ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

語る資格

2024-04-08 08:01:33 | 我が国の教育行政と学校の抱える問題

「語る資格」4月2日
 『「人生に無駄なし」 首相、新社会人にエール』という見出しの記事が掲載されました。『岸田文雄首相は1日の参院決算委員会で、新社会人にエールを送った』ことを報じる記事です。
 記事によると、岸田氏は、『人生において無駄なものは何もない。どんな苦難も意味がある(略)銀行員として社会人のスタートを切った頃の自身を「ずいぶん多くの失敗をし、修羅場と言っていい場面にも数々出合った」と回想』したそうです。
 「人生に無駄なし」というエールに文句があるわけではありません。私の考え方とは違いますが、考え方は人それぞれですから。ただ、私が引っ掛かったのは、岸田氏が銀行員時代のことを振り返って「教訓」を述べたということです。
 岸田氏に銀行員の何が分かっているのでしょうか。とても疑問です。岸田氏は、政治家一家の三代目、迎える銀行側は「普通人」の新入行員を迎えるのとは違う対応をしたはずです。岸田氏自身、一生その銀行の行員として生きようとは思っていなかったでしょう。国会議員になるまでの腰掛という思いであったと思われます。そして、銀行員時代は10年も続かなかったとすれば、岸田氏に銀行員という仕事について語る資格があるのか、そういう思いが募ってしまうのです。岸田氏と同期で入行した多くの行員たちは、「何を言ってるんだ」と冷ややかな態度で聴いているのではないかと穿った見方をしてしまうのです。
 著名人が校長や教員に特別採用され、その経験を基に、学校や教育行政、教員の意識や行動について、批判的に語ったり、著書で問題視したりすることは少なくありません。「世の中科」を提唱し校長を務めたF氏、障害者の視点から担任の経験を綴ったO氏、いずれも特別な配慮の下、短期間その職にあっただけです。F氏のケースでは、赴任したのは生活指導面の問題が少ない「いい公立校」でしたし、教委からはある意味広告塔として特別扱いされていました。O氏の場合は、各種行事の引率などは難しかったでしょうから、特別な体制が組まれたはずです。
 そうした特殊ケースをもとに、学校現場を体験しよく知る者として学校教育について述べるということについて、その影響力の大きさを考えると複雑な思いになるのです。その指摘や分析、それらに基づく提案を校長や教員、教委関係者はどう受け止めているのか、どんな思いで聴き、読んでいるのか、と。
 授業云々以前に生徒を教室に入れることから苦労しなければならない中学校の教員、多忙で子供の目のないところではいつも廊下を走っている担任教員、そんな彼らはどう受け止めているのでしょうか。
 そんな思いを抱いてしまうのは私だけならいいのですが。

 

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