年寄りの漬物歴史散歩

 東京つけもの史 政治経済に翻弄される
漬物という食品につながるエピソ-ド

梅に鶯 江戸の鶯は訛りのある鳴き方をすると言われた

2022年01月22日 | 福神漬
福神漬の伝承を語っている、鶯亭金升(本名長井総太郎)は数多くの筆名を持っていて、特に風刺漫画雑誌(団団珍聞)には投書者の名前で10以上の変名が見つかる。多くは鶯の里と知られている根岸付近を想像させている。
 『江戸砂子』には根岸の里は鶯の名所なり。元禄の頃、京都出身の寛永寺御門主様より京都の鶯を多く放したという。関東の鶯は訛りがあって、根岸の里は上方のタマゴから生まれたので訛りがないという。それゆえ、根岸の里は『初音の里』とも言われる。まだ早稲田大学に寄贈されている金升の日記を見ていないがおそらく明治7年頃から、母親と今のJR鶯谷駅付近に住んでいた。上野駅が開業したのは明治16年なので住み始めたときは静かだったと思われる。
 
 何年か前に、和歌山県みなべ市の梅まつりに参加した時、暇な時間に梅林を見ていたら、観光客が写真を撮っているのを見たら緑色した羽の鳥がいた。思わず梅に鶯と思ったが、案内してくれた梅業者の人はメジロという。実際鶯の自然の中での姿は見ることが少なく、今から思うとメジロかもしれない。梅にメジロは合わない。
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