年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

家という文字の自己流の解釈

2024年04月29日 | 宅老のグチ
人生の中で衣食住という要素がある。それぞれの要素の重要性は人それぞれであるが、今の経済の見通しの暗さは住問題の大きさから来ている。東アジアの国々の住居の高騰はすでに普通の人が時間が経てば手に入るという財産からかなわぬ夢となりつつある。その動かない財を不動と見なし、財産としたのが日本だと思う。戦後の日本がこの不動産担保融資で財を安定化した。世界史を見ていると西洋と中国の都市は城郭を作り、住民を城中に住まわせ、耕地が城の外にある。従って攻撃者は場内の人の降伏か否かを迫る。そこで籠城戦と逃亡の歴史が残っている。
自分の人生は間も無く終わることをコロナ期間で知った。一応平均寿命という数値ではまだ動けると思うがコロナ期間で得た知識が終わりが近いことを知った。それはコロナ期間で身内の二人の死から来ている。近所であっても、最後は看取れると思っていてもコロナで面会もかなわず、結局亡くなってから、病院の手続きのような感じとなり、葬儀も身内葬・普通は家族葬というものであっけなく終わる。都内の葬儀場は次々と来る葬儀で事務的に行われる。それでも遺骨収拾の所で、係員が遺骨の状態を説明しつつ、容器に入れる。喉仏と頭蓋骨を最後にいれ、箱に収め、書類の説明を行う。もう人生で何回の葬儀場での遺骨収拾だろうか。父が亡くなってもう70年近くなる。親の50回忌が出来る人は稀と聞いたことがある。よほど幼少期に親を亡くさないと50回忌は出来ない。片親だとすぐに生活困窮となり、13回忌も出来ないだろう。13.23回忌をやって、もう回忌の事を忘れていたら、50回忌の事をどこかで母が聞いて、急遽行った。
 家の重みは考えようには運の問題と解釈の問題となる。親ガチャと言われても、時代の変化で子供の仕事の選択を拘束するし、介護を幼少から迫られることもある。いま介護のシステムが整備され、中学生でも介護要員とされる。長寿になると家で同居すると3世代同居となり、老人が孫の世話になることも普通になる。都内の新築木造3階建ての家の間取りから、介護を考えていないことが看取れる。入り口が狭く、車いすが入れない。階段は急で手すりを付けると狭いと感じる。さらに体力が衰えると3階の部屋に行けなくなる。そんなことを考えると介護の家は車いすの動ける家の間取り。トイレ・風呂等の寝たきり直前でも1階で生活できる間取りが良いと思うが極小家は1階では寝ることは出来ないと感じる。このことは誰かが介護になると転居しかないと感じる。1階で洗濯・風呂・トイレが出来る間取りが良い。食事はデリバリ-とレンジで何とかなる。そしてゴミ出しが容易でないとゴミ屋敷になりやすい。
 家族の状況で家の選択を誤るとあっという間に三界に家無しの世界に落ちる

家という字はウ冠に豚というのが下にある。つまり中国は家の中で豚を飼っている。ウ冠は屋根を意味している。豚は家畜で雑食性があって、人のゴミ迄食する。中国の歴史で女性をいじめ話があって、トイレの下にイジメる対象の女性を入れ、排泄物を食させる逸話があった。また現代中国でも消費者物価のポイントは豚肉価格という。景気が良いと豚肉価格が上がる。そして豚肉が上がると飼育する豚が増える。すると過剰生産となって下がる。統計不正の中国でも豚肉価格は比較的にごまかしにくい。
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