治さねばならないというある種の強制観念に近い「風邪」を含む全ての治療は、薬などに任せるのは浅はか。免疫機能の反応に身を委ね、可能な限り自然に治っていく健康観を大事にしたい。

(リンクより引用

image
***
野口氏の考えによれば、健康な身体には弾力性があるのだという。

しかし、普段から使いすぎている箇所には疲労が溜まり、筋肉から弾力性が失われていく。そして、身体の一部の弾力性が失われると、風邪をひいてしまうのだという。身体の一部というのは、さまざま。頭を使いすぎて、頭が疲れても風邪をひくし、消化器系でも肝臓や腎臓でも同様だ。

ポイントになるのは、「風邪をひくと、身体の疲れている箇所の弾力性が徐々に恢復してきて、風邪を経過したあとは、弾力のあるピッチリした体になる」ということだ。
image
風邪をひいてしまったとき、我々はどうしても「風邪を治さなければ」と考えてしまうが、洋の東西を問わず風邪を治療する行為は、普段から疲れが溜まっている体の弱い部分をそのまま残してしまうため、また風邪をひいてしまう悪循環につながってしまうのだという。

本書(※『風邪の効用』)の冒頭で著者はこう記している。

──風邪は誰も引くし、またいつもある。夏でも、冬でも、秋でも、どこかで誰かが引いている。他の病気のように季節があったり稀にしかないのと違って年中ある。
image
しかし稀に風邪を引かない人もいる。本当に丈夫でその生活が体に適っているか、そうでなければ適応感受性が鈍っているかであって、後者の場合、癌とか脳溢血とか、また心臓障害等になる傾向の人に多い。無病だと威張っていたらポックリ重い病気にやられてしまったという人が風邪に鈍い──

普段、なかなか風邪をひかない。イコール、健康なのではなく、風邪をはじめとする病気に対する感受性が低いというのは驚きの発想ではないだろうか。そして著者の言葉は、風邪を治療することについて続いていく。

──風邪の治療に工夫し過ぎた人は、風邪を経過しても体重配分比の乱れは正されず、いよいよひどい偏りを示すこともある。風邪の後、体の重い人達がそれで、他の人は蛇が皮をぬいだようにサッパリし、新鮮な顔つきになる。

風邪は万病のもとという言葉に脅かされて自然に経過することを忘れ、治さねば治らぬもののように思い込んで、風邪を引くような体の偏りを正すのだということを無視してしまうことはよくない。
image
体を正し、生活を改め、経過を待つべきである。このようにすれば、風邪が体の掃除になり、安全弁としてのはたらきを持っていることが判るだろう──
(引用以上)