年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

国勢調査1920

2020年09月19日 | 宅老のグチ
日本の厳密な国勢調査は1920年10月1日から始まった。今年は100年となる。大正9年の生まれた人で生き残った母は2%の人となった。統計上これから半分くらいは毎年亡くなって、10年経てば男性は全員消え、女性は数人生き残ることになる。既に明治43年生まれの110歳の男性の最高齢で女性はそれより数歳長寿で世界一という。でも120歳までは無い様だ。
 この百年の騒乱の中で生まれて3年目に関東大震災を経験し、竹やぶの中で余震をしのいでいたという話は聞いている。戦時中はさらに大変で空襲の話はあまり聞かない。つらい思い出があったのだろう。戦後に男性が極端に少ない状態で父と縁があって、さらに苦労したようだ。
 国民すべてが将来の不安があったが理不尽な戦争が終わって、子供が多数生まれた。今より3倍以上出生した。戦後の数年の人数の多さは団塊の世代と言われる。このような事象は諸外国でもあって、騒乱・動乱が終わって平和になると出生数が増える様だ。そこに医学の進歩があると、若い人が急増し、その結果で仕事が増えないと、若者の失業者の騒乱が増え、内乱となる。多くの発展途上国は人口の増えることと同時に仕事が増えないので移民思考となる。
 大正9年の国勢調査の出生数は台湾とか朝鮮の数が入ってるかもしれないので生まれた人数は純粋に日本と言うわけでは無い気がする。冷静に考えると、朝鮮の動乱で、日本は安定した。米軍の戦車等の兵器修理の工場を見て、活気があるなと感じていた。食が足り、経済が回復すると生活向上に金が回り、三種の神器と言われる家庭用の電化製品が売れた。今のJR駅前に街頭テレビが設置され、帰宅前のサラリ-マンの消費意欲を煽った。今から思うと17インチ位のテレビを50M近く離れて見ていた気がする。人気番組は力道山の活躍したプロレスで父は興奮し、昭和30年12月23日金曜日のプロレス後に脳出血で12月25日日曜日に死去した。その後家族では10年以上クリスマスは祝わなかった。
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