5月28日 渋沢栄一の生家(深谷市血洗島)の大規模修復工事が終わり、8月10日から内部まで公開されることになりました。屋根瓦をふき替える資金は、クラウドファンディングで集めたので、私もささやかながら協力させていただきました。
上毛新聞
榮一は東京に居を移したので、「中の家」(なかんち)と呼ばれたこの家は妹のていが婿を取って継ぎ、明治28年には屋根も瓦にふき替えられました。故郷血洗島を愛した栄一はたびたび帰郷し、10畳間にくつろいでいたそうです。この家の隣りに、かつては「大澁澤」と呼ばれた私どもの家「東の家」が聳え立っていました。
来年、栄一さんが1万円札の顔になりますね。また血洗島を訪れる人が増えるかも。10畳間には本物そっくりの栄一さんのアンドロイドがすわっています。
武田勝頼の最期が気になる
大河ドラマ「どうする家康」で、武田勝頼の最期が近づいてきましたね。信玄の四男勝頼は優れた武将でありましたが、最後は織田・徳川連合軍に追いつめられ、妻子ともども自刃し果て、1582年、武田家は滅亡します。
勝頼が気になるのは真栄田郷敦の勝頼がカッコいいからだけではありません。武田の配下に澁澤なる武将がいて、武田家滅亡によって落ち武者となり、一族とともに現在の埼玉県深谷市血洗島に流れつき、定住した・・・というのが、澁澤家のルーツの最有力説とされているからです。
勝頼が気になるのは真栄田郷敦の勝頼がカッコいいからだけではありません。武田の配下に澁澤なる武将がいて、武田家滅亡によって落ち武者となり、一族とともに現在の埼玉県深谷市血洗島に流れつき、定住した・・・というのが、澁澤家のルーツの最有力説とされているからです。
この説によれば、澁澤一族が落ち武者にならず、討死にか自刃していたら、渋沢栄一は存在しなかった・・・というか、サチコさんも存在しなかったことになりますね。16世紀にさかのぼるファミリー・ヒストリーです。
アジサイの季節
こんなかわいいベビーピンクのアジサイは珍しいと思います。かわいさに、うっとり。
駐車場のお隣りのアジサイ。左右同じ木でが、22日にはまだこんな薄色だったのに(左)、28日にはもうこんな紫紅色になっていました(右)。
昨年、高幡不動で見たカシワアジサイ、今日、街で見かけました。葉っぱが柏の葉に似ているので「柏紫陽花」というそうですが、細長円錐形に咲く花がおもしろいですね。
ブランチはお外で
私、遅寝遅起きなので、朝昼兼用です。いつもこんな感じですけど、前夜の残り物をいただくことも多いです。この後、コーヒー飲みます。寒くなく暑くない季節はバルコニーで。簡単なパラソルがあるといいな。
晩ご飯です。シイタケにチーズとベーコンのせて、トースターで焼きました。超簡単だけど、おいしい。サラダはブロコとトマトとゆで卵。毎晩、少しだけワイン。
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