油屋種吉の独り言

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かんざし  その12

2021-10-15 22:37:20 | 小説
 パラパラと音がする。
 「夕立だ。まずい」
 はるとは空を見あげた。
 いつの間にか、ずいぶんと時間が経って
いた。
 お寺の山の上、杉林のてっぺんあたりか
ら、墨を水に流したような黒々とした積乱
雲がわらわらと湧きだし、見る間に、はる
との頭の上をおおった。
 雲間で、稲妻が光りかがやく。
 通りすぎる風が、丈高い草をなびかせた
かと思うと、ひと吹きで、はるとの帽子を
飛ばした。
 後ろで、シクシクと誰かが泣いた。
 (そ、そんなことって……、ここはぼく
ひとりのはず。こんな時刻にお墓にまいる
人なんているわけない。きっとススキが風
ですれあう音に違いない)
 そう思うが、振りかえって、それを確か
めてみる勇気はない。
 ザザザアッと雨足が音立てて近づいてき
たが、前にも後ろにも逃げ場がない。
 はるとは、地団太を踏みたい思いだった。
 だが、さすがに男の子である。
 特別記念物になっている椎の木のわきに、
屋根付きの休憩所があるのを思い出し、怖
いのもかまわず、かけだそうとした。
 とたんに、声をかけられた。
 「さあ、坊や、このままじゃ濡れるわよ。
かぜでもひいちゃ、大変。わたしの着物で
あなたのからだ、おおってあげる。遠慮し
ないで、さあさあ、おはいりなさい」
 明らかに、そばで女の声がした。
 何か広い布状のものがバサッと、はると
の頭の上におおいかぶさってきて、たちま
ち、はるとのまわりが闇につつまれた。
 ぷんとお線香の香りがした。
 あまりにびっくりしたので、はるとは声
も出ない。
 まるで幽霊でもみたように感じていたじ
ぶんが情けなく思える。
 「遠くて大変なのに、あなた、あたしの
かんざし、持ってきてくれた……。みんな
にのけものにされたり無視されたり、生き
ているのがつらいほどだった。ほんとに今
まで、こんなに親切にされたことってなかっ
たわ。坊や、ありがとう、ありがとう」
 泣いているのだろう。
 声がだんだん不明瞭になっていく。
 はるとは、じぶんの身に何が起きている
か、想像することもできない。
 思わず、両目をつむった。
 相手を見ないだけ、怖さがつのる。
 「こわがることないわ。あなたは勇気が
あるわ。わたしが今までに会った、どの男
よりずっと……」
 「うん」
 安心感とでも呼んでいいのだろうか。
 ある種の安らぎめいた気分が、はるとの
こころのうちに広がってくる。
 不思議な気持ちだった。
 そのうち、眠ってしまったのだろう。
 夢の中で、じぶんが底知れぬ湖に沈んで
いく。声を出そうにも、水が喉の奥まで入
りこんで来て、苦しくてたまらない。
 それきり、はるとは意識を失くした。
 どれほど時間が経ったろう。
 ふいに、目の前が明るくなった。
 「はると、おい、はると。大丈夫かあ」
 敬三じいじの声だった。
 「はあちゃん、よく無事でいたわね」
 良子ばあばはそう言ったきり、泣きくず
れた。
 はるとはしばらくぼんやりしていた。
 じぶんが休憩所のベンチで横たわってい
るのに気づくのに、長い時間がいった。
 その晩、はるとは敬三じいじの家にとど
まった。
 
  
 
 
 
 
 
 
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1 コメント

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Unknown (sunnylake279)
2021-10-16 09:43:28
おはようございます。
天気の急変とともに、不思議なことが起こりましたね。
とうとうかんざしの女性が現れて、はるとは危なかったですね。
でも助かってよかったです。
一安心しました。

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