で行われた狩猟に関する大きなイヴェントには、ロシアの皇帝アレクサンドル1世やフランスの皇帝 ナポレオン1世をはじめとする著名人が集まったようです。19世紀の中頃から再び、芸術家たちの輝かしい出会いの場になりました。音楽家のリストや童話作家のアンデルセンなどが訪れ、ワイマールの知識人がお城に集まったのです。20世紀の前半にお城はチューリンゲン州の所有となり、寄宿舎付きの中学校として利用されるようになりました。ところが20年後、隣にあの悪名高きユダヤ人の強制収容所が出来てしまいました。第2次世界大戦終了後は仕官学校に、その後スターリン主義の司法学校になり、最後には老人ホームでしたが、20世紀の後半に無人の建造物となって荒廃していきました。東西ドイツ統合の後、地元市民の有志が城館の存続と文化的発展のために努力を続け、ユネスコの世界文化遺産に登録されました(ワイマール登録の一環として)。21世紀になってある企業が数年かけて大々的に再建工事を行いました。こんにち、エッテルスブルク城館は28の客室とレストランをもつ会議用ホテルになっています。

  

新館 と 教会 ・ 旧館 と教会

  

新館の前から旧館を見る ・ 旧館の前から新館を見る

  

新館 ・ 新館の裏手

内部は非常に現代的に改装してあり、まるで博物館を思わせるような旧館にレセプションがありますが、私の部屋は一階がレストランになっている新館にあるそうで、若いお姉さんが案内してくれます。新館もモダンでエレベーターがあり、私の部屋は〈リスト〉、隣が〈ゲーテ〉と名付けられた客室です。〈スイートルーム〉を予約していたので二部屋 (居間と寝室) あります。角部屋で窓が多くてよろしいのですが、スイートにしては安っぽい現代の家具調度で、ところどころに骨董家具がぽつんと置いてあるだけです。窓際の白いランの花が本物であることに少し救われた気がします。バスアメニティーはシャンプーと石鹸だけで他には何もありません。ベッドサイドテーブルになぜか耳栓が置いてあります。

田舎のお城ホテルに泊まると時々あることですが、今夜の宿泊客は私一人だそうです。フロントのお姉さんは19時で帰るので、夜、レストランが閉まったら城館に独りぼっちです。まぁ、幽霊が出るような雰囲気の城ではないのでいいですが、、、。朝食も当然私一人なので、スタッフの朝食準備の仕事を軽減するために、明朝何を食べるか前もって言ってあげました。

  

レセプション ・ 私の部屋から旧館を望む

  

居間 ・ 寝室

レストランも寒々とした内装です。どこにも城館の雰囲気がないことに、私は少々失望気味です。ドイツの映画俳優のポートレートがたくさん貼ってありますが、私は誰も知りません。まだ夕食には早い時間なので散歩や遠足に来た人々がテラスでお茶を飲んでいて、室内で食事をするのは私だけです。

 

レストランの内部

飲み物はいつものノンアルコール・ビールですが、今日は量が少ない普通のビン入りにしました。でもヴァイツェンビールのほうが美味しいですね。

  

ノンアルコール・ビール ・ 柚子リモネード

アペリティフとしての自家製リモネードのページを見ていると、〈柚子リモネード(日本の柑橘類で苦く渋い)〉を見つけました。興味があったので注文してみたのです。容器の中にはブドウの縦割り二切れ、ライム一切れ、ペッパーミントの葉っぱがどっさり、そして氷がいっぱい入っていて、液体は柚子とは思えない味がします。まさか日本人が来てチェックするとは思わなかったでしょう。しかしながら、容器を含めサーヴィスの仕方はなかなか洒落ていますね。

あちゃ、アペリティフをまだ飲んでいるときに前菜のスープが出てきました。ホタテの貝柱とブロッコリー・アーモンドスープです。薬味オイルを塗った固パンと焼きホタテ貝柱が旨い。少し青臭さを感じるスープは毒々しい緑色です。本物のブロッコリーを使っているのか疑問です。グッとくる美味しさが無いですねー。

  

スープ ・ タラの料理

メインディッシュは、パセリオイルを使ったクリーミーな黒レンズ豆とカボチャの上に蒸したタラをのせた料理です。非常に美味しくて大満足ですが、いろいろと小言があります。用意してくれたナイフとフォークが魚料理用のそれではない。皿が前菜スープのとまったく同じ。パンが出てこないので炭水化物無し。サラダ菜を熱い料理の上にのせて欲しくないなー。

このような小さな欠陥は旧東ドイツで比較的よくあることなんですよ。客の接待術がまだ未熟なのかな。あっ、念のために言うけど、私は旧東ドイツの人たちは好きなんです。人と人とのつながりが濃いし、良い意味でナイーヴなところがあります。

私だけのために用意してくれた朝食。テラスを望む良い席に、言っておいたよりも豪華にしつらえてくれました。朝はあまり食べないのでほとんど残しますが、、、。

  

私の朝食席からの眺め ・ 私の朝食

こんにちまで名を残している著名な文化人たちが訪れた、この地方の文化の中心のひとつであったエッテルスブルク城館も、今は仕事(会議やミーティング)で来る客とフラッと遊びに来る人々だけが行きかうだけの場になってしまいましたね。時はすべてを変えてしまいます。

チェックアウトのときにフロントで、 

「あのー、この辺はこんなに静かなのにベッドサイドにある耳栓はどういうことですか。」

「それは、城館に接して建っている教会の鐘がうるさいというお客さんがいるからなんです。」

「えっ、教会の鐘なんてしょっちゅう鳴るわけでもないし、窓を閉めればほとんど聞こえませんよ。」

「でも、それでもうるさいというお客さんがいるんです。」

よほど神経質な人かクレーマーなんでしょうね。

  

2018年9月〔2024年4月 加筆・修正〕

 


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