笛吹き朗人のブログ

器楽は苦手でしたがサラリーマンを終えた65歳から篠笛を習っています。篠笛を中心に日々のリタイア生活を紹介します。

浜離宮を訪ねました。

2020-10-27 00:03:49 | 日記

今日は、会社の同期の昼食会で、溜池に行きました。

昼食会と言っても、場所は会社のOBサロンで、食事は各自が各々自己責任で持って来た弁当やパンを食べて、その後しばらく互いの近況や世間の話題を話して解散すると言うものです。

今日の参加者は6名で、話題は、アメリカ大統領選挙、菅総理の政策、株価、ふるさと納税、ヒューマニエンス(男と女)、千葉県知事選挙、仏教と葬式などなどでした。

終わってから、私は、一人吟行で、浜離宮を訪ねました。

銀座線で新橋に行き、ゆりかもめで一駅の汐留駅で降り、大手門口から入りました。

これまで何度か訪ねていますが、最も印象に残っているのは、小学3年生の遠足で行った時のことです。

昭和56(1951年)で、戦後6年目の春でした。

広々として、整然とした公園でしたが、海は油がギラギラしており、犬の死体が幾つか浮いていました。

今日行ってみて、池も海も水は透明で、魚(多分、ボラだと思う)が沢山泳いでいました。

紅葉は、まだまだで、園内に沢山植えてある松の木の緑が印象的でした。

驚いたのは、次のことです。

★将軍が賓客を招いたり、鷹狩りの際の休憩所とした「御茶屋」が、4カ所も再建又は復元されていました。
(潮入りの池の中島にある御茶屋では、抹茶と和菓子のセットがありました。今日のお菓子は、アマビエでしたが、なんか不釣り合いでした)

★鴨場が2つありましたが、庚申堂鴨場を見ました。
引き堀、大覗き・小覗き、板木など、現物が見られて興味深かったです。
鴨は、まだ来ていませんでした。

★昔、犬の死体を見た場所からは、広々とした東京湾が望めるものと思っていましたが、無機質なコンクリートの岸壁?が連なり、水上バスらしき船の停泊地になっていました。
公園側の情緒とは、全く不釣り合いでした。(無神経)

★公園の外れに、「将軍のお上がり場」と言う船着き場跡がありましたが、何と、徳川慶喜が大阪から逃げて来た時にも、ここから上陸したと書いてありました。

また元に戻って帰るのもつまらないなと思い、水上バス乗り場から日の出桟橋まで船に乗りました。

ところが、ここから山手線の駅までが大変でした。

最寄駅は、浜松町駅と考えていたものの、標識がしっかりついていないため、東芝ビルを一回りしてしまいました。

お陰で、ちょっとした旅気分を味わいました。


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私は、千葉県東金市出身の落語家、柳家吉綠さんを応援しています。

http://ja.Wikipedia.org/wiki/柳家吉綠
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