意識の進化、次元上昇をアシストする“イエス-道(Jesus,the Way)”

“イエス-道”という視点から、人生を生きる秘訣・コツを考える“斬新的な聖書リサーチ”

映画[君の膵臓をたべたい]の深読み⑱ “宝を発見する春樹”

2019年01月20日 21時32分54秒 | 映画ブログ

宝を発見する春樹

 

Osann :「春樹が どのようにして“”を探し当てたのか、その

    プロセスを知ることは、とても大事なことなんだ。

    で、ここで注目すべきは、桜良が春樹に対して語った

    “素直“、”選択”という重要なキーワードなんだ。

    実は、それが、春樹がどのようにして“”を探し当てる

    ことができた理由を解明するためのヒントになってくる

    んだ。」

 

ハジメ:「そうなんだ。もっと、詳しく説明してくれない❔」


Osann :「桜良が春樹に書いた遺書の手紙を 春樹が宝探し”のように

    探し出すキッカケとなったのは、栗山君が図書館で春樹に

    差し出した図書カードに大きく書かれたニコマークを見た

    時だったんだ。

    栗山君の目には それは単なる“落書き”のようにしか見えな

    かったんだけど、春樹にとっては “桜良からの発せられた

    重要なメッセージ”だと直観したんだ。

    つまり、図書カードに書かれたニコマークというのは、

    桜良が春樹に残していった”の存在を指し示していた

    というわけなんだ。


    もちろん、遺書の手紙というを春樹に残していくこと

    について、桜良が生前中に春樹に話していたわけでは

    なかった。でも、桜良が何か重要なメッセージを残して

    いったのではないか·····と、春樹はハッと気づいたんだ。


    桜良が死んでから12年も経っている状況の中で、桜良が

    春樹に残していった”を探し当てる可能性というのは

    極めて低いと考えられるんだけど·····。


    でも、春樹は 奇跡的にその”に辿り着くことになる

    んだ。 なぜだと思う❔」


ハジメ:「もしかして、ここに桜良が春樹に言ってた例の重要な

     キーワードである素直“と”選択”とが関係してくると

     いうわけ❔」


Osann :「実は、そうなんだ。

    “素直“と”選択”、もしこの両方なければ、桜良が残して

    いった“”に春樹が辿り着くことは不可能だった······と

    思うんだ。」


ハジメ:「もう少し、具体的に説明してもらってもいい❔」


Osann :   「今から説明していくね。

     たとえば、高校の図書館が老朽化のため5月3日からの

     取り壊しが決定し、そのために教頭が教師 春樹に

     図書委員と一緒に図書の整理をしてもらえないか···と

     依頼しているシーンがあったよね。


     その時、教師を辞めようかどうかと迷っていた春樹に

     とっては、図書の整理をする気にはならなかったので、

     教頭に『ちょっと····』と言って呼び止めようとしたんだ

     けど、教頭はそのまま行ってしまったので、しぶしぶ

     受け入れたんだ。


     このシーンというのは、かつて春樹が『君に、私の残り

     少ない人生の手助けをさせてあげます。····日曜11時に

     駅前集合。よろしくね。』と桜良に言われたシーンと

     似ているよね。 一見すると、春樹はただ流されてる

     ように見えるんだけど、これもある意味、春樹がした

     “選択”の一つとも言えるんだ。

     自分から積極的に選び取った選択”というわけではない

     けど、相手が言ったことを頑と拒否しないという“選択

     をしているわけなんだ。

     このような選択”をしたことも、実は、春樹が”に

     辿り着くことに繋がっていくことになるんだ。


     さらに、一緒に図書の整理をすることになった栗山君に

      (特に、栗山君に聞かれたわけでもないのに)   春樹が

     高校生だった時に 桜良とどのように関わっていたかに

     ついて 自分から積極的に話をしたというのも、春樹が

     した重要な“選択”の一つだったんだ。


     また、栗山君からニコマークの落書きがある図書カード

     を見せられた時に、“”の存在を確信して、すぐに その

     “宝探し”を始めたという“選択”も、春樹が“”を探し当て

     ることに直結したんだ。


     つまり、このような一つ一つの“選択”の積み重ね

     なくして、桜良が隠した“”を春樹が見つけることは

     不可能だった·······と言えるんだ。」


ハジメ: 「うん、確かにそうだよね。」


Osann : 「で、このような一連の選択”ができた背景は、春樹が

     “素直”になれたことにある·····と言えるんだ。

     もちろん、初めから春樹が”素直”だったというわけでは

     ないんだ。そのことは、桜良が春樹に語っていた言葉を

     聞くと一目瞭然だよね。


     実は、素直になる”っていうことは、とても重要なこと

     なんだ。

     素直”でない時、人は自分の自我(=エゴ)の声に従って

     物事を選択”していくものなんだ。


     ちなみに、“素直でないこと”を聖書では、“かたくなな

     心”とも呼んでるんだ。そのような人の生き方において

     主導権を握っているのは、“自我”とか“エゴ”と呼ばれて

     いるものなんだ。聖書では、そのことを“”とか“肉欲

     とも呼んでいるんだ。


     じゃあ、“素直”って どういうことかというと、それは

     人の言いなりになって、自分の意志に反して 相手に

     合わせて生きていくことではないんだ。

     また、自分の意志を押し殺して、相手の言うままに

     流されていくことでもないんだ。


     素直”というのは、自分の”“に”直結“して生きていく

     こと。

     自分の”“というのは、本当の自分、本来の自分、

     真実の自分、自分の核なる部分ということであって、

     スピリチュアル用語では、“ハイアーセルフ”とか“真我

     とか“神我”とか呼ばれているものにあたるのだと思う。

     イエス自身は、そのことを山上の説教の中で“あなたがた

     の内なる光”と呼んでいるのではないか·····と、私は観て

     いるんだ。

     誰の内にも存在するこの“内なる光”には一点の曇りも

     なく、これ自体はいつも輝いているんだ。ここに直接

     繋がって その声に耳を傾けて生きていくこと·····、

     それが本当の意味での“素直”ということなんだ。


     そして、この内なる光”を覆い隠している“ヴェール

     のようなものが“自我(=エゴ)”と呼ばれているもの

     なんだ。


     だから、春樹が『君に、私の残り少ない人生の手助けを

     させてあげます』と桜良に言われた時に、単に桜良が

     言ったことに流されて、仕方なく桜良の人生に関わら

     ざるを得なくなったというのではなく、その時、春樹

     自身は気づいていなかったかも知れないけれど、

     自分の“内なる光”の声に確実に従っていた····というわけ

     なんだ。


     また、教頭に図書の整理を頼まれた時に それを断り

     切れなかったのも、単に流されて 引き受けてしまったと

                    いうことでもなかったんだ。

     一見すると、流されて生きていたように見えるけど、

     実は、目に見えないところでは、春樹は自分の“内なる

     からの声に“素直”に従って“選択”して、行動を取って

     いた·····というわけなんだ。


     つまり、春樹は単に “流されるままに” 桜良が閉架書庫に

                    置かれてあった“星の王子さまの原書に隠してあった

      “”を見つけたというのでも、あるいは、“たまたま偶然”

                   に見つけたということでもなかったんだ。」


ハジメ: 「うん、よくわかったよ。」



  春樹における素直さ

 

Osann :「素直になることについて、春樹が語った言葉から

    もっと詳しく考察してみようと思うんだ。

    というのは、これは とても大事なことだから·····。


    実は、春樹は初めから“素直”だったわけではなかった

    んだ。それが顕著に現れたのは、スイーツパラダイス

    でのシーンだったんだけど·····、どのシーンなのか

    わかる❔


ハジメ:「もしかして、桜良に『君は、親友とか いないの❔』と

    聞かれた時、春樹が『僕なんかに興味はないくせに···』

    と言って、答えるのを拒否したシーンじゃないの❔」


Osann :「そう。まさに、そのシーンなんだ。

    つまり、クラスメートの中で一番 根暗で地味だと自他共に

    認める自分のことに桜良が興味なんか持つはずはない❗

    ·····というふうに春樹は決めつけていたんだ。

    この“決めつけ”と“素直”は、共存することはできないんだ。

    “決めつけてかかる”というのは、自我根差した判断で

    あり、一方、素直”というのは真我(=内なる光)の直結して

    ところから生まれてくる判断だからなんだ


    また、“思い込み”というのも、“決めつけ”と同様に 素直

                とは相いれないものなんだ。

    ところで、春樹がこの思い込み”で、後悔してしまった

    シーンって どこだったか覚えてる❔


ハジメ:「それって、桜良が通り魔に刺されて亡くなった時のことを

    回想して栗山君にかたっていたシーンじゃないの❔」


Osann :  「そうなんだ。

     教師 春樹は、このように語ってたよね。

    『甘えていたんだ。残りわずかな余命を彼女が全うできる

     ものだと思い込んでたんだ。·······

     バカだった。明日どうなるかなんて、誰にもわから

     ない。だから、今 この1日を、こも瞬間を大切にしな

     きゃいけないって、そう彼女に教わったのに。


     このような“思い込み” とか “決めつけ”は、実は、人が

     “素直”になることを、つまり、人が自分の“内なる光”に

     直接 繋がることを確実に邪魔してしまうものなんだ。


                     ところで、『井の中の蛙、大海を知らず』という諺が

     あるけど、人というのは 実際にはよく知らないのに

     何でも知っているかのように 思い込んだり、決めつけ

     たりして、ファイナルアンサーを出すことで、物事を

     断定したり、断言したり、あるいは、人を断罪したり、

     善▪悪や価値の有無を判断しようとしてしまうんだ。

     これが“さばく(ジャッジする)”とい自我指導の思考

     プロセスということ。········」


人の興味深い会話は、⑲『発見された宝』へと続く(お楽しみに)**

 (2019年1月11日~20日)

 

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