●コメント紹介)明治時代の電話 | 潰瘍性大腸炎 & クローン病&過敏性腸症候群の改善・完治・根治

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●(笑)電話の使い方がわからないについたコメント

◆ masaさん

おはようございます。日本は朝10時です。
なかなか珍しい、あるようで無い、珍しい動画でした。
しかしこれ見てると、経験と言うより、応用力と勘の試験のように思われました。
年寄りの感覚から言うと、もともと誰でも分るように作ってあるので、まあ特定の番号を送るにはそこに指入れて回すしかないと思うんですけどね。確信は無いでしょうね。受話器を取るタイミングは分らないと思いました。
自分も明治時代の電話はかけ方が分らないですね。

のどスプレーの実験忘れてないので、出来るだけ早くしてみますのですいません。

 

◆ けい

おはようございます。

masaさん、のどスプレーの件、了解です ヽ(^o^)丿

 

▼ 昔の電話

明治時代の電話・・・。明治時代に、電話があったのですね???

わたしのなかの古い電話の記憶は、アメリカの白黒映画。

壁掛け式の電話を掛けるとき、右側にあるハンドルをぐるぐる回す。

自転車の電灯の発電機と同じで、あれで発電することで、電気が流れ、電話が通ずる。

そう思っていました。

でも、調べたら、そうではなかった・・・。

 

 

日本で最も古い電話。ダイヤルがない・・・。電話線がない・・・。

そういえば、洋画の白黒映画の中で、女性が、右側のスタンドを握りしめ、左側のホーンみたいなのを耳に当ててしゃべっていた・・・。

 

 

これは、イギリスの白黒のシャーロックホームズの映画の中にあったのと同じタイプ。

 

▼ 初期の電話の体験談

 

ある人が、子ども時代に、こんな電話が村にあったと書いています。

村は、街から離れていて、電気が来ていなかったというぐらいに田舎だった。

 

交換台は、村の靴屋にあり、店の奥さんが交換手だった。

彼の家で、電話のハンドルをぐるぐる回すと、靴屋にある交換台のパネルのランプがつく。

奥さんが忙しいときは、旦那さんが交換手になる。

パネルには、電気が4か所しかつかなかった。

 

というのは、電話があったのは、警察と消防署、そして、住民なのだけど、彼の地域では、電話があったのは、彼の祖父の家と彼の家だけだった。

ダイヤルがなかったけど、電話番号はあった。

交換手に、自分の電話番号と名前をまず伝え、次に相手先の電話番号と名前を伝えた。

交換手は、相手先の電話番号に電話を掛ける。

相手先では、電話機のベルが鳴る。

相手が出ると、かけた人のランプのそばにある接続器と相手先の接続器の間に電話線?を取り付ける。これで通話できる。

遠くの人に電話を掛けるときは、交換手が、相手の住む地区の交換手に電話をかけ、とりついでもらっていた。

 

電気が来ていなかったということは、電話線もなかった???

今の携帯電話みたいだったのか? 説明は書いてありませんでした。

電話は、充電器を使っていました。家には、充電器がなくて、どこかへ行って充電させてもらっていた。

 

気になる電話代ですが、3分間で、1円だったそうです。

電話機代は不明。契約料も不明。

 

▼ 公衆電話

個人電話の後、街には公衆電話が設置されるようになった。

通話時間は、3分間のみ。

電話口では、最初に、もしもしにあたるハローは言ってはいけないルールになっていた。交換手が出たら、すぐに自分の名前と電話番号を伝える。

 

当時のアメリカ市民は、インディアンをのぞいた全員が移民。イギリス、フランス、イタリア、オランダ、スペイン、アフリカ、中国、日本、フィリピン・・・。

みんながお国訛りの英語で話したため、交換手は、電話番号が聞き取れなかった。このため、公衆電話には、0から9までの数字の発音の仕方の説明書が貼ってあった。

 

例:

数字の2: Tの発音は、破裂音であること。というのは、Dと間違いやすいため。

日本人にとっては、次の数字が挑戦となる。というのは、日本語にない発音を含んでいるから。

0,2,3,4,5,7、8

自分の電話番号と、相手の電話番号が、以上の数字の組み合わせだった場合、どんなにがんばっても、交換手が聞き取れないかもしれない・・・。

 

▼ ニッポン

驚いたとは、イギリスで、ベルが電話機を発明した2年後に、日本では、国産の電話機が作られていた。

1868年、明治維新後、わずか12年後のことだった。

日本人の好奇心と優秀な頭脳、勤勉さ、実行力は、世界の中でも突出していると感動!!