意識の進化、次元上昇をアシストする“イエス-道(Jesus,the Way)”

“イエス-道”という視点から、人生を生きる秘訣・コツを考える“斬新的な聖書リサーチ”

映画『君の膵臓をたべたい』の深読み⑲ “発見された宝”

2019年01月27日 18時14分58秒 | 映画ブログ

発見された宝

 

 

      素直=さばかない


Osann :   「で、イエスが説いた山上の説教における核心的なメッ

     セージというのは、“さばくな”である·····と、以前から

     私は観ているんだ(マタイによる福音書7章1節を参照)。

     このように“さばかない”ということを自分の生き方に

     積極的に取り入れて、日々実践していくことこそが

     イエスの“柔和(=素直)”を学んで (マタイによる福音書

                    11章29節を参照)自分のものにしていくための秘訣では

                    ないか····と思うんだ。


     さばかないこと”と柔和(=素直)”というのは、コインの

     裏と表の関係にあると思うんだ。 つまり、表裏一体と

     いうことだね。


     そして、この柔和(=素直)”を身につけた人こそが、

     “さばかない愛”を基調とした自分の人生において

     “かげかえのない宝を確実に発見することになる····。


     映画『君の膵臓をたべたい』も、聖書も、実は、

     そのことを教えようとしているんじゃないかって、

     私には思えるんだ。」

     

    発見された宝の中身


Osann : 「この映画の中では、春樹が 閉架書庫の星の王子

     さま』の原書に桜良がそっと隠してあった(=遺書

     の手紙)を発見し、かつ、その手紙を読んでようやく

     春樹が発見した“宝の中身”というのは、なんと自分に

     対して抱いていた“桜良の想い”だったんだ。


     桜良が以前、病室で春樹に『私が君をどう想っている

     か気にならない❔ 私は君をどう想っていると思う❔

     聞いてたことがあったよね。

     その時に、春樹が『ただの仲良しじゃないの❔』と

     答えたら、桜良は『ブー』と言って否定したんだ。

     で、春樹が『じゃ、どうなの❔』と聞き返したら、

     桜良は『教えない。』『共病文庫にでも書いておこう

     かな····と言ったんだよね。


     でも、桜良が亡くなって1ヵ月くらい経って、桜良の

     お母さんからその共病文庫を受け取って 読んだんだ

     けど、春樹は自分に対して抱いていた桜良の想いを

     (もちろん、読み取ろうと思えば 読み取ることも可能

                    だったんだけど) 十分に気づくことができなかったんだ。


     桜良が閉架書庫の『星の王子さま』の原書にそっと

     忍ばせて置いた遺書の手紙は、春樹に発見されることを

     今か今かと首を長くして待っていたんだ。


     で、12年の時が経過して、ようやく春樹はその宝を発見

     したというわけ。

     でも もしその時、思い込みとか、決めつけなどといった

     “さばくという思考プロセス”によって、春樹の心の目が

     曇っていたなら、言い換えれば、春樹が“素直な状態

     から かけ離れていたならば、春樹は桜良が残していった

     というか、隠していったというか、その“宝物”に辿り

     着くことは出来なかったんだ。

    

     結果的に、自分の”内なる光”に素直に従っていった

     春樹は 桜良が残していった“遺書の手紙という宝”を

     見つけ出し、それを読んだ時に ようやく自分に対する

     桜良の真実の想い確信するに至ったんだ。

    

     聖書の教えの本質はこれととてもよく似ていて、

     イエスのうちにある柔和(=素直)を学んで、

     さばくことをキッパリとやめた時に、人は神のうちに

     ある天の宝”を見いだすことになる。

     つまり、人類史上ずーっと覆われて隠れていた“人類に

     抱いておられた神の真実の想い”という神の奥義

     気づくに至って、ようやく人類を救う神の計画の

     本質、真髄は何なのかということを人は知ることに

     なるんだ。そして、それを知った人はサプライズする

     んだ(コリント人への第一の手紙2章7節、9節、11節を

     参照)。なんて、素晴らしい福音(グッドニュース)なん

     だと。


     神に対して人類が長きにわたって抱いていた誤解を

     解いて、神に直接 アクセスしていくための突破口を

     開くための重要な要となるのが、まさに“素直(=柔和)”

     にあったんだ。


     聖書を学んでいる人たちには“信じること”こそが大事

     ····と思うかも知れないけど、素直(=柔和)”であること

     こそが、実は、信仰の目自分自身の“内なる光”に

     対して開かれ、繋がることであり、同時にそれは

     真実の神に対しても開かれ、繋がるということを意味

     しているんだ。」



     素直さ”を持ち合わせていなかったクラス委員長

 

Osann :   「さらに言うと、この桜良の“遺書の手紙”が『星の王子

     さま』の原書に隠してあったということにも意味がある

     んだ。

 

     実は、『星の王子さま』の物語で描かれている最も

     重要なテーマというのは、“いかにして友だちとしての

     真の絆を結ぶことができるのか”ということだったんだ。

       

     映画の中では、桜良が度々指摘していた素直”を

     身につけていった春樹と、逆に素直”に欠如している

     クラス委員長を対照的に描いているんだ。


     クラス委員長と桜良の家を出てきた春樹との間で問答が

     あって、前の彼氏がしつこいのを桜良は嫌いだった

     ということを春樹が口にした瞬間、クラス委員長は

     切れてカッとなり、春樹を殴り倒して、春樹から奪い

     取った桜良の『星の王子さま』の本を地面に叩きつけた

     よね

 

     つまり、クラス委員長が取ったそのような行動は、

     お互いの心を通い合わせ、結びつけるのに必要な

     素直”という大事なものを投げ捨てたことの証明だと

     思うんだ。

     

     クラス委員長は、『桜良、どうしてそんなヤツ····

     と桜良に言ってたよね。

     つまり、クラス委員長は春樹を価値のない人間として

     “さばいていた”ということ。この“さばく”という行為は

     真我である“内なる光”に直結しているのではなく、

     むしろ、自我に直結して生きてしまっている時に

     自然発生してくるものなんだ。

     

     で、そのようなクラス委員長の言葉に対して、桜良は

     まさに“問答無用”、つまり、何も答えようとせず、

     真剣な顔をして、ただキッパリと こう言ったんだ。

     『もう二度と、私の周りの人たちに近づかないで❗』

     と。


     この言葉を裏を返して解釈すると、“素直な生き方”を

     否定して、その対極にあるような生き方(=真我なる

     内なる光に直結せずに、むしろ自我主導の“人を

     さばいて生きる”ということ)をしていると、

     “目に見えない貴重な”を確実に見失うことになって

     しまう····ということを暗に示しているんだ。


     また、“さばいて生きる”という自我主導の生き方に

     馴染んでいると、真実の神との出会いも果たせなく

     なってしまうだけでなく、神にアクセスする道

     自分から閉ざしてしまうことになる····、これが

     山上の説教の中でイエスが教えた重要な真理の中の

     一つと言えるんだ(マタイによる福音書6章14節~

     15節を参照)


     そういう意味でも、この映画『君の膵臓をたべたい

     は、極めて大事なテーマを扱っており、かつ、聖書が

     啓示している真実の神に出会うための数々のヒントが

     そこに散りばめられているのでは····と私は観ている

     んだ。


     近い将来にさ、『聖書を読んでも なかなか真実の神に

     出会うことができない君は、この“君の膵臓をたべたい

     という映画のDVDをじっくり観て勉強したまえ。

     私のだけど·····君に·····特別に貸してあげます。

     な~んて言う時代が来たりしてね·······。」 

           

ハジメ: 「フフフ·····、面白いこと言うね。

     うん、説明でよくわかったよ。そういうことだった

     んだね。

     これで、『君の膵臓をたべたい』の映画の観かたが

     180度 大きく変わったよ。 

     ホントに、桜良が春樹に対して語っていた“素直”には、

     実に重みのある言葉というか、とても深い意味のある

     言葉だったんだね。

     で、他にも何か····ある❔


 Osann :   「ここで、素直”であることを視点を変えて観ても

     面白いと思うんだ。

     つまり、“時間軸”から素直に生きる”ということを

     捉えてみようと思うんだ。」


ハジメ: 「え? どういうこと? 

     “素直に生きる”ということに、時間の概念も深く関係

     してくるんだ。


Osann : 「では、そのことを映画『君の膵臓をたべたい』の中から

     また説明してみようね。」


人の興味深い会話は、⑳『時間軸”から観る“素直”』に続く(お楽しみに)**

 

 (2019年1月23日~27日)

 

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