マラナ・タ  …  私たちの負い目を唯一人、背負われて父の元へ帰られたのは。神があなたを愛されているからです。   

ただ父なる神の愛とイエス・キリストの愛を多くの皆様にお知らせしたいのです。帰れやと、父はあなたを慕い待っておられます。

謙遜とは。

2022年12月30日 | 日記

「人の心の高慢は破滅に先立ち、謙遜は栄誉に先立つ。」
          
                箴言 18章 12節

これは興味深いです。初めに 9 節、仕事を怠ければ、それの刈り取りをします。

けれども、富に頼る者は、それがそそり立つ城壁のようになっていると思い込みます。

けれども、主の名こそが堅固な櫓です。そして、富への依存は高慢にも関わり、高慢は破滅に先立ちます。

そして高慢の現われとして、人の訴えや話を聞かないというものがあります。自分で勝手に解釈して、

自分の都合の良いようにしてしまうことも、「よく聞かない」ことになります。

 

人は謙遜を口にしている時でさえ、高慢な時があります。聖書また箴言が教える、

二つの尊い特質は。謙遜と主を恐れることです。

 

平和な日々の中で、自己満足、無神論的世界観、物質万能主義の支配する今日この頃です。

この風潮が、私たちの目をくらまして真実を覆い隠しています。もう遅すぎるという前に、

今こそ襟を正しましょう。来るべき、神の大審判より救われる、

安全地帯は、キリスト・イエスの十字架の贖いの他にはありません。

 

「 私どもは、自分を見てへり下るのではなく、十字架のあの方を、見てへり下るのである 」
                                      マ―レ

 

 

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