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1月の霞が関:桜田門交差点・警視庁本部庁舎前から国会正門前交差点へ PART2

2021年04月16日 06時01分00秒 | 皇居周辺・城西


人通りが全くない「国会前庭」の緑地帯の南北庭園の間に整備されている枯れ木並木道を西側へ向かって歩いていくと、前方に国会議事堂の正門入口前に整備されている「国会正門前交差点」が見えて来ました。




南東側から、国会議事堂の正門入口前に整備されている「国会正門前交差点」の全景を撮影しました。国会議事堂の正門入口前も制服警察官の人が警備しているだけで人通りは全くありませんでした。




「国会正門前交差点」の横断歩道を渡って「国会議事堂」の正門入口前にやってきました。正門入口の南側に整備されている「衆議院正門入口」を撮影しました。




正門入口前から「国会議事堂」の建物を見渡して撮影しました。1936年(昭和11年)の11月に帝国議会議事堂として東京都千代田区永田町一丁目に建設されました。建物は左右対称形を成しており、正面に向かって左側に衆議院、右側に参議院(旧:貴族院)が配置されています。




国会議事堂を建設することが決定したのは1885年(明治18年)のことですが、官庁集中計画に多額の費用が掛かることから建設中止されたり、1891年(明治24年)の1月には仮議事堂が失火によって全焼するなど、現在の国会議事堂が完成するまで約50年掛かっています。




現在の国会議事堂は地上3階・地下1階建て、両翼21メートル、中央塔65メートルの規模の建物となっており、1920年1月に工事着工し1936年11月に完成していて、設計者は不明となっています。




正門入口の北側に整備されている「参議院正門入口」を撮影しました。国会議事堂中央玄関・参議院正玄関・衆議院正玄関の前には、玄関前庭と呼ばれる庭園および遊歩道が整備されています。




北西側から、「国会正門前交差点」前から「国会前庭」の南側に整備されている南側庭園の全景を撮影しました。江戸時代は西日本の有力大名である黒田氏や浅野氏の屋敷、明治期以降は有栖川宮邸を経て、霞ヶ関離宮となった場所でした。現在では和風を基調とした回遊式庭園になっています。




西側から、「国会正門前交差点」から東側(三宅坂下方向)へ向かって伸びている「国会前庭」の緑地帯の間に整備されている枯れ木並木道の全景を撮影しました。




南西側から、「国会正門前交差点」前から「国会前庭」の北側に整備されている北側庭園の全景を撮影しました。江戸時代の初期は熊本藩主の加藤清正の屋敷、次いで彦根藩井伊氏の上屋敷があったところであり、明治維新後は陸軍省や参謀本部の庁舎が建っていました。




「国会正門前交差点」から南側へ向かって伸びている通りの歩道を道なりに歩いていきます。これから「国会議事堂」の敷地南側を回り込んで歩いて「総理大臣官邸」の敷地前に向かいます。




西側から、「国会前庭」の緑地帯の敷地南側に整備されている南側庭園の全景を撮影しました。2021年1月2日のお正月の三箇日の早朝の時間帯だったので、周辺は人通りは全くありませんでした。




「国会正門前交差点」から南側へ向かって伸びている通りの歩道を道なりに歩いていくと、「国会議事堂」の敷地の南東角の交差点前にやってきました。




「国会議事堂」の敷地の南東角の交差点前から、「国会議事堂」の敷地南側に整備されている通りの歩道を西側(総理官邸前交差点方向)へ向かって歩いていきます。




「国会議事堂」の敷地南側に整備されている通りの歩道内から、南側一帯(港区の虎ノ門・赤坂地区内)に建ち並んでいる高層オフィスビル群を撮影しました。



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